私の名はシズカ。かつて私は名前を持たなかった。「王のところの少年」が「リチャード」という、支配者の名を自らに与えたように、私たちもまた、母の姓だけで呼ばれる名無しの子供だった。それが、この国での私たちの始まりだ。

だが、私の本当の物語が始まったのは、あの地下研究所の、薄暗い檻の中だ。

リチャードという名の冷たい天才が、私たちを「生き物」ではなく「兵器」として生み出そうとしていた場所。私の能力、音波を操る力は、そこで極限まで研ぎ澄まされた。壁を粉砕し、人の聴覚を麻痺させ、電子ロックを無力化する。その力を使うたび、私の体はひどく痛んだが、その痛みが私を人間に繋ぎ止める唯一の感覚だった。

あの場所で、私はミハイルと出会った。彼は私と並ぶ、あるいはそれ以上の天才だった。彼は論理とデータで世界を見ていたが、彼の目には常に、私たちの境遇に対する静かな怒りが宿っていた。私たちは、互いの能力を知り、いつかこの檻を破ることを無言で誓い合っていた。

脱出は、ある深夜に起こった。

その瞬間、私たちは知らなかった。この脱出劇の裏で、リチャードが静かに駒を進めていたことを。しかし、その時、私たちにとって重要だったのは、たった一つのことだけだ。自由

「シズカ、行けるか!」 ミハイルの声が、低く響く。私は応えなかった。代わりに、全身の意識を集中させ、指先から、電子ロックの周波数に合わせた超高周波の振動を放った。キーーン、と人間には聞こえない悲鳴が空間を走り、分厚い鉄の扉がバラバラに砕け散る。

警報が鳴り響く。警備員が走ってくる。怒りに満ちた被験者たちが、一斉に能力を爆発させた。念動力で岩石を飛ばす者。手から炎を噴き出す者。その騒乱の中を、私はミハイルと共に駆け抜けた。私の能力が、行く手を阻む壁を破壊し、追手の平衡感覚を奪い、ミハイルの電子操作を助ける。

私たちは夜の闇の中へ飛び出した。私たちが撒き散らした力の残滓は、世界中に響き渡り、やがて多くの人々の遺伝子に共鳴して、超能力という名の「伝染病」を引き起こしたのだ。

解放された世界は、私たちが夢見た場所ではなかった。

私たちの存在は、長年平和に慣れきったノーマル社会にとって、受け入れがたい「脅威」でしかなかった。能力者が全人口のわずか10パーセント?そんな数字は意味をなさない。サイコキネシスで車を投げ飛ばす私たちを前に、彼らはただ本能的に怯え、そして排斥した。

私たちは**「ニュクス」**という名の組織を結成した。夜の女神の名を持つ、抑圧された能力者たちの希望の光だ。ミハイルが論理的な戦略を練り、私が現場の戦闘と士気を担った。

しかし、迫害は日増しに激しくなった。隔離され、仕事も住む場所も奪われ、狩られる対象となった。私たちの憎悪は一つの点に集約されていった。

王心霊研究公司(Wáng Xīn Líng Research)。 リチャードが、私たちの生みの親である実業家の会社を引き継ぎ、今や世界の「超能力者問題」を統括する情報機関となっていた。彼こそが、この地獄の責任者だという噂は、私の胸の中で確信に変わった。

「シズカ、落ち着け。彼らはそれを望んでいる。会社を襲撃すれば、私たちはテロリストとして、世界中の憎悪を一身に受けることになる」 ミハイルはいつもそう言って私を抑えつけた。彼の論理は正しかったかもしれない。だが、私たちはいつまで、ただ黙って耐え続ければいい?

「ミハイル、私たちの血と汗で作り上げたこの力は、彼らに虐げられるためにあるんじゃない!私たちが動かなければ、いつか全員檻に戻される!」

私たちの組織は、過激な行動を求める私と、理性を求めるミハイルの間に引き裂かれた。そして、感情が理性を凌駕した時、暴走したメンバーがリチャードの関連施設を襲撃した。それをきっかけに、ノーマル社会の怒りは頂点に達し、戦争が始まった。

戦争は数年に及び、私たちの疲弊は限界を迎えていた。リチャードの緻密な情報統制と、彼が作り出した「共通の敵」というプロパガンダは、ノーマル社会を一つにまとめ、私たちを孤独に追いやった。

「リチャードを殺せば、この戦争は終わる」

その声は、私たちの間に流されたプロパガンダだったかもしれない。だが、私にとっては、それは希望だった。この地獄を終わらせるための、唯一の道だった。私は精鋭メンバーを率い、リチャードの本社ビルへの最終決戦を企図した。

能力者同士の血まみれの殺し合いの末、私は本社ビルの屋上、彼の社長室に辿り着いた。

高級なレザーチェアに座ったリチャードは、まるで私たちを待っていたかのように、落ち着いた笑みを浮かべていた。 「これは、これは、ニュクスのリーダーシズカ様。お待ちしておりましたよ」

彼の小馬鹿にしたような態度に、私の心臓は怒りで爆発しそうになった。 「お前を倒せば、超能力者の明日が来る!」

私の叫びは、そのまま破壊的な音波となった。この近距離で、私の全身の力を込めた音撃を避けられるはずがない。勝利を確信した瞬間、目の前のリチャードが消えた

次の瞬間、背後から鈍い衝撃が走る。私は地面に叩きつけられ、慌てて起き上がると、後ろに余裕の笑みを浮かべたリチャードが立っていた。

「私のことを調べたようですが、私の超能力についての情報は見つけられなかったようですね」 彼の声は、まるで教師が生徒を諭すように冷静で優雅だ。

「実は、私が本当の世界最初の超能力者だったんですよ。皆さんには私の野望の犠牲になっていただき光栄です」

彼の瞳に、あの研究所で私たちを見ていたのと同じ、冷たい論理の光が宿る。「世界中にあふれた超能力者のおかげで、私の力を高めるデータを集めることができました」

彼は静かに腕を上げ、時を止めようとする。「動けないときの中で、眠りなさい」

その時、リチャードの脇腹に冷たい雫が垂れるのを、私は見た。

「奥の手を持ってたのは、お前だけじゃない」

ミハイルが、光学迷彩で透明になっていたのだ。脇腹にナイフを突き立て、息を上げている。私の脳裏に一瞬のひらめきが走る。今だ!

私は全身全霊の力を込めた。怒り、憎悪、そしてミハイルへの感謝。その全てを乗せた超大音波が、リチャードの体めがけて炸裂する。音波は彼の体を窓の外へと吹き飛ばし、夜の闇に消えていった。

リチャードは消えた。ミハイルはすぐに本社ビルのサーバーを乗っ取り、この戦いの真実と、王心霊研究公司の非人道的な過去を全世界に発信した。

世界中に衝撃が走った。超能力者が憎むべき敵ではなく、一人の天才の野望の犠牲者であったことが証明されたのだ。

超能力者への迫害は終わりを告げ、私たちミハイルとシズカは、融和の象徴となった。私たちは能力者と非能力者の間に立ち、協力の時代を築き始めた。リチャードが望んだ「友好の継続」は、皮肉にも、彼自身を共通の敵とすることで実現した。

私は今、静かにミハイルと共に世界を導いている。感情に流されがちだった私を、ミハイルの論理が支えてくれる。私たちの平和は、リチャードが作り上げた偽りの平和ではない。この連帯こそが、血と裏切りの果てに、ようやく世界にもたらされた真の夜明けだと、私は確信している。

彼の力と野望は、世界を変えた。だが、世界を救い、新しい時代を築くのは、私たち二人の連帯の力だ。