
「魔が差す」という言葉がある。人は本来、調和を好む生き物だ。しかし、なぜかその和を乱し、他者の心を食い物にする者がいる。そんな世の魔を払うのが、滅魔師(まほろし)の仕事である。
第一章:崩壊の序曲
かつて、そこには五人の笑顔があった。大学時代からの仲良しグループ。しかし、その輪は一人の女性、岡崎美香の変貌によって、無残に引き裂かれていった。
最初の犠牲者は、一番早く結婚が決まった優美(ゆみ)だった。 結婚式のドレス選びに付き添った美香は、優美が選んだ清楚なAラインのドレスを一瞥し、鼻で笑った。 「え、それにするの? 優美は背が低いんだから、そんなの着たらこけしみたいよ。絶対こっちのマーメイドラインの方がいいって。私が言うんだから間違いないわ」 優美は顔を引きつらせて拒否したが、美香は店員を呼びつけ、勝手に試着の予約を変更させた。「あなたのためを思って言ってるのよ」という呪いの言葉と共に。 優美は泣きながらグループを去った。
次は、念願の転職を果たした恵理子(えりこ)だった。 お祝いの席で、美香はスマホの画面を突きつけた。 「その会社、ネットの掲示板で『ブラック』って書かれてたわよ。やめた方がいいんじゃない? 社長の顔も人相学的に最悪だし。せっかく私が忠告してあげてるのに、なんで喜べるの?」 事実無根の書き込み一つを真実とし、恵理子の努力を全否定した。 恵理子は無言で席を立ち、二度と戻らなかった。
三人目の沙織(さおり)は、趣味の絵画で賞を取った時だった。 「この絵、色使いが暗い。これじゃ精神的に病んでると思われるわよ。もっと明るい色にしなさい。私の言った通りに直せば、もっと上の賞が取れたのに」 プロの審査員でもない美香の、根拠のないダメ出し。沙織は「もう無理」とLINEをブロックした
第二章:最後の聖域
そして、最後に残ったのが瀬戸加奈だった。 加奈は優柔不断で優しい性格ゆえに、美香を見捨てられずにいた。「彼女も根は悪くないはず」と信じたかったのだ。
だが、その日。カフェで美香は、加奈が大切にしている恋人の写真を見て、嘲笑うように言った。 「あー、この男。ダメだわ」 「え?」 「目が浮気者の相をしてる。それに、こういう顔の男は絶対DVするタイプよ。私の直感は当たるの。今すぐ別れてLINE見せなさい。別れる文章、私が考えてあげるから」 「……彼はそんな人じゃない。3年も付き合ってて、一度もそんなこと」 「あんたは騙されてんのよ! 友達の私がこれだけ言ってあげてるのに、なんで聞かないの!?」
美香の声が店内に響く。周囲の客が眉をひそめるが、美香はお構いなしだ。 加奈の中で、何かがプツリと切れた。 (ああ、この人はもう、友人の顔をした『何か』だ)
第三章:滅魔師との邂逅
その夜、加奈は都内のバーで泥酔していた。 五杯目のカクテルが空になる。頭の中には、美香の「あなたのため」という押し付けがましい言葉と、去っていった友人たちの悲しい顔が回っていた。 「私も離れるべきだ……でも、そうしたら美香は本当に一人ぼっちに……」
その時、手元にカラン、と白磁のおちょこが滑ってきた。 「あちらのお客様からです」 バーテンダーが示したのは、隅の席で静かに酒を嗜む、和服姿の青年だった。 漣 蒼介(さざなみ そうすけ)。
蒼介は加奈の隣へ移動すると、彼女の愚痴を一通り聞き、静かに告げた。 「そのご友人、会話が成立していないのではありませんか? 常に一方通行で、こちらの言葉が物理的に届いていないような」 「……はい。まるで、自分の声しか聞こえていないみたいで」 「それは性格の歪みではありません。……魔です」 蒼介の涼しげな瞳が、確信を持って光った。 「『聞か猿(きかざる)』という魔が、彼女の耳を塞ぎ、他者の言葉を遮断しています。一度、彼女に会わせてください。私が、その耳をこじ開けましょう」
第四章:断罪のレストラン
後日。加奈は「新しい彼氏」として蒼介を美香に紹介した。 場所は個室のあるレストラン。美香は現れるなり、蒼介をジロジロと見て鼻を鳴らした。
「ハァ……加奈、また変なの拾ってきたの? 和服って何? 噺家気取り? こういう奇をてらった格好する男って、中身が空っぽなのよね。私がいい男紹介してあげるから、こいつは追い出しなさい」
美香が喋り続ける間、蒼介は一言も発さず、ただ静かに美香の「耳」を見つめていた。 そこには、加奈には見えないが、美香の耳を両手で強く塞ぎ、ニタニタと笑う醜悪な猿の姿があった。猿は美香の脳に直接、独善的な思考を囁き続けている。
「……ねえ、聞いてるの!? アンタみたいな男に加奈はふさわしくないのよ!」 美香がテーブルを叩いた瞬間、蒼介が動いた。
「黙れ、畜生。」
低く、しかし腹の底に響く声。美香がビクリと動きを止める。 蒼介は懐から一枚の聖札を取り出すと、目にも止まらぬ速さで美香の耳元――見えない猿の額へと叩きつけた。
「――顕現せよ、不聴(ふちょう)の魔!」
「ギャアアアアアッ!」 美香ではなく、彼女の背後から獣の断末魔が響いた。 次の瞬間、美香の耳から黒い煙が噴き出し、店内に悪臭が立ち込める。煙は巨大な猿の姿を成し、苦し紛れに暴れ回った。
「な、なに!? 何これ!?」 美香がパニックで叫ぶ。初めて、自分の意志ではない「他者の存在」に恐怖した瞬間だった。
「それが君の正体だ。人の言葉を遮断し、己の妄言だけを信じ込ませる『聞か猿』。……加奈さん、離れて」 蒼介は印を結ぶ。 「他人の言葉を聞かぬ耳など、ついている意味がない。封(ふう)!」
蒼介の指先から青白い光が放たれ、猿を貫く。魔物は悲鳴と共に霧散し、小さな煤となって床に落ちた。
第五章:支払われる代償
魔が消え、静寂が訪れた。美香が呆然と座り込んでいる。 しかし、本当の地獄はここからだった。
「……あ、あぐっ!?」 突然、美香が耳を押さえてうめき声を上げた。次いで、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。 「痛い、痛い痛い痛い! うるさい! 声が、声がガンガンする!」
加奈が怯えて蒼介を見る。「な、何が起きてるんですか?」
蒼介は冷ややかな目で、のた打ち回る美香を見下ろしていた。 「栓が抜けたのです。今まで彼女は、魔の力で他人の言葉、批判、悲しみの声を全てシャットアウトしていました。しかし、魔が消えたことで、これまで彼女が無視し、踏みにじってきた友人たちの言葉が一気に彼女の脳内へ流れ込んでいる」
『優美の泣き声』 『恵理子の怒りの叫び』 『沙織の絶望の溜息』 『そして、加奈の静かな悲鳴』
5年分の「他人の感情」が、物理的な激痛となって美香の神経を焼き尽くす。 「やめて、やめてよ! 私はあなた達のためを思って……!」 美香は言い訳をしようとするが、口を開くたびに喉が焼けるように痛む。他人に浴びせた毒が、そのまま我が身に返ってきているのだ。
「彼女はこれから数ヶ月、不眠と激痛の中で、自分が切り捨てた友人たちの『心の声』を聞き続けることになるでしょう。それが、魔に魂を売った代償です」
美香が床に転がり、髪を振り乱して苦しむ姿。 それはあまりに惨めだった。しかし、加奈の胸に去来したのは、同情ではなかった。 胸のつかえが取れたような、暗く、重い、納得感。 (ああ、やっと届いた。私たちの痛みが、やっと彼女に届いたんだ)
加奈は、歪んだ笑みがこぼれそうになるのを必死で噛み殺し、震える声で言った。 「……ありがとうございます」 その言葉は、魔を払ったことへの感謝か、それとも復讐を果たしてくれたことへの感謝か。
蒼介は何も聞かず、ただ静かに頷いた。 「行きましょう。ここはもう、彼女一人で十分騒がしい」
二人が店を出ると、夜風が心地よく吹き抜けた。 背後ではまだ、美香の懺悔とも悲鳴ともつかない声が、誰にも届かずに響いていた。
この世の魔はまだまだいる。 次の依頼人が、どこかのバーで涙を流しているかもしれない。 滅魔師・漣蒼介は、夜の闇へと消えていった。
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