2020年――ひとつの法律が産声を上げた。『準詐欺罪消費者保護法』。
密室での巧妙な誘導、意図的に隠蔽された不利な条件、そして悪意ある誇大広告。それまで泣き寝入りするしかなかった消費者を救済し、悪徳業者を狩るこの強大な法律が成立する裏には、決して表には出ない無数の「涙」と、一人の男の執念の歴史があった。
男の名は、堂島宗一郎(どうじま そういちろう)。 この法案を成立させた当時の内閣総理大臣であり、かつては血の通った「ものづくり」に人生を捧げた、一人の経営者であった。
堂島が政治の世界へ足を踏み入れる前のことだ。彼は中堅の家電メーカーの社長として、現場の最前線で指揮を執っていた。 ある時、堂島は社運を賭けたニュープロジェクトを立ち上げた。 『全自動洗濯・乾燥・服たたみ機』。 洗濯物を放り込めば、乾燥から綺麗に畳む工程までを全自動で行う。世の主婦たちの家事労働を劇的に削減する、まさに夢のようなプロダクトだった。絶対に大ヒットする。堂島はそう確信していた。
しかし、前人未到の技術開発は困難を極めた。製品品質を極限まで高めるため、堂島は自らも不眠不休で働き、社員たちにも無茶な要求を突きつけた。 「こんなものは不良品だ! やり直せ!」 怒号が飛ぶ開発室。堂島を信じてついてきてくれた社員の中にも、ついに限界を迎え、「こんなブラック企業、もう限界だ」と悪態をついて去っていく者もいた。堂島は彼らの背中を見送るたびに、胸を引き裂かれるような思いを味わった。
それでも、残った社員たちと血を吐くような努力を重ね、ついに製品は完成した。耐久性、畳みの精度、どれをとっても完璧な、世界に誇れるメイド・イン・ジャパンの結晶だった。
いよいよ、ローンチの日を迎える。社内は歓喜と期待に包まれていた。 だが、そのわずか数日後。堂島たちを嘲笑うかのような絶望が襲いかかった。
競合であるC国のメーカーが、堂島たちの製品とコンセプトも名前も全く同じ「類似製品」を、半分以下の価格で市場に投入してきたのだ。 莫大な資金をつぎ込んだテレビCMやネット広告が昼夜を問わず大量に投下され、市場の話題は完全にC国メーカーの製品に奪われた。価格競争力でも、宣伝力でも、中堅メーカーにすぎない堂島の会社では到底太刀打ちできなかった。
「競争力がなかったのだ……」 堂島は一度はそう諦めかけた。だが、本当の地獄はそこからだった。
実際に市場に出回ったC国の類似製品は、見た目とコンセプトだけをパクった、粗悪極まりない品質だったのだ。服はシワだらけになり、数回使っただけで故障する。怒った消費者たちの声は瞬く間に広がり、ネット上は炎上した。 その結果どうなったか。 「全自動服たたみ機なんて、使い物にならないゴミだ」 市場全体に、そんな強烈な烙印が押されてしまったのだ。
悪質な誇大広告と粗悪品が、一つの「新しい市場」そのものを焼き尽くしてしまった。そのせいで、血のにじむような努力で本物の品質を作り上げた堂島たちの製品も、「どうせあれと同じで使い物にならないだろう」と見向きもされなくなってしまったのだ。
会社は屋台骨から大きく傾き、倒産の一歩手前まで追い込まれた。 堂島は這いつくばるようにして銀行を回り、なんとか首の皮一枚で会社を踏みとどまらせた。その後、社長の座を息子に譲った。幸いなことに、息子は堂島以上に経営者として優秀であり、時代に合わせたピボットを成功させ、会社を誰もが知る大手企業へと成長させていった。
社長の座を退き、時間を持て余すようになった堂島。だが、彼の胸の奥で燻り続ける炎は消えていなかった。 あの時、涙を流しながら会社を去っていった社員たち。ギリギリまで共に戦い抜いてくれた技術者たち。彼らの「真面目なものづくり」が、嘘で塗り固められた詐欺同然の広告によって無惨に踏みにじられたあの無念。
「真面目な人間が馬鹿を見る社会であってはならない」
新たな目的を見出した堂島は、政治の世界へと足を踏み入れた。
持ち前の胆力と、経営者時代に培った交渉力で、堂島は泥泥とした政界を這い上がり、様々な苦労の末に内閣総理大臣の座を射止めた。
総理の椅子に座った彼が真っ先に着手したのが、かつての自分たちのような悲劇を二度と繰り返させないための法整備だった。 業界団体の猛反発や、既得権益層からの圧力は凄まじかった。だが、堂島は一歩も引かなかった。誇大広告で市場を破壊するダニどもや、法の目を掻いくぐって消費者を食い物にする詐欺企業を、根こそぎ駆逐するための「絶対的な剣」。
そうして誕生したのが、『準詐欺罪消費者保護法』であり、それを執行する消費者庁「特殊捜査室」であった。
――現在。 静かな執務室で、堂島は特殊捜査室の室長から提出された最新の報告書に目を通していた。
不動産投資詐欺の摘発。似非科学を用いた空気清浄機の排除。大手食品会社の健康被害サプリに対する巨額の賠償請求と事業停止処分。 報告書には、真壁、水瀬、柴崎、桐谷といった、各分野のスペシャリストたちの容赦のない活躍が克明に記されていた。悪党たちが隠匿していた口座を突き止め、被害者に全額返金させたという一文を読み、堂島の顔に深いシワの刻まれた笑みが浮かぶ。
「……よくやっている」
堂島は報告書をデスクに置き、窓の外に広がる東京の街並みを見下ろした。 無数のビル群の中で、今日も多くの真面目な人々が汗水流して働いている。彼らの努力が、悪意ある詐欺師の嘘によって奪われることのない社会。
かつての涙と挫折の上に立ち上がった特殊捜査室の活躍によって、この国は少しずつ、だが確実に変わろうとしている。
「これでようやく、本当に正しい日本が生まれる」
堂島宗一郎は満足げに目を細め、静かに熱いお茶をすすった。彼の人生を懸けた壮大な「リコール」は、今まさに確かな結実を迎えようとしていた。

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