七つ風の戦士 第三話

重苦しい闇に支配三れた空間。中央に鎮座する巨大な緑色の球体は、今や怒り狂った心臓のように激しく脈打ち、周囲の空間を歪ませていた。

「も、申し訳ございません、我が主よ……!」 緑色の怪物は、主の怒りの波動に当てられ、床にへばりつくようにして震えていた。 「『聖』の力を持つ騎士団長、リチャード……致命傷を与えはしたものの、止めを刺しきれませんでした。あの風の小僧が、予想外の邪魔を……」

球体の鼓動が、威嚇するようにドォンと響く。怪物は悲鳴を上げそうになるのをこらえ、早口でまくし立てた。

「し、しかし、ご安心ください! 奴らは今、帰る場所のない手負いの獣。さらに逃げた先は、大陸の果て、広大な海でございます!」 怪物は嗜虐的な笑みを浮かべた。 「風の坊やとて、無限に飛び続けることはできません。つまり、奴らは行き止まりに追い詰められたのです。船でも手に入れぬ限り、あの海から逃れる術はありません。すでに『兜割』が、奴らを確実に追い込んでおります。今度こそ、海の藻屑と消えるでしょう!」


一方、タケルとリチャードは、荒涼とした海岸線の岩場に身を潜めていた。 リチャードの背中の傷は応急処置を施したが、出血が多く、顔色は紙のように白い。だが、肉体の傷以上に深刻なのは、心に負った深手だった。

「……私は、間違っていたのだろうか……」 リチャードは力なく呟く。信じていた部下の裏切り、守るべき街を捨てた罪悪感、そして帰るべき場所を失った喪失感。それらが、誇り高き騎士の心を圧し潰そうとしていた。

「あーもう、うじうじすんなって!」 タケルは焚き火に薪を放り込みながら、苛立ったように言った。 「いつまで甘えてんだよ、団長。あんたは街を守った、それで十分だろ! 生きてりゃ何とかなるって!」

「だが、我々にはもう、行く当ても、手段もない。ここは行き止まりだ……」

「行き止まり? 笑わせんな。俺にとっちゃ、最初から世界中どこだって敵地で、行き止まりみたいなもんだったさ」 タケルはニヤリと笑い、海の方角を指差した。

「見ろよ、あそこの入り組んだ岩場。デカい船のマストが見えるだろ? ありゃ間違いなく海賊船だ」

リチャードが怪訝な顔をする。「海賊船だと? まさか……」

「そのまさかさ。あの船、俺たちが奪っちまおうぜ。そうすりゃ、わけのわかんねえ化け物どもも、簡単には追ってこれねえだろ?」

「正気か!? 騎士たる者が、盗賊の真似事など……!」

「じゃあ、ここで野垂れ死ぬか? 俺は御免だね。生きるためなら、泥水だってすすってやる!」 タケルの瞳は、絶望的な状況にあってもなお、ギラギラと燃えていた。 その生命力に気圧されたのか、リチャードは深いため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。

「……仕方あるまい。毒を食らわば皿まで、か。お前の無茶に乗ってやろう」

夜闇に紛れ、二人は岩陰に停泊していた大型の帆船へと忍び込んだ。 甲板には見張りの姿もなく、静まり返っている。

「よし、まずは操舵室だ。船の動かし方は……まあ、何とかなるだろ」 タケルは楽天的に言いながら、リチャードを連れて船尾の操舵室へと侵入した。

しかし、そこには複雑な計器や舵輪が並んでおり、素人がすぐに動かせるような代物ではなかった。 「えーっと、このレバーか? それともこの紐か?」 「タケル、適当に触るな。帆を張らねば動かんぞ」 二人があたふたしていると、突如、背後から凛とした声が響いた。

「何してんだい、アンタら」

「うわっ!?」 二人が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。 年の頃はタケルと同じくらいだろうか。燃えるようなオレンジ色の髪をバンダナでまとめ、露出度の高い服の上に、サイズの合わない大きな船長コートを羽織っている。腰には、彼女の身長ほどもある巨大な戦斧を差していた。

「あたしの船でコソ泥とは、いい度胸だねぇ。野郎ども、きな!」 少女が指を鳴らすと、ドカドカと足音が響き、屈強な海の男たちが操舵室になだれ込んできた。あっという間に、二人は数十人の海賊に包囲されてしまった。

「ちっ、囲まれたか!」 リチャードが剣に手をかけるが、タケルがそれを制した。 「待て団長、ここは俺に任せろ!」

タケルは一歩前に出ると、少女を睨みつけた。 「へっ、ガキが船長ごっこか? 悪いがこの船は俺たちがもらうぜ!」

少女は面白そうに目を細めた。 「ほう? 言うねぇ。あたしはヴィクトリア。この『荒くれジョーズ号』の船長サマだ。あたしの船が欲しけりゃ、力ずくで奪ってみな!」

ヴィクトリアは近くにあった樽の上にドンと肘をつき、挑発的に手招きした。 「腕相撲で勝てたら、この船をくれてやるよ。かかってきな、モヤシども」

「上等だ! その言葉、後悔するなよ!」 タケルは自信満々に袖をまくり、樽の前に座った。(見た目は子供だ。俺の怪力なら楽勝だぜ!)

「レディー・ゴー!」

掛け声とともに、タケルは渾身の力を込めた。しかし、ヴィクトリアの細腕はビクともしない。 「な、なんだと!?」 「フン、口ほどにもないねぇ!」 ヴィクトリアが軽く力を込めると、タケルの腕はあっけなくテーブルに沈んだ。ズドン、という音が響く。

「う、嘘だろ……?」 唖然とするタケル。続いてリチャードも挑んだが、手負いの状態とはいえ、結果は同じだった。まるで岩山を押しているかのような、桁外れの怪力だった。

「ギャハハハ! 姐さんの怪力に勝とうなんて百万年早ぇんだよ!」 海賊たちがはやし立てる。タケルは、なぜこの小柄な少女が、荒くれ者たちを束ねるキャプテンなのか、身をもって理解した。

「口先だけのガキと、死にかけの騎士様か。つまんないね」 ヴィクトリアは鼻を鳴らすと、部下たちに命じた。 「こいつら、船底の倉庫にでも放り込んどきな!」

タケルとリチャードは、薄暗い船底の倉庫に閉じ込められていた。 「くそっ、あの女、デタラメな力しやがって……」 タケルが樽を蹴飛ばす。リチャードは壁に持たれ、静かに体力を回復させていた。

「だが、彼らは我々を殺しはしなかった。交渉の余地はあるかもしれん」 「呑気なこと言ってられるかよ! 早くここから出ねえと……」

その時、船体が激しく揺れ、ドォォン! という爆発音が響き渡った。 「な、なんだ!? 敵襲か!?」

甲板から怒号と悲鳴が聞こえてくる。 「野郎ども、迎撃だ! 大砲を撃てぇ!」というヴィクトリアの叫び声。 そして、それにかき消されるように響く、低く不気味な笑い声。

「グフフフ……見つけたぞ、ネズミども。海の果てまで逃げられると思ったか?」

「この声……兜割だ!」 タケルが叫ぶ。奴は執念深く、ここまで追ってきたのだ。

「ここから出すんだ! 俺たちも戦う!」 タケルが扉を叩くと、鍵が壊れたのか、勢いで扉が開いた。二人は甲板へと駆け上がった。

そこはすでに戦場だった。 月明かりの下、黒鉄の怪物カブトムシが、自慢の大剣を振るい、海賊たちを次々となぎ倒していた。大砲の弾も、堅牢な甲板の前では豆鉄砲のようだ。

「てめぇら、あたしの船で好き勝手してんじゃないよ!」 ヴィクトリアが巨大な戦斧を軽々と振り回し、兜割に躍りかかった。

「女子供が! 邪魔だぁッ!」 兜割が大剣で受け止める。金属音が火花を散らす。 体格差は歴然だが、ヴィクトリアは一歩も引かない。互角の力勝負が繰り広げられた。

「すげえ……あいつ、化け物とタメ張ってやがる」 タケルが呆気にとられていると、ヴィクトリアが叫んだ。 「あんたたち! ボサッとしてんじゃないよ! 手伝う気があるなら、雑魚どもを追い払いな!」

「おう! 言われなくても!」 タケルは風をまとい、リチャードは剣を構え、クワガタ兵たちに加勢した。

だが、兜割の力は圧倒的だった。 「面倒だ、まとめて消し飛べぇ! 必殺・剛力兜割りィィッ!!」 兜割が全身のバネを使い、マストをも断ち切る勢いで大剣を振り下ろす。

「させないよッ!」 ヴィクトリアは不敵に笑うと、自身の背丈ほどもある戦斧を高く掲げた。 その瞬間、周囲の海面がざわめき立ち、海水が渦を巻いて斧に集束していく。

ヴィクトリアの右手の甲に、青白く輝く紋章が浮かび上がった。 それは、『水』の文字。

「あたしの海でデカい顔すんじゃないよ! 必殺・大海嘯(だいかいしょう)・波斬りィィィッ!!」

ヴィクトリアが斧を振り下ろすと、圧縮された海水が巨大な刃となり、荒れ狂う波濤のごとく解き放たれた。 水の刃は兜割の大剣ごと、その鋼鉄の身体を真っ二つに両断した。

「バ、カな……この俺が……女、子供にぃぃ……ッ!?」 断末魔と共に、兜割の巨体は左右に分かれ、海へと沈んでいった。

静寂が戻った甲板で、ヴィクトリアは肩で息をしながら、斧を担ぎ直した。 月の光が、彼女の右手の『水』の紋章を、誇らしげに照らし出していた。


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