超能力者の世界的な増加から数年、社会は根本から変わってしまった。
いい意味では、長年の病巣であった国家間のいさかいや人種差別といった、人類の古い対立軸が消滅したのだ。悪い意味では、すべての対立は新しい二項対立、すなわち超能力者と非超能力者の間に集約された。
単純な数で言えば、超能力者は全人口のわずか10パーセント程度に過ぎなかった。しかし、彼らの能力は、力のない大半の人々を怯えさせるのに十分すぎた。サイコキネシスで車を投げ飛ばし、炎を生み出す人々を前に、ノーマルたちは本能的な恐怖に支配された。
その結果、超能力者は危険な存在として、世界的に迫害されるようになった。いくら強大な力があっても、この文明社会において、大多数から差別されるマイノリティーとなってしまえば、その生活は著しく制限され、自由を奪われた。彼らは「兵器」か「脅威」として扱われ、隔離され、狩られる対象となった。
支配者リチャード
この全ての原因をつくったリチャードは、元実業家の会社を引き継ぎ、社名を王心霊研究公司(Wáng Xīn Líng Research)と変えた。過去の非人道的な超能力開発を行っていた事実は完全に隠蔽され、同社は今や、世界の超能力者問題に取り組む最先端の情報機関として立ち上げ直された。
世界的に超能力者問題が騒がれる中、最も深く、最先端の情報を持っている王心霊研究公司は、世界の政府や軍にとって不可欠な存在となった。実質的に、リチャードは世界の中枢を操る支配者となっていた。
彼の周りには、各国の最高権力を持つ政治家たちが集まっていた。どの国も超能力者の問題で悩み、リチャードの提供する情報、技術、そして「解決策」に依存していた。
この結果、彼が長年夢見ていた、人類の友好と安全の継続は、ある意味で実現した。国家同士の争いはなくなり、共通の敵(超能力者)を前にノーマル社会は一つの団結を保っていた。
しかし、リチャードはまだ現状に納得していなかった。
彼は超能力者を切り捨てることで得られたこの偽りの平和に、激しい苛立ちを募らせていた。彼の友人の中には、能力を得た優秀な者も多くいた。彼は彼らの苦しみを知っていた。生まれながらの人間の愚かな本能(恐怖、差別、排他性)をコントロールし、ノーマルとミュータントという二つの異なる人類を、手に手を取らせることができないでいる現状に、彼は深く絶望していた。
「私は彼らを救うために世界を変えた。しかし、この世界は彼らを排斥する場所になった。」
リチャードはいくつかの答えを考えた。能力者による世界征服、非能力者の強制的な洗脳、あるいは超能力の根絶。しかし、そのどれもが、山崩れ以上の多くの犠牲を伴う方法ばかりだった。彼の根本的な望みは、あくまで「全ての人類の幸福」だった。
彼はその天才的な頭脳と、孤独な生存者としての経験、そして「力強い支配者」たる決意を総動員して、一つの結論に至った。
リチャードが実行した「力の無力化」とは別の解決策、それは人類共通の敵(脅威)をつくることで、ノーマル社会の融和を図るという、山崩れの惨事と同じく、多数の安寧のために少数を犠牲にするという冷徹な論理に基づいていた。
リチャードは実業家を葬った後、祭り上げる敵のことを考えていた。
施設を脱出したリーダー格、ミハイルとシズカは、超能力者団体「ニュクス」のリーダーとして、能力者たちの希望となっていた。「ニュクス」は非超能力者に対する対応を日々議論していたが、抑圧された環境下で、感情と論理の対立は避けられなかった。
そんな中、グループの中に、この事象のすべての原因は、リチャード率いる王心霊研究公司にあるという噂が流れ始めた。
直後、王心霊研究公司を襲撃しようという過激な意見がグループ内に噴出する。ミハイルはそれを論理的に抑え込もうとした。「たとえその噂が事実であっても、会社を襲撃したところで、超能力者の立場が上がるわけではない。ただのテロリストとして、全世界の非難を浴びるだけだ」
しかし、メンバーの理解は得られなかった。それどころか、ミハイルのパートナーであるシズカは、その直情的な性格から過激派の感情的な意見に乗っかっていた。ただでさえマイノリティーであるニュクスは、さらにその中で、過激派と穏健派に分かれることになった。
そして、最悪の事態は起こった。過激派の一部のメンバーが暴走し、王心霊研究公司の関連施設を襲撃してしまったのだ。その事件をきっかけに、非超能力者による超能力者の迫害は手のつけられないレベルまで加速した。もう、世界の流れを止めることはできなかった。
しかし、この混乱の中で、一つだけ世界を統率できる希望があった。それは、超能力に対抗できる唯一の組織、王心霊研究公司だった。リチャードは瞬く間に、各国の政府と連携し、「超能力の脅威から人類を守る」という名目で、ニュクスに対する戦争を開始した。
戦いは数年におよんだが、リチャードの緻密な情報統制により、戦いは限定的なものとなり、世界の被害範囲は限定的になった。ノーマル社会の憎悪はニュクスに集中した。
ある時から、王心霊研究公司がリチャードのワンマン企業であるという情報が、ニュクス内で流布した。「リチャードを殺すことによって、この戦争が終わるのでは」という噂は真実であるかのように語られた。ミハイルはそれがプロパガンダであることを説明するが、感情に支配されたメンバーに理解はされなかった。
理解されないどころか、シズカをトップとした精鋭メンバーが組まれ、リチャードの首を取るための最終決戦が企図された。ミハイルは知っていた。シズカが死ぬことがあれば、組織化されていないニュクスは即座に崩壊し、超能力者の迫害は限界に達するだろう。もう、時を止めることはできない。
ミハイルのハッキングにより、リチャードのスケジュールが押さえられ、彼が本社ビルにいる時を狙って襲撃が行われた。「成功の時、本社襲撃が成功したことをアピールすれば、もうニュクスを止められる団体はない」という、シズカの直感的で感情的な計画だった。
王心霊研究公司側にも、リチャードによって調整された超能力者がおり、本社ビルでの戦いは、超能力者同士の悲劇的な殺し合いとなった。ミハイルは、これ以上の犠牲を防げないことを悟り、ただこの悲劇を見守ることしかできなかった。
様々な被害と混乱の先に、本社ビルの屋上、社長室。そこに、リチャードとシズカ、そして静かに潜入したミハイルの対面が行われた。
リチャードは、高級なレザーチェアに腰掛けたまま、落ち着いた様子で言い放つ。「これは、これは、ニュクスのリーダーシズカ様。お待ちしておりましたよ」
小ばかにされたと感じたシズカが、怒りに震えながら叫ぶ。「お前を倒せば、超能力者の明日が来る!」
彼女の怒鳴り声は、そのまま破壊的な音波攻撃となる。この近距離での攻撃であれば、よけることはできないはずだ。
シズカが勝利を確信した瞬間、目の前のリチャードが消える。
次の瞬間、背後から衝撃が走り、シズカは地面に倒れる。慌てて起き上がり体制を立て直すと、後ろにいたのは余裕の笑みを浮かべたリチャードだった。
「私のことを調べたようですが、私の超能力についての情報は見つけられなかったようですね」リチャードは冷静に、そして優雅に話す。
「実は、私が本当の世界最初の超能力者だったんですよ。皆さんには私の野望の犠牲になっていただき光栄です」
リチャードの瞳に、山崩れの惨事を見た日と同じ、冷たい論理の光が宿る。「世界中にあふれた超能力者のおかげで、私の力を高めるデータを集めることができました」
リチャードは静かに腕を上げ、時を止める準備をする。「動けないときの中で、眠りなさい」
リチャードが再度時を止めようとした瞬間、彼の脇腹に冷たい雫が垂れる感覚がした。
脇腹を見ると、そこにナイフを突き立てるミハイルの姿があった。ミハイルは光学迷彩により透明になっていたのだ。彼は息をあげながら言う。
「奥の手を持ってたのは、お前だけじゃない」
「僕の能力は、電子機器の操作と、光を操り、光学迷彩で透明になることだ。僕は、お前が仕込んだセキュリティシステムの裏側から、ずっとお前を見ていた」
リチャードは、脇腹に食い込んだナイフを見つめ、再び笑みを浮かべてつぶやく。「ああ、あと一歩だったのに」
その隙を見逃さず、シズカの音波攻撃が襲い掛かる。音波はリチャードの体を窓の外へと吹き飛ばし、夜の闇に消えていく。
新たな夜明け
ミハイルは即座に本社ビルのサーバーに侵入し、この戦いの録画と、王心霊研究公司の過去の非人道的な行いを全世界に向けて発信した。
全世界に衝撃が走った。争いの根源は、超能力者そのものではなく、王心霊研究公司、すなわちリチャードの野望にあったのだ。
超能力者への迫害は一気に失速し、理解ある社会が加速度的に進むことになった。
リチャードが望んだ「人類の融和」は、彼自身を共通の敵とすることで、皮肉にも間接的に実現した。
しかし、王少年の望んだ「友好的な関係性の継続」は、二人の能力者、ミハイルとシズカの連帯によって、血と裏切りの果てに、ようやく世界にもたらされたのだった。世界は、一人の天才の独裁を拒み、新たな共存の時代へと向かうことになった。
時は少し戻り、リチャードが本社ビル屋上からの転落。それは、リチャードにとって最後の、そして最も重要なテレポートの瞬間だった。
シズカの音波がリチャードの身体を吹き飛ばす寸前、彼はかすかに時を止め、自身をビルの影を這う換気ダクトへと瞬間移動させた。ミハイルのナイフが脇腹に突き立てられたのは、彼の計算を狂わせた唯一の要因だったが、それは同時に、彼の死を確信させるには十分な演出となった。ナイフの傷は深く、彼の命を奪うには至らなかったが、悪役の最期としては完璧だった。
彼の体は、闇の中に消えたのではない。彼は悪役という名の舞台の幕を、自らの命を持って引き下ろしたのだ。
英雄たちの時代
それから十年。世界は劇的に変わった。
リチャードの告発と、彼が遺した技術情報により、超能力者の迫害は終息し、能力者と非能力者の間に和解と協力の時代が訪れた。ミハイルとシズカは、能力者団体のリーダーとしてではなく、新しい世界の真の英雄として、国際的な融和の象徴となっていた。
彼らが主導するプロジェクトは、超能力を社会インフラに活用し、世界の飢餓や災害を解決していった。リチャードが少年時代に望んだ「友好的な関係性の継続」は、彼の犠牲の上に、ようやく現実のものとなった。
孤独な守護者
リチャードは今、かつて彼が育った農村部の山々を見下ろす、人里離れた場所に隠棲していた。過去の広大な富を使い、彼は世界各地に監視システムを構築していた。王心霊研究公司が残した遺産、すなわち彼の知識と技術の全ては、彼の私的な「守護機関」へと形を変えていた。
彼は、ミハイルとシズカの活動を陰から静かに見守っていた。彼らが世界を導く姿を見て、リチャードは満たされていた。彼らは彼が愛した人々の代表であり、彼の天才的な計画の最も美しい結実だった。
しかし、リチャードは知っている。人間の愚かさや、差別を生み出す本能は、決して消えたわけではない。ただ、矛先を失い、深い層に潜り込んだだけだ。もし、ミハイルやシズカに代わる新たな脅威が現れた時、あるいは二つの人類の間に再び憎悪の火種が生まれた時、彼は再び「悪役」として表舞台に立つ覚悟でいた。
ある晴れた秋の日、リチャードは窓辺から、かつて山崩れが起きた方角の空を眺めた。
彼はもう「王少年」でも「リチャード」でもない。世界にとって、彼は「歴史的な悪」として死んだ男だ。しかし、彼の心は穏やかだった。
彼は、かつて山崩れで助けられなかった人々のために、そして、彼が愛する全ての人々が争うことなく生きる世界のために、孤独な夜の守護者として生き続ける。
「今度こそ、間違いは犯さない」
彼は静かにそう呟き、遠い街の灯に向けて、わずかに微笑んだ。彼の野心は、もはや世界を支配することではない。ただ、陰から、永遠に世界の平和を祈り続けること、それだけだった。そして、彼には、その祈りを実現するための力と知性が、まだ残されていた。