マグマだまりのど真ん中に突き立つ一振りの剣を前にして、勇者殿は完全にフリーズしていた。 それもそのはずだ。周囲に満ちているのは、近づくだけで髪が焦げる1000度近い溶岩の熱気。普通に飛び込めば、試練を受ける前に骨まで消し飛んでしまう。
傍らにいるガオン君ときらり君も、あまりの熱波と危険さに手出しができず、生唾を呑み込んでしり込みしていた。 その沈黙を破ったのは、キンカだった。 「ちぃっ、だったらこれならどうだ!」 彼女は愛用の魔導銃に、頑丈なワイヤーの付いた特殊なアタッチメントを装填して発射した。 ヒュン、と飛んだアンカーが溶岩の上の剣の柄にガチリと噛み合いつく。だが、キンカが全力でワイヤーを巻き取ろうとした瞬間、凄まじい熱気でワイヤーがたわみ、力及ばずアタッチメントが外れて弾け飛んでしまった。
『——無駄な足掻きを。その剣は、横着な力では抜くことは叶わん。自ら熱の中に飛び込み、上から真っ直ぐに力を込めてこそ抜けるのだ』
溶岩の女神像から、無慈悲な声が響く。 本当に、飛び込むしか方法はないというのか。 絶望的な条件を前に、全員がどうすべきか見失い、ただ立ち尽くしている。
私は、数十秒の思考を巡らせた。 私のレベルは78。そして、数々の修羅場をくぐり抜けてきた『森の旅人』だ。ここで若者たちに命を散らせるわけにはいかない。 一つの、無茶な結論が脳裏に浮かび上がった。
「みんな、後はよろしく頼んだぞ」
私が一言告げると、ユウ君たちが「え?」と振り返る。 その隙に、私は全身の魔力を練り上げ、呪文を唱えた。
「——『ウインドアーマー(風の鎧)』ッ!」
私の身体を、超高速で渦巻く目に見えない旋風の防壁が包み込む。 そして次の瞬間、私は迷うことなく、真っ赤に滾る火山の剣に向かって走り出した。 溶岩とは、極めて粘性の高いドロドロとした液体だ。風の鎧の圧倒的な推進力と軽やかさを維持し、文字通り『走って』いけば、沈み込む前に突破できる。 超高温の熱波が風の防壁に激突し、凄まじい摩擦音を立てるが、私は構わずマグマの上を滑るように駆け抜けた。
「とおっ!」
私は勢いよく跳躍し、マグマの中腹に突き立つ剣の柄へと飛び降りた。 着地。足元にマグマの飛沫が上がる。風の鎧のおかげで直撃は免れたものの、手袋越しに掴んだ剣の柄は、脳が沸騰するほど熱い。
「はあああああッ!」
熱さに奥歯を噛み締め、気合とともに両腕で剣を上へと引き抜く。大地の底に根を張っていた神器が、ゆっくりと引き抜かれていく。その最後の反動で、風の鎧の魔力がついに限界を迎え、私の半身がズブズブとマグマに沈みかけそうになった。
「頼むぞ、みんな——っ!!」
私の大声に、岸辺のキンカが即座に反応した。 「任せろファーサ!」 彼女は先ほどの魔導銃から、今度は私を救出するための超耐熱アタッチメントを間髪入れずに発射した。アンカーが私の肩帯にガチリと食い込む。 「引くぞ、野郎どもッ!」 キンカの怒号に応え、ガオン君とユウ君が文字通り死に物狂いで、引き上げのための鎖とロープをありったけの力で引っ張ってくれた。
数秒の、生と死の境界線。 引き上げられた私の身体は、風の鎧と仲間たちの連携によって最悪の事態こそ免れたものの、1000度を超える熱風とマグマの余熱によって、全身がひどい火傷と煤にまみれていた。 岸辺に転がった瞬間、私の意識はほぼ限界を迎えて消えかけていた。
「ファーサさん!!」
朦朧とする私の視界の中で、きらり君が必死の顔で飛び込んできた。 「神よ、この者に最大級の慈悲を……『ホーリーヒーリング』ッ!!」
彼女の手のひらから、これまでで最も暖かく力強い黄金の光が溢れ出し、私の全身を包み込んだ。 細胞が急速に再生し、灼熱の痛みが嘘のように引いていく。 おかげで私の命は救われ、体力もみるみる回復したのだが……。
「あ……」 意識がハッキリした私が自分の身体を見下ろすと、熱で焦げ、引き上げの摩擦でボロボロになった私の旅装束は、無惨にもちぎれて上半身がほぼ露出してしまっていた。 これには、普段どれほど中性的で通していても、エルフとしての小ぶりでしなやかな身体のラインが露わになってしまう。 このパーティーの女性陣は皆、発育が良いというか豊満な部類に入るのだが、私の平坦で華奢な上半身は、確かにいささか『中性的』が過ぎたかもしれない。
それを見たユウ君は、耳まで真っ赤にして「うわああっ!」と叫びながら、慌てて自分の青いマントを私に頭からバサッと被せてくれた。 「す、すいません! あ、ありがとうございます! じゃなくて、とにかくこれを!」 「ふふ、ありがとう、勇者殿」 私はマントをしっかりと巻き付け、少しおかしくなって微笑んだ。
『——見事、勇気の試練を越え、剣を手に入れた。その資格を認めよう』
女神像の祝福の声とともに、私の手の中にある『火山の剣』が、静かにその熱を収めて美しい刃を現した。 ボロボロの私をユウ君が支え、私たちは大急ぎでドワーフの街へと引き返すことになったのだった。
何はともあれ、二つ目の神器を手に入れたのだ。 街に戻り、それぞれが安堵と勝利の余韻に包まれながら、昨夜と同じ宿へと帰還した。 宿に着く頃には、エルフの驚異的な自然治癒力と、きらり君の重ねての治療のおかげですっかり体力も回復していた。部屋割りは昨日と同じ、私と勇者殿の二人部屋だ。 部屋に入ると、ユウ君は「本当に生きた心地がしなかった……」と、泥のようにベッドへ倒れ込んで眠ってしまった。
私は、自分のベッドに横たわりながら、静かに今回の旅を振り返っていた。 『勇者の誕生』という、数百年に一度の世界的な大祭。 私は一人の年長者として、彼らに同行し、何を伝えればよかったのだろう。 私は、これからどう彼らを導けばいいのだろうか。 旅の重みと、若者たちの成長を間近で見守る中で、答えのない問いが頭の中を巡っていく。 そして——私は、私なりの『導き手』としての、少しお茶目で親愛に満ちた答えを出すことにした。
私はベッドから音もなく抜け出し、隣で微睡んでいる勇者殿の枕元へと歩み寄った。 「勇者殿。起きておいでかね? 今回の戦いは、実に素晴らしいチームワークであったよ」
ユウ君は「うぅ……」と寝ぼけ眼を擦りながら、のそりと体を起こした。 「……ん、ファーサさん? ああ……本当に、ファーサさんのおかげだよ。火山の剣、取れてよかった。ありがとう……」 「私だけの手柄ではないさ。君たち全員の、命がけの信頼があったからこそだ」 「そんなことないよ。みんなで力を合わせたからだよ。ファーサさんだって、俺たちを信頼して飛び込んでくれたんだろ?」 「なるほど」
私はふっと微笑み、被っていた青いマントを肩からするりと外した。「勇者殿は、よりチームワークと、私たちとの『絆』を深めたい、と?」 「え? そりゃあ、仲間なんだから、当たり前じゃないか」 「素晴らしい! では、このファーサが、全力でその絆を深める手伝いをしてあげよう!」
私はおどけた調子で、ベッドのユウ君に向かって一歩近づいた。 「私はね、これまでの数百年で数え切れないほどの人々と親交を結んできた。その中には、言葉を超えるほどの深い親愛の絆を結んだ者たちも大勢いてね。……どうだい? ガオン君やきらり君に負けないくらい、私とももっと『ディープ』な距離感で仲良くなろうじゃないか!」
私は、彼の隣に座り込もうとした。 もちろん、下心などというよりは、あまりに純情でウブなこの少年を少しからかって、彼らの間にある張り詰めた空気をほぐしてやろうという、私なりの親愛のスキンシップだったのだが。
「うわあああっ! ちょっと、待って! 近い近い、近いですってファーサさん!」 ユウ君はベッドの端まで大慌てで後ずさりし、顔を真っ赤にして叫んだ。 「俺、そういうの本当に心の準備とか、色々ないですから! それに、ガオンやきらりさんともそんな関係じゃないですし!」 「ふむ。勇者殿は、相変わらずウブなのだねえ。それなら、人生経験豊富な私が、世界の広さと親愛の形というものを教えてあげようか?」
私はさらに一歩、いたずらっぽく顔を近づけた。 月明かりが部屋に差し込み、私のボロボロのシャツからのぞく、中性的で境界線の曖昧な身体が露わになる。
それを見たユウ君は、ハッと息を呑み、私の顔と、そして私の身体をまじまじと見つめて——。 それから、何やらものすごく根本的な疑問にぶち当たったかのように、突然その場で完全にフリーズしてしまった。 そして、自分の身体と私を交互に見比べながら、引きつった声を絞り出した。
「あ、あれ……? ファーサさん……。今さらだけど、やっぱり……男、なんですか? それとも、女……?」
私は、その慌てぶりに思わずクスリと笑ってしまった。
「ふふふ。私はね、エルフの太古の秘術と、世界を旅する中で得たある種の呪文を身につけていてね。旅の環境や、相手とのコミュニケーションの形に応じて、男の役割も、女の役割も、そのどちらをも自在に内包できる境界なき『両方』の性質を持っているのだよ」
「……え?」
ユウ君の思考が、完全に停止した。 「男でもあって、女でもある……!? てことは、どっちでもあるってこと!?」
「その通りさ! だからどちらの需要にも対応できるというわけだね。さあ、遠慮することはないぞ、勇者殿?」
私がさらに一歩、おどけて距離を詰めようとした瞬間。 ユウ君の純情な脳内は、完全にキャパシティをオーバーして大爆発を起こしたらしい。
「うわあああああああああッッッ!!! やっぱり男でも女でもないし、どっちでもあるってどういうことだよおおおっ! 俺、そういう世界の広さはまだ処理しきれませんから! 本当に無理ーーーッ!!」
頭を抱えて絶叫したユウ君は、脱兎のごとき勢いでベッドから飛び起きると、扉を蹴破るようにして夜の廊下へとダッシュで逃げ出していった。
バタン!と閉まった扉を見つめながら、私は一人、ベッドの上で可笑しさに肩を震わせて笑った。
「くすくす……実にいい反応だ。やはり、若い勇者殿をからかうのは退屈しないねえ」
なるほど、彼は性別の超越というものに対して、まだ心の整理が追いつかないらしい。 けれど、私たちの旅はまだまだ長く、ドワーフの里での冒険もこれからが本番だ。 いつか彼が、私のこの『境界なき親愛』を笑って受け入れてくれる日が来るのを、楽しみに待つとしようかね。
私はマントを被り直し、楽しかった一日の余韻に浸りながら、ゆっくりと眠りについたのだった。

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