
当時、私はまだ3歳だった。父は頑なに否定する。「これは事故だ、夢香のせいじゃない」と。けれど、親戚たちのひそひそ話や、父の友人がふと漏らした言葉を繋ぎ合わせれば、事実はひとつしかない。 私は、父の左目を吹き飛ばしたのだ。
父の左目には、光がない。 瞼の奥にあるはずの水晶体も、網膜も、すべてが欠損しているらしい。それをやったのは私だそうだ。 「らしい」「そうだ」というのは、私にはその瞬間の記憶が一切ないからだ。
私には、呪いのような力がある。 感情の昂ぶりが臨界点を超えると、私の身体は物理的な爆発を引き起こす。火薬もスイッチもない、純粋なエネルギーの暴走だ。
記憶にある最初の「爆発」は、保育園の時だった。 理由は酷く単純で、積み木のお城を誰かに壊されたとか、そんな他愛のないことだったと思う。沸き上がった怒りは、言葉になる前に衝撃波となって弾けた。 保育室のおもちゃは粉々に吹き飛び、窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げた。幸い、園児たちに怪我はなく、軽い切り傷と耳鳴りで済んだのが奇跡だった。 当然、私はその日のうちに保育園を追い出された。
「夢香、いいかい。心の中にコップがあると思ってごらん」 父は、私の小さな手を包んで、諭すように言った。 「そのコップが水で溢れないように、いつも気をつけるんだ」 父の言葉は優しかった。けれど、幼い私にとって、感情という奔流はコップなどで受け止められる代物ではなかった。
小学校に上がると、その力はより凶悪な形を見せた。 5年生の時だ。クラスで二番目に足の速い、スポーツ万能な男子がいた。彼は私のことが気になっていたのか、あるいは単に反応が面白かったのか、執拗にちょっかいを出してきた。 スカートめくり、上履き隠し、背中への落書き。 ある放課後、彼が私のノートを奪って走り去ろうとした瞬間、私の「コップ」は粉々に砕けた。
廊下に轟音が響いた。 気がついた時、彼は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。 彼は二度と、あの大好きなトラックを全力で走ることができなくなった。足の神経と筋肉が、爆発の衝撃でズタズタになってしまったからだ。 「好きな子にちょっかいを出しただけ」 大人になった今なら、彼の未熟さと、その代償のあまりの重さに胸が痛む。だが、当時の私は、担架で運ばれる彼を見ながら、こう思っていた。 『いい気味だ』 父には涙を流して怒られたが、私は最後まで素直に謝れなかった。自分を守っただけだと信じていたからだ。
不思議なことがある。 父の左目、保育園の半壊、そして同級生の身体障害。 これだけの超常現象を起こしておきながら、黒いスーツの男たちが私を研究所へ連れ去ることはなかった。 世間は、「ガス管の破裂」「老朽化による事故」「不運な転倒」として処理したのだ。 人間というのは、自分の理解の範疇を超えた事象を目の当たりにすると、思考を停止させ、無理やりにでも「ありふれた現実」の枠に押し込もうとするらしい。その集団心理の盲点こそが、私が社会で生き延びる唯一の隠れ蓑だった。
中学生になると、事態は別の方向へねじれ始めた。 皮肉なことに、成長した私は、人目を引く容姿を持っていた。父譲りの色素の薄い瞳と、母譲りの華奢な体躯。それが災いした。 男子生徒たちは色めき立ち、それを面白く思わない女子生徒たちの嫉妬は、どす黒い悪意となって私に向けられた。
「色香によって、人はここまで狂うのか」 私は冷めた目でそれを見ていたが、やはり感情の制御は限界を迎えた。 中学二年の秋、体育館の裏。 「あんた、調子乗ってんじゃないわよ」 五人の女子グループに囲まれた。彼女たちが好意を寄せる男子生徒が、私に話しかけた。ただそれだけのことだ。彼氏でもなければ、好意すらない相手への言いがかり。 罵倒と共に突き飛ばされた瞬間、私の視界が真っ赤に染まった。
爆発。 彼女たちの悲鳴と、焦げた制服の臭い。 全員が火傷を負った。命に別状はなかったが、肌には跡が残っただろう。 それが決定打だった。 「私は、この世界で生きていくことはできない」 私は自室の扉を閉ざし、そこから数年間、一歩も出ない引きこもりとなった。
薄暗い部屋で膝を抱え、ただ息をするだけの毎日。 食事を運んでくる父の足音だけが、世界との接点だった。父は何も言わなかった。ただ、独り身で働き、家事をし、怪物の娘を養い続けてくれた。
転機は19歳の時だ。 ふと、鏡に映った自分の顔を見たとき、父の疲れた背中が重なった。 いつまでも、父の脛をかじり続けるわけにはいかない。父が倒れたら、私はどうなる? 共倒れだ。 私は社会に出ることを決意した。ただし、正社員としてではない。「派遣」という形を選んで。
派遣社員は都合がいい。 責任の重い仕事は任されない。人間関係も希薄で済む。 何より、「ここが嫌だ」「ストレスが溜まってきた」と感じたら、契約満了を理由に逃げ出すことができる。 感情のコップが溢れる前に、水を捨てる場所を変えるのだ。
あれから、10年以上の時が過ぎた。 私は今も、どこかのオフィスで、誰かの代わりにデータを入力し、お茶を汲んでいる。 「山野さんって、いつも冷静だよね」 同僚はそう言って笑う。私が能面のよう表情を崩さないのは、少しでも心を揺らせば、このビルごと吹き飛ぶかもしれないからだとは、誰も知らない。
父の左目は、今日も見えていない。 その代償を背負いながら、私は私の感情(バクダン)を抱え、今日も静かに息を潜めている。
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