しつけ

先日からニュースに連日取り扱われていた7歳の行方不明の男児が本日ようやく見つかった
ニュースにさんざんなっているので状況を今更説明する必要はないだろうが年の為説明すると
親がしつけのためという理由で山の中に子供を置き去りにしてク車でどこかに置き去りにし
しばらく時間を空けてから戻ってみると子供がいなくなっており
自衛隊まで借り出されての大騒ぎとなった
この件がニュースになってから親の事情聴取が二転三転し
子供は本当に見つかるのかと世間をにぎわした

ことのニュースをみて私としては・・・・というより
世間の多くはこの親が子供を殺して嘘の供述をしたのではということを想像していたなかで
子どもが無事見つかるというニュースが世間をにぎわせた
誰とは言わないが芸能人であっても親が殺したのではという予想を口に出してしまったくらいだ

とりあえずひとつ私から最優先で言わなくてはならないこととして
父親には疑惑の目を向けてしまって誠に申し訳ないという謝罪の言葉だ
誤ったからといって父親の怒りが晴らされるかというとそんなことはないだろうが
自己満足のために謝っておこう
ただ、わたし一人が謝ったところで父の耳にはとどかないだろう
今回の件ではほとんどの人がそのような気持ちでこの父親のことを見ていたのだから
更に多くの人々のなかで私のように素直に謝るものもいれば
自分の過ちを断固として認めない人がいるののもこの世心理である
まだ心におもうだけならいいのだが
おそらくこの父親に対して疑いの気持ちを向け
それを形にしてしまったものも多くいたであろう
その中には私のように素直に謝罪したものもいるだろうが
恥ずかしく謝罪の気持ちを形にしなかったものも多々いたであろう
ただ問題なのは少数ではあるが存在する
自分の過ちを認めきれずにその罪の意識を攻撃に変えるものがいる
世間に一般で言う「逆切れ」というやつだ
自分がどんなに悪くてもそれをみとめず勘違いさせた相手が悪いと一方的にののしる人々
今回の件でいえばそういう人々はこういうだろう
「明るみに出てないだけで父親は虐待してたんじゃないの」
「今回たまたま助かったけど、助からなかったらどうしてたの」
「こんな教育方針おかしい」
などという父親を攻める言葉を口に出すだろう
今回のしつけというかたちでわがままを言う子供を親が
どこかに置き去りにする方法は古来より存在する方法で
方法論としては父親は攻められるべきではないだろう
それを世間も理解していたから、表立て父親を攻める人はあまりいなかっただろう
私も疑いの気持ちはあったがこの内容をブログに書かなかったのは
父親のことを疑いつつも父親の行った行動は必ずしも悪ではなかったためだ
今回の問題はかなり考えさせられる一件であった

さて考えさせられるといえば本当に考えさせられるのは
すでに起きてしまった今回の事件ではなく今後の話である
その今後というのは今回の件を父親がなんと子供に伝えるかだ
一番最初はおそらくだが子供の無事を喜ぶ言葉をぶつけるのが
なにより大事な親子のコミュニケーションであろう
問題なのは今後のしつけである
今回父親の話によれば子供はかなりいたずらしていたようである
北海道のような広大な地であれば置き去りというのは
かなり子供の恐怖心をあおるお仕置きである
その手法に関して今後この父親は二度と同じことが出来ないだろう
更に父親から子供に対して今回のお仕置きに対してなんと説明するのか
謝ってしまえば子供になめられるだろう
かといって子供の行為をしかれば置き去りにしたことに対して矛盾し
さらになめられてしまうだろう
父親としては今後のお仕置きに頭をさぞかし悩ませるだろう

逆に子供の視点からしたら今回のことはどうだったのだろうか
1週間水しか口にせずに山の中をさまよった出来ことはどのように心に刻まれたのだろうか
大きな自信につながったのだろうか
それとも心のトラウマを作ったのだろうか
父絵の恐怖を抱いたのだろうか
一人でも生きれる力を手にいれたのだろうか
この気持ちを真に理解できるのは本人だけである
周りがなんといおうとこの子どもが感じ学んだことが今回の事件の本当の真相だろう
なんとも子供とは恐ろしいものである

 

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