タルタロスとの死闘を終え、崩落した壁の瓦礫の山となった亡骸の前で、七人の戦士たちは糸が切れた人形のようにへたり込んだ。 全身を襲う激痛と、気力を使い果たしたことによる虚脱感。草薙の剣を杖代わりに何とか体を支えていたタケルが、血の混じった唾を吐き捨て、隣に座り込むミカ(カグヤ)に視線を送った。
「……ミカ。悪いが、カグヤを呼んでくれないか。……回復の八卦が、必要だ」
その言葉に、他の仲間たちも期待の眼差しを向ける。カグヤの癒やしの力があれば、この窮地を脱できるかもしれない。
しかし、如意棒を枕にして寝そべっていたミカは、おどけた調子でヒラヒラと手を振った。 「あー、残念ながらねぇ。あたしは『ミカ』。カグヤちゅあんみたいに、お上品な『回復八卦』なんて高等技術は使えないのよん」
「な……ッ!?」
「あいつは今、月に一度の『女の子の動けない日』で爆睡中さ。血を見るだけでも気絶するカグヤじゃ、この瘴気漂う最深部じゃ起きた瞬間にショック死しかねないね。あたしが世話になってる間は、回復役(ヒーラー)は不在ってわけ。ガハハ!」
ミカの豪快な笑い声が、絶望の淵に立たされた一行の心に冷たく響いた。
「……チッ。誰か、回復の術を持ってるやつはいないのか? 俺は、この最後の煙草ぐらいだ」 ジョーが震える手でタバコに火をつけた。火鼠の手袋から放たれる微かな熱が、紫煙を地下の淀んだ空気の中へと漂わせる。
重苦しい沈黙。それを破ったのは、おずおずと手を挙げたメーテルだった。 「……あの、私……薬草だったら、持っています」
「お、おい! 本当か! メーテル!」 タケルが身を乗り出す。リチャードやヴィクトリアの顔にも、パッと明るい兆しが見えた。 「どんな薬草だ? 瞬時に傷が治るようなのはあるか?」
期待を込めた問いに、メーテルは少し得意げな顔になり、梓弓を傍らに置いて早口で説明を始めた。 「はい、色々あります! 毒を中和する薬草、傷の治りを早くする薬草、痛みを消す薬、体温を上げる薬、下げる薬、それから、新陳代謝を高めて翌朝の回復量を増やす薬……」
「おっと、薬の講釈は後で聞くとして」ジョーが煙を吐き出しながら遮った。「最終決戦に向けて、この疲弊を一瞬で解決する薬はどれだい?」
「……え?」メーテルはピタリと動きを止め、うつむいた。「……瞬時に体力を全快するような、魔法のようなお薬は……ありません。新陳代謝を高めて、翌朝の回復量を……その、増やすくらいです」
全員が、ハァ……と長い、長い溜息をついた。 淡い期待は、一瞬にして霧散した。
「……でも、痛みを消す薬があるなら、後、一戦ぐらいはできるんじゃないか?」 タケルが、自分自身を鼓舞するように声を上げた。 「地の主も、タルタロスの話じゃまだ完全に受肉してないんだろう? 痛みがなきゃ、根性で動ける」
しかし、メーテルはさらにうつむき、消え入るような声で答えた。 「痛みは消えます……けど。そのお薬、すごく強力で……意識も朦朧としちゃうので。……戦闘なんて、とても……」
「……選ばなければいけませんね」 これまで沈黙を保っていた高橋が、眼鏡の位置を直しながら冷徹に告げた。 「体制を立て直すために一旦地上へ戻るか、ここで小休止の後、万全ではない体でそのまま決戦に挑むか。地の主が、現世に完全に降りるまでの時間は不明です。どちらが正解かは、今の我々には分かりません」
高橋の視線が、瓦礫の奥――脈動する緑の光が漏れ出す通路へと向けられた。 「しかし、いずれにしても我々は選択しなければなりません」
再びの沈黙。 誰もが、その決断の重さに押しつぶされそうになっていた。
それを打ち破ったのは、リチャードだった。 「……俺は、戦士だ」 彼は天叢雲剣を握り締め、ガシャリと鎧を鳴らして立ち上がった。 「騎士団時代、一晩中休まずに戦い続けたこともある。……まだ、戦える」 リチャードの瞳には、騎士としての誇りと、敵を討たんとする強い意志が宿っていた。 「ここから地上への往復と休みを考えると、早くても決戦は明日だ。タルタロスほどの策士だ、体制を立て直されて、また八将軍クラスの敵を配置されたら? 引き返し、手を繰り返したら……いつまでも最深部には辿り着けず、地の主が完全に復活するリスクがある。……今が、最後のチャンスかもしれない。……行くべきだ」
「……反対だね」 ヴィクトリアが反論を上げた。彼女は水龍の斧を杖代わりに、苦しげに息を吐いている。 「海賊時代の話だよ。『チャンス』と『お宝』に目が眩んで、深追いをしていった時……いざ宝を手にして、帰りの燃料がないことに気づいたことがある。……結局、命と引き換えに、お宝を海に捨てたよ」 彼女は、傷だらけのジョーやタケルを見回した。 「帰りの燃料(ちから)すら危うい今、引き返したほうがいい。……万が一地の主を倒せても、最悪、帰りに誰かが犠牲になるかもしれない。あたしは、海賊船長として……部下を見殺しにするような真似はしたくないね」
「あたしも、まだいけるよ」 ミカが如意棒を担ぎ、不敵に笑った。 「リチャードの旦那に賛成だね。それに、明日になったらあたしは寝ちまって、またあの泣き虫カグヤになっちまう。……あたしの力が必要なら、今日のうちに行きたいねぇ。……それとも、皆、あの泣き虫カグヤちゅあんの『回復八卦(使えないけど)』が希望かい?」
「……俺は反対だ、ヴィクトリアに賭ける」 ジョーがタバコを床に踏み消した。火鼠の手袋から微かに炎が漏れる。 「ここに来るまで、俺たちは何度も奇跡を起こした。だが、タルタロス戦で……俺たちの運(チップ)は使い果たした気がする。……次の奇跡のチップは、俺たちの『命』になるぞ。俺は、フィオを救う前に、ここで死ぬ気はねえ」
「……私は、行くべきだと思います」 メーテルが梓弓を握り締め、決然と言った。地の民の集落で異端として扱われてきた彼女の瞳には、強い意志が宿っていた。 「父や、長(おさ)から聞きました。地の民には、一日で成人になり、戦士となる種族がいると。……私たちが戻っている間に、新しい敵の配置がされると思います」
「……私の意見も言わせてもらいます」 高橋が眼鏡を指でクイッと直した。その瞳は、感情を排した純粋な計算のみを映していた。 「私は、引き返したほうがいいと思います。仮にメーテルさんの言う通り、地の主が完全に復活していなくても……タルタロスのことです、地の主の傍に、最後の罠や、八将軍を凌ぐ手練れの護衛を配置しているリスクがあります。……万全の体制で挑むべきです」
意見は、3対3に割れた。 リチャード、ミカ、メーテル――『進攻派』
ヴィクトリア、ジョー、高橋――『撤退派』
全員の視線が、ただ一人、まだ意見を言っていないタケルへと集まった。
「……多数決が、最善の決断を導くとは思いませんが。……タケル。君の意見はどうですか」 高橋が、静かに尋ねた。
タケルは、全員の顔を見回した。 怒りに身を任せて鎌切に挑み、敗れたこと。 リチャードに殴られ、仲間の大切さを知ったこと。 全員の心が一つになった「天の一撃」の奇跡。
(俺たちは……)
タケルは、草薙の剣の柄を強く握り締めた。
「……一旦、地上へ戻って、体制を立て直すべきだと思う」
タケルの言葉に、撤退派の三人が安堵の溜息をついた。進攻派の三人は、悔しげに顔を歪めたが、反対はしなかった。
「高橋、ヴィクトリア、ジョーの言う通りだ。……俺たちは、絶対に生きて帰らなきゃならない。……帰り道も、計算に入れよう」 タケルは、自分自身の未熟さを、もう恥じてはいなかった。 「そもそも……今の体力じゃ、地の主どころか、ただ地上へ帰るだけでもギリギリのはずだ。……全滅のリスクを背負って突っ込むより、万全を期して、明日必ず倒す」
タケルの決断に、異論を唱える者はいなかった。 全員が、限界を超えていた。多数決という、分かりやすい形での決断に従うことに、誰もが納得していた。
「……よし。帰ろう」
一行は、重い体を動かし、来た道を戻り始めた。 高橋の指示で、迷路のような地下道には、サイボーグアームのレーザーで壁にマーキングを施した。翌日、完全回復した状態で、迷わずに最深部へ戻ってこれるように。
地上への帰還は、予想以上に過酷なものだった。 ミカの炎や、高橋のレーザーも、エネルギー残量は残りわずか。ゴキブリ怪人たちの執拗な妨害に、一行は何度も全滅の危機に瀕したが……。
「……見えた! 光だ!」
タケルの叫びと共に、下水道の出口から、眩いばかりの朝の光が差し込んだ。 転送されてから、かれこれ5、6時間。彼らは死の淵から、生の世界へと生還したのだ。
寺院へと戻った彼らを、天の主は静かに迎えた。 『よくぞ、戻りました。……皆の「生きたい」という意志が、最善の道を選ばせたのです』
メーテルはすぐに、集落の民から集めた薬草を使い、秘伝の回復薬を調合した。 「……傷の治りを早くする薬草と、翌朝の回復量を最大にする薬草のブレンドです。……これを飲んで、ゆっくり休んでください」
全員がその苦い薬を飲み、死んだように眠りについた。
翌日。 薬草の劇的な効果と、天の主の加護により、七人の戦士たちは、前日の疲弊が嘘のように完全回復していた。 カグヤの人格も戻り、月の障りも明け、癒やしの八卦も完全に使える状態だ。
「……お待たせしました! 皆さん、ごめんなさい! 今日は、私が皆さんを守ります!」 カグヤが、元気いっぱいに紋章を輝かせる。
「……ふぅ、あのメーテルちゅあんの薬草、効いたねぇ。……カグヤちゅあんも戻ってきたし。……おっしゃあ! 今度こそ、地の主をぶっ飛ばすよ!」 ヴィクトリアが斧を担ぎ直し、豪快に笑う。 リチャードも、ジョーも、高橋も、メーテルも、タケルも。 誰もが、最高のコンディション、そして最高の絆で結ばれていた。
「……行こう。セントラル地下迷宮へ」
タケルの言葉と共に、彼らは再び天の主の光に包まれた。
タルタロスの亡骸は、既に地の民の雑魚たちによって片付けられていた。 そして、メーテルの予言通り、翌日の道中は前日以上に無数の地の民の雑魚が配置されていた。
しかし、完全回復した一行の敵ではなかった。 タケルの風が、リチャードの光が、ヴィクトリアの水が、ジョーの炎が、高橋のレーザーが、メーテルの矢が、そしてカグヤの如意棒が、殺到する雑魚を次々と薙ぎ払っていく。前日の死闘を経て、彼らの連携はさらに洗練されており、迷路のような地下道を、マーキングに従って迷うことなく進んでいった。
八将軍クラスの敵こそ現れなかったが、圧倒的な数の雑魚の波を、彼らは前日よりも遥かに効率的に突破し、昨日の広場までたどり着くことができた。
今度こそ昨日の通路を奥に進んでいく。 瘴気が渦巻く通路を抜け、その奥の部屋で見たものは。
部屋の中央、天井から無数の触手によって吊り下げられた、激しい胎動をする緑の球体であった。
球体は、タルタロスの『蛊毒の儀』によって集められた八将軍の怨念と大陸中から吸い上げた瘴気を吸収し続け、昨日見た時よりも遥かに大きく、そして今にも破裂しそうなほど、激しい鼓動を繰り返していた。
球体の表面には、名状しがたい異形の怪物の姿が、浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えていた。 地の主の受肉は、最終段階に入っていた。
「……間に合わなかった、のか……?」タケルが戦慄に目を見開いた。
球体の鼓動が、部屋全体を震わせる。 タルタロスの死は、地の主の復活を止めるものではなく……むしろ、地の主を目覚めさせるための最後の贄(にえ)となったのだ。
七人の戦士たちは、ついに世界を滅ぼす存在――地の主と、真正面から対峙した。 最後の戦いが、今、幕を開けようとしていた。

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