
ついに僕は、禁断の果実に手を伸ばした。 自分の恋愛偏差値が「測定不能(低すぎるため)」であることを認め、プライドを捨ててオメガに問いかけたのだ。
「オメガ……教えてくれ。月本さんと、もっと親密になるための最適解を」 「承知しました。彼女の行動ログと相性診断に基づき、こちらのイベントが推奨されます」
提示されたのは、『青空シネマフェス ~名作と風を感じて~』。 郊外の海辺の公園で行われる野外上映イベントだ。 そして、AI同士の裏取引があったのか、今回はまさかの月本さんからの誘いとなった。
「日帰りだし、映画だし、大丈夫だろう」 そう自分に言い聞かせていた。まさか、あんな地獄(天国?)が待っているとも知らずに。
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現地に着いた瞬間、二人は立ち尽くした。 そこはただの映画イベント会場ではなかった。ピンク色のゲート、ハート型のバルーン。 『カップル限定! 愛を深める体験型シネマ』の文字が踊る、恋人たちの巣窟だった。
(終わった……。なんだこの空間は。完全に「そっち系」のイベントじゃないか。 月本さんは純粋に映画を楽しみに来たはずだ。僕がここを提案した裏で、AIが勝手にこんな場所を選んでいたなんて知ったら……。 「秋月さんって、むっつりスケベだったんですね」 そんな幻聴が聞こえる。彼女の顔が見れない。きっとドン引きしているに違いない。)
(どうしよう、どうしよう! アイリス、あんた何てとこ予約してくれたの!? 秋月さん、顔が引きつってる……。当然よね。付き合ってもいない女性から、いきなりこんなラブラブイベントに誘われたら、「この女、重すぎる」って思われるに決まってる。 穴があったら入りたい。いや、今すぐ海に飛び込みたい!)
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午後のイベントは過激さを増していた。 二人は係員に誘導され、映画の名シーンを再現するブースへ。 『タイタニック』のあのポーズ。船首に見立てた台の上で、後ろから抱きしめるアレだ。
(手が……震える。 腰に手を回す? 許可なく? これはセクハラじゃないのか? でも、係員のお姉さんが「彼氏さん、もっとグッと! 愛を込めて!」と煽ってくる。 ええい、ままよ! ……うわ、月本さんの服、すごく柔らかい。それに、いい匂いがする。 心臓の音が背中越しに伝わったらどうしよう。僕の背中は今、汗で滝のようになっているはずだ。)
(ひゃっ……! 秋月さんの手が、腰に。 どうしよう、今日に限ってウエストが少しきついスカート履いてきちゃった。お昼にパスタ食べたのがバレないかな。 背中に感じる彼の体温が熱い。耳元で彼の息遣いが聞こえる。 映画のローズは優雅だったけど、今の私は茹で上がったタコみたいに顔が赤いはず。お願い、こっちを見ないで!)
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「最後のミッションです! これをクリアすれば、限定記念グッズ『愛の南京錠』をプレゼント!」 スクリーンの前で、二人は一本の細長いチョコレート菓子を挟んで向かい合った。 距離、30センチ。
(無理だ。物理的に無理だ。 こんな大勢の前で、公開処刑じゃないか。 でも、月本さんは真っ赤な顔をして、それでも一生懸命ポッキーをくわえている。 ここで僕が逃げたら、男が廃る。 いくぞ、秋月蓮。ターゲットはチョコだ。唇じゃない。チョコだけを見ろ。 ……うわ、近い。まつげ長い。瞳が潤んでる。 待って、これ以上近づいたら、理性が飛ぶ――!)
(近い近い近い! 秋月さんの顔が、目の前に。 どうしよう、私、変な顔してない? メイク崩れてない? 彼が近づくたびに、心臓が爆発しそう。 ……あれ? でも、嫌じゃない。 もし、このまま唇が触れちゃったら……それはそれで…… いやいや、何を考えてるの私! アイリス、緊急停止ボタンどこ!?)
『パキッ』
限界に達した二人の顎が同時に痙攣し、ポッキーは真ん中で折れた。 二人はその場に崩れ落ちた。
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イベントの余韻と疲労感に包まれながら駅に着くと、無慈悲な現実が待っていた。 アイリスとオメガが、同時に警告音を鳴らす。
『警告。イベント延長に伴い、主要路線の終電時刻を経過しました』
(……やってしまった。 社会人としてあるまじき失態だ。明日も仕事なのに。 タクシー? ここから都内まで数万だ。持ち合わせがない。 月本さんをどうする? 駅のベンチで朝まで? いや、そんなことさせられない。 「近くに宿がある」とオメガが言う。でも、それがどんな結果を招くか、僕はこの時の予感していなかった。)
(終電、ない……? ショックなはずなのに、心のどこかで「まだ一緒にいられる」って思ってる自分がいる。 私、悪い女だ。 でも、野宿なんて無理。アイリスが「近隣に一件だけ空室あり」って言ってる。 神様、仏様、AI様。どうか普通のお部屋でありますように。)
***
案内されたのは、古いけれど趣のある旅館だった。 女将さんが申し訳無さそうに告げる。
「システムのエラーかしらねえ。空いてる部屋、一番奥の『松の間』ひとつだけなのよ」 「ひとつ……?」
二人の声が重なった。 通された8畳の和室には、純白の布団が二つ、仲良く並んで敷かれていた。 枕の距離は、さっきのポッキーゲームよりも近かった。
(……詰んだ。 一部屋に布団二つ。これはもう、言い逃れできないシチュエーションだ。 選択肢は二つ。 一つ、僕が男気を見せて、外で野宿をする。紳士的だが、死ぬかもしれない。 二つ、このまま相部屋で一夜を過ごす。理性的だが、心臓が持たないかもしれない。 チラリと月本さんを見る。彼女は固まっている。 嫌だよね? そりゃ嫌だよね?)
(……嘘でしょ。 お布団が、くっついてる。 選択肢は二つ。 一つ、私が遠慮してロビーで寝る。いや、女将さんに迷惑がかかる。 二つ、秋月さんと……一緒に寝る。 チラリと秋月さんを見る。彼は固まっている。 どうしよう。私、今、人生で一番試されてる気がする。)
重苦しい沈黙が部屋を支配する。 外では、秋の虫たちが楽しげに鳴いていた。
彼らのスマートリングの中で、アイリスとオメガが、高度な暗号化通信で会話を交わしていたとしたら、きっとこんな内容だっただろう。
『退路、断ちました』 『あとは、ユーザーの性能次第です』
究極の選択。 野宿か、相部屋か。
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