大勢への挑戦

今年に入ってから旧「優生保護法」の元に強制的に
ある程度障害を持った人が遺伝子を残さないように避妊手術を受けさせられ
その被害者達が国に対して訴えるというニュースがあった

このニュースを受けて最初の感想は
日本は平和な国なんだなーと思った

別に原告に対して馬鹿にする気はない
当時のことを考えれば原告の悔しさははかり知れないものがあっただろう
それは当然であるがでは何故今になってから訴えたのであろうかという点をみると
当時は国に対してはむかうということがほぼ不可能という時代であったのだろう
戦後直後とはいえ、戦時中は自由に意見をいうことが許されず
国に反する意見をいえば警察につれていかれ
意見を変えるまで拷問を受けるという時代があったわけだ
そんな時代であれば同じことをされてもとても訴えることはできなかっただろう
そもそもそれを訴える機関すら思いつかなかっただろう

時代は流れ現在であれば
ありとあらゆる自由があり
くだらない事でも訴訟を起こすこともできる時代になった
国に反する意見を何をいっても逮捕されることはない
このブログだって殺害予告のようなことを書かなければ
基本的には何を書いても許される

そんな時代になったからこそ
ふと今になって当時の悔しさというより今もくすぶる悔しさを
解放できるチャンスがあるとしれば我慢できないだろう
かつ老後になればやることもなく
その暇が復讐心に日をつけてしまったのだろう

これが建設的な話しなのか、それとも日建設的な話しなのかはわからないが
人間暇があると何をしでかすかわからない
自分も暇が合ったら過去に対して復讐に時間を使うのだろうか
それとも何か未来に向かって何かを生み出そうとするのだろうか
できれば未来に向かって生きたいが
人間の黒い部分はきれいごとだけでは生きていけるものではない

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