陰キャが異世界転生してモテモテ勇者に きらりの章その4

最悪の気分のまま迎えた朝だった。 枕に残る涙の冷たさと、耳の奥にへばりついて離れない悪夢の声——『お前は、俺たちの仲間じゃない』。その冷酷な宣告が、まるで呪いのように胸の奥で燻り続けていた。 けれど、立ち止まっている暇なんてない。 もし私が何の役にも立たないと見限られたら、本当にあのおぞましい悪夢の通りになってしまう。ユウ様の隣から追放され、居場所を失ってしまう。 (必死で頑張らなければ……。なんとしても、この探索で私の価値を証明しなきゃいけないんだわ)

青ざめた顔を冷たい水で洗い、気合を入れ直して巡礼服の帯を締め直していると、ノックもなしに部屋の扉が引かれた。 「おい、朝食の準備ができたぞ」 入ってきたのはマーサだった。相変わらず私を見る目には冷え切った警戒の色が残っていたが、長老の言いつけを守ってか、大人しく中庭のガーデンスペースへと案内してくれた。

大樹の葉陰から清らかな木漏れ日が降り注ぐテラスに、一行が順々に集まってくる。 私の次に姿を現したのはユウ様だった。 「いやー、大自然の食堂なんて、なんだか感動的ですね!」 テーブルに並べられた瑞々しい果物や木の実、焼きたての穀物パンを見て、ユウ様は年相応の少年のような笑顔を浮かべて席に着いた。 続いて現れたのはウェアウルフだ。 「へえ、外でご飯を食べるなんて久しぶりだな。……あれ、肉はないのか?」 並んだ菜食の皿を見て、ウェアウルフが不満そうに口を尖らせる。 普段の私であれば、『エルフの神聖な食卓で肉をねだるなど、どこまで浅ましい獣なのですか!』と即座に悪態をつき、罵倒していただろう。けれど、昨日のフワン長老の言葉と、自分が無自覚に背負っていた差別の闇が脳裏をよぎり、喉元まで出かかった言葉はひゅっと喉の奥へ引っ込んでしまった。私はただ俯き、乾いたパンを小さく齧るしかなかった。

皆が粗方の食事を終えようとしたその時、鼓膜を直撃するような爆音がテラスに轟いた。

「諸君! 朝の調子はいかがかね!? 世界樹の祠までは丸一日では到底辿り着かん! ここでしっかり腹に詰め込んで英気を養っておいてくれたまえ! もっとも、エルフの飯は草ばかりで味気ないかもしれんがな! ハーッハハハハ!」

ショートカットの髪を揺らし、大股で現れたファーサが豪快に笑い飛ばす。 相変わらず周囲の静寂など微塵も気に留めない、一方的で凄まじい声量だった。

食事が終わると、ファーサが手配してくれた旅道具や保存食を詰め込んだ背負い袋が各自に配られた。ずしりと肩に食い込む重みに顔を顰めていると、ファーサが腰の鉈をチャキリと鳴らし、一同を見回した。

「さて諸君! 世界樹の祠へ至る道のりは、昨日までの平坦な街道とはまるで違う。完全なる道なき道を進むことになる! 私が先頭に立って草木を払い道を開くが、森の深部では一列の縦列隊列を維持してもらうぞ!」

ファーサは太い指を一本ずつ立てながら、淀みなく配置を指示していく。 「言うまでもないことだが、この冒険において最も守るべき要は勇者殿だ! 勇者をいかに安全圏に配置するかが隊列のすべてだ。先頭で道を切り開くのは私! 三番目は守られるべき勇者殿! そして不意の奇襲から背後を守るしんがりは、索敵能力と近接戦闘に長けたガオン君だ! ……となれば、残った二番手は必然的にきらり君、君になる! みな、よろしく頼むよ!」

「あ、あの……」 私が返事をする間すら与えず、ファーサは「出発だ!」と叫ぶなり森の奥へとずんずん踏み込んでいってしまった。私は慌てて荷物を背負い直し、必死の思いでその広い背中を追いかけた。

ファーサの言葉に一切の誇張はなかった。 足元には道など存在せず、鬱蒼と生い茂る巨大なシダ植物や絡み合う蔦、湿り気を帯びた苔むした倒木が容赦なく行く手を阻む。 先頭を行くファーサは、唸りを上げるような速度で鋭い鉈を振るい、次々と枝葉を切り払って強引に活路を開いていく。だが、切り開かれた直後のぬかるんだ獣道を、重い法衣と背負い袋を引きずりながら進むのは、聖職者の私にとって拷問に等しかった。

(はぁっ……はぁっ……! ま、待って……!) 足が縺れ、泥に足を取られ、木の根に躓きそうになる。 息は上がり、肺が焼けるように熱い。ついていくことだけに全神経をすり減らし、視界が白く霞み始めた。 数時間が経過した頃、私の足取りが完全に限界を迎えているのを見かねたのだろう、背後からユウ様の気遣わしげな声が飛んだ。

「ファーサさん! そろそろ少し休憩にしませんか?」

切り払う手を止め、ファーサが振り返った。 「む……? ああ、すまない! 私の足並みが速すぎたな。そうだな、そろそろ休憩にしよう!」

少し木々が開け、木漏れ日が差し込む平坦な広場を見つけ、私たちは腰を下ろした。 私は荷物を投げ出すようにして地面に膝をつき、肩で激しく息を乱した。 満身創痍。情けない。また私が足を引っ張ってしまった。 (でも……何か、私にできることをしなきゃ……!) 私は震える手で胸元の聖印を握りしめ、残された気力を振り絞って立ち上がった。

「——天上の光よ、悪しき魔を退け、安らぎの帳を降ろしたまえ……『ホーリーバリアー』!」

私の祈りに応え、淡い光の結界がドーム状に広がり、周囲の空間を優しく包み込んだ。 これで魔物の接近を防げる。私の神聖魔法で、少しでもみんなの安全を守れたはず—— そう安堵しかけた私の耳に、冷水を浴びせかけるようなファーサの明るい声が響いた。

「いやー、きらり君! 息も絶え絶えの中でわざわざ結界を張ってくれて、心遣いには感謝するよ! ……だがね、この世界樹の森という領域は、森そのものが太古より続く強大な聖なる結界になっているんだよ! だから君がホーリーバリアーを張ったところで、まったく何の意味もないんだ!」

「……え?」

結界が、意味をなさない……? 私の腕から力が抜け、張ったばかりの光のドームが儚く霧散していった。 数少ない私の役割。誇りにしてきた神聖術。 そのすべてが、この森では何の価値も持たないというのか。体力もお荷物で、魔法すら無駄骨。 (『お前は、仲間じゃない』) 今朝の悪夢の台詞が、鋭い針となって私の鼓膜を突き刺す。

呆然と立ち尽くす私の傍らで、ウェアウルフが小枝を手際よく集め、あっという間に小さな焚火を熾していた。火打ち石を鳴らし、携帯用の鍋で手際よく湯を沸かしていく。野外での手慣れた身のこなしは、あまりにも鮮やかだった。 「ユウ様、お茶が入ったよ。疲れたでしょ、飲んで」 「ありがとう、ガオン! 助かるよ」 ユウ様は心底嬉しそうに湯呑みを受け取り、喉を潤している。 そして、その温かな湯気の向こうから、ユウ様が屈託のない笑顔を私に向けて歩み寄ってきた。

「きらりさんも、ほら。温かいお茶、飲んで休んでください」

差し出された木製の器。 その純粋な優しさが、今の私にはあまりにも眩しすぎて、申し訳なさに押し潰されそうだった。

小休止を終え、再び私たちは過酷な森へと足を踏み入れた。 その後も何度か休憩を挟みながら歩き続け、空が濃い群青色に染まる頃、私たちは大樹の根元に今夜の野営地を設営することになった。

夕食の準備が始まった時、私の胸に焦燥感が募った。 (食事の準備くらい……せめて、これくらいは役に立たなきゃ!) 私は背負い袋から、道中の茂みで見つけて摘んでおいた青々とした野草の束を取り出した。教団の薬草学の知識を総動員し、具材の乏しいスープに彩りと滋養を加えようと、鍋の湯気の中へそれを投げ入れようとした——その刹那。

ガシィッ!と、万力のような力で私の手首が掴まれた。

「な、何を……!?」 驚いて顔を上げると、普段の豪快な笑みを消したファーサが、険しい眼光で私の手元を睨みつけていた。 「お前、今その鍋に何を入れようとした? ……それは『ブラッドルート』、猛毒の草だぞ!」

「えっ……!? そ、そんなはずは……! これは教団の経典にも記されている、滋養強壮の薬草で……!」 私が狼狽して声を上ずらせると、背後から近づいてきたウェアウルフが、私の手の中の草の匂いをスンスンと嗅いだ。

「あー……。それ、人間が食べる分には血行が良くなるだけの軽い薬草かもしれないけどさ。私たちウェアウルフの体にとっては、心臓を麻痺させる猛毒だよ。私、それ食べたら死んじゃう」

「っっっ……!!」

血の気が一瞬で引き、全身が氷水に浸かったように冷え切った。 私の知識。人間だけに都合のいい、偏った知識。 他種族の生態を考慮せず、独り善がりの善意で放り込もうとしたそれは——結果として、ウェアウルフを暗殺しようとした毒物と何ら変わりがなかったのだ。

「ち、違う……私は、そんなつもりじゃ……っ!」 弁解しようと震える唇からは、情けない掠れ声しか漏れ出さない。 言葉を失い、蒼白になってカタカタと首を横に振る私を見て、ファーサは手首を解放すると、わざとらしいほどカラカラと笑い飛ばした。

「はーっはははは! まあまあ、悪意があったわけじゃないんだ、間違いは誰にでもあるさ! 次からは入れる前に一声かけてくれたまえ!」

ファーサはそう言って私の肩を叩いた。 ウェアウルフも特に気にした様子もなく、別の乾燥肉を鍋に放り込んでいる。 誰も私を怒鳴りつけない。誰も私を責めない。 けれど、その向けられた寛容さこそが、何よりも残酷に私の存在価値を否定しているように思えた。 またやってしまった。 私はただの足手まといどころか、仲間を殺しかけた危険物でしかない。

喉を通らない夕食を無理やり胃に流し込み、私たちはそれぞれ天幕の寝袋へと潜り込んだ。 眠れるはずがなかった。 目を閉じれば、今日の醜態の数々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。無意味だった結界。役立たずの体力。そして、毒草を握りしめていた自分の愚かな手。 激しい自己嫌悪の波に呑まれ、毛布の中で声を殺して震えていると——カサリ、と隣の寝袋から衣擦れの音が響いた。

そっと目を開けると、暗闇の中、ウェアウルフが寝袋から這い出していくのが見えた。 トイレにでも行くのかとぼんやり眺めていると、彼女は音もなく足を進め、あろうことか——ユウ様の寝袋のファスナーを器用に開け、その中へと滑り込んでいったのだ。

(っ……!?) 跳ね起きて、今すぐ引きずり出そうと体が強張った。 だが、手足が鉛のように重く、ピクリとも動かない。 止める? 誰が? この私が? 仲間を殺しかけたような出来損ないのシスターに、彼らの仲を咎める権利なんてあるのだろうか。

暗闇の中、ユウ様の寝袋が小さく蠢き、微かな吐息が漏れ聞こえてくる。 その光景の上に、今朝見た悪夢が残酷に重なり合った。 私を嘲笑うように見つめ、肌を寄せ合って愛し合う二人。 『お前は、仲間じゃない』

耐えきれず、私はきつく目を閉じ、両手で耳を塞いだ。 見えないふりをしよう。聞こえないふりをしよう。 何も考えたくない。もう、私自身の心すら消えてしまえばいいのに。 冷たい絶望の毛布にくるまりながら、私は意識を手放すようにして闇へと沈んでいった。

翌朝、頭上から降り注ぐファーサの爆音で目を覚ました。 「諸君! そろそろ出発の時間だ! このペースを維持できれば、昼過ぎには祠へ辿り着けるぞ!」

横たわっていたおかげで体力の数値は戻っていたが、心はひび割れたガラスのようにボロボロのままだった。それでも、立ち止まることは許されない。私は機械のように手足を動かし、ただ前へ、前へと足を踏み出した。

それから二度の小休止を挟み、生い茂る木々のトンネルを抜けた時——突如として視界が大きく開けた。

「さあ! ようやく辿り着いたぞ! ここが目的の『世界樹の祠』だ!」

ファーサが高らかに腕を掲げる。 ぽっかりと開けた円形の広場の中心、神聖な青い光が降り注ぐ祭壇の上に、世界樹の枝木が幾重にも編み込まれて形作られた、神秘的な女神像が静かに佇んでいた。 私たちが歩み寄り、祭壇を囲むように立ち止まったその時——女神像の全身から目も眩むような黄金の燐光が立ち昇った。

『——よくぞ、幾多の試練を越えてここまで辿り着きました。旅の者たちよ、そなたらは我が守護する『世界樹の盾』を求めてここへ参ったのですか?』

静謐でありながら、魂を直接揺さぶるような神聖な声が空間に響き渡る。 ユウ様が一歩前へと進み出て、真っ直ぐに女神像を見据えて叫んだ。

「そうだ! 俺はこの世界を救うために、『世界樹の盾』を求めてここに来た!」

『よろしい。ならば……まず、その覚悟と力を示してみせなさい』

声が落ちた瞬間、ゴゴゴゴゴ……と大地が激しく鳴動した。 祭壇の前の地面が大きくひび割れ、土砂を撒き散らしながら、幾重もの太い樹皮と岩石を纏った巨大な巨人が姿を現した。頭上を覆うほどの巨躯、圧倒的な質量を誇るウッドゴーレムだ。

『我が試練の番人たるウッドゴーレムを打ち倒し、真なる勇者の資格を証明せよ!』

咆哮とともに、ゴーレムの巨大な丸太のような腕が振り上げられる。 「みんな、散開しろ!」 ユウ様が白銀の剣を抜き、ウェアウルフが鋭い爪を構えて身を低くする。

(今度こそ……! 今度こそ、私が役に立ってみせる!) 汚名を返上する唯一の好機だった。戦闘の支援こそ、A級シスターとしての私の本分だ。 私は聖印を高く掲げ、喉が張り裂けんばかりの声で連続して奇跡を紡いだ。

「神よ、我らに仇なす者を討つ力を! 『ホーリーエンチャント』ッ! そして、我らを守護する絶対の盾を! 『ホーリープロテクション』ッ!!」

私の祈りと共に聖なる光の粒子が舞い散り、ユウ様とウェアウルフの体を包み込もうとした——その瞬間。

「ああーっ! きらり君! 戦闘開始早々の素晴らしいフォロー、ありがとう!」

いつもの、底抜けに呑気で馬鹿でかい声が戦場に響き渡った。 鉈を構えたファーサが、何でもないことのようにあっけらかんと言い放つ。

「だがね! 昨日も言った通り、このエリア一帯は世界樹の根が張り巡らされた、神の加護そのもので満ちた絶対聖域なんだ! よって君のホーリーエンチャントもホーリープロテクションも、空間の濃度に掻き消されて何一つ効果がないんだよ!」

「…………え?」

私の掲げた聖印から放たれた光は、ゴーレムに届くどころか、大気の神聖な輝きに同化して霧のように消え去っていた。

私の魔法は、効いていない。 攻撃力も上がっていない。防御力も上がっていない。 私はただ、緊迫した戦場の真ん中で、無駄に大声を張り上げてポーズを取っただけの滑稽な道化だった。

戦闘の轟音の中、私の世界から色が抜け落ちていく。 耳の奥で、嘲笑うような悪夢の声が、今度こそ逃れようのない現実となって木霊した。

——『お前は、仲間じゃない』


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