
工藤さんを殺した私は、例によってお咎めなしだった。 警察は来た。消防も来た。けれど、私が手錠をかけられることはなかった。「老朽化したガス配管の不運な大事故」、それが今回の見出しだ。私の超常的な力が、法医学や現場検証といった理屈をねじ伏せ、人々の認識を歪めてしまうのか。それとも、国が私のような存在を極秘裏に管理しているのか。 どちらにせよ、私は人を殺したのに、のうのうと自室のベッドに横たわっている。
「……殺し屋にでも、なろうかな」
天井のシミを見つめながら、乾いた独り言が漏れた。 感情ひとつで人を吹き飛ばせるなら、これほど効率的な暗殺者はいない。証拠も残らない。いっそこの呪われた才能を金に変えて、血塗られた道を生きた方が、嘘をついて生きるよりマシなんじゃないか。 そんな自暴自棄な思考が頭をよぎるほど、私の心は荒んでいた。
部屋に閉じこもって数日。ノックの音がした。 返事はしなかったが、ドアが開き、父が入ってきた。お盆には冷めた食事ではなく、ただお茶が二つ乗っていた。 父は私のベッドの端に腰を下ろした。隻眼の横顔が、いつもより老けて見えた。
「夢香。……少し、話をしよう」 「今は、誰とも話したくない」 「お前の母親のことだ」
私は顔を上げた。 父は、母のことをほとんど語らない人だった。写真の中の母は優しそうに微笑んでいるが、私にはその記憶がない。
「お前がここ数年、落ち着いていたから、話す必要はないと思っていた。墓場まで持っていく気だったが……そうもいかなくなったな」
父は湯呑みを両手で包み、意を決したように言った。 「お母さんも、お前と同じ力を持っていたんだ」
驚きで言葉が出なかった。突然変異だと思っていたこの呪いが、遺伝だったなんて。 父は淡々と、しかし慈しむような口調で語り始めた。若き日の父と、母の出会いを。 母もまた、感情の昂ぶりで物を壊し、人を傷つけ、孤独に生きていたこと。そんな母に父が惹かれ、何度も突き放されながらも、ボロボロになりながら近づいていったこと。 「若い頃の俺は、足の骨を二本折られたよ。それでも、彼女のそばにいたかった」
親の甘ったるい馴れ初め話だ。 普段なら「勝手にやってくれ」と耳を塞ぐところだが、工藤さんを失ったばかりの私の胸には、焼けた鉄を押し当てられるような痛みが走った。 父は、工藤さんと同じだったのだ。化け物を愛そうとした、愚かで勇敢な男。 だが、決定的な違いがあった。父は生き残り、工藤さんは死んだ。
「お父さん……どうやったの? その……夜のほうは」
私は恥も外聞も捨てて聞いた。 私が工藤さんを殺してしまった、あの瞬間のことだ。 父はわずかに頬を赤らめ、視線を泳がせたが、私の真剣な眼差しに観念したように口を開いた。
「……『無』になるんだ」 「無?」 「ああ。これは母さんが言っていたことだが……自分という輪郭を溶かすんだそうだ。相手を愛おしいと思う感情すら、強すぎれば爆発の種になる。だから、相手と一体になり、自分と他人の境界線を消す。そうすれば、爆発する『個』がなくなるから」
禅問答のようだった。 自我を消し、相手と溶け合う。そんな芸当が人間に可能なのだろうか。 少なくとも、未熟な私と工藤さんには不可能だった。私たちは互いに求め合い、その摩擦熱で爆発したのだから。
「それに……これはお前にとって、辛い話になるかもしれないが」
父の声のトーンが落ちた。 残っている右目が、哀切の色を帯びて私を見る。
「夢香、お前が生まれた時のことだ」
出産。それは人生最大の激痛と、感情の奔流を伴うイベントだ。 母の能力を考えれば、無事であるはずがない。
「陣痛が始まった時、病院が吹き飛ぶかと思った。だが、何も起きなかった。揺れひとつ起きなかったんだ。不思議だった。母さんは、脂汗を流して、必死に何かに耐えていた」
父の手が震えていた。
「産声が上がった瞬間、母さんは笑ったよ。『よかった』と一言だけ言って、そのまま息を引き取った。……外傷はなかった。だが、内臓が、めちゃくちゃだった」
私は息を呑んだ。
「母さんは、あふれ出しそうになる爆発のエネルギーを、外ではなく、すべて自分の『内側』に向けたんだ。お前や、俺や、医者たちを殺さないために。自分の体を盾にして、自分自身を内側から爆破して、死んだんだ」
涙が、溢れた。 悲しみではない。もっと重く、熱い何かが胸を締め付けた。 私は、母の命と引き換えにこの世に生み落とされた。 母は最期の瞬間、愛する夫と我が子のために、その呪われた力をコントロールしきったのだ。究極の自己犠牲。究極の愛。
「だから夢香。自分を化け物なんて言うな。お前は、命がけで守られた、普通の女の子なんだ」
父はそう言って、私の頭を不器用に撫で、部屋を出て行った。
残された私は、自分の掌を見つめた。 母の愛の深さに、打ちのめされていた。 私は生きていかなくてはならない。母がそうまでして繋いでくれた命を、自暴自棄になって捨てることなど許されない。
けれど、同時に深い絶望も感じていた。 私には無理だ。 自分を消し去るほどの愛し方も、自分を内側から破壊して誰かを守る強さも、私にはない。 工藤さんを守れなかった私が、これから先、誰かを愛することなどできるはずがない。
「……ごめんね、お母さん」
私は膝を抱えた。 命を止めることはしない。ただ、誰かと生きることはもう諦めよう。 母のような奇跡の相手は、父のような強靭なパートナーは、二度と現れない。 私はこの部屋で、社会の片隅で、自分の感情を殺し続けながら、一人ぼっちの残りの人生を消化していくしかないのだ。
暗い部屋の中、私は自分自身という爆弾を抱きしめ、静かに目を閉じた。
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