知恵の試練が熱狂のうちに幕を閉じた翌日。静まり返った闘技場に、再び王族、貴族、そして固唾を呑む国民たちが集まった。第二の試練の発表のためである。
現国王が玉座から立ち上がり、威厳に満ちた声を響かせる。
「第一の試練、ゴライアス・ビショップの見事な逆転劇、天晴れであった。……では、第二の試練を発表する。次は『力の試練』である」
国王の合図とともに、闘技場の中央に巨大な鉄の棒と、様々な大きさの黒々とした鉄製の重りが運び込まれた。
「内容は単純明快。長い棒の両端に重りをつけ、頭上へ上げよ。上げられた重量の重い順に順位を決定する。……ただし、細かいルールを設ける。第一に、持ち上げた後、完全に静止した状態で『5秒間』キープすること。第二に、チャレンジは男らしく『1回のみ』とする。第三に、挑む重量は事前に申告せよ。そして最後に、試練は6人同時に行うものとする」
決戦はまたしても1週間後。 この試練は、単純な腕力はもちろんのこと、己の限界を冷徹に、かつ正確に把握する「自己認識能力」が試される。無理な重量を申告すればキープできずに失敗し、守りに入りすぎれば順位は下がる。
ともあれ――。 誰もが、ゴライアス家のビショップ様が圧倒的に有利であると確信していた。彼は本来、最も苦手とするはずの「知恵」の試練でトップを取ったのだ。現時点で、彼が王位に最も近い男であることは疑いようがない。
(ふふ。前回は恩を売る形になったけれど、ビショップ様ならこの試練は補佐なんて必要ないわね。今回は補佐役として、特等席で高みの見物をさせてもらいましょう)
私は勝利の余韻に浸りながら、ウキウキとした足取りでビショップ様の控室へと向かっていた。彼に「今回は気楽に応援させてもらうわね」と告げるために。
その道中。廊下の陰から、「ンッンッ……!!」と、何かがきしむような、ひどく力んだ声が聞こえてきた。
(あら? 誰かしら?)
そっと覗き込むと、そこにはパピヨン家のマリオ様がいた。彼は控室の隅に置かれた、等身大ほどもある石造りの彫像に抱きつき、顔を真っ赤にして持ち上げようと踏ん張っていた。だが、彫像はピクリとも動かない。
私は陰に身を隠したまま、様子を窺うことにした。
マリオ様は彫像から手を離すと、地面にへたり込み、大きく溜息をついて愚痴をこぼした。
「……重量上げかよ。ちくしょう、5人の中で一番チビの俺が、一番不利じゃねえか……」
マリオ様は6人の候補者の中で最も小柄だ。公称こそ違えど、実際には私よりも少し背が低い。彼は頭を抱え、情けない声を絞り出す。
「……みんなに比べて、明らかに軽い重量で無様にチャレンジするくらいなら……いっそ棄権しようかな……」
(まったく、この男どもは……!)
ビショップ様といいマリオ様といい、ゴライアス家の男もパピヨン家の男も、やる前から「負け」を考えるのが癖なのか。私はイライラしてしまい、つい隠れていた影から飛び出してしまった。
「あらあら。マリオ様ともあろう方が、随分と情けない口ぶりですこと」
「うわっ!? ……よ、よう。なんだ、ミレーユか」
マリオ様は慌てて立ち上がり、衣服の乱れを取り繕う。 「どうしたんだい? ビショップの補佐として、俺の無様な姿を笑いに来たのか?」
精一杯の虚勢。だが、その瞳は不安に揺れている。
「あら。笑いに来たなんて心外ですわ。私は皆様を平等に応援しておりますのよ?」
マリオ様は少しイラついた様子で、へたり込んでいた石の彫像を蹴飛ばした。 「応援されたって、俺のこの体格だぜ? 重量上げは不利すぎる。……現に、この彫像すら持ち上げられないんだ」
「あらあら。……本当?」
私は微笑みながら彫像に近づき、ドレスの裾が汚れぬよう気をつけながら、その重心を見極める。そして――一瞬。クイっと、彫像の片側を地面から浮かせてみせた。
「……っ!?」
マリオ様が驚愕の表情で固まる。 「な……、どうやったんだ!? 今、お前……!!」
「そんなに難しい話ではありませんわ。マリオ様。世の中、どんなに重いものにも必ず『重心』というものがあるのです。力任せに押すのではなく、その重心を崩すように力のかけ方を考えれば……貴方のように小さなお体でも、重いものを持ち上げることができるのですわ」
マリオ様の瞳に、ギラリとした、パピヨン家の男らしい光が宿る。彼は私の手をつかみ、食い入るように見つめてきた。
「……そのやり方。この準備の一週間で、俺に教えてくれ!」
(――ああ、しまった!)
今回はビショップ様の応援で楽をしようと思っていたのに。先ほど「応援している」と言ってしまった手前、この真剣な瞳を断ることは難しい。
「……ええ。喜んで、マリオ様」
こうして私は、この1週間をパピヨン家の屋敷に泊まり込みで過ごすことになった。今週こそは家でゆっくり、ローラたちとお茶でもしたかったのに。
翌日、パピヨン家の広大な庭園。私はマリオ様を連れて、特訓の場所へと向かった。
「ここは特訓にちょうどいいわ。大きな岩がゴロゴロしていて。……マリオ様。とりあえず、貴方の力ではギリギリ持ち上がらなそうな岩の前に行ってくださる?」
マリオ様は言うがままに、自分の身体の半分ほどもある、ひどく重そうな岩の前に立った。
「さあ。まずは重心など考えず、力任せに持ち上げてみて」
私が気楽に指示を出すと、マリオ様は「気楽に言ってくれるぜ」と悪態をつきながらも、岩に両手をかけた。 「うおおおお……っ!!」 顔を真っ赤にして踏ん張るが、岩は少しも動かない。
「では、お手本を見せるわね」
私は岩に近づき、その不規則な形状から重心の位置を一瞬で見抜く。そして両手をかけ、クイっと、岩を一瞬だけ地面から浮かせてみせた。
「いい? 大事なのは、物体の『中心』を見ること。そして、その支点を崩すように、こう……力を加えるの」
再度、岩を持ち上げて見せる。マリオ様は感心したように、食い入るように私の動作を見ていた。
それから、マリオ様の試練の日々が始まった。 彼は一日中、岩と抱き合い、ああでもない、こうでもないと、重心の位置を探り、力のかけ方を試行錯誤し続けた。夜になってもランタンの明かりの下で特訓を続けたが、初日は岩はびくともしなかった。
そして、次の日の朝。 マリオ様が朝一番で岩に挑んだところ、何とか少しだけ、岩を地面から浮かせることに成功した。
「……できた! 浮いたぞ、ミレーユ!!」
「ふふ。朝一番で身体がリラックスしていたからできたのですわ。重心を攻める時、ガチガチに力んではダメ。リラックスを忘れないでくださいね」
そして、一日、また一日と、マリオ様は徐々に大きな岩を「浮かせる」ことができるようになっていった。しかし、申告重量を考えると、ただ浮かせるだけでは足りない。
「なあ、ミレーユ。岩を浮かせることはできるようになってきたけど……どうやって、あんな重いものを『5秒間』も頭上でキープするんだよ?」
「あら。私はマリオ様に『力の効率的な使い方』を聞かれただけで、勝ち方なんて存じ上げませんわ。……ただ、貴方は男の子なのですから。そこから先は、気合で何とかするんじゃないかしら?」
マリオ様は私の答えにしばし呆然とし、やがて考え込んだ。そして、少し照れくさそうに頭をかき、殊勝な面持ちで答えた。
「……すまねえ、ミレーユ。レディに何から何まで頼るなんて、男として情けねえよな。……よし、約束する。もし俺がこの勝負で一位通過したら、改めてみんなの前で……ミレーユをお姫様抱っこして、勝利を祝わせてくれ!」
「ええ。楽しみにしておりますわ」
私は微笑んで、その約束を受け入れた。 その後も特訓は続いたが、結局、最終日まで、マリオ様が岩を頭上へ上げ、5秒間キープし続けられることは一度もなかった。
決戦当日。闘技場には、前回以上の熱気と緊張感が漂っていた。
司会者の指示のもと、6人の候補者が一列に並ばされる。そして、それぞれが今朝申告した重量がセットされたバーベルのポジションへとつく。
その中で、明らかに異彩を放っている男がいた。
(……スグル?)
私はスグルを見て、思わず息を呑んだ。彼は、わずか1週間前に紳士協定同盟会で会った時とは比較にならないほど、その肉体が「巨大化」していたのだ。スーツの上からでも分かる、異常なまでに肥大した筋肉。
私は不安になり、思わず声をかけた。 「……スグル。その、体は……?」
私の言葉に、スグルの横に立っていたヴィヴィアンが、余裕の表情で冷ややかな微笑を浮かべた。彼女の手元には、見慣れない小瓶が握られている。
「ふふん。驚いた? ミレーユ。これは『戦士の秘薬』。筋肉を一時的に、限界を超えて強化する薬よ」
ヴィヴィアンは小瓶を弄びながら、勝ち誇ったように言った。 前回のチェイスの攻略本といい、今回の秘薬といい……ヴィヴィアンは、まるで未来が見えているかのように、先手先手で手配を進めている。私には想像もつかない、驚くべき周到さだ。
私は、深い不安に駆られた。 スグルとの幼い日の思い出。あの優しくて、争いごとを嫌っていた彼。王位のような、人を押しのけて立つ立場は、彼には絶対に合わないはずだ。だからこそ、私はあえて彼に関わりを持たなかったのに。
ヴィヴィアンと組むことで、彼は望まぬトラブルに巻き込まれているのではないか。いや、既にヴィヴィアンの野望の道具として、取り返しのつかない螺旋に巻き込まれているのではないか……。
心配する私を余所に、司会者がそれぞれの申告重量を観客に向けて伝える。
『――発表します! 申告重量は! アムブローズ・フィリックス様、70kg! マルス・ソル様、80kg! ベンディ・ゼノ様、80kg! バイロン・スグル様、110kg! そして……ゴライアス・ビショップ様、驚異の150kg!!』
観客席から地鳴りのような歓声が上がる。ビショップ様の150kgは、得意分野での圧倒的勝利を狙って、己の限界を超えた無茶な数字にチャレンジした結果だ。
(……ビショップ様も、内心穏やかではないでしょうね)
私は、ビショップ様の心情を推し量った。私が前回彼を補佐して勝利を導いた。当然、今回も自分の得意分野も補佐してくれると思っていたはずなのに、私は今、別の候補者、しかも最も不利と思われているマリオ様の補佐をしている。ビショップ様の申告した150kgは、私に良いところを見せたくて、私を振り向かせたくて申告した、無謀な数字に違いない。
だが、今の私にできるのは、ただ彼らを見守ることだけだ。
『――そして最後! パピヨン・マリオ様! 申告重量は、90kg!!』
その数字が発表された瞬間、候補者たちの間に動揺が走った。 沈黙を破ったのは、ビショップ様だった。
「……おい、マリオ。お前のその体格で90kgは、絶対に無理だ。……ミレーユにいい格好をしようと、無茶をしたのか?」
ビショップ様の挑発は、焦りを含んでひどく刺々しい。 だが、マリオ様は、その挑発が聞こえないほど、緊張でガチガチになっていた。その身体は小刻みに震え、瞳はバーベルを凝視したまま動かない。
私は、マリオ様の緊張を解くために、静かに、しかし彼にだけ届く声で囁いた。
「……マリオ様。いつもの、貴方の『気楽さ』を思い出して」
その言葉に、マリオ様はハッとしたように、己の世界から現実へと戻ってきた。彼はバーベルから目を離し、周囲を見渡し、そして――いつものにこやかな、不敵な笑みを浮かべた。
「……へへん。任せとけ、ミレーユ。90kgなんて、片手でやってやるぜ!」
いつもの軽口も飛び出した。そのリラックスした様子を見て、ビショップ様はますます苛立ち、興奮していく。
そして司会の指示のもと、全員が体制を整える。
『――力の試練、開始! ……ハジメ!!』
司会の掛け声とともに、6人が一斉にバーベルに手をかけ、一気に引き上げた。 全員が順調に、バーベルを肩、そして頭上へと持ち上げていく。150kgに挑むビショップ様も、異常な筋肉のスグルも、そして90kgに挑む小柄なマリオ様も、全員がバーベルを頭上で静止させた。
司会がカウントを開始する。
『――1秒!』
全員がキープ。だが、マリオ様の顔は、既に限界に達しているかのように、ひどく苦悶に満ちていた。
『――2秒! 3秒!』
このカウントで、動きがあった。 ベンディ家のゼノ様と、秘薬を使ったバイロン家のスグルが、支えきれずにバーベルを地面へと落としてしまった。
マリオ様も、巨体に押されるようにふらついている。
『――4秒!』
この瞬間。 ゴライアス家のビショップ様も、150kgの重圧に耐えきれず、バーベルを地面へと落としてしまった。彼は落胆の表情で、私の隣のマリオ様を睨みつける。
そして――。
『――5秒!! チャレンジ終了!』
次の瞬間。フィリックス様とソル様は、余裕を持ってバーベルを地面へと落とすが、マリオ様はそのまま力尽き、バーベルごと地面へと倒れ込んだ。
『――成功者、マルス・ソル様、アムブローズ・フィリックス様、そして……パピヨン・マリオ様!!一位、パピヨン・マリオ様』
会場中に、割れんばかりの歓声が巻き起こる。誰もが予想しなかった、小柄なマリオ様の勝利だ。
皆が倒れ込んだマリオ様に駆け寄る。「大丈夫か! マリオ!」
マリオ様は地面に倒れたまま、笑顔で「へへへ……」と声を漏らした。 ビショップ様が複雑な表情で彼を見下ろし、尋ねる。 「……すごいな、マリオ。……お前、どうやってあんな重量を持ち上げたんだ?」
マリオ様は笑顔のまま、短く答えた。 「……気合だよ、ゴライアス公爵」
皆が笑う。「マリオに似合わない言葉だな」「本当に気合で上げちまうなんて」 マリオ様は即答する。 「本当にな。……さて、最後の仕上げだ」
彼は這うようにして立ち上がると、よろめきながら私に近づいてきた。そして、私をお姫様抱っこしようと、震える両手を上げた。
……だが。 その両手はプルプルと震え、力が少しも入らない様子で、私の身体を持ち上げることはできなかった。
「……くそっ。……ミレーユ、悪い。力が……」
マリオ様は情けなさそうに顔を歪める。
私は、彼が差し出した震える両手を優しく払い、逆に彼を、軽々とお姫様抱っこで抱え上げた。
「――おめでとう、マリオ様。貴方の気合、見届けましたわ」
マリオ様は私の胸の中で、顔を真っ赤にして驚き、やがて満面の笑みを浮かべた。 会場中が、私に抱えられたマリオ様に、惜しみない歓声と拍手を送り、彼の勝利を称えたのだった。
その熱狂的な光景の中。 私の視界の端で――スグルを蹴り飛ばし、冷酷な表情で彼を見下ろすヴィヴィアンの姿が、湯煙の向こうに映っていた。

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