
工藤さんが、私の爆発で肉片となって消えてから、六年が過ぎた。 私は36歳になった。
六年前のあの夜、私は世界の片隅で膝を抱え、ただ息を潜めて生きることを誓った。その誓い通り、私は完璧な「背景」としての日々を送ってきた。 半年から一年周期で派遣先を変え、人間関係が深まる前にリセットボタンを押す。誰の記憶にも残らない、都合のいい労働力。それが私の生存戦略だった。
30代も半ばを過ぎると、皮肉なことに生きやすさが増した。 以前のように、わざと野暮ったいメイクをして「武装」する必要がなくなったのだ。加齢という自然の摂理が、私の色香を適度に枯れさせてくれたおかげで、すっぴんに近い状態で出社しても、面倒な男が言い寄ってくることは皆無になった。 楽になった反面、女としての賞味期限を突きつけられているようで、鏡を見るたびに微量の砂を噛むような寂しさを覚える。だが、それでいい。平穏が保てるなら、安い代償だ。
現在の職場は、大手電機メーカーの物流管理部門。 私の仕事は、右から左へと流れてくる伝票の数字を、ひたすらシステムに入力すること。感情の入り込む余地など1ミリもない、素晴らしい単純作業だ。
朝起きる。水を飲む。電車に揺られる。キーボードを叩く。コンビニの弁当を食べる。再びキーボードを叩く。電車に揺られる。帰宅する。 そして、狭いワンルームのベッドに寝転がり、スマホでどうでもいい動画を流し続ける。猫がジャンプに失敗する動画、外国人が奇妙な料理を作る動画。脳味噌を麻痺させるための、質の悪い麻酔薬だ。
時折、ふと死が頭をよぎる。工藤さんのいない世界に、未練などない。 だが、そのたびに、父の隻眼と、母が命を賭して私を産み落としたという事実が、ストッパーになった。 彼らの犠牲を無駄にするような真似はできない。だから私は、残りの人生を「消化」する。誰にも迷惑をかけず、何も生み出さず、ただ静かに燃え尽きるのを待つだけの粗大ゴミのように。
そんな、灰色の防音壁に囲まれたような日常に、その男はダンプカーのように突っ込んできた。
「だーかーら! それじゃ現場が回らないって言ってるんですよ、部長!」
フロア中に響き渡る怒声。入力の手が止まり、静まり返っていたオフィス全員の視線が一点に集中した。 声の主は、この春に中途採用で入ってきた営業部の**豪田(ごうだ)**という男だった。 年齢は私より二つ三つ下だろうか。常に袖をまくり上げ、暑苦しいほどの熱気を撒き散らしている、絵に描いたような体育会系の熱血漢だ。
彼は、私とは対極の存在だった。 私は気配を消すことに命をかけているが、彼はそこにいるだけで空気が振動するほど存在感がうるさい。声が無駄に大きく、感情がすべて顔に出る。
その日も、彼は理不尽な納期を押し付けてきた取引先と、それをなあなあで済ませようとする上司の板挟みになり、電話口で吠えていた。
「いや、無理なもんは無理ですって! うちの物流担当が死んじまいますよ! 客の要望聞くのが営業の仕事ですけど、社内の人間守るのもあんたの仕事でしょうが!」
電話の向こうの相手が誰であろうと、彼は一切怯まない。上司だろうが、クライアントだろうが、先輩だろうが、自分が正しいと思ったことは腹の底から声を大にして主張する。 当然、社内での評価は真っ二つだ。「扱いにくい爆弾」と煙たがる層と、「よく言ってくれた」と密かに喝采を送る層。
私は、後者だった。 彼の席は私のデスクから少し離れていたが、その声は防音壁を軽々と突き破って届いた。 私は、伝票入力の手を止めないまま、耳だけを彼に向けていた。
(……すごい)
単純な感嘆だった。 私は、常に感情を押し殺している。言いたいことの1割も口に出せず、飲み込んだ言葉が腹の中で腐敗していく感覚を常に味わっている。 だが、彼は違う。 私が言いたくても言えないことを、私がぶち壊したくても壊せない空気を、彼はその身一つで、その大きな声で、粉砕していく。
それは、ある種のカタルシスだった。 自分では決してできないスカイダイビングの映像を見ているような、安全な場所から眺めるスリル。
いつしか、豪田の言動を目で追うことが、私の密かな趣味になっていた。 彼が理不尽な要求に真っ向から噛み付き、顔を真っ赤にして怒り、時には豪快に笑う姿を、私はモニターの陰から盗み見る。 それは、死んだように生きている私にとって、唯一、生の感覚を呼び起こさせる刺激物だった。
彼を見ている時だけは、私の中の「コップ」の水が、危険なほど揺れる。 だが、それは不快な揺れではなかった。 自分以外の誰かが、代わりに爆発してくれているような、奇妙な安堵感だった。
まさか、その「歩く活火山」のような男の火の粉が、安全圏にいるはずの私にまで降りかかってくるなんて、この時の私はまだ、思ってもみなかった。
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