神殿から遠く離れた、木造の巨大都市の薄暗い路地裏。 息を切らせて逃げ込んだカグヤとフィオは、しばらくの間、無言で悩み続けていた。
ジョーとアンナが洗脳され、敵の親玉は、かつて苦楽を共にした大切な仲間であるメーテル。彼女を傷つけるわけにはいかないが、このままでは町を脱出することすら不可能だ。
重い沈黙を破ったのは、フィオだった。 「……カグヤさん。私、色々と考えました」 「ええ。何か良い策が?」 「はい。この場合……『愛の力』で解決できると思います」
「…………はい?」 カグヤの思考が、完全に停止した。数秒の間のあと、おそるおそる聞き返す。 「あ、あの、フィオさん……愛の力、とは?」
フィオは、一切の迷いがない、澄み切った真顔で答えた。 「私とジョーは、運命の力で結ばれているんです。ですから、他のどんな力も打ち消せると思うんですよ」
「いや、あの……敵のメーテルさんの力のことは、フィオちゃん分かっているの? あれは強力な精神支配で……」 「相手がどんな力を持っていようと、私とジョーは無敵ですから」
(ダメだ。会話が、全く通じていない……!) カグヤが言葉に詰まり、頭を抱えていると、フィオはスッと立ち上がった。 「カグヤさんも分かってくれたんですね。それでは、行きましょう」
言うが早いか、フィオは迷いなく、一直線に女王の神殿へと歩き出した。 「えっ、ちょっと待ってフィオさん!」 慌てて後を追うカグヤ。
神殿への道中、侵入者に気付いた町の衛兵たちが襲い掛かってくる。しかし、フィオは自身の体を『鋼鉄化』させ、一切の防御も回避もせずにズンズンと進んでいく。 フィオからは一切手を出さないが、完全な鋼鉄と化した彼女には、衛兵たちの剣も槍も弾き返され、全く効果がない。まさに歩く装甲車だった。
そして、あっという間に二人は、再びメーテルの待つ「女王の間」へと辿り着いた。 メーテルの左右には、虚ろな目をしたジョーとアンナが、衛兵のように立ちはだかっている。
「あらあら……」 メーテルは、戻ってきた二人を見て、ホッと安心したような、落ち着いた声で微笑んだ。 「二人とも、やっぱり理解してくれたんですね。さあ、一緒にこの平和な世界で暮らしましょう、フィオさん」
しかし、フィオの表情は何も変わらない。 メーテルの甘い言葉など全く聞こえていないかのように、彼女はまっすぐ、ジョーの元へと歩いていく。
(マズい……! いくらフィオさんでも、これだけ長くメーテルのそばにいれば、洗脳されてしまう!) カグヤは激しく動揺した。しかし、フィオの足取りに迷いや淀みは一切ない。
そして、フィオは無防備に両手を広げ、ジョーの体を真正面からガバッと抱きしめた。
「がッ……!? ぐ、おおおおおッ!!」 洗脳下にあるジョーは、侵入者を排除しようと全力で拒絶し、暴れ回った。その右腕からは、無意識のうちに強烈な「深紅の炎」が吹き上がり、フィオの体を包み込む。
しかし、フィオの鋼鉄のハグは微塵も揺るがない。 炎に炙られようが、殴られようが、ただ黙って、万力のような力でジョーを抱きしめ続けた。
数分後。 「あ……が……」 酸素を奪われ、文字通り「物理的」に締め上げられたジョーは、白目を剥いてぐったりと気絶した。
フィオは、だらりとなったジョーを「どっこいしょ」と床に寝かせると、今度はアンナの方へ振り向いた。 「ひぃッ!?」 洗脳状態のアンナも本能的な恐怖を感じて抵抗したが、結果は同じだった。圧倒的な鋼鉄のハグ(という名の絞め技)の前に、アンナもすぐにおとなしくなり、床に崩れ落ちた。
「……えっ? あ、あれ……?」 絶対の自信を持っていた洗脳を、力技で(物理的に)突破され、メーテルがパニックに陥りかけた、その時だった。
バンッ!! と部屋の扉が乱暴に開かれ、血相を変えた町人(ハイ)が飛び込んできた。 「じょ、女王様! 外部から敵が来ました! このオアシスの噂を聞きつけた、別の八代将軍の軍隊と、それに追われるローの難民たちが、一斉に襲い掛かってきています!」
窓の外を見ると、砂漠の地平線を埋め尽くすほどの、巨大な軍勢が土煙を上げて迫ってきていた。
「くっ……操られている難民ごと、皆殺しにするわけにもいかない……!」 カグヤが焦り、どう動くべきか逡巡していると。
「ここは、私たちが」 「ええ、行きましょう」 気付けば、メーテルとフィオの二人が、並んで前線へと歩み出ていた。
先陣を切ったのは、フィオだった。 彼女は鋼鉄化した体で神殿の前に立ち塞がり、押し寄せる敵の攻撃をすべてその身一つで受け止め、打ち返していく。その強固な見た目と派手な立ち回りに、敵軍のヘイト(集中)は完全にフィオ一人へと向けられた。
敵がフィオの周りに群がり、大きなどす黒い塊となった、その瞬間。 後方に立つメーテルの両手が、淡い光を放ち始めた。
かつて彼女の紋章であった「緑」という文字。 しかし今、彼女の手から浮かび上がった光の文字は、「縁(えん)」という文字に変わっていた。
「……お願い、争わないで」
メーテルの手から放たれた波動が、戦場全体を包み込んだ。 次の瞬間、狂乱していた八代将軍の軍隊も、暴徒と化していた難民たちも、全員がピタリと動きを止め、武器を下ろした。全ての敵が、一瞬にして強力な「チャーム(魅了)」にかかり、戦意を喪失したのだ。
「す、すごい……」カグヤが息を呑む。
戦いが終わり、場が落ち着いた頃。 気絶から目を覚ましたジョーとアンナが、頭をさすりながら歩いてきた。
それを見たメーテルは、ポロポロと涙をこぼし、理不尽を嘆くように叫んだ。 「なんで!? なんで私のチャームが、ジョーたちには解けちゃうの!?」
フィオが、いつもの安定した、真顔で答える。 「……愛の力です」
「バカ言え」 立ち止まったジョーが、間髪入れずに言葉をかぶせた。 「お前ら勘違いしてるかもしれないがな……そもそもフィオは、俺より『物理的に』強いんだよ。ハグじゃねえ、ただの絞め技だ。……それに、フィオの鋼鉄化は物理だけじゃなく、精神攻撃の類いも弾く『絶縁体』みたいなもんなんだよ」
ジョーの身も蓋もない解説に、全員が「なるほど」という顔になった。
気まずい沈黙を破り、カグヤが一歩前に出て、メーテルに優しく問いかけた。 「……メーテルさん。どうして、こんな街を作ったのですか?」
メーテルは、その場にへたり込み、子供のように泣きじゃくりながら胸の内を吐露した。 「……怖かったの……! 10年前、何もできなくて……みんなを守りたかった。戦いから逃れる場所が、欲しかった……!」 「それに……それにっ……」 メーテルは、しゃくりあげながら続けた。 「……みんなから、ちやほや、されたかったのぉぉ……ッ!」
あまりにも人間臭く、正直すぎる理由に、カグヤも、ジョーも、アンナも、思わず毒気を抜かれてしまった。彼女なりに、この絶望の世界で必死に生き抜き、居場所を作ろうとした結果なのだろう。
メーテルが泣き崩れて黙り込むと、フィオに肩を貸してもらいながら、ジョーが夜空を見上げてふうっと息を吐いた。
「……まぁ、今日はもういいだろ。明日のことは、明日考えようぜ」
その言葉に、一行は静かに頷き、長く過酷だった砂漠の一日は、不器用な仲間との再会と共に幕を閉じた。

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