最強の婚活 D

1. 初日:透明人間のふたり

無人島に降り立った20人の男女。 その中に、**透(とおる・32歳)静子(しずこ・31歳)**がいた。

透は、大学の研究室で古文書の修復をしている。職場は地下、会話相手は教授(70代男性)のみ。女性とは「レジの店員」以外と話した記憶がない。 静子は、女子高・女子大育ちで、現在は在宅の校閲者。男性免疫がなく、実の父親と話すときですら緊張でどもる。

初日のオリエンテーション。 「さあ、まずは自己紹介!」と陽気な男性が音頭を取ると、二人は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。 透は「この集団にいたら心臓発作で死ぬ」と思い、森の奥へ。 静子は「男の人の視線が怖い」と震え、岩場の陰へ。

2. 3日目:聖域の共有

島の北側にある、誰の視界にも入らない小さな洞窟。 透はここを「シェルター」と名付け、膝を抱えて隠れていた。 すると、そこに静子が入ってきた。

「ひっ!」 「あ……っ!」

二人は声にならない悲鳴を上げ、壁にへばりついた。 距離は5メートル。 透は真っ青になり、静子は涙目だ。 (どうしよう、男の人だ……怖い、怒鳴られるかも……) (どうしよう、女の人だ……何を話せばいいんだ、逮捕されるかも……)

1時間、沈黙が続いた。 透は勇気を振り絞り、蚊の鳴くような声で言った。 「ぼ、僕……ここ、出ます……すみません……」 彼が立ち上がろうとすると、静子が首をブンブンと横に振った。 「い、いえ……私が……来ちゃって……ごめんなさい……」

二人はお互いに「どうぞどうぞ」とペコペコ頭を下げ合った結果、洞窟の「右端」と「左端」に、最大限の距離を取って座ることで合意した。

これが、彼らの共同生活の始まりだった。

3. 15日目:筆談の儀式

二人の間には、見えない「結界」があった。 会話はない。目も合わせない。 だが、奇妙なことに「心地よさ」があった。

他の参加者たちは、必死にアピール合戦を繰り広げ、傷つけ合い、泣き叫んでいる。 それに比べれば、この洞窟は天国だった。ここには「異性を意識しろ」という圧力がない。

ある日、透が焚き火で焼いた芋を二つ持ってきた。 彼は無言で、洞窟の中央にある平らな岩(共有スペース)に、芋を一つ置いた。 そして、自分の陣地に戻り、壁に向かって座った。

静子はおずおずと近づき、芋を手に取る。 代わりに、自分が拾ってきた綺麗な貝殻を、岩の上に置いた。

透が振り返り、貝殻を見る。 (……ありがとう、という意味だろうか) 透は貝殻を大切にポケットに入れた。

翌日から、岩の上には「木の板」と「炭」が置かれた。筆談の開始だ。 『雨が降りそうです』 『了解しました』 『魚が釣れました。置きます』 『ありがとうございます。ふきのとうを置きます』

文字だけのやり取り。声のトーンや表情を読まなくていいコミュニケーションは、二人にとって究極の安らぎだった。 彼らは知らなかった。他のカップルが「愛してる」と言いながら疑心暗鬼になっている間、彼らが最も誠実に「対話」していたことを。

4. 29日目:恐怖のカウントダウン

明日で期限が切れる。 強制マッチングの恐怖が、洞窟の平穏を破った。

透は震える手で、炭を走らせた。 『明日、AIが相手を決めます』 静子からの返信は、震える文字で書かれていた。 『怖いです。大きな声の人が来たら、私、生きていけません』

透は想像した。 この静かな空間に、ギャルや高飛車な女性が土足で入ってくる未来を。 静子も想像した。 乱暴で、距離感を詰めてくる男性と、一生暮らす未来を。

透は、人生最大の決断をした。 彼は板にこう書いた。

『僕たちは、会話ができません』 『目を見るのも怖いです』 『でも、あなたとなら、沈黙が苦痛ではありませんでした』 『僕と、契約結婚をしていただけませんか?』

静子はその文字を読んで、ボロボロと泣いた。 恋愛感情なんてわからない。胸の高鳴りもない。 あるのは、「この人なら、私を脅かさない」という絶対的な信頼感だけ。

彼女は震える手で、板に大きく一文字だけ書いた。

『はい』

5. 最終日:手袋越しの結婚式

ドローンが迎えに来た。 透と静子は洞窟を出た。 二人とも、ボロボロの軍手を二重にはめていた。

「直接触れるのは、まだハードルが高いので」 透が小声で言うと、静子は深く頷いた。 「はい。段階を踏ませてください……」

係官が呆れた顔で「手をつないでください、本人確認です」と告げる。 二人は、まるで爆発物を扱うように、お互いの軍手越しの手を、そっと握った。

(温かい……かも) 静子は思った。 (柔らかい……かも) 透は思った。

異性の手。未知の生物のパーツ。 でも、軍手の厚みの向こうにある体温は、洞窟の焚き火と同じくらい、優しかった。

ヘリコプターの中で、二人は並んで座った。 会話はない。 透は膝の上で古文書の本を開き、静子はその横で刺繍を始めた。 二人の間には、きっちりと30センチの隙間が空いている。

だが、その隙間は「拒絶」ではない。「敬意」だ。 一生離婚できない法律。 それは彼らにとって、この「心地よい距離感」を誰にも邪魔されず、死ぬまで守り抜けるという、最強の盾だった。

「あの……」 静子が小声で言った。 「……はい」 「帰ったら、筆談用のホワイトボード、買いに行きましょうか」 透は、耳まで真っ赤にして頷いた。 「……はい。大きいやつを、買いましょう」

二人の「異文化交流」は、まだ始まったばかりである。


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