リブート 5話

第十九章:ただ、そこに咲く花のように

「オギャア」と泣いた私は、すぐに泣き止んだ。 5周目。絶望の淵から始まったこの人生で、私は一つの決意を固めていた。 「何も、しない」 予言もしない。金儲けもしない。歴史を変えることもしない。 ただ、目の前にある時間を、丁寧に生きる。それだけをしようと決めた。

私は、ごく普通の子供として育った。 いじめっ子には笑顔で飴を渡し、勉強はほどほどにし、放課後は道端の雑草を眺めて過ごした。 未来を知っているからこそ、今、この瞬間吹いている風の心地よさや、母が作る味噌汁の温かさが、二度と戻らない奇跡の連続であることを痛感していた。

大人になった私は、小さな古時計の修理屋になった。 直すのは「時」。 狂った時間を調整し、止まった時間を動かす。 店は繁盛しなかったが、困った人の時計を直すと、皆が笑顔になった。 私は、かつてのような莫大な富も名声もなかったが、店先の縁側で茶を啜る時間に、かつてない幸福を感じていた。

第二十章:愛の証明

ある日、店に一人の女性が訪れた。 かつて1周目、2周目で妻だった女性だ。 運命の引力に導かれるように、私たちはまた出会った。 だが、今回は違った。 私は彼女の家柄も、世間体も気にしなかった。 ただ、彼女が笑うと嬉しかった。彼女が悲しむと胸が痛んだ。 不器用なプロポーズをし、小さな結婚式を挙げた。

子供も生まれた。 私は「将来のため」という言葉で彼らを縛らなかった。 ただ一緒に泥だらけになって遊び、悩みを聞き、失敗したら抱きしめた。 「お父さんは、いつも楽しそうだね」 子供たちのその言葉は、どんな予言の的中よりも私の胸を震わせた。

かつて私は、臆病者だった。 成功者だった。 神だった。 虚無だった。 そして今、私はただの「夫」であり「父」であり、一人の「人間」だった。 計算ずくの成功ではなく、予測できない日々の喜怒哀楽こそが、人生の彩りだと知った。

第二十一章:祝福の痛み

2025年12月31日。 運命の日がやってきた。 私は古びた時計店の奥にある居間で、家族に囲まれていた。 妻が蜜柑を剥いている。孫たちがテレビを見て笑っている。 ご馳走はない。特別なイベントもない。 だが、部屋の中は暖かな黄金色の光に満ちていた。

(ああ、そうか……)

私は気づいた。 私はずっと「何か」を求めて彷徨っていた。 安心、称賛、支配、平穏。 けれど、本当に欲しかったものは、最初からここにあったのだ。 ただ愛し、愛されること。 この当たり前の幸福を知るために、私は200年以上もの旅をしてきたのだ。

夜が更ける。時計の針が時報を刻む。 私は心の中で呟いた。 「もう、いいよ。ありがとう」

その瞬間、あの激痛が走った。 ガツンッ!! グラスを落とすことも、叫ぶこともしない。私はただ、痛みを噛み締めた。 これは「終わり」の合図ではない。 蛹(さなぎ)が蝶になる時の、殻を破る痛みだ。

「おじいちゃん?」 孫が心配そうに覗き込む。 私は微笑んだ。 「大丈夫だ。ちょっと、長い旅が終わっただけだよ」

意識が遠のく。 天井のシミが見える。だが、それはボロアパートのそれでも、タワマンの無機質なそれでもない。 家族の笑い声が反響する、愛おしい我が家の天井だ。 私は満ち足りていた。 もう、悔いはない。 もう、戻る必要もない。

最終章:1月1日

暗闇。 静寂。 そして……。

「……あなた、あなた」

体を揺すられる感覚。 消毒液の匂いではない。お雑煮の出汁の匂い。 目を開けると、そこには心配そうな妻の顔があった。 シワの増えた、けれど世界で一番愛しい顔。

「大丈夫? うなされていたわよ」

私は起き上がった。 体は小さくない。節々が痛む、65歳の老人の体だ。 窓の外を見る。 明るい陽射し。 カレンダーの日付は――

2026年1月1日

「……超えたのか?」

私は震える手で自分の頬に触れた。 戻っていない。 ループは終わったのだ。 魂が満足し、人生という学校を「卒業」したのだ。

「どうかしたの?」 「いや……」

私は涙が溢れるのを止められなかった。 妻の手を強く握りしめた。その温かさは、確かにここにある。 未来を知っている「佐竹守」はもういない。 ここから先は、誰も知らない、私だけの未知の時間が始まる。

「あけましておめでとう」 「ふふ、何を改まって。おめでとうございます」

私は窓を開けた。 冷たく澄んだ冬の風が吹き込んでくる。 それは、今まで感じたどんな風よりも、新しく、自由な匂いがした。

私の人生は、5周目にしてようやく、本当の意味で始まったのだ。


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