乙女ゲームに転生できたのに思い通りにいかない 第十一話

最終試練「武力の試練」の当日。 私は少しばかりの緊張と、あの臆病な貴公子をどう励まそうかと考えながら、闘技場にあるフィリックス様の控室の扉を開けた。

しかし、そこに立っていたのは、私の予想を良い意味で裏切る男の姿だった。 背筋をピンと伸ばし、白銀のサーコートを風になびかせ、凛とした佇まいで剣帯を締めるフィリックス様。その横顔には一切の動揺がなく、まさに次期国王たる「覇者」の風格が漂っていた。

「……よし。行こうか、ミレーユ」

自信に満ち溢れた低い声。 私は内心でほっと胸を撫で下ろした。

(あら、頼もしいこと。これなら今回は本当に何もしなくて済みそうね)

私は安心して、堂々と前を行く彼の背中を追いかけた。

中央闘技場の選手控席に入ると、他の選手たちとその補佐は既にそれぞれの席に着いていた。 その中で、ひと際異様な空気を放ち、周囲から完全に浮いている一組がいた。

――スグルと、ヴィヴィアンだ。

かつての純朴な面影はどこへやら、スグルの全身からは息が詰まるような異様な威圧感と緊張感が立ち込めている。そしてその傍らに立つヴィヴィアンに至っては、以前のような浅ましい嫉妬を通り越し、見ているだけで背筋が凍るような禍々しく邪悪な怨念すら漂わせていた。

私の視線に気づいたヴィヴィアンが、血走った目でこちらを睨みつけ、ギチギチと歯を鳴らして凄んできた。

「……あんただけは。あんただけは絶対に許さないわよ、ミレーユ……!」

何を今さら、と私は冷ややかに受け流す。 スグルは前回の「耐久力の試練」において、ヴィヴィアンが魔の森の地図を読み違えて散々彷徨った挙句、圧倒的な最下位でゴールしたのだ。総合得点の計算上、彼がこの武力の試練で優勝したところで、王位に就く可能性は完全に潰滅している。 自分の無能さを棚に上げた、あまりに見苦しい逆恨みだった。

やがて厳かなファンファーレが鳴り響き、現国王が立ち上がって開会の辞を述べる。 長かった王位争奪戦も、いよいよこの最終試練で幕を閉じるのだ。しかも私自身は、ただ最前列でゆったりと観戦していればいい。

国王の挨拶が終わるや否や、司会者の甲高い声が闘技場に響き渡った。

『――お待たせいたしました! これより王位争奪戦・最終試練【武力の試練】トーナメントを開始いたします! 第1試合、Bブロック! アムブローズ・フィリックス様 対 ゴライアス・ビショップ様!!』

いきなりの大一番。 フィリックス様は涼しい顔で立ち上がり、対するビショップ様は全身の筋肉をパンプアップさせ、「うおおおっ!」と凄まじい雄叫びを上げて気合を漲らせている。

(さて、どんな熱戦になるかしら)

優雅に腕を組んで見守る私。 二人が石造りの特設舞台へと上がる。 フィリックス様が腰から抜いたのは、細身で優美な刺突剣(エペ)。対するビショップ様が背中から引き抜いたのは、彼自身の巨体と見紛うばかりの超重量級の大剣(グレートソード)だ。

司会者が右手を振り下ろす。

『――ハジメッ!!』

その刹那。 ビショップ様が大剣を振りかぶり、大地を踏み抜こうとした――まさにその一瞬だった。

鼓膜を突き破るような鋭利な金属音が炸裂した。 フィリックス様が前へ踏み込んだ瞬間、エペの切っ先が大剣の鍔元をミリ単位の精密さで弾き上げていたのだ。

遠心力とテコの原理を完璧に利用されたビショップ様の大剣は、まるで木の葉のように宙を舞い、闘技場の壁へと突き刺さった。無防備になったビショップ様の喉元には、ピタリとエペの切っ先が突きつけられている。

『――そ、それまでッ!! 勝者、アムブローズ・フィリックス!!』

わずか一撃。瞬きする間もない神速の決着だった。

控席へと戻ってきたフィリックス様に、私は惜しみない拍手を送る。 「まあ、フィリックス様! 素晴らしい早業ですわ。私の補佐など最初から不要でしたわね」

すると、完璧なポーカーフェイスを崩さなかったフィリックス様が、私の耳元に顔を寄せ、蚊の鳴くような小声で囁いてきた。

「……こ、怖かったぁぁぁ……! 手が震えて止まらないよミレーユ……あんな鉄の塊で殴られたら死んじゃうよ……」

(……はぁ。まったくこの男は)

情けない本音に呆れつつも、勝ちは勝ちだ。応援しているだけで勝ってくれるならこれほど楽なことはない。舞台上で呆然と立ち尽くすビショップ様が、捨てられた大型犬のような目で私に助けを求めてきたが、私は綺麗さっぱり見ないふりをして差し上げた。

そんな私たちの和やかな空気を、耳障りな甲高い声が切り裂く。

「へっ! 雑魚を小細工で倒したくらいで図に乗るんじゃないわよ! 私のスグルと当たるまで、せいぜい調子に乗ってなさい!」

ヴィヴィアンが般若のような醜悪な笑顔を浮かべて突っかかってきた。 私は完全に無視を決め込んだが、隣のフィリックス様と、戻ってきたビショップ様は「雑魚」という言葉に思いっきりダメージを受け、揃って絵に描いたようにガックリと肩を落としていた。

(……本当に、男ってやつは……)

『――続いて、Aブロック第1試合! パピヨン・マリオ様 対 バイロン・スグル様! 舞台へお上がりください!』

仕切り直しの号令で、二人が舞台に上がる。 マリオ様は両手に一本ずつ湾曲した短剣(ククリ)を握り、軽やかにステップを踏んでいる。

対するスグルが鞘から抜いた獲物を見た瞬間、私は息を呑んだ。

刃渡り1.2メートルほど。光を吸い込むような不気味な黒い刀身に、柄頭には妖しく輝く三つの宝玉が埋め込まれた諸刃の長剣。その刀身からは、陽炎のように黒い靄が立ち上っている。

『――ハジメッ!!』

号砲と同時に、マリオ様が天性の敏捷性を爆発させた。 低く地を滑るような高速のステップ。

「――『スカーレットファントム』ッッ!!」

マリオ様が叫ぶと同時に、彼の肉体から真っ赤な炎が噴き上がった。 炎は瞬時に分裂し、舞台上には全く同じ動きをする5人のマリオ様が立ち並ぶ。残像と熱風を巻き上げながら、四方八方からスグルへと殺到した。

「どれが本物か、お前に見分けられるかい!?」

全方位からの同時必殺の斬撃。 しかし――包囲されたスグルは、唇を歪めてニヤリと不気味に笑った。

次の瞬間、スグルは剣を真横に薙ぎ払い、独楽のように身体を鋭く一回転させた。

スグルの回転に合わせ、漆黒の衝撃波が円状に爆散した。 炎の分身などものともせず、暴風のような闇の刃が舞台全体を薙ぎ払う。

バシュッ、と炎が掻き消え、宙を舞ったマリオ様が地面へと叩きつけられ、うつ伏せに倒れて動かなくなった。

『――し、勝負ありィッ!! 勝者、バイロン・スグル!!』

静まり返る闘技場。 勝利したスグルは、先ほどよりもさらに濃密な、底知れぬ邪悪なオーラを全身に纏いながら舞台を降りてきた。

「スグルぅ♡ 最高だったわぁ!」

ヴィヴィアンが狂喜乱舞してスグルに抱きつく。 そして二人は、わざわざ私の席の前まで見せつけるように歩み寄ってきた。

「ふん! 自分がこの世界の主人公だとでも思っていたのかい? ――この物語の本当の主人公は、私なんだよ!!」

勝ち誇るヴィヴィアン。 だが――今の私には、彼女の安っぽい挑発など毛頭入ってこなかった。

私の視線は、スグルの手にあるあの黒い長剣に釘付けになっていた。

(……間違いないわ。あの禍々しい刀身、柄の三連宝玉……『キングイーター(王喰らいの魔剣)』……!)

幼い頃、母から貴族の歴史と帝王学を叩き込まれた際、厳重に口止めされて教えられた禁忌の存在。 かつてこの国を滅亡の危機に瀕させ、王家の地下深くに永久封印されたはずの伝説の呪われし魔剣。

あの剣にまつわる恐ろしい伝説がもし本当なら――この大会は、ただの王位争奪戦では済まなくなる。

高笑いを響かせながら去っていく二人を見送りながら、私の背中を冷たい汗が伝い落ちていた。

司会者が今後の進行をアナウンスする。

『――本日の勝者決定に伴い、1日間の休養を挟んだ後、シード選手を交えた準決勝および決勝戦を執り行います! Aブロック準決勝:バイロン・スグル様 対 ベンディ・ゼノ様! Bブロック準決勝:アムブローズ・フィリックス様 対 マルス・ソル様! 皆様、明後日の決戦をお楽しみに!!』

観客たちが熱狂の余韻を残して退場していく中、私は隣のフィリックス様に向き直り、かつてないほど真剣な眼差しを向けた。

「フィリックス様。私、どうしても確かめなければならないことができました。明後日の準決勝には立ち会えませんが……必ず、何があっても決勝まで勝ち残ってくださいませ」

フィリックス様は私の異様な気迫に目を見張り、やがて力強く頷いて胸に手を当てた。

「……分かった。ミレーユがそう言うのなら、私は君を信じる。必ずソルに勝ち、決勝の舞台で君を待とう」

「ええ、信じておりますわ」

フィリックス様と別れるや否や、私はドレスの裾をたくし上げ、我が家の馬車へと飛び乗った。

「屋敷へ! 大至急、本館の地下書庫へ馬車を飛ばしなさい!!」

伝説の魔剣『キングイーター』の真実、そしてあの呪いを打ち破る唯一の対抗策を探し出すために――私はゴールドバーグ家の膨大な知識の海へと急いだのだった。


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