『 4 30000 3570 』
冷え切った暗闇の上空で無機質に瞬く数字を見上げ、俺はフル回転で頭を巡らせていた。 最初のステージでずっと引っかかっていた左端の数字。――あれは「ステージ数」だったのだ。 1から始まり、2、3と進み、そして今、俺はステージ4に立たされている。
だとすれば、すべて辻褄が合う。 目覚めた瞬間の「ステージ3」「21200」という中途半端極まりないスコア。 俺はこのゲームの最初から参加していたわけじゃない。見ず知らずの誰かの「続き」から、唐突に放り込まれたのだ。 そして、あのサメのような牙を持つピンクの怪物に追われた記憶が、冷酷な仮説を呼び起こす。 もし、前のプレイヤーが逃げ切れずに死んだとしたら? 失敗した人間は問答無用で排除され、何の引継ぎも状況説明もないまま、記憶を奪われた次の人間――俺のような存在が身代わりに立たされる。 悪趣味を通り越して、吐き気がするほど機械的なシステムだ。
だが、どれだけ真相に近づこうと、置かれた立場に変わりはない。俺に与えられた選択肢は、この狂ったルールに従い、白い球体を拾い集めて生き延びることだけだ。いつまでも電光掲示板を見上げている猶予はない。秒針は今も削られ続けている。
走り出そうと身体を反転させた、その瞬間だった。
「……なっ?」
反対側の暗闇、先ほどまでは何もなかったはずの空間に、もう一つの発光文字が浮かび上がっていた。
『 4 30000 3560 』
対角の空に、鏡像のように現れた全く同じ文字列。 左右で確認しあうと同じ時間だ。俺は思考を中断し、目の前の通路に浮かぶ白い球体へと駆け寄った。
触れる。ピコン、と高い電子音が鳴り、光が弾ける。 さらに二つ、連続して回収した。 すぐに足を止め、両側の空を見比べる。
片方の数字は「30300」に跳ね上がっていた。 だが、もう片方は――「30000」のまま静止していた。
背筋を冷たいものが走る。 もう一人、いる。 この迷路の中に、自分と同じ境遇の「誰か」が同時に放り込まれている。 これは競争なのか、それとも二人で生き残る共闘なのか。答えはわからない。だが、競い合わされているのだとしたら、点差をつけられて敗北側に回る結末など、死以外にあり得ないはずだ。
「……集めるしかない」
考えるより先に身体を動かす。 右手を黒い壁に添え、機械的に足を踏み出していく。頭を空っぽにして、視界に入る白い球をひたすらに貪るように回収していった。 角を曲がり、入り組んだ通路を駆け抜けたとき、行き止まりの壁面に目が留まった。
そこには、毒々しいライムグリーンの光で刻まれた文字があった。
『START』
俺のスタート地点にあったのは蛍光ピンクだった。ここは色が違う。 やはり、もう一人の競技者が実在する動かぬ証拠だった。
緑の文字を背に、再び走り出す。 頭の片隅で、前回のステージを襲ったあのピンクの怪物の姿が蘇る。いつどこからあのサメの顎が飛び出してくるかわからない。急カーブでも即座にブレーキをかけ、反転できるだけのマージンを保ちながらスピードをコントロールする。
孤独な足音が響く中、不意に、ひとつの衝動が胸を突き上げた。 ――声をかければ、届くのではないか?
見上げれば、頭上には天井などない。どこまでも抜けた虚空だ。音を遮る屋根がない以上、声がどう反響するかは未知数だが、全力で叫べば迷路のどこかにいる相手に届く可能性はある。 だが、もし対戦競技だったとしたら? 自分の居場所を敵に晒す愚行になりはしないか。
迷いはあった。しかし、骨の髄まで凍りつくようなこの暗闇と孤独が、何よりも耐え難かった。 たとえ敵であってもいい。殺し合う運命だとしても構わない。とにかく、この悪夢の中で「自分以外の人間」の存在と言葉を交わしたかった。
俺は足を緩め、肺の底から息を吸い込んだ。
「おい――っ! そこにいるんだろう! 俺はここにいるぞ! 一度、話し合わないか――ッ!」
声が漆黒の壁を叩き、天井のない暗闇へと吸い込まれていく。 相手だって疑心暗鬼になっているはずだ。罠だと思うかもしれない。だが、必死で言葉を投げかけ続けた。
「敵対する気はない! 状況を教えてくれ! おい!」
返事はなかった。 大声を聞きつけてあのピンクの怪物が寄ってくる恐怖もあったが、不気味なほどの静寂が返ってくるだけだった。そもそも、全てのステージにあの化け物が徘徊しているという保証もない。 無駄なのか。それでも俺は叫びを止められず、声を張り上げながら白い球体を回収し続けた。
走り、叫び、角を曲がる。 その時だった。
長い直線の通路の先、青いラインに照らされた空間に、確かに『それ』が見えた。
人影だ。 短髪の頭、青いシャツ、白い手袋。そして、俺の黄色とは異なる、鮮やかなグリーンのオーバーオールを着た男の後ろ姿。
「おーい! 待ってくれ!」
喉が千切れんばかりに叫び、俺は全速力でその背中を追った。 だが男は一切振り返らない。呼びかけに反応する素振りすら見せず、足早に前方の曲がり角を曲がっていった。
「待てって――!」
息を切らしながら角へ滑り込み、急制動をかけて曲がり切った。
その瞬間、俺の目の前に広がった光景に、思考が完全に凍結した。
直線の奥に、あの悪夢がいた。 淡いピンクの光を放つ巨大な球体。その横に裂けたサメのような口腔が、グリーンのオーバーオールの男を、腰から丸ごと呑み込んでいた。
ぐちゅ、と湿った生々しい破壊音が、静寂の通路に響き渡る。 化け物は男の足を外側にぶら下げたまま、何重にも並んだ牙をぎちぎちと動かし、ゆっくりと、貪り食うように咀嚼していた。男の上半身は、すでにその暗黒の体内へと消え失せている。
「ひっ……!」
喉の奥から乾いた悲鳴が漏れた。 考えるより速く、足が勝手に床を蹴っていた。 なりふり構わず踵を返し、来た道を逆戻りに全力疾走する。 急ブレーキのためのマージンなど頭から消し飛んでいた。逃げろ。捕まれば、あの男のように噛み砕かれて消える。
コーナーを曲がり、直線を駆け抜け、狂ったように迷路の奥へと逃げ延びた。 心臓が破裂しそうになるほど走ったところで、ようやく立ち止まり、恐る恐る頭上のスコアボードを仰ぎ見た。
向こう側の――あの男のものだったはずのボード。 そのタイマーが、突如としてリセットされていた。
『 4 30900 3600 』
秒数が、綺麗に初期値に戻っている。 ……死んだのだ。 そして、あの男の枠に、また何も知らされない新しい誰かが放り込まれたのだ。
胃液が逆流するような恐怖の中、足元を見ると、ぽつりと一つの白い球体が転がるように浮かんでいた。 ステージに残された、最後の球。
震える指先で、それに触れた。
高らかな電子音のファンファーレが頭上に響き渡る。
『 BONUS 5000 POINT 』
夜空のような虚空に色鮮やかな花火が打ち上がり、暴力的な光の粒子が降り注ぐ。 だが、そこに前のような歓喜は微塵もなかった。 男が咀嚼される音と、リセットされたタイマーが頭から離れない。
茫然と立ち尽くす俺の身体を、あの真っ白な閃光が包み込んだ。
光が消え去り、視界が戻る。 滑らかな床。黒い壁。境界を這う青い光。
ゆっくりと首を巡らせ、背後を見つめる。 そこには、蛍光ピンクの光で、嘲笑うかのように刻まれていた。
『START』
悪夢は、まだ終わっていなかった。

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