インサイド・レッド

「黄龍会」との死闘から数日後。 特捜課のオフィスには、平和と倦怠、そしてとてつもなく鬱陶しいノイズが充満していた。

「ねえねえ、如月ちゃん。今日のランチ、イタリアン行かない? 駅前に美味しいパスタ屋できたんだって」

私のデスクの横から、一ノ瀬蓮が甘い声で囁いてくる。 爽やかな笑顔、完璧な角度の首の傾げ方。 通りすがりの女性警官なら三秒で恋に落ちる「テンプテーション」全開の表情だ。

だが、私の脳内に直接響いている彼の思考は、これだ。

『(よーし、今日こそリベンジだ。あの「ハニートラップ事件」以来、如月ちゃん完全に俺のこと「顔だけ詐欺師」だと思ってるからな。名誉挽回。パスタで釣って、オシャレな雰囲気で攻める。今日の俺の勝負パンツは赤だ。情熱の赤!)』

「……うるさい」 私は書類から目を離さずに言った。 「パンツの色まで報告しないでくれる? 暑苦しい」

「えっ!? 読んでたの!?」 一ノ瀬が飛び退く。 「当たり前でしょ。あんた、私に気がある素振りする時、思考の声がデカいのよ。メガホンで耳元で叫ばれてる気分」

「そ、そんなに……? いやでもさ、思考が漏れるってことは、それだけ俺の気持ちがパッション溢れてるってことじゃん?」

「それを『下心』って言うのよ」

私はため息をついてパソコンを閉じた。 あの「深青(ディープ・ブルー)」のリンク以来、私の読心能力の感度が上がったのか、それとも一ノ瀬のガードが緩すぎるのか、彼の思考がダダ漏れなのだ。

「で、どうする? 行く? 行かない?」 一ノ瀬が食い下がる。

『(頼む! 行くと言ってくれ! 断られたらショックで午後の仕事サボって猫カフェ行く!)』

(……断ったらまた仕事押し付けられるパターンね、これ) 「はぁ……わかったわよ。行くわよ」 「やった! さすが如月ちゃん! 話がわかる!」

駅前のイタリアンレストラン。 一ノ瀬の思惑通り、店内はオシャレで落ち着いた雰囲気だった。 ……はずだった。

「ご注文はお決まりですか?」 若い女性店員がやってくる。 一ノ瀬がメニューを指差して顔を上げる。 「僕はカルボナーラで。彼女にはおすすめのランチセットを」 彼がニコリと微笑むと、店員さんの頬がみるみる赤く染まる。 「は、はいっ……! かしこまりましたっ……♡」

店員さんがフラフラと去っていく。 私は冷ややかな目で一ノ瀬を見た。 「あんたねえ、無意識に能力垂れ流すのやめなさいよ。ここ公共の場よ?」

「えー? 出してないよ? これは俺のナチュラルな魅力だよ」 一ノ瀬は悪びれもせず水を飲む。

『(やべっ、ちょっと漏れてたかも。でも店員さんには悪いけど、俺が魅了したいのは目の前の……今日の如月ちゃん、髪耳にかけてるの可愛すぎない? 首筋が……あ、ダメだ変なこと考えるとまた読まれる! 素数を数えろ一ノ瀬! 2、3、5、7……)』

「11、13、17、19ね」 私が先回りして答えると、一ノ瀬が「ブフッ」と水を吹き出した。

「もー! 心の中で素数数えるのやめて! 落ち着かない!」 「だって! 如月ちゃんがジト目で見てくるから緊張するんじゃん!」 「自業自得よ」

料理が運ばれてくる間も、彼の脳内は騒がしかった。 『(初デート……いや初デートじゃないけど、実質初デートみたいなもんだろ。あの時は騙すつもりだったけど、今回はガチだし。あー、何話そう。天気? ニュース? それとも「君の瞳に乾杯」的なこと言っちゃう? いや寒いな、それは寒い)』

私は呆れて口を開いた。 「ねえ一ノ瀬」 「な、なに?」 「あんた、私とどうなりたいわけ?」

直球を投げると、一ノ瀬が固まった。 彼の脳内の思考が一瞬、ピタリと止まる。

そして次の瞬間、爆音の思考が流れ込んできた。

『(好きだーーーーーーーっ!! 付き合いたーーーい!! 結婚してーーー!! 毎日味噌汁作ってくれとは言わないから、俺が作るから、一緒に毎晩晩酌してーーー!!)』

「!!?」 あまりの音量に、私は思わずこめかみを押さえた。頭痛がするほどの直球すぎる好意。 そこには、いつものチャラついた計算も、下心も、嘘もなかった。

「……ッ、うっさいわね……」 顔が熱くなるのがわかる。 読心術なんて持っているせいで、言葉以上の「本音」を叩きつけられてしまった。

一ノ瀬は口では何も言わず、ただ真剣な眼差しで私を見つめている。 「……如月ちゃん?」

口に出せよ。そこは口に出しなさいよ、ヘタレ。 私は心の中で悪態をつきながら、視線を逸らした。

「……パスタ」 「え?」 「パスタ、食べるわよ。冷めるじゃない」

私はフォークを手に取り、誤魔化すようにサラダを口に運んだ。 一ノ瀬は一瞬きょとんとして、それからパッと花が咲いたような笑顔になった。

『(照れてる……! 絶対照れてる! 脈ありだ! よっしゃあああああ!! 神様仏様堂島班長様ありがとう!!)』

「うるさい!」 私はテーブルの下で、一ノ瀬の足をコツンと蹴った。 「いっ、痛っ!?」

「心の声がデカいのよ。静かに食べなさい」 「……はい」

一ノ瀬は大人しくパスタを巻き始めたが、その脳内では『蹴られた……ご褒美だ……』などという意味不明なポジティブ変換が行われていた。 (こいつ、本当にバカなんだわ……)

呆れながらも、私は不思議と悪い気はしていなかった。 嘘と建前ばかりのこの世界で、これほどまでに単純で、騒がしくて、嘘のない「本音」を聞かせてくれるのは、世界で彼だけなのかもしれない。

「……美味しかったら、また来てもいいけど」 私がボソッと言うと、 一ノ瀬が目を輝かせ、思考の音量がまた最大ボリュームに跳ね上がった。

『(結婚式場どこにしよおおおおお!!?)』

「気が早いわっ!!」

私の怒鳴り声が店内に響き、またしても私は羞恥心で顔を覆う羽目になった。 特捜課の日常に、平穏が訪れる日はまだ遠そうだ。


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