超能力は無能力 こんなラストも考えてたB

シーザーの誕生日から数日後の夜。 シーザーは、自室で静かで穏やかな一人の時間をくつろいでいた。 頭に浮かぶのは、先日の誕生パーティーで見せた子供たちの無邪気な笑顔、そして何よりも、優しく微笑んでいたユキの表情だった。彼はその記憶を、愛おしむように何度も思い出し、心の中で反芻していた。

その時、夜の静寂を邪魔する乾いた音が響いた。 トントン、とドアをノックする音。 こんな夜更けに、村で何か問題でも起きたのだろうか。シーザーは微かに眉をひそめながらも、慌ててドアを開けた。

「……おや、ユキ様」

そこに立っていたのは、木編みのバスケットと一本のワインを手にしたユキだった。 彼女はいつになく上機嫌にニコニコと微笑みながら、小首を傾げた。 「こないだの誕生パーティーとは別に、ね。ちょっと二人だけでお祝いを、と思って。ちょうどこの村ができてから20周年の節目でもあるし」

予期せぬ夜中の訪問者、それも自分を労うための提案に、シーザーは心の底から喜びを感じた。 「それは是非。さあ、中へどうぞ」 シーザーはいつものにやけ顔を少しだけ和らげ、彼女を快く家の中に招き入れた。

二人はテーブルを挟んで向かい合い、静かにグラスを合わせて乾杯した。 村の特産である新鮮な野菜の漬物、そして濃厚なチーズを肴に、ユキが持ってきた年代物のワインを楽しむ。

自然と、二人の会話は過去の思い出話へと花を咲かせていった。 かつて共に過ごした『プロメテウス』の息詰まる日々。世界中から同胞を集めた『ユートピア』での激動。 そして、あの夜に袂を分かち、敵と味方に分かれて互いに血を流し合った対立の時代。当時は胸を引き裂かれるようにつらかった出来事も、20年という歳月を経た今となっては、不思議と笑い話として語り合うことができた。

さらに話は、この20年間にこの村で起きた様々な出来事へと移っていく。 「最初は、農業もなかなか上手くいかなかったわよね」とユキが懐かしそうに呟く。そう、荒れ果てた廃村での開墾は苦難の連続だった。しかし、それを何とか軌道に乗せた絶妙なタイミングで、世界的な論文が発表され、危険視されていた超能力が「食糧危機の救世主」として社会に受け入れられる大きな追い風となったのだ。

ユキは、まるで長年の秘密を打ち明けるような、ワクワクとした少女のような顔でシーザーを見つめた。 「……あの論文を裏から発表させたの、本当はシーザー、あんただったんでしょ?」

シーザーは、いつものように肩をすくめて笑いながら答えた。 「そんな、まさか。私はただの無能力者ですよ。あれは完全な偶然です」 実際には、シーザーがかつてのサラリーマン時代の人脈や国連軍でのつてを使い、完璧に裏から手を回して仕組んだことだった。しかし彼は、いつものように自分の手柄を一切誇ろうとはしなかった。

ユキはクスクスと楽しそうに笑いながら、グラスを揺らした。 「ふふ、あなた本当に変わらないわね。ユートピアの時も、プロメテウスの時も……そうやって一番大切な手柄は何も話さず、飄々と笑ってごまかすんだから」 「やれやれ、ユキ様には敵いませんね。私のようなひねくれ者を、そこまで買いかぶって……く……っ?」

突如、シーザーの言葉が途切れた。 急激に強い酔いが回ったかのように、視界がぐにゃりと激しく歪み始める。 「う、あれ……おかしいですね。それほど……飲んでいないはず、なんですが……」

呂律が回らなくなり、椅子から崩れ落ちるように床へ這いつくばるシーザー。 それを見下ろすユキの顔は、先ほどよりもさらに上機嫌な笑みを湛えていた。彼女はクスクスと、残酷なほど愛らしく笑いながら告げた。

「そうやって、あなたはいっつも本当のことは何も言わないのね。……爆を殺したこととか、さ」

シーザーの心臓が、毒の麻痺とは違う衝撃で跳ね上がる。 ユキは、這いつくばる金髪の初老の男を冷徹に見つめ、嬉しそうに声を弾ませた。 「やっと……やっと薬が効いてきたわね、シーザー」

「同じ、ものを……食べて、飲んでいた……はず……なのに……っ」 シーザーが苦痛に顔を歪めながら掠れた声を絞り出すと、ユキは口元に手を当て、小さく息を吐き出した。彼女の口から、コロンと音を立てて小さな『氷の塊』が床へ吐き出される。

「私の力はね、雪や氷を操るだけじゃないの。どんなものでも『凍らせて、体内で止めておける』のよ。それが致死量の毒だろうが……あんたに対する激しい復讐心だろうがね」

微笑みを絶やさないユキの瞳は、底なしの闇のように冷たく澄んでいた。 「あんたにあの国連軍ビルで助け出される前からね、私のテレパシーはあんたの思考を朧げに拾ってた。あんたにおぶられてこの雪山に向かう道中、ずっと意識のないフリをしながら、私はこの男をどうやって殺してやろうか、そればかり頭を悩ませていたのよ」

ユキは表情を変えないまま、静かに天を仰いだ。 「あの日、あの倉庫でたくさんの種子を見た時にね、子供の頃の楽しかった思い出がブワッと蘇ったの。そして、その時に気づいちゃったのよ。……ああ、この男に最高の幸せを与えた後に、どん底の不幸に突き落として殺すのが、一番恐ろしくて、一番素晴らしい復讐になるって」

ユキはゆっくりと歩み寄り、床に倒れるシーザーの背中を、容赦なくその足で踏みつけた。 「どうだい? この20年間の村での生活は、楽しかっただろう? 私はあんたにとって、都合のいい理想の女だったかい? ……あんたを世界で一番幸せにするため『だけ』を考えて、私はこの20年間、あんたの側で優しい女を演じ続けてあげたのよ」

ユキの手元に、冷気によって鋭利な『氷のナイフ』が形成される。 彼女は一切の躊躇なく、その刃をシーザーの足へと突き刺した。

「あ、が……っ!!」 シーザーの口から、肉体の激痛と精神の衝撃が混ざり合った声にならない悲鳴が上がる。

「今のは、爆のぶん。……あの子、あんたにトドメを刺された時、さぞ悔しかったでしょうね」 ユキの脳裏に、かつて泣きながら自分を「お姉ちゃん」と呼んでくれた赤い髪の少年の姿が過る。 間髪入れずに、ユキはシーザーの右手を突き刺した。 「これは、アイスマンのぶん」 凍りつく女神を共に出した、最愛の兄の面影を思い出す。 さらに、シーザーの背中を深く突き刺す。 「これは、シルフのぶん」

ユキはかつてシーザーの策略によって命を落とした、あるいは狂わされた仲間たちの名前を一つずつ楽しそうに叫びながら、シーザーの身体のあちこちを、狂気的な笑顔で何度も何度も刺し貫いていった。

床は鮮血に染まり、シーザーはもう指一本動かせない虫の息となっていた。 かすかな吐息の中で、シーザーの唇が何かを必死につぶやいている。

それを見たユキは、ナイフの手を止め、彼の耳元にそっと顔を寄せた。 「最後の言葉は何だい? 生みの親にも、死んでいった仲間たちにも、誰にも看取られずに消えゆく天才脚本家の最期のセリフだ。聞いてやるよ」

ユキがシーザーの口元に耳を近づけた、まさにその瞬間。

シーザーは、残された最後の力を振り絞って首を持ち上げ、ユキの唇に、深く、静かなキスをした。 不意を突かれ、ユキが目を見開いて硬直する。 シーザーは顔を床に落とし、掠れた、しかしこれまでにないほど穏やかな声で、最後の言葉を紡いだ。

「あり……が……とう……」

それが、彼の最期の言葉だった。 絶命したシーザーの顔には、いつもの底意地の悪い薄ら笑いはなく、まるで救済を得たかのような、心からの幸福そのものの微笑みが浮かんでいた。

シーザーにキスをされた感触、そして、彼が遺した「ありがとう」という最期の言葉。 部屋を支配する静寂の中で、ユキは激しい混乱に陥った。なぜ、復讐相手が死に際に自分に感謝などするのか。なぜ、あんなにも満たされた顔で死ねるのか。

ユキは長い、本当に長い溜め息を吐き出すと、力なくその場に座り込み、虚空を見つめてポツリと独り言を呟いた。

「……ありがとう、か。ふふ……そうね、私も同罪だったわ。あの子たちの仇であるあんたに依存し、仲間を殺し、人間を殺し、みんなを裏切って自分だけ20年も生き延びて……」

ユキの瞳から、すっと光が消え失せる。 「私も……もう、疲れちまったよ」

彼女がそう呟いた瞬間、部屋の空間がバキバキと凍りつき、彼女の前に巨大な『阿修羅像』が現れた。 阿修羅像は、床に横たわるシーザーの遺体を一瞬にして冷徹な氷漬けにすると、その巨大な拳で容赦なく、彼を微細な結晶へと粉々に砕き散らせた。

そして、役目を終えた阿修羅像は、ゆっくりと主であるユキの方へと振り返る。 ユキは、迫り来る氷の腕を拒むことなく、ただ静かに目を閉じた。

次の瞬間、阿修羅の冷気がユキの身体をも一瞬で強固な氷塊へと変え、そして、彼女の肉体もまた、光り輝く氷の破片となって木っ端微塵に砕け散った。

誰もいなくなった血と氷の部屋には、主を失った阿修羅像だけが、静かに、そして物言わぬ墓標のように佇んでいた。

気がつくと、シーザーは、眩いばかりの純白の空間に立っていた。 視線を上げると、そこにはあの日々と変わらない、煌々と輝く「いつもの月」が浮かんでいた。

月は、昔のように明るく、陽気な声を響かせて彼に尋ねた。 『よう、大将。……いい旅だったかい?』

シーザーは少しだけ寂しそうに微笑み、ゆっくりと首を横に振った。 「いいえ……最低の旅でしたよ。ただ暗いおぞましい躯(からだ)の中を、出口も見えずに、黙々と一人だけで歩き続けるような、そんな孤独な旅でした」

しかし、何かを思い出したかのように、シーザーは上を向き、目の前の月と同じような、心からの満面の笑顔を浮かべた。

「……でもね、お月様。最後の最後に、私のことを世界で誰よりも強く想ってくれた人がいたんですよ。私のことだけを、私を殺すことだけを考えて、20年間も命を懸けて尽くしてくれた、本当に素敵な人でした」

シーザーはそっと目を閉じ、頬に一筋の温かい涙を流した。

「そして、その人が、最後に私を地獄から救い出し、殺してくれた。……クスクス、私の人生のフィナーレに、これ以上の幸せなんて、どこを探したってありませんよ」

彼の告白を聞いた月もまた、満足そうに、どこまでも優しく微笑み返していた。


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