乙女ゲームに転生できたのに思い通りにいかない 第四話

それから、数年の月日が流れた。

かつて地獄のような下処理を耐え抜き、母親からの容赦なき「女の兵法」を叩き込まれた私は、心身ともに洗練された一人の淑女(レディ)へと成長を遂げていた。

そんなある日、私はお母様に呼び出され、重厚な執務室のドアをくぐった。 机の前に立つお母様は、いつになく厳粛で、鋭い眼光を放っていた。

「ついに、この時が来ましたわ。――『王位継承争奪戦』が始まります」

その言葉に、私の背筋がピリッと緊張で伸びた。 王国において十数年に一度、王位の交代期に催される絶対的な儀式。王家の血を引く、あるいはそれに準ずる最高位の貴族たちが集い、武芸、知略、統率力……あらゆる試練(決闘)を通して次期国王の座を争う決戦。この結果によって、向こう数十年における貴族社会の絶対的な優劣順位が決定づけられる。

私自身、幼少期から主要な5大貴族の子息たちとは最低限の繋がりを維持してきた。だが、いよいよ真の狙いを定め、行動を起こす時が来たのだ。

お母様は静かに言葉を重ねる。

「貴女も分かっているでしょうけれど、この戦いは表の男たちの闘争であると同時に、裏の女たちの苛烈な戦いでもあるのです。……その前哨戦として開かれるのが『紳士協定同盟会』」

「……はい」

「エントリーした有力貴族たちが一週間にわたり、王族の療養地に集う会合です。これから刃を交える者同士が互いを尊重し、正々堂々と戦うために身体を休め、交友を深める名目……しかしその実態は、男たちの英気を養い、影から主導権を握るために令嬢たちが牙を研ぐ戦場。分かりますね、ミレーユ」

私は胸の奥で熱い情念が渦巻くのを感じた。高揚感を隠すことなく、深く頷く。

「お母様。私、必ずや次期国王となるお方を射止めてみせますわ」

すると――それまでの重苦しい緊張感が嘘だったかのように、お母様が「ふふっ」と吹き出した。

「あら、頼もしいこと。……ですがね、かつて私とお父様が出会ったのも、その同盟会でしたのよ? 当時の私はお父様が次期国王になると信じて疑いませんでしたけれど、結果はこの通り。……ちなみに、あのレオン叔父様も参加していましたわ。ふふ、未来というのは、本当に残酷で面白いものですね」

お母様は満面の笑みを浮かべ、私と正面から対峙した。

「未来がどうなるかなど、誰にも分かりません。ただ、私は貴女に『女がこの世を生き抜く術』のすべてを教え込みました。あとは……貴女自身の直感を信じなさい」

――この世のすべてが努力だけで決まるわけではない。 歴史を学び、友人たちの血の滲むような努力を見てきたからこそ分かる。人間にはどうにもできない運命の悪戯(いたずら)が存在する。だが、その運命を手繰り寄せるための準備は、すべて完了していた。

決戦の日。 私はこの日のために特注した、格調高くも計算し尽くされたドレスに身を包み、戦場へと足を踏み入れた。

舞台は王国随一の温泉地。その中でも選ばれた者しか立ち入ることを許されない秘湯「ドラゴンズ・スパ」。かつて伝説の竜が勇者に付けられた傷を癒やしたと伝えられる、極上の由緒正しき療養所だ。

男たちの入城に先立ち、ロビーには色とりどりのドレスを纏った令嬢たちが集結していた。 ブロンテ様、テレーズ様、ローラ様……。皆、普段のお茶会で見せる和やかな顔は消え、各家の威信を賭けた絢爛豪華な衣装で全身を武装している。

(……全員、闘志を剥き出しにしているわね)

一瞬、その圧倒的な気迫に気圧されそうになったが、ローラ様がフッと笑って皆に声をかけた。

「みんな、各々の家を背負ってここに来たと思うけれど……男女の縁なんて、どう転ぶか分からないわ。後悔のないよう、お互いやるだけやってみましょう?」

テレーズ様が胸を張って笑う。「ええ、私、負けませんわよ!」 ブロンテ様も悪戯っぽく微笑む。「私の存在を忘れないでくださいね?」

その緊張感の中にある清々しさに、私も思わず笑みがこぼれた。 「ふふ、貴方たちって人は……」

和やかな空気が流れたのも束の間、ロビーの片隅に視線を向けた私は、思わず息をのんだ。

(……まさか、あの子が……?)

そこにいたのは、かつて幼い私に「ずるい」と食ってかかってきた少女――ヴィヴィアン・ヴァレンタインだった。

数年の時を経て、彼女も確かに美しく成長していた。しかし、この社交界の頂点とも言える空間において、彼女はあまりにも奇妙で「異彩」を放っていたのだ。

他の令嬢たちが重厚で高貴なロングドレスを纏う中、彼女一人だけ――あり得ないほど丈の短い「ミニスカート」を穿いていたのだ。 娼婦であっても、過剰な露出を避ける格式高いこの場において、素足を丸出しにするなど常識外れにも程がある。周囲の令嬢たちからも「何だあれは……」と呆れと蔑みが混ざった視線が向けられていた。

(……あの方に関わっている暇はないわね)

誰もが彼女を視界から外し、正面の重厚な扉へと意識を集中させた。

――ファンファーレの音が鳴り響く。 男たちの入場だ。

最初に現れたのは、白を基調とした完璧なスーツに身を包んだアンブローズ・フィリックス様。 溢れ出る王者の品格と優雅な立ち振る舞いで踏み込んできた。令嬢たちが一斉に列をなし、深く頭を垂れる。私はあえて目立とうとせず、その他大勢と同じように静かに深々と礼を取った。フィリックス様は視線を動かすことなく、堂々と奥へ進んでいく。

続いて現れたのは、マルス・ソル様。 かつてのぽっちゃりとした面影は微塵もなく、そこには軍神の家紋に相応しい、引き締まった威容と圧倒的な筋肉美を誇る男が立っていた。その男らしさに、周囲の令嬢たちから「コクッ」と生唾を飲み込む音が漏れる。彼もまた、誰にも目もくれず通り過ぎた。

三人目は、ベンディ・ゼノ様。 相変わらずのにやけた笑みを浮かべ、「やあみんな、侍女じゃないんだからそんなにかしこまらないでよ。楽しくやろうぜ」と軽快に手を振る。その気さくな雰囲気に引き寄せられ、何人かの令嬢が吸い寄せられるように彼の後を追っていった。

四人目は、パピヨン・マリオ様。 相変わらず独特なファッションで、胸元を大きくはだけさせた肉体美の映える衣装を着こなしている。だが、その顔つきはいつもと違い、真剣そのもの。一切の軽口を叩かず、無言で奥へと歩を進めていった。

最後に現れたのは、ゴライアス・ビショップ様。 2メートルを超える巨体はさらにたくましさを増し、廊下が狭く見えるほどだ。彼もまた、緊張感を漂わせた鋭い眼差しで通り過ぎていった。

主要な5大貴族が通り過ぎ、令嬢たちの半数近くがそれぞれの部屋へ戻ろうとした、その時だった。

パタパタと頼りない足音とともに、一人の地味な青年がロビーに入ってきた。 (……彼も参加者かしら?) 念のため一礼を捧げると、なんと彼は私の目の前でピタリと足を止めた。

「……ミレーユ?」

聞き覚えのある声に顔を上げる。しかし、パッと名前が出てこない。 青年は一瞬不安そうに体を震わせたが、急にパッと顔を輝かせると、あろうことか私にガバッと抱きついてきた。

「ミレーユ! 久しぶり!!」

「ちょ、ちょっと……!? ……あ、貴方は……スグル!?」

「そうだよ! 思い出してくれたんだね!」

笑顔を弾けさせた彼は、私の手を握りしめ、手の甲にちょんとキスをした。 バイロン・スグル。牛の家紋を戴く弱小貴族の青年だ。 かつて彼の家が経営難で領地を失いかけた時期があり、しばらく我が家に居候していたことがあったのだ。幼い頃、よく屋敷の庭で一緒に遊んだ記憶が蘇る。その後、小規模ながら領地を取り戻して出て行ったきりだったが……なんという懐かしい再会だろう。

「よかったら、僕のこと応援してよ。それじゃあ、1週間よろしくね!」

純朴な笑顔を残し、スグルは奥へと去っていった。

その夜、軽いウェルカムパーティーが催された。 名目は「戦士たちの親睦」であったが、男同士はお互いを強い牽制の視線で見つめ合い、一切関わろうとしない。代わりに各男たちの周囲には、己の狙いを定めた令嬢たちが取り囲み、熾烈なアプローチ合戦が繰り広げられていた。

そんな中、スグルの周囲にだけは、見事なまでに誰一人女性が寄っていなかった。 弱小貴族が無理をしてこのような大舞台に参加すれば、これが現実なのだろう。居たたまれなくなった私は、せめて昔の誼(よしみ)としてグラスを手にとった。

「スグル、乾杯しましょう」

「ミレーユ! 乾杯! ……ありがとう、声をかけてくれて。実はこういう華やかな場所は不慣れで、緊張していたんだ」

「ふふ、昔と変わらないわね。我が家のパーティーでも『居心地が悪い』って浮いていたもの」

「君は……本当に変わったね。すごく、綺麗になった」

まっすぐな瞳で見つめられ、少し照れくささを覚えたその時――。

『皆様、ご歓談のところ失礼いたします。お湯の準備が整いましたので、どうぞ浴場へお進みください』

アナウンスが流れ、スグルの言葉が途切れた。 全員が伝説の温泉「ドラゴンズ・スパ」へと移動する。

温泉は大きな岩で仕切られており、女性陣は湯には浸からず、壁際から男性陣の入浴を見守るという形をとっていた。 湯船に浸かった男たちの間には重苦しい沈黙が流れ、誰が先に上がるかを競う無言の意地張り合戦が始まっていた。

その静寂を破ったのは、マリオ様だった。 「ははっ、固いこと言わないでさ、女性陣も入ってきたらどうだい?」

その冗談に、真っ先に飛びついたのがヴィヴィアンだった。 「てへっ♡」とあざとい表情を浮かべ、彼女はなんとミニスカートの衣装のまま、お湯の中に飛び込んだのだ。

ソル様が呆れたように声を上げる。 「おいおい……服を着たまま入るなよ、台無しだろ」

(――今よ)

私は、この瞬間を待っていた。 一切の躊躇なく、私はその場で身に纏っていたドレスの紐を解き、一糸まとわぬ姿となった。

美しく鍛え上げられ、磨き抜かれた白銀の肢体。 私は湯煙の向こう側へと優雅に歩みを進め、静かに湯船へと身体を沈めた。

選んだ場所は――前評判において本命視されているフィリックス様のすぐ隣

媚びすぎず、かといって冷たすぎない完璧な距離感。お母様から叩き込まれた「立ち振る舞い」を完璧に実践する。

「ぐぬぬぬっ……!」と歯搾りするヴィヴィアン。 それを見た他の令嬢たちも「しまった!」と焦り、慌てて服を脱ぎ始めた。

しかし――普段から身の回りの世話を侍女に任せきりにし、「一人で素早く美しく服を脱ぐ訓練」などしていない彼女たちは、見るも無残にドタバタと衣類を散らかした。挙句の果てに、脱ぎ捨てた後に露出したのは、鍛えられていない締まりのない肉体だった。

私はこの日のために、服の脱ぎ方、脱いだ後のシルエット、湯に入った際の水滴の弾き方に至るまで、すべて計算して訓練を重ねていたのだ。

隣に座るフィリックス様は、耳まで真っ赤にし、視線を彷徨わせながら照れくさそうにつぶやいた。 「……マリオやソルのやつめ、困ったことを言い出すものだ……」

その横顔を見て、私は確信した。勝利の芽は、既に摘まれたのだと。

その夜。 私はフィリックス様の自室を訪ねた。

扉を開けたフィリックス様は、「な、なぜ君がここに……!?」と激しく動揺した。だが、その瞳の奥に、昼間の私の裸身が焼き付いて離れていないことを、私は見逃さなかった。

厳しい修業を積んできた今の私にとって、世間知らずな若い男のプライドと欲望をコントロールすることなど、赤子の手をひねるより易い。

その夜、私はフィリックス様と「ひとつ」になった。

そして――「紳士協定同盟会」が催された一週間。 私はフィリックス様のみならず、ソル様、ゼノ様、マリオ様、ビショップ様……スグルを除くすべての主要候補たちの部屋を密かに訪れ、その巧みな手管で、彼らの心と肉体を完璧に私の虜にしていった。

誰一人として、私が他の男とも関係を持っていることに気づいていない。男たちは皆、私という極上の毒蜂に刺され、私こそが自分の特別な女なのだと信じ切っていた。

(ふふ……勝ったわ)

この同盟会を裏から完璧に支配し、すべてのカードを掌に収めた。 そうほくそ笑んだ、最終日の朝。

パーティー会場に、嫉妬と怨嗟に満ちた叫び声が響き渡った。

「――ずるい!!!!」

髪を振り乱し、指をさして私を睨みつけるヴィヴィアンの声が、静寂を切り裂いたのだった。


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