インサイド・ブルー 第3話

採用通知を受け取ってから一週間後。 座学中心の退屈な基本研修を終えた私は、ようやく特捜課のオフィスに配属された。

「よう、新人。研修お疲れさん」

自身のデスクで分厚いファイルを広げていた堂島班長が、顔を上げずに言った。 そして、隣のデスクに寄りかかっていた男を顎でしゃくる。

「早速だが初仕事だ。そこの先輩と一緒に、殺人現場の調査に行ってこい。『現場百遍』てのは、超能力者であっても変わらない基本だからな」

指名された男が、ひらひらと手を振った。 「よろしくな、如月ちゃん。俺は影山 瞬(かげやま しゅん)。ま、気楽にいこうぜ」 細身のスーツを着こなす、飘々(ひょうひょう)とした雰囲気の男だった。年齢は三十前後だろうか。一ノ瀬とはまた違う、少しニヒルな空気を纏っている。

私たちは影山の運転する覆面パトカーに乗り込んだ。 目的地へ向かう車内で、影山が事件の概要を説明し始める。

「被害者は都内のアパートで一人暮らしの男性。背中からナイフで一突きだ。死亡場所は玄関入ってすぐ。抵抗した痕跡(あと)が全くないことから、犯人は顔見知りの可能性が高い」

私は助手席で資料に目を通しながら頷く。 「それで、私の役目は?」

「俺たちが現場を確認して、遺留品なんかからプロファイリングを行う。その後、浮かび上がった知人の容疑者に、お前さんの能力で事情聴取(カマかけ)してもらう予定だ。そのための下見ってやつだな」

一通りの説明を終えると、影山はハンドルを握りながら、ふと思い出したように言った。 「そういや、お前の能力は『読心術』だって班長から聞いてる。これから組むんだ、俺の能力も教えておくよ」

影山がちらりと私を見た。 「俺の能力は、『変身』だ。顔も声も、体格さえも自在に変えられる」

そう言うが早いか、影山の顔がぐにゃりと歪んだ。 次の瞬間、そこにいたのは、今朝テレビで見たばかりの人気イケメン俳優の顔だった。

「えっ……すごい」 私が素直に驚くと、影山はニカッと笑った。その笑顔は、まさしくテレビの中の俳優そのものだった。

「便利だろ? 幼い頃からこの能力で顔を変えすぎて、正直、自分の本当の顔がどんなだったか忘れちまったがな。ま、色んな人生を演じられると思えば、悪くないもんさ」

少し自嘲気味に笑う横顔に、私はかける言葉が見つからなかった。特殊な能力を持つ者には、それぞれの孤独があるのかもしれない。

雑談をしている間に、車は現場のアパートに到着した。 築年数の古い、単身者向けの木造アパートだ。規制線が張られた部屋の前で、影山が鍵を探してポケットを探る。

その時、隣の部屋のドアがガチャリと開いた。 若い女性が顔を出し、少し怯えた様子で私たちを見た。派手なメイクにスウェット姿。

「あ、あの……こんにちは。何かあったんですか? 警察の方……?」

影山が鍵を見つけ、そっけなく答える。 「いえ、現場検証の続きです。ご協力感謝します」

「は、はぁ……。大変ですね」 女性はぎこちなく会釈をして、すぐにドアを閉めた。

私は、閉ざされたドアをじっと見つめていた。

私たちは被害者の部屋に入った。血痕が残る玄関を避け、奥へ進む。 「被害者は神経質な性格だったようでな、部屋に荒れた形跡がない。鑑識が室内の指紋も調べたが、被害者以外のものは見つからなかったそうだ。完璧な掃除が行き届いている」

影山が室内を見回しながら、推理を展開し始める。 「つまり犯人は、指紋を残さないように手袋をしていたか、あるいは被害者が招き入れた後に、痕跡を完全に消去したか……。どう思う、如月ちゃん?」

同意を求められた私は、おずおずと口を開いた。

「あの、影山先輩」 「ん?」

「私、犯人わかっちゃいました」

影山が目を丸くして振り返る。「は?」

私は親指で、隣の部屋の壁を指差した。 「さっきの女性が犯人です。心を読んだので」

影山の口がポカンと開いた。

彼女が顔を出した瞬間、私は無意識に能力を使っていたのだ。彼女の表層心理は、不安と焦りで渦巻いていた。

『やばい、また警察。まさかバレてないよね? 落ち着け私。ただの挨拶よ。凶器のナイフは昨日の夜、川に捨てたし、指紋も完璧に拭き取った。アイツが浮気なんてするから悪いんじゃない……』

思考は雄弁だった。動機、凶器の処分方法、そして犯行の正当化まで、全てが一瞬で流れ込んできたのだ。

もしこれがミステリー小説なら、影山先輩が変装能力を駆使して容疑者を揺さぶり、私がその心の隙を読んで証拠を見つけ出す――そんなスリリングな展開があったかもしれない。 だが、現実は非情だ。 男女のもつれによる殺人事件は、たった一つの「心を読める」という超常現象の前に、捜査開始から五分とかからず解決してしまったのだった。

その日の夜。 警察署の近くにある大衆居酒屋で、私の新人歓迎会が開かれた。 メンバーは堂島班長、一ノ瀬、そして影山先輩の三人。

「いやー、まさか隣人が犯人とはな! しかも動機が痴情のもつれでカッとなって刺しただけって、ミステリーのかけらもねえ!」 影山先輩がビールを片手に笑い飛ばす。

「沙希ちゃんの能力、マジで反則だよねー。俺の能力なんて、ただ女の子にモテるだけだしさ」 一ノ瀬が枝豆をつまみながら、いつもの軽い調子で言う。

「ま、結果オーライだ。これで面倒な書類仕事が一つ減った。乾杯!」 堂島班長がジョッキを掲げ、宴が始まった。

最初は緊張していた私だったが、酒が進むにつれて、次第に意識がふわふわとしてきた。 私は、幼い頃から人の心を避けて生きてきた。社会人経験など皆無に等しく、大学のサークル活動のような「飲み会」のノリも、社会人としてのマナーも、何一つ持ち合わせていなかった。

「……ちょ、ちょっと如月ちゃん? ペース速くない?」 影山先輩が心配そうに声をかけてくるが、もう遅い。私の視界はぐるぐると回り始めていた。

「うっさいわね! あんたたち男はいつもそう! 表面ではニコニコして、腹ん中じゃ『この女チョロい』とか思ってんでしょ! 知ってんのよ、全部読めてんだから!」

私はジョッキをダン!とテーブルに叩きつけた。店中の視線が集まる。

「ちょ、沙希ちゃん、声デカいって!」一ノ瀬が慌てて止めに入る。 「うるさい、顔だけイケメン! あんたの頭ん中、ピンク色一色じゃない! 最低!」 「ええーっ!? 俺、今何も考えてないよ!?」

そこからは、地獄絵図だった。 私は日頃の鬱憤を晴らすかのように暴れ回り、止めに入った影山先輩の変装した顔を鷲掴みにし、最後は堂島班長の高級そうなスーツに盛大にリバースした。

「……ったく、とんでもねえ新人が入ってきやがった」 ゲロまみれになりながら、堂島班長が深いため息をつく声が、遠く聞こえた。

私は一ノ瀬と影山先輩に両脇を抱えられ、ズルズルと引きずられるようにしてアパートへ運ばれていった。 こうして、私の波乱に満ちた公務員実戦一日目は、最悪の形で幕を閉じたのだった。


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