陰キャが異世界転生してモテモテ勇者に 騙された聖女の章その5

私が無力感に打ちひしがれ、その場にうなだれていた、まさにその時だった。

「——『獣牙突(じゅうがとつ)』ッ!」

空気を破裂させるような咆哮とともに、青い拳法服を翻したウェアウルフが弾丸のように地を蹴った。 鋭い踏み込みから繰り出された小さな拳が、ウッドゴーレムの分厚い樹皮の胴体へと深々と突き刺さる。 視界を疑うような大音響とともに、十メートルはあろうかという木と岩石の巨体が、まるで突風に吹き飛ばされた枯葉のように宙を舞い、後方の地面へと叩きつけられた。

(な、何という威力……!?) フワン長老は「人間のレベル20前後に匹敵する」と仰っていたけれど、出鱈目だ。今の一撃は、教団の聖堂騎士団に所属するレベル30クラスの剣豪すら凌駕している。

激しく土煙を上げて倒れた巨人が、軋む音を立ててゆっくりと起き上がろうとする。 「させるか! 『ウインドアロー』ッ!」 すかさずファーサが叫び、魔力で編み上げられた幾筋もの風の矢を連射した。疾風の矢がゴーレムの関節部を正確に抉り、裂帛の悲鳴を上げさせる。 「ゴォオオオオオオオオッ!!」 「諸君! 奴の全身に埋め込まれている魔力の宝玉が弱点だ! そこをピンポイントで狙いたまえ!」

ファーサの指示が飛ぶが、傷を負いながらもウッドゴーレムは憤怒に任せて巨腕を振り回し、再び立ち上がろうと身じろぎした。 そこへ、蒼穹のマントを翻した勇者様が果敢に踏み込む。 「これで……決める! 『ライトニングスラッシュ』ッ!」 白銀の剣に神聖な雷光が宿り、目も眩むような閃光となってゴーレムの胸部を一閃した。 激しい火花が散り、装甲が大きく砕け散る。 だが——それでもなお、ウッドゴーレムは倒れなかった。砕けた傷口から黒い樹液を撒き散らしながら、死に物狂いで立ち上がろうとしている。

(私も……私だって……!) ただ守られているだけなんて耐えられない。せめて一矢報いて、仲間としての意地を見せなければ。 私は恐怖を振り払い、両手で重たいモーニングスターの柄を握りしめると、無我夢中で巨人の足元へと突進した。鉄球を頭上で旋回させ、渾身の力で振り下ろそうとした、その刹那。

異変を察知したウッドゴーレムの丸太のような太い腕が、反射的に払われるように振り上げられた。 頭上を覆う巨大な影。 直撃すれば、私の体など一瞬でミンチになって四散する。 死の恐怖に体が竦み、息が止まった——その瞬間。

「危ないッ!」

横合いから飛来した柔らかな身体が、私を押し倒すように強く抱きすくめていた。 直後、鈍く重い打撃音と、押し殺した短い呻き声が耳元で響く。

「……っ、が……!」

地面に転がり、顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、私の上に覆いかぶさるガオンの姿だった。 そして——彼女の背中の青い拳法服が引き裂かれ、鮮血が痛々しく滲み出している光景だった。

「ガ、ガオン……!? どうして、私を……」 なぜ、蔑み、毒草を食らわせそうにすらなった私を庇ったりしたのか。 混乱する私の手元で、ガオンは苦しげに荒い息を吐きながら、無理に口元を吊り上げてみせた。 「……仲間、だからだろ……ばか」

その言葉が、私の胸を激しく貫いた。 仲間。悪夢の中で私を切り捨てたはずの少女が、身を挺して私を守ってくれたのだ。 迷っている暇などなかった。私は溢れ出す涙を拭うこともせず、血に染まる彼女の背中に震える両手を直接押し当てた。 「神よ、この者に奇跡の慈悲を……『ホーリーヒーリング』ッ!!」

空間に放つ祈りは聖域の加護に掻き消されても、傷口に直接掌を密着させ、魂の魔力を直接流し込めば通じるはずだ。 その目論見通り、私の掌から溢れ出た柔らかな黄金の光が、裂けた皮膚と筋肉を瞬く間に塞ぎ、血を止めていく。 「あ……痛みが、消えた……?」 ガオンが驚いたように目を丸くした。

「ウオオオオオッッ!」 その間に、背後から疾走した勇者様が渾身の跳躍を見せ、無防備になったゴーレムの頭部の核へ、純白の剣を深々と突き立てた。 核を貫かれた巨人は硬直し、やがて全身がサラサラと光の粒子へ解け崩れ、足元に巨大な魔石だけを残して消滅した。 勇者様が手首の腕輪で魔石に触れると、頭上に眩い『LEVEL UP』の光が輝いた。

「いやー! 恐ろしい相手かと思ったが見た目倒しだったな! 見事な連携だ!」 ファーサがいつもの調子で豪快に笑い声をあげる。

だが、安堵の息を漏らしたのも束の間、祠の中央に佇む女神像から、底冷えのするような厳かな声が再び響き渡った。

『——勇者よ、そなたらの力はしかと見届けました。それでは……これより『真なる試練』を執り行います』

「真なる試練……?」 勇者様が剣を下ろし、怪訝そうに眉をひそめる。

『これなるは『慈愛の試練』。そなたら一行のうち、誰かひとりがその命を神木へと差し出しなさい。その尊き犠牲の命を糧としてのみ、失われた『世界樹の盾』は真の力を取り戻し、現世へと蘇るのです。この盾は前代の魔王討伐の折に神力を使い果たしました。再び目覚めさせるには、魂の捧げ物が不可欠なのです』

静寂が、祠の広場を重く支配した。

「いやはや、参ったね……。世界を救う秘宝の代償が人の命とはな」 ファーサが珍しく苦い顔をして頭を掻く。 「私……し、死ぬの……?」 ガオンが耳を伏せ、怯えたように自分の腕を抱きしめて立ち尽くしている。

命の犠牲。 私はそっと、二人の横顔を見つめた。 そして、胸の奥底から静かに湧き上がってきた確信とともに、穏やかな微笑みを浮かべた。

「それでは……私の命を使ってください」

凛とした私の声に、勇者様が血相を変えて割って入ってきた。 「なっ……何言ってんだよきらりさん! ちょっと待ってくれ、他にも絶対に方法はあるはずだ!」 『他に方法はない』 女神像が無慈悲に宣告する。 すると勇者様は、激昂して女神像へと剣を突きつけた。 「だったらそんな盾なんていらない! 仲間を殺して手に入れる盾に何の価値があるんだ! そもそも、世界を救うのに盾が必須かどうかも怪しいもんだろ!」

「もういいのです、勇者様」 私は静かに勇者様の言葉を遮り、一歩前へと進み出た。 「私たち『光の使徒』は、勇者様にその命をお捧げすることこそが最上の誉れであり、至高の幸福なのです。……それに、私の力ではこれ以上、皆様の役に立つことはできません。道中も足を引っ張り、結界も張れず、毒草の知識すら間違えていました。せめて……命を捧げることで事態を解決できるこの場面で、私の命を使わせてください」

私は迷うことなく祭壇の前へと歩み寄り、女神像の御前に静かに跪いた。 「聖なる世界樹よ、我が命をお納めください」 そして最後に、振り返ってガオンを見つめた。 「ガオン……勇者様のこと、お願いね」

不思議なほど、心は澄み渡っていた。嫉妬も、焦りも、恐怖もない。自然と柔らかな笑みが零れ落ちる。 これですべてが終わるのだと、静かに瞼を閉じた——その時。

『——おめでとうございます。試練は合格です』

鈴を転がすような、穏やかな祝福の声が頭上から降ってきた。 え……? 呆気にとられて目を開ける私を見下ろし、女神像が神聖な光を放ちながら語りかける。

『安心なさい、そなたの命を奪うことなどいたしません。この試練が試したのは、己を捨ててでも他者を想う真なる『慈愛』の深さ。仲間のために命を投げ打つ覚悟を示したそなたと、仲間を犠牲にすることを断固として拒んだ勇者……そなたたちがお互いを思いやる尊き絆は、しかと証明されました』

ふっと、全身から一気に力が抜け、私はその場にへたり込んでしまった。 生きている。私、死ななくてよかったんだ……。

祭壇の上空から、神秘的な緑の蔦と神木の紋様が刻まれた美しい大盾——『世界樹の盾』が、ゆっくりと勇者様の手元へと舞い降りてきた。 「やったな、勇者君!」 ファーサが歓声をあげ、ガオンが涙ぐみながら私に駆け寄ってくる。 「よかった……! きらり、死なないで本当によかった……!」 「ああ、本当によかった……。とにかく、これで神器の一つ目が手に入ったな」 勇者様が心底安堵したように胸を撫で下ろした。

『すでにこの祠に用はありますまい。エルフの隠れ里へと送り返して差し上げましょう』

女神像の言葉とともに視界が純白の光に包まれ、次の瞬間、私たちはエルフの村の中央広場へと転移していた。 そこには驚いた顔のマーサや、長老の姿もあった。 勇者様の手にある本物の『世界樹の盾』を目にした瞬間、広場を埋め尽くしていたエルフたちから割れんばかりの歓声が沸き起こった。

「本物の勇者様だ……!」 「伝承の世界樹の盾だぞ! 俺、生まれて初めて見た!」 「間違いない、先代の勇者様が持っていたものと同じだ!」 「宴だ! 今夜は盛大な祭りを開くぞーッ!」

厳格だったエルフたちが嘘のように大騒ぎを始め、村総出で祭りの準備が整えられた。 広場には豪華な果実料理が並び、篝火が焚かれ、歌と踊りが夜空に響き渡る。 宴の中盤、ファーサとガオンはエルフ特製の強力な果実酒を樽ごと煽り、顔を真っ赤にして完全にベロンベロンに泥酔してくだを巻いていた。 ふと見ると、主役であるはずの勇者様は、果実水ばかりを口にして酒には一切手を付けていなかった。 「勇者様、お酒は召し上がらないのですか?」 不思議に思って尋ねると、勇者様は少し照れくさそうに頭を掻いた。 「俺、元の世界じゃ『ミセイネン』だからさ。酒を飲むわけにはいかないんだよ」 「ふふ、真面目なのですね。私も、教団の定めた特別な祝祭の日以外は、お酒を口にすることは禁じられているんですよ」

夜が更けるにつれ、エルフたちの宴の熱気はますますヒートアップしていく。 酒臭い息を吐きながら踊り狂うガオンたちを見やり、私は勇者様の袖を引いた。 「勇者様、激闘の直後でお疲れでしょう。そろそろお部屋で休まれてはいかがですか?」 「あ、助かるよ。ちょっと人酔いしちゃってさ」

私は勇者様を昨日の客舎まで案内し、部屋の前で見送った。 「それでは、また明日」 「うん、おやすみ、きらりさん」

自室に戻り、一人きりのベッドに腰掛ける。 静まり返った部屋の中で、私は今日の出来事を一つ一つ思い返していた。 身代わりになってくれたガオン。命を捨てようとした私を、必死で止めてくれた勇者様。 そして——私は、一つの決定的な真理へと辿り着いた。

(私は……あの時、勇者様に命を捧げられなかった。でも、私の魂はすでに、あの御方だけのもの……)

心臓が早鐘を打ち、全身が熱く疼き始める。 立ち上がった私の足は、迷うことなく扉へと向かっていた。

抜き足差し足で廊下を進み、勇者様の部屋の扉を音もなく開ける。 部屋の魔導ランプは消され、月明かりが差し込む寝台の上で、勇者様はすでに微睡みに落ちかけていた。 気配を察したのか、布団の中で勇者様が身動ぎする。 「う……ん? 誰……?」 「私です。きらりですわ」 「えっ、きらりさん? どうしたの、こんな夜遅くに……」 「どうしても……勇者様にお伝えしたいことがございまして」

私の切迫した声音に、勇者様は眠気を払おうと目を擦りながら苦笑いを浮かべた。 「うーん……そろそろ、その『勇者様』って堅苦しい呼び方はやめてよ。俺たち、もう命を預け合った仲間だろ? 俺も『きらり』って呼ぶからさ、きらりも俺のことは『ユウ』って呼んでよ」

仲間。ユウ。 その甘美な響きが、私の理性を完全に吹き飛ばした。 「……ありがとうございます、ユウ。それで、お伝えしたいことなのですが……私、本日残念なことに、この命をユウに捧げることが叶いませんでした」 「だからさ、命なんて捧げなくていいってば……」

「はい。ですので命は捧げられませんが——代わりに、私の身体を捧げさせていただきます」

「……は? から、だ……?」

怪訝そうに眉を寄せたユウが、のそりとベッドから身を起こした。 そして月明かりの下、私の姿を真正面から捉えた瞬間——ユウの目が限界まで見開かれ、顔面が一瞬で茹でダコのように真っ赤に沸騰した。

「え、ええええええええええっっっ!?!?!?」

無理もありませんわ。 今の私は——法衣も、下着も、身につけていた聖具もすべて脱ぎ捨てた、完全なる一糸まとわぬ姿なのですから。

「な、な、何してんの!? 服! 服着てよきらりッ!」 動転してシーツを盾のように構えるユウに対し、私は淑やかに微笑み、音もなくベッドの縁へと這い上がった。

「私も『光の使徒』として、そしてユウの仲間として……あのガオンにだけは絶対に負けられません。どうか……私を、抱いてくださいませ」 「ちょ、まっ……!? 俺とガオンはそんなことしてないって! 絶対に断じてしてないから!!」

悲鳴を上げるユウを押し倒すように、私は惜しげもなく豊満な肢体を彼の胸元へと覆いかぶせた。密着する肌の熱気に、心臓が爆発しそうに高鳴る。

「ならば、それこそ好都合ですわ! ユウにとっての『最初の女性』を、私にしていただければよいのです! ……私も純潔の身で初めてではございますが、教団の奥義書にて、勇者様を昇天させ悦ばせる技術は完璧に学んでまいりましたから……!」 「どんな教団だよそれえええええっっっ!!」

もはや限界を迎えたらしいユウは、火事場の馬鹿力で私をベッドへ押し戻すと、転がるようにシーツから飛び出した。 「あああ俺! やっぱり宴に行ってくる! 酒飲む! じゃあなッ!!」

学ランの裾を激しく翻し、ユウは悲鳴を上げながら嵐のように部屋から逃げ出していった。

バタンッ!と閉まる扉を見つめながら、私はベッドの上でぽつんと正座した。 逃げられてしまった。 けれど、私の口元には、かつてないほど妖艶で満ち足りた笑みが浮かんでいた。

ふふ……時間はまだまだたっぷりとありますわ。 世界を巡る旅路は、まだ始まったばかり。 これからの長き冒険の中で、我が身と心のすべてを捧げてユウ様をお悦ばせすることこそが——今の私の、何にも代えがたい生きがいなのですから。


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