領主にクビにされ悪徳物件に騙された天才料理人、行き倒れの獣人少女を救ったら世界最高の聖域になっていた件 第六話

「ひゃうっ!? エ、エルリア様……っ!?」 「エルリア? なんだ、久しぶりじゃないか。元気にしてたか?」

エルリアの雷鳴のような怒鳴り声に、俺とミアは心臓が飛び出るかと思うほどびっくりした。 俺はのんきに声をかけたが、ミアはビクッとなって、尻尾を股の間に挟んでいる。

「久しぶり……? 元気にしてた……? お前たち、どの口が……っ!!」

エルリアがさらに声を荒らげようとした瞬間、俺は慌ててミアを背中に隠し、今までの事情——不動産屋に騙されて店を追い出され、ガラム爺の宿屋でお世話になり、そしてここに「つぶれかけた店」があると紹介されてやってきたこと——を、超特急で説明した。

一通り聞き終えたエルリアは、眼鏡の奥の瞳を怒りから……酷く悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔へと変えた。

「……はぁ。やっぱり、あの世間知らずどもに騙されていたのね。……とにかく、今は仕事中でしょう。閉店まで待つわ。……座って待たせてもらうわよ」

意外なことに、エルリアはそれ以上怒鳴ることはなく、おとなしく店の隅にある小さな椅子に座って、俺たちの働きぶりをじっと眺め始めた。 エルリアの悲しそうな顔が気になりつつも、押し寄せる客(と廃棄食材)をさばくのに精一杯で、俺たちは引き続き厨房とカウンターを根性だけで回し続けた。

椅子の座り心地は悪かった。 古びた木の椅子はきしみ、店内はブイヤベースの匂いと、下町の住人たちの喧騒で満ちている。 しかし、エルリアの頭は、その喧騒を離れ、遠い、遠い昔の思い出の中へと沈んでいった。

エルリアはエルフだ。 エルフは長寿な種族であり、彼女は今年で300歳前後になる。その長い人生は、人間の時間感覚からすれば、あまりに多くの紆余曲折があった。

エルフは、もともと欲が少ない種族だ。 彼女が生まれ育った森の里は、特にその傾向が強かった。 里には秘伝の秘術があり、植物がメインであったが、食べることに困ることはなかった。 何かを奪い合うこともなければ、そもそも、土地や物に対して「これは私のものだ」と所有権を言い争うこと自体がなかった。

そんな里では、皆何も日々考えずに生きていた。 その日ぐらし。そして、誰もそのことに困らない。 エルリアも60歳近くになるまで、本当に何も考えずに生きていた。毎日、何をするでもなく、ただただ、木漏れ日の中でだらだらと過ごす。明日も、明後日も、100年後も、同じ日が続く。

そんなある日。彼女は里の境界の近くで、一冊の本を拾った。 里の中にも書物はあった。しかし、それはエルフの伝承、魔法の教本、何度も見飽きたくだらない内容ばかりであった。 しかし、その拾った本には、彼女の知らない世界が広がっていた。

それは、人間の書物だった。 成人の人間であれば「くだらない」と思うような、ありふれた恋愛小説であった。 ある冒険者の一団に属する、男と女。彼らが恋に狂い、恋に惑い、様々な障害を乗り越え、そして最後にはハッピーエンドで終わる。よくある、本当に王道の小説だ。

しかし、その小説は彼女の心を強く震わした。 もちろん里の中にも「恋愛」はあった。しかし、男も女も、一切の独占欲がない。 そして、エルフの見た目は、よく言えば全員美男美女ではあるものの、見た目の違いが乏しい。 さらに生活環境も同じ狭い環境のため、似たり寄ったりの性格。そもそも「結婚」という制度も里にはなかった。

仮に男女の行為に及ぶことがあっても、それは里の人口を保つための「作業的」なものであり、ロマンスなど欠片もなかった。実質、里の全員が肉体関係にあるので、嫉妬もくそもない。 妊娠率は低く、子どもができたとしても、個人の子どもというより、里の子として扱われるため、親子のつながりも薄かった。

その環境で60年近く生きたエルリアにとって、人間の、相手を独占したいと狂い、嫉妬に惑う恋物語は、彼女の心を「所有」という未知の感情で狂わせることとなったのだ。

数年間、毎日のようにエルリアはその本を読んだ。 里の仲間に教えたいのはやまやまだったが、人間の書物は里では御法度。 彼女は一人、夜な夜な森の奥で、その本をボロボロになるまで楽しんだ。内容をほとんど覚えてしまうほどであった。

10年近くがたったある日。エルリアはついに、里を旅立つ決心をした。 人間と燃えるような、あの小説にあるような恋をしてみたいという気持ちを、もう止められなかった。 里の長老たちは中々認めなかったが、数年後、彼女の決意の固さに根負けし、ついにエルリアの旅立ちを許すことにした。

エルリアは一番近くの町に行った。 待ちについてすぐに、彼女は冒険者ギルドに向かった。小説では、そこに行くと、恋人同士のような、あの小説のような一団に加入することができるらしい。

ギルドに入ると、待合所にいる人達が皆エルリアを見つめている。 皆、美形のエルフを好色の目で見つめているのだ。だが、そんなことに気が付かない純真な(アホな)エルリア。 受付に行き、どこか加入できる団体がいないかと相談してみる。

受付は淡々と、彼女に何ができるのかと質問攻めにした。 エルリアは、里で学んだいくつかの呪文と、弓と短刀の技術を説明する。 一通り話を聞いた後、受付が大きい声で受付エリアに呼びかけた。

「おーい、シルバーウルフの奴ら、あんた、呪文を使える後方支援を探してたよな」

そういうと、一人の青年男性と、一人の壮年男性、一人の青年女性の3人組が来た。 青年のレイオスが、「あんたパーティーを探しているのか、だったら俺らと一緒に冒険しようぜ」と、軽いのりで提案してきた。

エルリアは、二つ返事で了承をし、シルバーウルフに参加することになった。 これで、小説のような燃える恋が始まる……そう思っていた。

初めての冒険は、街の近くのゴブリンと呼ばれる低能の人型の怪物退治であった。里でもたまに追い払う作業があったので、彼女の弓で、ほぼ一人で倒すことができた。 ギルドに帰って、レイオスが報酬をもらって、それをパーティーに分配する。 そしてエルリアにも銅貨3枚が分配された。

彼女は生まれた初めて、自分で「占有」する財産というものを得て、浮かれた。 (しかし実際には、不平等な分配配分で、エルフは金に疎いとだまされていたのだが、当時の彼女は知る由もなかった)

それでもエルリアは満足していた。 何もかも始めての経験。お金はなくてもチームで宿をとっていたので、食べるには困らなかった。里の生活と一緒だった。 そして、エルリアの一番の楽しみは、レイオスと女性のミーニャが恋仲にあるようで、冒険のさなかでもそれを見ることが出来ることだった。

壮年の男性、ボリスは二人に対して、よくヤキモキして苛立ちをあらわにしていた。エルリアはそれを「嫉妬」と思っていたが、実際には冒険中の集中がそがれることを怒っていた。

それから数年の時が流れた。 崩壊は、ある日やってきた。ミーニャにボリスの子供ができたということで、3人が大げんかの上、パーティーは解散となった。

エルリアはこの光景を……満足して眺めていた。 これだ。人間の恋は、所有欲は、ここまで感情を爆発させるのだ。

それから、エルリアはいくつかのパーティーを渡り歩いた。 男女のいざこざは、彼女の好奇心を満たすには十分であった。 そして、美形のエルフである彼女は当然、様々な人間に言い寄られた。そこでいくつかの「経験」もあったが、彼女自身の「経験」としては、少しも満足することはなかった。

生まれながらの性質か、肉体的な快楽は低く、相手の男性もエルリアの「見た目」で言い寄ってくるものばかりで、心のつながりに至ることはなかった。 人間同士の、あんなに燃えるような恋を、彼女自身は経験することはできなかった。

その中で、自分がお金について騙されていたことを知った。 里では「ひとつ、ふたつ、たくさん」。この三つの数え方で十分であった。 しかし人間世界では、それでは許されなかったのだ。

50年近くの経験の後、彼女はあきらめ、算術や人間世界の法律の本をもって、里に帰ることにした。 それから100年近く、彼女は一人里で勉強をつづけた。里の中でも変わり者扱いされたが、迫害まではされることはなかった。 彼女は、その100年の中でも、人間同士の燃えるような感情のぶつけあいを忘れることはできなかった。

彼女は再び、人間世界に行くことを心に決めた。 再度長老を説得し、再度人間観察をしに行くことにした。

今度は冒険者ではなく、100年学んだ算術の技術を用い、会計の仕事をして回った。 そこで一つの問題がおきた。 100年、一人で勉強していたために、人との話かたを忘れたのだ。いくら美形といっても、あまりにも陰湿で、コミュ障な彼女を口説こうとするものは、ほとんどいなくなっていた。 (だからこそ、前の店では情緒不安定になっていたのだが、それはまた別の話だ)

そんな中、アレン達に出会った。 彼らは、昔の彼女のように、いいように社会の食い物にされようとしていた。

(それを……守るのが、私の宿命だと彼女は心に誓ったのだ)

そんな昔話を思い出しながら、エルリアは眼鏡の奥の瞳を、俺とミアに向けた。 俺とミアは、混沌とした行列の中で、廃棄食材のブイヤベースを、汗だくになりながら、笑顔で客に提供し続けている。

エルリアは、きゅっと、唇を噛み締めた。

(過ちは、繰り返させない。……私が、この世間知らずどもを守って見せるわ)

閉店の合図である、最後のブイヤベースが客に渡された。 下町の混沌が、静寂へと変わる。

エルリアは、椅子から立ち上がり、俺とミアの前に立った。

ようやくそろった、三人。 下町の、さらに外れの、ブイヤベースの行列の店で、今、新たな、そして最強の「立て直し」が始まろうとしていた。

彼女の、悲しげな顔は、すでに消えていた。 眼镜の奥の瞳には、かつてないほどの決意の光が、燃え上がっていた。


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