あの日、金曜日の夕方。私は悠斗を迎えに、和彦はハンバーグの買い出しに、それぞれ家を出た。心菜が、リビングでブロックを広げながら「おるすばんのプロだからだいじょうぶ!」と笑っていたのが、私の最後に見た心菜の笑顔だった。

私たちは、ほんの数分のうちに、幹線道路の交差点で永遠に途切れてしまった。

意識が霧のように晴れた時、私たちは家族三人、見知らぬ、温かい光の中に立っていた。悠斗が「ママ、パパ!」と泣きつき、和彦が私の手を握った。

すぐに、私たちは理解した。私たちは、もうあの家に帰れない。

「心菜は?心菜はどうなるんだ、美香!」和彦の焦燥が、この静謐な空間で唯一の痛みを伴う感情だった。

私たちは、透明な壁の向こう側から、あの家を見た。リビングの電気はついたまま。テレビは通販番組を流している。そして、玄関の冷たい階段に、心菜が小さな体を丸めて眠っていた。

「ああ、心菜……ごめんね、すぐに帰るって言ったのに」

私たちには、声をかけることも、抱きしめることもできない。ただ、その孤独な夜を、見つめていることしかできなかった。

土曜日、心菜は目を覚ました。冷蔵庫のドアノブに手が届かず、床に座り込む心菜の姿を見て、和彦は「俺が行って、抱き上げてやる!」と壁に手を伸ばしたが、虚しくすり抜けた。

日曜日の午後。心菜の小さな心が壊れる瞬間を、私たちは見ることになった。

心菜がサッカーボールを壁に叩きつけ、調味料や食器を床に叩きつけるたび、悠斗は「やめろよ、心菜!」と泣き、私は必死で叫んだ。「心菜、もうやめて!危ないわ!」

しかし、私たちの声も、悲しみも、あの家には届かない。心菜の小さな暴走が、誰にも気づかれず、誰にも止められないまま、部屋を荒らしていく様子は、私たちにとって地獄のようだった。

「ごめん、心菜。誰も片付けてあげられない」和彦が床に散乱した砂糖の粉を見つめた。

そして、月曜の朝。私たちが最後の希望を託した、地方の父母(心菜の祖父母)が、私たちと同じように事故に遭い、命を落としたことを知ったとき、私たちの心は二度目の絶望に突き落とされた。

「誰も……心菜を助けに行けない」

警察が破錠し、荒れた家から心菜を抱き上げた時、私たちは心から安堵した。あの小さな体が、やっと保護された。

しかし、その後の心菜の「うそ」と「拒絶」の日々を見守るのは、新たな苦痛だった。

「かくれているんだよ。サプライズパーティーのじゅんびなんだよ!」

一時保護所の佐藤職員に、満面の笑顔でそう話す心菜を見て、私は泣いた。

「この子は、自分の心を守るために、私たちを『生きている』ことにしたのね……」

私たち家族全員の死というあまりにも巨大な真実を、五歳の心菜が受け入れることはできなかった。その「否認」が、心菜にとっての唯一の生存手段となってしまった。

その後の13年間。心菜は私たちの「サプライズ」に整合性を持たせるために、嘘を重ね、社会から孤立していった。周囲から「嘘つき」「異常者」と蔑まれ、ついには精神病院の白い壁に閉じ込められることになった。

その間、多くの大人が心菜に真実を伝えようとしたが、心菜はいつも静かに拒否した。

「ああ、私たち家族を殺したのは、私たち自身が起こした事故なのに。この子の人生を狂わせた」私は何度も後悔した。

病院に隔離され、薬によって思考能力を奪われた心菜の姿は、見るに堪えないものだった。

しかし、薬物が彼女の精神を現実から完全に引き離した時、奇妙な、そして安堵すべきことが起こった。

ある夜、心菜の夢の中に、私たちは現れた。

「ただいま、心菜」「ごめんね、すごく時間がかかっちゃったね」

それは、心菜の心の中で、13年越しの「サプライズパーティー」が完成した瞬間だった。

心菜は、23歳の体ではなく、5歳の笑顔で私たちに飛びついてきた。彼女の口から漏れる「うわごと」は、ハンバーグ、サッカー、そして誕生日のケーキの話ばかりだった。現実の苦痛から遮断された心菜は、頭の中で、永遠に冷めない家族の温もりの中にいた。

「これでいいのね、和彦」私は和彦に尋ねた。 「ああ。この子は、現実の地獄を背負うよりも、この夢の中で幸せになることを選んだんだ」和彦は心菜の夢の中の頭を優しく撫でた。

数年後、心菜の顔に満面の笑顔が浮かんだまま、静かに息を引き取ったとき、私たちは知った。

心菜は、私たちの事故によって途切れた金曜日の夕暮れの続きを、完全に、そして幸せな形で、自分の心の中で生ききったのだと。

私たちは、白い監獄のベッドから解放された心菜の魂を抱きしめた。彼女はもう泣いていない。ただ、満たされた笑顔で、私たちに言った。

「サプライズ、大成功!」

私たちは、心菜の安息が、私たち自身が負わせた最も大きな苦痛の唯一の救済であると悟り、永遠の光の中で、共に心菜を抱きしめ続けた。