壱:奇跡と計算
私は宮本(みやもと)健吾(けんご)、八十歳。あの若返りの現象が起きた時、私は病院のベッドで人工呼吸器につながれていた。肺の機能が完全に衰え、自力では呼吸すらできなかった。
目が覚めると、全身が若い時の活力に満ちていた。鏡を見た。三十五歳。私が事業で成功し、最も金と権力を持っていた頃の、傲慢な面差しがそこにあった。
「これは…天からの贈り物だ!」
私は、他の老人のような「青春のやり直し」などには興味がなかった。私の欲望は、常に「支配」と「獲得」だ。二十歳の頃の私には金がなかった。しかし、今の私には、老後の貯蓄と、莫大な隠し資産がある。そして、三十五歳の肉体。
ニュースは、寿命が極端に短縮されると報じていた。佐伯綾子のような要介護五の者は約十日。人工呼吸器を使っていた私は、おそらく十二日が限界だろうと直感した。
「十二日か。短い。だが、この金とこの力があれば、十二日間で世界を変えられる」
私はすぐに病院を抜け出し、金庫からすべての資産を引き出した。世間は混乱している。今こそ、金を動かす最大のチャンスだ。
弐:十二日間の焦燥
私の十二日間は、遊びではなく、事業の再構築に費やされた。
初日~三日目: 私は旧知の優秀な弁護士や金融関係者に連絡を取った。皆、私の今の姿に驚愕したが、私の持つ莫大な資産と、若き日のカリスマ性が、彼らを再び動かした。私は、混乱で暴落している株や不動産を、安値で買い叩くための計画を立てた。この短期間で、私は資産を倍増させるつもりだった。
四日目~六日目: 私は、かつて私を裏切ったビジネスパートナーを潰すことに集中した。彼らは私が死にかけていると思っていた。私は彼らの会社に乗り込み、容赦なく資金を引上げ、彼らの事業を頓挫させた。復讐は、私にとって最高の快楽だ。しかし、この種の快楽はすぐに飽きる。
七日目: 私は、最も若い女を求めた。私の欲望リストは、常に「より新しいもの」への獲得で満たされている。私は、二十歳の美女を買い、一夜を共にした。彼女たちは私の財力と権力に平伏し、私を賞賛した。だが、彼女たちの賞賛は、私を満たさなかった。彼女たちの目には、私が「老いた魂」であることが透けて見えているようだった。
「足りない。圧倒的に時間が足りない」
この頃から、私の焦燥感は極限に達していた。金は増える。権力は戻る。しかし、それらを享受する時間がない。
参:尽きぬ渇望
八日目~十日目: 私は、事業の再拡大を強行した。私の肉体に重さが戻り始めている。息切れもする。私は寝る間も惜しみ、薬で無理やり体を動かし、電話を握り続けた。
私は、世界中の富を掌握することを目指した。私の頭脳は、まだ八十年の経験を持っている。三十五歳の体力と八十歳の知恵があれば、私は王になれるはずだ。
「あと一週間あれば、私はこの世界を思い通りにできる!」
私は、自分の欲望が尽きないことに気づいた。綾子のように、解放された青春を謳歌して「満足して死ぬ」という感覚が、私には全く理解できなかった。私の欲望は、終点がないマラソンなのだ。獲得すればするほど、次の獲得目標が生まれ、喉の渇きは増すばかり。
私は、金を手に入れたいのではない。永遠に金を手に入れ続けるプロセスが欲しいのだ。
十一日目: 身体の衰えが顕著になった。私は、車椅子を要求した。私の事業は、計画通り、私の資産を十倍に増やした。私は、この十二日間で、世界で最も短期間に資産を増やした男になった。
しかし、私が車椅子で眺めるオフィスビル群は、私のものではないように感じた。
「なぜだ。なぜ、この喜びは一瞬で終わるのだ」
私の顔は、二十歳の美女を追いかけて遊んだ綾子の顔とは全く違う。私の顔には、満足感ではなく、飢餓感と焦燥が張り付いていた。
肆:満たされない終焉
十二日目の夜。
私は、自分の私邸の一室で横たわっていた。周りには、秘書や医師が慌ただしく立ち働いているが、誰も私の命を延ばすことはできない。
私の心は、未だに終わらない欲望で叫び続けていた。
「まだだ!あの株を買わねば!あの土地はまだ私のものになっていない!あと一日あれば、あと一時間あれば!」
私の人生の最後の瞬間は、成功の歓喜でも、愛の満足でもなかった。それは、「時間がない」という、究極の絶望だった。
私は、世界を手に入れた。しかし、それを享受する永遠の時間を手に入れることだけは、できなかった。
私の目は、三十五歳の肉体で最後に見た、欲望の対象――夜景にきらめく、私がまだ手に入れていない街――を捉えたまま、虚ろになった。
私は、満たされないまま、命を終えた。老いではなく、欲望の飢餓によって、私の魂は焼き尽くされたのだ。私の身体は、瞬く間に老衰の姿に戻り、醜い皺と、怨嗟の表情を刻んだ。