乙女ゲームに転生できたのに思い通りにいかない 第八話

気品の試練の祝勝会を兼ねた闘技場のダンスパーティーが最高潮の熱気に包まれる中、玉座の現国王がおごそかに立ち上がり、会場中に響き渡る声を発した。

「これまでの三つの試練、皆、見事な成果であった! ……では、続いて第四の試練を発表する。次は、過酷な極限状態に耐えうる肉体と精神を測る『耐久力の試練』である!」

国王の号令に、華やかな音楽がピタリと止まり、場内に緊張が走る。

「ルールを説明する。一週間後、この王都の城門から一斉にスタートし、凶悪な魔獣が巣食う『魔の森(迷いの森)』を越え、最奥に聳える『長老の木』を目指せ。そこで戦士の証を受け取り、再びこの闘技場へと戻ってくる順位を競う長距離走破レースとする! なお、各選手は馬などの乗り物の使用を一切禁ずる。また、補佐と常に離れずに行動すること。ただし――補佐に限り、馬への騎乗を許可する。なお、公平性を期すため、これより本番まで何人も魔の森への立ち入りを禁ず!」

(……耐久力の試練ですって?)

私は扇子で口元を隠し、内心で素早く計算を弾いた。 ここから魔の森を越え、長老の木を往復するとなれば、どれほど急いでも片道二日はかかる。往復で最低でも三泊四日、下手をすればそれ以上の過酷なサバイバルレースだ。

(流石の私も、今回の試練にだけはお付き合いできませんわね)

いくら泥臭い努力を知っているとはいえ、私は深窓の令嬢。年頃の娘が殿方と二人きりで森の中に何日も野宿するなど、社交界の常識から著しく外れる。 誘われる筋合いもないだろうが、これ以上の面倒事は御免だ。私は選手たちの待合室を大きく迂回し、誰にも見つからないよう裏口から屋敷へ帰ろうと足を速めた。

――だが。

出口へ向かう私の背中に、異様なまでの「視線」が突き刺さる。 思わず足を止め、おそるおそる振り返ると――。

そこには、軍神の家紋を背負う筋骨隆々のソル様が、まるで雨の日に段ボール箱に捨てられた子犬のような、ウルウルとした瞳で私を見つめて立ち尽くしていた。

(……目が合ってしまったわ)

完全に手遅れだった。私は淑女の笑みを貼り付け、声をかける。 「ごきげんよう、ソル様。いかがされましたの?」

ソル様はすがるように駆け寄ってきた。 「いやさ……ミレーユ。お前、これまで他の奴らの補佐についたじゃないか。……俺にも、ついてくれないかなーって」

「あら、今回の試練は今までと勝手が違いますわ。何日も世間知らずな貴族の娘を連れ回すのは、どう考えても足手まといでしょう。今回は軍部に所属するような、屈強な男性の補佐をお連れになるべきですわ」

正論で突っぱねる私に、ソル様は必死に食い下がる。

「そんなこと分かってる! だがな、お前はあの脳筋のビショップを知能戦で勝たせ、小柄なマリオを力勝負でトップにし、生真面目でリズム感ゼロのゼノを踊りで優勝させたんだぞ!? もう理屈じゃないんだよ……お前は、俺たちにとって『勝利の女神』なんだよ!」

「勝利の女神だなんて滅相もないわ。そもそも今回の試練は純粋な肉体勝負。ソル様やビショップ様、マリオ様が圧倒的に有利ではありませんか」

「そんなことない! 今回問われるのは『持久力』だ。単純なスタミナ勝負なら、あの無尽蔵の体力バカのゼノが一番有利に決まってる!」

確かに、ゼノ様は前回のダンス特訓で一日中踊り狂っても息一つ乱していなかった。持久戦となれば彼の独壇場だろう。

「だとしても、私は一人で着替えすら満足にできない、か弱い貴族の娘ですわよ?」

「嘘つけ! こないだ温泉で、俺たちの前でめちゃくちゃ素早く完璧に一人で服脱いで入ってきただろうが!」

(しまっ……! 覚えられていたわ……!)

墓穴を掘った私に、ソル様は再び捨てられた子犬のような顔を作り、ポロポロと涙を浮かべんばかりに肩を落とした。

「そっか……。俺とは組んでくれないんだな。ミレーユは、俺のことが嫌いなんだ……」

「そ、そんなことございませんわ! 私は皆様を心から応援しておりますのよ!?」

「本当!? よかったぁ! じゃあ、俺の補佐を引き受けてくれるんだね!」

パッと花が咲いたような満面の笑みに戻るソル様。 ……私は一体、彼らにとって都合のいい女なのだろうか、それとも本当に勝利の女神なのだろうか。自分でも答えは出なかったが、外堀を完璧に埋められた私に拒否権など残されていなかった。

「……ええ。はい、喜んで」

引きつりそうな笑顔で、私は四度目の承諾を口にしたのだった。

翌日、私はマルス家の重厚な屋敷を訪れた。 客室で待っていると、トレーニングウェア姿のソル様がやってくる。

「やあ、ミレーユ! 今回は俺の補佐を引き受けてくれて本当に嬉しいよ」

昨日の子犬のような泣きつきっぷりが嘘のような爽やかさだ。私は内心の呆れを隠し、本題に入った。

「ではソル様。私は何をすればよろしいのかしら? 貴方は運動能力が低いわけでもありませんし、私がお力添えできることなどないように思えますけれど」

「なあミレーユ。お前、俺と初めて社交界で会った時のこと、覚えてるか?」 「ええ。すれ違いざまに私の尻を撫で回しましたわね」 「ごめん! そうじゃなくて、俺の体型のこと!」

言われてみれば――幼少期のソル様は、今のような彫刻のような筋肉美ではなく、むしろ脂肪の塊のようなぽっちゃり体型だった。

「ええ、もっとふくよかでいらっしゃいましたわね」

「そうなんだ。幼少期は許されていたが、成長するにつれてマルス家の跡取りとしてそんなたるんだ身体は許されなくなった。だから必死に身体を絞り込んでこの筋肉を作り上げたんだが……その急激な肉体改造のせいで、俺には根本的な『スタミナ』がないんだ。今回のような長時間の持久戦に耐えられる身体じゃないんだよ」

いきなり突きつけられた致命的な欠陥。 私は顎に手を当てて思考を巡らせた。

「とにかく、無計画に突っ込んでも自滅するだけですわ。まずは魔の森の調査と、ソル様の限界値の把握から始めましょう」

魔の森は王都の近郊に広がる原生林で、凶暴な魔獣が生息しているため普段は立ち入りが制限されている。しかし、騎士団の昇格試験などで頻繁に利用されているため、地形図や生態系の記録は王立図書館にいくらでも存在した。

問題は、ソル様のスペックだ。 マルス家の広大な訓練場を使い、あらゆる耐久テストを実施した結果――ソル様の自己申告が決して謙遜ではないことが判明した。

瞬発力や破壊力は桁外れだが、心肺機能と筋持久力が著しく低い。一日かけて走らせてみたところ、なんと「30km」走ったところで完全に足が止まってしまったのだ。これでは早歩きで進むのと大差がない。

しかし、丸一日ソル様を観察し続けたことで、私はある決定的な「特異体質」に気がついた。

(……この方、疲労するのが異常に早けれど、回復する速度も異常に早いわ!)

限界までバテて倒れ込んでも、適切な水分と栄養を摂って数十分横になるだけで、翌朝には何事もなかったかのようにケロッとした顔で全快しているのだ。

(これなら、ペース配分と小まめな休息を計算し尽くせば、距離を稼ぐことは可能……。けれど、ソル様の最大の強みを活かすなら、別の作戦があるわね)

私はソル様に、最も合理的と思われる戦略を提案した。

「ソル様。貴方の高い瞬発力を最大限に活かすなら、道なき道を進む『最短の危険ルート』を、魔獣を薙ぎ払いながら一気に突破するのが最善ですわ。……ただし、その場合は補佐役にも同等の戦闘力と走破力が求められます。馬に乗っているとはいえ、私のような非力な令嬢では間違いなく足手まといになります。今からでも、騎士団の屈強な男性に補佐を変えてください」

冷徹な提案に、ソル様は眉を釣り上げて即座に首を横に振った。

「言っただろ、理屈じゃないんだ! ミレーユは俺の勝利の女神なんだよ! 補佐を交代することなんて絶対にあり得ない。俺はミレーユと一緒に進めるルートで全力を尽くす!」

「……それで勝てないとしても?」 「ああ、答えは変わらない!」

その頑ななまでの信頼に、私は小さく息を吐いた。

「……分かりましたわ。では、私と貴方だからこそ勝てる『別の方法』を構築いたします」

そこからの数日間、私は部屋に籠もり、魔の森の気候、高低差、水源の位置、魔獣の活動時間、そしてソル様の代謝効率を完璧に割り出した「分刻みの走破スケジュール表」を完成させたのだった。

一週間後。大会当日。 王都の西門前には、スタートを控えた候補者たちと、その補佐たちが集結していた。

見渡すと、他の貴族たちの補佐は皆、屈強な軍人や騎士の男性ばかり。彼らは身軽な装備で馬に跨り、選手たちに鋭い視線を送っている。

そんな中、異彩を放っていたのがスグルと――その補佐を務めるヴィヴィアンだった。

ヴィヴィアンは馬に乗る私の姿を見つけると、勝ち誇ったようにツカツカと歩み寄ってきて、フンと鼻を鳴らした。

「ふふん! これまでは運良く悪知恵で勝ってきたかもしれないけれど、今回の試練は補佐の本当の実力が問われるのよ! 私の頭の中にはね、ゲーム……じゃなくて、魔の森の完全なマップが叩き込まれているんだから!」

ヴィヴィアンは腰に手を当て、私の馬の背に積まれた荷物を指差してあざ笑った。

「それに何よ、そのみっともない大荷物は! このレースは往復でせいぜい三、四日よ? 周りの補佐を見てみなさいよ、みんな必要最低限の軽装じゃない! 物見遊山のピクニックにでも行くつもりかしら!?」

言われて周囲を見渡せば、確かに他のチームの荷物は、私の馬に積まれた荷物の半分以下だった。私の馬には、特注の革袋や水筒、謎の器具がうずたかく積まれている。

私は動じることなく、冷ややかに微笑み返した。

「ええ、分かっていて積んでおりますのよ。ヴィヴィアン様。――この荷物こそが、我がマルス家を勝利へ導く『最大の鍵』ですわ」

「はっ! 負け惜しみを! 答えはゴールで思い知らせてあげるわ!」

ヴィヴィアンが吐き捨てて元の位置へ戻っていく。 私は隣に立つソル様を見下ろした。ソル様は緊張した面持ちで、自身の胸元を強く叩いて気合いを入れている。

「ソル様。私の指示に、寸分の狂いもなく従ってくださいね」 「ああ、任せろミレーユ! お前を信じて走り抜いて見せる!」

ファンファーレが高らかに鳴り響き、審判員が白旗を高く掲げた。

『――王位争奪戦、第四の試練【耐久力の試練】! 各員、位置につけ……!!』

数万の大観衆が見守る中、門の鉄柵が重々しい音を立てて跳ね上がる。

『――スタート!!!!』

号砲とともに、大地を揺るがす足音を立てて、6人の男たちと馬に跨る補佐たちが、鬱蒼と茂る魔の森へと一斉に飛び込んでいった。


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