「力の試練」の熱狂が冷めやらぬ翌日。闘技場には再び、興奮を隠せない観客と貴族たちが集まっていた。
折り返しを迎えた王位争奪戦、第三の試練の発表である。
現国王が玉座から重々しく立ち上がり、朗々とした声を闘技場に響かせた。
「これまでの二つの試練、実に見事であった。……では、第三の試練を発表する。次は、人の心を動かす高潔さを問う『気品の試練』である!」
国王の言葉に、会場がざわめく。
「内容は至ってシンプル。一週間後、この闘技場の特設舞台にて、各々が『踊り』を披露せよ。曲目、演目、演出はすべて各自の自由とする。そして勝敗は――会場に集いし観客全員による『投票』によって決する!」
(踊り……! しかも民衆も含めた一般投票ですって?)
私は顎に手を当てて考えを巡らせた。 皆の本格的な踊りは見たことがないけれど、パピヨン家のマリオ様なら、あの天性のリズム感と小柄でしなやかな肉体がある。どう考えても彼が圧倒的に有利だろう。
(ふふ、前回の試練で貸しも作ったことだし、今度こそ! マリオ様の補佐として最前列の特等席で、気楽に素晴らしいダンスを鑑賞させてもらおうかしら)
「今度こそ絶対に楽をする」と心に決めた私は、ウキウキとした足取りで、スキップ交じりにマリオ様の控室へと向かっていた。
――その時だった。
「ハッ! ……フッ! ……ハッ!!」
ベンディ家のゼノ様の控室の前を通りかかった瞬間、異様な掛け声が耳に飛び込んできた。
(……いけない。もうこのパターンには絶対に乗らないわ。絶対に声をかけない。何があってもスルーよ、ミレーユ!)
固く心に誓い、通り過ぎようとした。 ……けれど、何も見ずに素通りするのは、淑女の好奇心がすたるというもの。
私はそっと扉の隙間から中を覗き込んだ。
「ハッ! ……フッ! ……セイヤッ!」
そこには、奇妙奇天烈な動きを繰り返すゼノ様がいた。 右手と左足が同時に前に出たかと思えば、首が不自然にカクカクと折れ曲がり、腰が波打つように痙攣している。リズム感の欠如という概念をそのまま具現化したような、世にも恐ろしい「謎の儀式」が繰り広げられていた。
(あ、危ない危ない……! ゼノ様がどれほど壊滅的な踊り手だろうと、私には何の関係もないわ……!)
胸を撫で下ろし、今度こそ立ち去ろうと踵を返した、その瞬間。
「……完璧だ。次の気品の試練、我がベンディ家のトップは揺るぎないな」
――ズコーーーッ!!
私は思わず廊下で盛大にずっこけてしまった。 物音に気づいたゼノ様が、バッと扉を開ける。
「やあ、ミレーユじゃないか! なんだい、僕を応援しに来てくれたのかい? 嬉しいけれど、今回の僕に応援は不要だよ。このままいけば、僕の一位は確定しているからね」
(余計なことは言うな……絶対に口を挟むな、私……!) 奥歯を噛み締め、必死に耐える私に、ゼノ様は自信満々の笑顔で畳みかけてくる。
「踊りというのは天性のセンスだからね。勝負はほぼ見えているのさ。あとは観客が喜ぶような派手な衣装を調達するだけだ。今回のような一般投票では、必ずしも『正統な技術』が評価されるとは限らないからね!」
――プツン。 私の頭の中で、何かの糸が音を立てて千切れた。
「……そこまで仰るのなら、我が家のパーティールームにお越しになって、その『自慢の踊り』を使用人たちにお見せになって感想を聞いてみたらよろしいのではなくて!?」
「おっ、名案だね! では今回も頼むよ、我が愛しの参謀殿!」
(あああああ!! やってしまったわ……!!)
天を仰ぐ私。しかし、売り言葉に買い言葉、引き受けてしまった以上は完璧に仕上げるのがゴールドバーグ家の流儀だった。
翌日。ゴールドバーグ家の広大なパーティールーム。 部屋には私をはじめ、我が家専属の一流音楽家たちや使用人たちがずらりと整列していた。
そこへ案内されてきたゼノ様は、こちらの都合などお構いなしに胸を張る。 「で、俺は何をすればいいんだ? 彼らの前で踊ればいいのか?」
「まだ全員揃っておりません。しばしお待ちを」 「全員? 誰が来るんだ?」
落ち着きのないゼノ様を冷ややかに見ていると、扉が開き、ローラ様、テレーズ様、ブロンテ様の三人が従者を連れて華やかに現れた。
ローラ様が裾をつまみ、恭しく頭を下げる。 「これこれは……次期女王陛下様。この度はお招きにあずかり光栄に存じますわ」
「ちょっと、ローラ様。何の冗談ですの?」
「冗談だなんて! 紳士協定同盟会で有力候補たちと次々に契りを結び、争奪戦では各屋敷に泊まり込んで勝利へ導く献身ぶり……今や社交界では『次期王妃の本命はミレーユ様』ともっぱらの噂ですわよ。私たちのような小貴族がお気安くお声がけできるお立場ではございませんわ」
私がジト目で睨みつけると、三人は顔を見合わせ――次の瞬間、肩を震わせて大爆笑した。
「あははははっ!」「ごめんなさい、一度言ってみたかったのよ!」
テレーズ様が目元をぬぐいながら笑う。 「立場が変わっても、私たちの友情は本物よ。ミレーユ様が困っているなら、いつだって力を貸すわ!」
ブロンテ様がいやらしい笑みを浮かべて身を乗り出す。 「そうよ! たとえそれが、美男子たちを片っ端から籠絡する悪女の企みだったとしてもね! ……あ、ところで後で5人の身体の感想、詳しく教えてくださる?」
「ブロンテ様、口元からよだれが出ておりますわよ!」 部屋中が笑いに包まれる。
そんな空気を一切読まず、ゼノ様が手を叩いた。 「これで全員揃ったのか? で、何を始めればいい?」
私は溜息をつき、姿勢を正した。 「では……本番で披露されるご予定の踊りを、皆様にお見せいただけますでしょうか」
「任せろ!」
ゼノ様は自信満々にフロアの中央へ進み出た。 音楽の指定もなしに、無音の中で唐突に踊り始める。
「ハッ! ……フッ! ……ハッ!!」
手足は完全に左右不揃い、腰の動きは壊滅的。時折漏れる必死な鼻息が、その滑稽さを限界まで引き立てている。 音楽家も、使用人も、令嬢たちも、全員が「何を見せられているんだ」という表情で完全に硬直していた。
数分後、キメポーズを取ってピタリと止まったゼノ様が、ドヤ顔で振り返る。 「どうだ?」
私は間髪入れずに言い放った。
「最悪ですわ」
「なっ……!? な、何がダメだったというんだ!?」
「何が、と聞かれる方が困りますわ! リズム、身体の可動域、センス、すべてにおいて救いようがございません! ……どなたか、他に意見のある方はいらっしゃいますか?」
ゼノ様がおずおずと周囲を見渡すが、ローラたちも音楽家たちも、気まずそうに目を逸らして天井を見つめるばかり。
「そ、そんな馬鹿な……」
膝をつくゼノ様に、私は容赦なく現実を突きつけた。
「ゼノ様。貴方の実力では、小手先の修正など不可能です。ゼロから作り直しますわよ! ここに各家から集めた一流の音楽家がおります。様々なジャンルを試し、貴方に最も相性の良いものを見つけ出します!」
そこから、地獄のダンスレッスンが始まった。 宮廷舞踊、伝統民族舞踊、最新のストリートダンス、情熱的な異国のステップ……ありとあらゆるリズムを試したが、ゼノ様の壊滅的なリズム音痴はすべての音楽をことごとく粉砕した。
誰もが頭を抱え、絶望に暮れる。 しかし――さすがはシマウマの家紋を戴くベンディ家の長男。朝からノンストップで踊り狂っているというのに、彼の体力は無尽蔵で、息一つ乱れていなかった。
「……はぁ。貴方、今まで夜会でどうやって社交ダンスを踊っていらしたの?」
私が半ば呆れて零すと、ゼノ様は涼しい顔で答えた。
「そんなもの簡単だろ」 「嘘をおっしゃい!」 「じゃあ、試してみるかい?」
半信半疑のまま、私は楽団に適当なワルツを演奏させ、ゼノ様の手を取った。
――その瞬間。
(……えっ!?)
信じられないことが起きた。 ゼノ様のエスコートは完璧だったのだ。私の身体の重心移動、ドレスの揺らめき、足の運びをミリ単位で察知し、極めて優雅かつ完璧なリードで私を躍らせていく。先ほどまで手足をバタつかせていた道化と同一人物とは到底思えない。
「な、なぜ……!?」
目を丸くする私に、ゼノ様はあっけらかんと言い放った。
「簡単だよ。社交ダンスは『自分が踊るもの』じゃない。『女性を最高に美しく見せるためのエスコート』だろ? レディの動きを先読みして身体を合わせるだけなんだから、誰だってできる。……自分の感情を表現できない、退屈な踊りだけどね」
私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
(この男……自分が主役になると壊滅的だけれど、『相手に合わせる受動の動き』に関しては天才的な反射神経を持っているんだわ!)
「ゼノ様……勝ち筋が見えましたわ」
私は不敵に微笑んだ。
「貴方は一人で踊る必要などありません。――私と、二人で踊りましょう」
こうして、私とゼノ様の「一対一の特訓」が幕を開けたのだった。
一週間後。闘技場には特設の巨大なダンスフロアが設営され、数万の観衆で埋め尽くされていた。
司会者がルールを説明する。 事前に引かれたくじ引きの順番通りに演目を披露し、全組の終了後、出口に設置された投票箱へ観客が一票を投じる仕組みだ。
出走順は以下の通り。
- アムブローズ・フィリックス様
- マルス・ソル様
- ゴライアス・ビショップ様
- バイロン・スグル様
- パピヨン・マリオ様
- ベンディ・ゼノ様
出番を待つ間、選手と補佐はステージ脇の控室から他者の演目をじっくりと観賞することができた。
トップバッターのフィリックス様は、白金の衣装を纏い、伝統的で非の打ち所がない王道宮廷舞踊を披露。まさに次期国王の気品を完璧に体現し、大きな拍手を浴びた。
続くソル様とビショップ様は、それぞれの家に伝わる「武闘演舞」を披露。剣や大斧を振るいながらダイナミックに舞い踊る迫力のステージに、観客のボルテージが一気に跳ね上がる。
そして、4番手――スグルが舞台に上がった瞬間、会場から「おおっ」とどよめきが起きた。
その衣装は、目を焼くほどに絢爛豪華。 舞台袖で、ヴィヴィアンが得意げに鼻を鳴らした。
「ふふん、驚いた? あれは伝説の仕立て屋ドン・ドーノが遺した幻のダンス衣装よ! あの衣装には、かつて国中を魅了した伝説の踊り子の魂が宿っているの! スグルが負けるはずがないわ!」
音楽が鳴り響くと、スグルはまるで何かに操られているかのように、恐ろしいほどのキレで激しく舞い始めた。 ……しかし、その動きにはどこか狂気が宿り、まとっている空気がひどく禍々しい。観客たちも最初は圧倒されていたが、次第に得体の知れない気味悪さに当てられ、会場の温度がスッと下がっていくのが分かった。
そんな重苦しい空気を一撃で吹き飛ばしたのが、5番手のマリオ様だった。
重厚なクラシックから一転、陽気でアップテンポな異国のリズムが炸裂する。 マリオ様は鍛え抜かれた肉体と天性のリズム感を爆発させ、アクロバティックかつ妖艶なステップで観客を熱狂の渦へと巻き込んだ。
「ヒューッ!」「マリオ様最高ーー!!」
地鳴りのような歓声。会場中が完全にマリオ様の虜となっていた。
(……さすがね、マリオ様。完璧なステージだわ)
並大抵の踊りでは、この熱狂を上書きすることなど不可能。 だが――私は隣に立つゼノ様を見上げ、力強く微笑んだ。
「参りましょう、ゼノ様。私たちのすべてを魅せてやりますわよ」 「ああ、行こう。ミレーユ」
二人がステージの中央へ進み出ると、会場がざわめいた。 「デュオ……!?」「ミレーユ様が一緒に踊るのか!?」
鳴り響いたのは、マリオ様の軽快さとは全く異なる、重厚で哀愁を帯びた情熱的なラテンのリズム。
私たちは踊り始めた。 私の指先、視線、足の軌道――そのすべてに、ゼノ様が寸分の狂いもなく吸い付くように連動する。 私が情熱的に身を引けば、ゼノ様が強引に私の腰を引き寄せる。私が背を反らせば、逞しい腕が私を支え、ゼロ距離で見つめ合う。
それはまるで――白昼堂々、大観衆の目の前で激しく愛を交わし合っているかのような錯覚を抱かせる、究極の情愛の舞踏。
「……っ……!」
観客席から言葉が消えた。数万の人間が息を呑み、私たちの指先ひとつ、視線の交錯ひとつに魂を奪われていた。
最後のバイオリンの音が情熱的にかき鳴らされ、ゼノ様が私を抱きしめるポーズで静止した瞬間。
闘技場が崩壊するかと思うほどの大歓声とスタンディングオベーションが巻き起こった。
約束のダンスと、勝者の証明
演目を終え、舞台裏へと戻ると、ローラ、テレーズ、ブロンテの三人が駆け寄ってきた。
「きゃーっ! ミレーユ様、素晴らしかったですわ!」 「公開愛の契り……! 私たち凡人にはとても真似できませんわ!」 「もう最高! 私の妄想が限界突破して爆発しそうですわぁぁ!」
興奮冷めやらぬ友人たちを見送り、私も帰ろうと背伸びをした時、背後から声をかけられた。
「ミレーユ」
振り返ると、珍しく緊張した面持ちのゼノ様が立っていた。
「今日は本当にありがとう。……お礼を言っても言い尽くせないよ」 「ふふ、疲れましたから、お礼はまた後日にしてくださいませ」 「いや……そうじゃなくてさ」
いつも軽薄でズバズバと物を言うゼノ様が、珍しく口ごもっている。
「……一体何ですの?」
ゼノ様は真剣な瞳で私をまっすぐに見つめた。
「今日の踊り……最高に楽しかった。だから、もし……もし俺が明日一位を取れたら、もう一度だけ、俺と踊ってくれないか?」
「あら。自己表現のない踊りは退屈なのではなくて?」
「違うんだ」
ゼノ様は優しく笑った。
「君と踊る時間は……俺にとって最高の『自己表現』だったよ」
胸がトクンと跳ねる。私は淑女の笑みを浮かべて頷いた。
「……ええ。喜んで」
翌日。運命の開票結果の発表。 司会者が壇上に上がり、大歓声の中で羊皮紙を広げた。
『――皆様! 気品の試練、最終結果を発表いたします!』
『第6位――バイロン・スグル様!』
「な……っ!? なんでよぉぉぉ!!」 客席でヴィヴィアンが頭を抱えて絶叫する。伝説の衣装の呪いのような禍々しさは、一般観客には恐怖と不快感しか与えなかったのだ。
『第5位、アムブローズ・フィリックス様!』 『第4位、ゴライアス・ビショップ様!』 『第3位、マルス・ソル様!』
3人が悔しそうに肩を落とす中、残るは二人。
『そして……栄光のトップ2!』 『第2位――パピヨン・マリオ様!』
『そして……第1位は――!!』
『ベンディ・ゼノ様&ゴールドバーグ・ミレーユ様ペア!!!!』
と地響きのような大歓声が闘技場を揺らした。
マリオ様が悔しそうに頭を掻きながら、ゼノ様の肩を叩く。 「クソッ……! あの堅物のゼノに負けるとはな! ……いや、お前というより、ミレーユには敵わないぜ」
「いいえ、マリオ様」 私は前に出て、ゼノ様の手を高く掲げた。 「この勝利は、ゼノ様の実力ですわ!」
すると――ゼノ様は掲げられた手をキュッと握り返し、私をグッと引き寄せた。
「……約束だ、ミレーユ」
「えっ……?」
ゼノ様はそのまま、私をリードしてフロアの中央でステップを踏み始めた。 昨日ほどの完璧な計算はない。少しぎこちなく、泥臭いステップ。けれど――彼の心からの喜びと情熱が、手を通して痛いほど伝わってくる。
控えていた宮廷楽団が空気を読み、アドリブで軽快でロマンチックな音楽を奏で始めた。
観客たちから温かい拍手と手拍子が湧き起こる。 他の候補者たちも、令嬢たちも、やがて一人、また一人とフロアへ飛び出し、手を取り合って踊り始めた。
闘技場は一瞬にして、身分も勝敗も超えた巨大なダンスホールへと変貌を遂げた。
青空の下、ゼノ様に抱かれながら踊る私。 その胸の中で、私はこれまでにない心地よい高揚感に包まれていたのだった。

コメントを残す