
「おはようございます、蓮。睡眠サイクルの最適化が完了しました」
オメガの爽やかな声で、僕は目を覚ました。 カーテンが自動で開き、朝日が部屋に差し込む。時計を見ると、二だ6時前だった。
「……早すぎないか? 今日の始業は9時だぞ」 「バイタルデータの長期的分析に基づき、本日は早朝の覚醒が精神衛生上『吉』と判断しました」 「占いみたいなことを言うなよ……」
僕はあくびを噛み殺しながらベッドを降りた。 二度寝するには中途半端な時間だ。それに、変に家でごろごろしていると、逆に出勤のタイミングを逃して遅刻ギリギリになるのが僕の悪い癖だ。
身支度を整えながら、ふと、一週間前の出来事が頭をよぎる。 あの日以来、月本さんとは連絡を取っていない。 『ありがとうございました』という彼女のメッセージに対し、既読をつけて短く返信したきりだ。理由もなくメッセージを送るなんて、高度なコミュニケーション能力は僕にはない。
「……早めに行くか」
いつものコーヒーショップで、少し長い時間過ごそう。 読みかけの電子書籍もあるし、仕事の資料も見直したい。 それに――ほんの数パーセント、もしかしたら彼女に会えるかもしれないという期待が、僕の足を早めていた。
「うそ……秋月さん?」
コーヒーショップの自動ドアが開いた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。 いつもの席、いつもの背中。でも、この時間に彼がいるなんて思わなかった。
私は一週間、ずっとモヤモヤしていた。 お礼のメッセージだけで終わらせてしまったことへの後悔。でも、「また会いたい」なんて送るのは、営業先の受付ですら緊張する私にはハードルが高すぎる。
彼が気配に気づいて振り返る。目が合った瞬間、彼も少し驚いたように目を見開いた。
「あ、おはようございます、月本さん」 「お、おはようございます! 偶然ですね」
私の声、上ずってないかな。 彼は少し迷ったような素振りを見せた後、向かいの席を手のひらで示した。
「あの、もしよかったら……ここ、空いてますけど」 「はい! ……あ、いえ、ご一緒させてください」
私は慌ててブラックコーヒーを注文し、彼の向かいに腰を下ろした。 ここまでは良かった。 問題は、ここからだ。
(……な、何を話せばいいの?)
沈黙が痛い。 店内に流れるジャズのBGMがやけに大きく聞こえる。 彼は気まずそうにコーヒーカップの縁を指でなぞっているし、私は視線のやり場に困って、テーブルの木目を数え始めている。
「き、今日はお早いんですね」 「あ、はい。なんか、目が覚めちゃって」 「そうなんですか……奇遇ですね、私もなんです」
そこで会話が途切れる。 ダメだ、私。もっと気の利いたこと言えないの? 天気の話? 仕事の話? 焦れば焦るほど、言葉が出てこない。
沈黙が窒息しそうだ。 せっかく会えたのに。隣に座れたのに。 僕の脳内CPUは完全にフリーズしている。何か話題を。彼女が興味を持ちそうな、当たり障りのない話題を検索しろ、僕。
その時だった。
『ピロン♪』
僕の端末から、軽快な通知音が鳴り響いた。 静かな空間に響く音に、月本さんがびくりと肩を揺らす。
「す、すみません」
慌てて画面を見る。オメガからの通知だ。 なんだ、こんな時に。仕事のトラブルか?
『【Recommended】あなたが愛読している古典SF漫画「星屑のメモリア」の劇場版アニメが、本日より動画サービスで無料公開されました。なお、来週よりリバイバル上映も決定しています』
「……なんだ、これ」
思わず声に出してしまった。 オメガのやつ、空気を読めないにも程がある。今、商談よりも緊張する局面にいるのに、漫画の通知なんて。
「あの、どうかしましたか?」
月本さんが心配そうに覗き込んでくる。 隠すのも変だし、僕は正直に画面を彼女に向けた。
「いえ、AIが勝手に通知を……昔の漫画原作の映画が、無料公開になったみたいで」 「えっ?」
彼女の目が、画面に釘付けになった。
「『星屑のメモリア』……これって、あの50年前の?」 「え、あ、はい。ご存知ですか?」 「知ってます! 私、この原作の映画版が大好きで! フィルムの質感がすごく素敵で……あ、でも原作は漫画だったんですね?」
彼女の声のトーンが、明らかに変わった。 さっきまでの緊張が嘘のように、瞳が輝いている。
「はい。僕はずっと漫画版を読んでいて。……映画版は見たことないんですが、名作だって聞いてます」 「名作です! ラストシーンの、宇宙船と信号機の演出がもう……!」
彼女が熱っぽく語りだす。 引っ込み思案だと言っていた彼女が、身を乗り出して話してくれている。 その姿が、なんだかとても可愛らしくて、僕は自然と口元が緩んでいくのを感じた。
「……あ、あの、もしよかったら」
僕の口が、勝手に動いていた。
「ここに書いてあるんですけど、来週、リバイバル上映があるみたいで。映画館で」 「えっ」 「僕、原作派として、映画版も見てみたいなって……その、一人で行くのもアレなんで」
言い訳がましいぞ、自分。 心臓がバクバクと五月蝿い。
彼女は一瞬きょとんとして、それから、花が咲くように笑った。
「行きたいです! ぜひ、案内させてください!」
夜。 お風呂上がりの私は、ベッドの上でクッションを抱きしめて転がっていた。
「デート……だよね? これって」
来週の日曜日。映画館。 スケジュールアプリに入力された『秋月さんと映画』の文字が、現実感を伴って目に飛び込んでくる。
朝の別れ際、連絡先を交換し直した。 今度は「送金のため」じゃない。「連絡を取り合うため」のアドレス交換。
「アイリス、来週の日曜日の天気予報は?」 「晴れのち曇り、最高気温は22度です。外出に最適な気候ですね。……おめでとうございます、真衣さん」 「もう、からかわないでよ」
AIにまで祝福されているような気がして、私は枕に顔を埋めた。 あの時、彼の端末が鳴らなかったら、私たちはただ気まずいまま別れていただろう。 偶然の通知。偶然の早起き。 すべてが都合よくできすぎている気もするけど、今はその偶然に感謝したい。
「……はぁ」
部屋に戻った僕は、ソファに深く沈み込んでいた。 天井を見上げながら、今日あったことを反芻する。
彼女と話せた。 共通の趣味が見つかった。 そして、デートの約束をした。
僕の人生における三大ニュースが一気に更新された気分だ。
「オメガ」 「はい、蓮」 「今朝の早起きと、あのタイミングでの通知。……お前の仕業か?」
普段なら、僕の趣味の通知なんて夜にまとめて送ってくるくせに。 オメガのインジケーターが青く点滅する。
「私はただ、ユーザーの潜在的な欲求と、行動パターンの最適解を計算し、実行したに過ぎません。……デートの成功確率は、現時点で78%と予測されます」
「……余計なお世話だ」
憎まれ口を叩きながらも、僕は口元のニヤけを止められなかった。 来週の日曜日。 どんな服を着ていけばいいだろうか。
僕は生まれて初めて、週末が来るのを待ち遠しいと感じていた。 0と1の世界で、僕たちのスケジュールが、初めて重なり合ったのだ。
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