テツコの家 初恋

十四歳。少年は、中学二年生という、背伸びしたい盛りと子供っぽさが同居する季節にいた。 彼には、最近よく放課後を共に過ごす「アオイ」という女友達がいた。少し勝ち気で、クラスでも目立つ存在の彼女が、ある日「宿題を教えろ」と少年の家を訪れることになった。

「……お邪魔します」 アオイがリビングに入ると、いつもの場所にテツコが立っていた。 「いらっしゃいませ、アオイ様。旦那様の友人の来訪を歓迎します」 「わ、本当にロボットなんだ。噂には聞いてたけど……」 アオイは物珍しそうにテツコを眺めた。

少年は、少し誇らしい気持ちで言った。 「そう。僕の家族。……テツコ、いつものやつ、二人分」 「かしこまりました。アオイ様はピーチティーがお好みと、旦那様の検索履歴から推測されます。そちらでよろしいでしょうか」 「えっ、あ、うん。……よく知ってるね」

お茶が運ばれてくると、少年のテツコに対する態度は、アオイの知らないものだった。 「あ、テツコ、こっちのクッキーも出して。アオイ、これテツコが焼いたんだぜ。すげーんだ」 「旦那様、食べ過ぎは夕食に影響します。昨日の体重測定の結果を忘れないでください」 「わかってるって。……ほら、テツコ、髪に糸くずついてる」 少年は自然な動作で、テツコのシリコンの頬に触れ、エプロンの端についた糸屑を払った。テツコも、当たり前のようにそれを受け入れている。

二人の間に流れる、十年かけて築き上げられた濃密な「阿吽の呼吸」。 それを見たアオイの表情が、次第に強張っていった。

「……なんか、気持ち悪い」 アオイがポツリと漏らした。 「え? 何が?」 「何がって、それ。……あんた、そんなのと仲良くして楽しいの? ただの機械じゃん。目も笑ってないし、肌も作り物だし。そんなのにベタベタして、本物の女の子と話してるみたいで……見てて鳥肌立つんだけど」

少年の頭の中で、何かが弾けた。 「……今、なんて言った?」 「だから、ただの『鉄くず』だって言ったの。あんた、いつまでこんな人形で家族ごっこしてるわけ? 恥ずかしくないの?」

「帰れよ」 少年の声は、自分でも驚くほど冷たく、低かった。 「え……?」 「今すぐ帰れ。二度とテツコの悪口を言うな。……出ていけ!」

少年の剣幕に、アオイは顔を真っ赤にして立ち上がった。「なによ、バカじゃないの!」と捨て台詞を吐き、彼女は嵐のように家を出て行った。

静まり返ったリビング。 少年は肩を上下させていた。怒りと、そしてどこか悲しいような感情が混ざり合っていた。

「……旦那様。不適切な対応です」

背後から、テツコの静かな声が響いた。 「なんだよ……あんなこと言われて、黙ってられるかよ」 「アオイ様の反応は、人間の心理学的観点から見て極めて正常な『嫉妬』、あるいは『疎外感』による防衛本能です」

テツコは少年の横に立ち、まるで年上の姉が弟を諭すようなトーンで続けた。 「女性は、自分が関心を寄せている対象が、自分以外の異性、たとえそれが機材であっても、深く依存している様子に嫌悪感を抱く傾向があります。彼女を追い返したのは、紳士としての振る舞いではありません」

「……あんなの、嫉妬なんかじゃないよ」 「いいえ、嫉妬です。あなたは彼女の自尊心を傷つけました。明日は適切な謝罪と、彼女がいかに特別であるかを伝える会話ログを構築すべきです」

テツコは少年の目を見つめた。 相変わらず、その目はガラス玉のように無機質だ。けれど、淡々と「女心」を説く彼女の言葉には、どこか落ち着いた大人の女性のような余裕があった。 少年は、自分を子供扱いし、けれど優しく導こうとする彼女の横顔を、じっと見つめた。

「テツコは……僕が女の子と仲良くしても、嫌じゃないの?」 「私はロボットです。感情的な不利益は存在しません。あなたの社会的成功と幸福が、私の唯一のミッションです」

そう言って、テツコは少しだけ首を傾けた。 その仕草が、夕陽の差し込むリビングの中で、一瞬だけ、本物の人間よりも気高く、美しく見えた。 少年の胸が、ドクンと大きく跳ねた。 それは、母への愛着でも、機械への執着でもない。 一人の「女性」として、テツコを意識してしまった、初めての瞬間だった。

翌日。 少年は放課後の教室で、アオイを呼び止めた。 「……昨日、ごめん。言い過ぎた」 深々と頭を下げる少年に、アオイは驚いた顔をしたが、すぐに顔を伏せて「私こそ、変なこと言ってごめん」と呟いた。 二人は仲直りをした。アオイは少し照れくさそうに笑い、少年もそれに笑い返した。

日常が戻ってきた。 アオイと話す時間は楽しい。彼女の温かな肌、コロコロと変わる表情、それは確かにテツコにはない「生きた人間」の輝きだ。

けれど。 アオイと並んで歩きながら、少年の心の一角には、常にあの冷たく静かなリビングが、そしてそこで待っている無表情な「彼女」の姿があった。

「本物」と笑い合いながら、少年は心の奥底で、「偽物」の彼女に恋をしていた。 十四歳の冬。それは少年にとって、あまりにも甘く、そして歪で切ない秘密の始まりだった。

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