「うおおおおおぉぉぉッ!!」
タケルは絶叫と共に、爆発的な突風を巻き起こして宙へ飛び出した。 『風』の紋章が異常な光を放ち、周囲の空気を引き裂きながら、一直線に丘の上の鎌切(レンセツ)へと向かっていく。それはもはや飛行というより、憎悪を推進力にした砲弾だった。
「おい、タケル! 待て!」 高橋が慌てて叫ぶが、タケルの耳には届かない。 「ジョー、フォローを頼みます! 奴一人では危険だ!」
「ちっ、あのバカガキ!」 ジョーも舌打ちをして足から炎を噴射し、空へと舞い上がった。だが、純粋な風の力で飛ぶタケルの速度には到底及ばず、距離は開いていくばかりだった。
さらに、遅れたジョーの前に、上空から三つの巨大な影が立ちはだかった。 ムカデ、トンボ、セミの特徴を持つ、異形の怪人たち。
「行かせるかよ、火の戦士」 空気を震わせる不快な羽音と共に、トンボの怪人が嗤う。 「俺は黄泉の八代将軍が一人、蜻蛉(トウレイ)!」 「同じく、百足(ヒャクソク)!」多足でうねるムカデの怪人が続く。 「同じく、鳴蝉(メイセン)! 俺たち三名が、貴様を歓迎してやろう」セミの怪人が腹部を震わせて名乗った。
「冗談じゃねえ……!」 ジョーは空中で急ブレーキをかけた。敵は三体。しかも空中で機動力の高い蜻蛉、遠距離から音波を放つ鳴蝉、多足でうねるように迫る百足。流石のジョーも多勢に無勢であり、防戦一方に追い込まれてしまった。
一方、空を飛べないリチャード、ヴィクトリア、高橋、カグヤは、地上を走ってタケルを追おうとしていた。 しかし、その行く手を遮るように、上空の鳴蝉が腹部を震わせ、集落全体に響き渡る大音量で言葉を放った。
『地の民の裏切り者諸君! 本来であれば貴様らを皆殺しにするところだが、主の深い慈悲によりチャンスをやろう! ここにいる「天の民の宿敵」どもを、貴様らの手で殺せ!』
その声に、集落の虫人間(地の民)たちの間に動揺が走った。 しかし、長(おさ)が一歩前に出て、強い声で言い返した。 「ふざけるな! 我らは争いを避けて、この地上に逃げてきたのだ! これ以上、我らを血生臭い争いに巻き込まないでくれ!」
『争いを好まないと言いながら、なぜ天の民の神の寺院の周りで暮らしている?』 鳴蝉が嘲笑うように音波を響かせる。 『なぜ、天の民と交わった忌まわしき者がそこにいる!』
鳴蝉が指差した先には、メーテルがいた。 視線を集めたメーテルは、怯えた表情で身を縮こまらせ、目を伏せた。
長が慌てた様子で弁明する。 「我らがこの地上で生きていくには、天の主の結界の加護がなければ不可能だ! そしてあの娘は……我らも知らぬところで、天の者と通じた者が……」
(まただ……また、私のせいで……) メーテルは頭を抱えた。自分の出生が、常に争いの種になり、人を不快にさせる。その悲しみが彼女の心を苛んだ。
『言い訳は無用。わかった、最後のチャンスであったのに……従えぬなら、死あるのみよ! 行け、者共! 全て食い尽くせ!』
鳴蝉が腕を振り下ろした瞬間、周囲の森の木々が揺れ、地面がボコボコと隆起した。 中から湧き出してきたのは、シルクロードで遭遇した時の比ではない、文字通り黒い絨毯のような無数の虫人間たちだった。
「くそっ、キリがありませんよ!」 高橋がサイボーグアームのプラズマキャノンを構えながら叫ぶ。 「隊列を組み、この住民たちを守りましょう! ジョーは何とか生き延びてください!」
リチャードが聖剣を、ヴィクトリアが戦斧を振るい、カグヤが八卦の結界を張る。彼らは懸命に防衛線を構築したが、あまりの数に押し込まれ、タケルとジョーの援護に向かうどころではなくなってしまった。
「どけぇぇッ!!」
タケルは群がってくる空中の雑魚を風の刃で乱暴に切り払い、ついに丘の上、鎌切の元へと辿り着いた。
「谷の皆の仇……! 親父の仇ッ! 覚悟しろォォ!!」
風を極限まで圧縮した大剣を生成し、タケルは渾身の力で鎌切に飛びかかった。 しかし。
ガキィィンッ!!
タケルの渾身の一撃は、鎌切の強靭なカマの片腕に、いとも容易く受け止められていた。
「ほう。あの時逃げ惑っていた小僧か。少しは力任せではなくなったようだが……」 鎌切は冷酷な複眼でタケルを見下す。 「まだ修行が足らんな。その剣には、迷いと焦りしかない」
「うるせえッ!」 タケルは連続で斬撃を繰り出す。しかし、リチャードから教え込まれたはずの理にかなった剣技は、怒りで完全に乱れていた。風の力も、心の波立ちに影響されて圧縮が甘く、鎌切の硬質な外殻を傷つけることすらできない。
「遅い」 鎌切のもう片方のカマが閃く。タケルは回避が遅れ、肩口を深く切り裂かれた。 「がはっ……!」 地面に転がるタケルを、鎌切がゆっくりと追い詰めていく。
上空では、ジョーも限界を迎えていた。 「火炎旋風(ファイア・トルネード)ッ!」 広範囲の炎で牽制するが、蜻蛉の素早い動きに躱され、百足の酸の攻撃を浴び、鳴蝉の超音波で三半規管を狂わされる。完全に防戦一方、逃げ回るのが精一杯だった。
そして地上。 「エネルギー残量、残りわずか……弾切れですね」 高橋がプラズマキャノンの砲身から白煙を上げながら、苦々しく呟く。リチャードもヴィクトリアも息が上がり、傷だらけだ。
絶対絶命。誰もが死を覚悟した、その時だった。
戦場の喧騒の中、メーテルは一人、頭を抱えてしゃがみ込んでいた。 目を閉じると、幼き日の記憶が蘇ってくる。
まだ、父も母も生きていた頃。 地の民である父と、天の民である母。そのハーフである彼女は、集落の子供たちから「穢れた子」と石を投げられ、いじめられていた。
泣いて帰ってきた彼女を、大きくゴツゴツとした手で慰めてくれたのは、地の民の父だった。天の民である母は、種族の違う子を産んだ肉体的負担から、ほとんど寝たきりの状態だった。
そんなある日、密かに暮らしていた彼らの村が、地の民の過激な先遣隊に見つかってしまった。 村で一番の力を持っていた父は、武器を取り、村を守るために家を出ようとした。
『なんで……なんで、いつも意地悪ばかりする村の人のために、お父様が危険な目に遭わなくちゃいけないの?』 幼いメーテルは、泣きながら父の足にすがりついた。
父はしゃがみ込み、優しい顔でメーテルの頭を撫でた。 『いいかい、メーテル。力を持つ者は、弱いみんなを守るために、大地からその力をもらっているんだ。力を持っているのに、それを使わずに誰かが傷つくのを見ているのは、とても悲しいことなんだよ』 父は力強く微笑んだ。 『それに、何より……お前と母さんを守るためさ』
そう言って家を出て行った父は、先遣隊と相打ちになり、二度と帰ってくることはなかった。 母も、父の後を追うように、数日後に寿命を迎えた。
身寄りのなくなったメーテルは、現在の長に引き取られた。村を守った英雄の娘ということで、直接いじめられることはなくなったが、皆からは「腫れ物」のように扱われ、孤独な日々を強いられていた。
(お父様……) メーテルの心に、もう一度、父の言葉が繰り返される。
『力を持つ者は、みんなを守るために、力をもらっている』
今、目の前で、自分を庇って傷ついていく人々がいる。 戦士たち。そして、かつて自分を冷遇した集落の民たちも。
(私にできることが、あるのなら……!)
メーテルが強く祈ったその瞬間。 彼女の両手が、淡く、しかし力強い緑色の光を放ち始めた。 その手の甲に、はっきりと『緑』の文字が浮かび上がる。
「皆を……守るッ!!」
メーテルが叫んだ。 次の瞬間、周囲の森の木々が一斉に激しくざわめき出した。 地面から巨大な木の根が意思を持ったように飛び出し、空へ向かってツルが伸びる。
「な、なんだ!?」 地の民の怪人たちが混乱する。 メーテルの意志に呼応するように、無数の植物が敵だけに絡みつき、締め上げ、地面へと叩きつけ始めた。
一気に形勢が逆転する。 そして、メーテルの植物の攻撃によって近くの虫人間が潰された際、その緑色の血飛沫が、後方にいたカグヤの顔に降りかかった。
「ひっ……血……」 カグヤは白目を剥いて気絶し――次の瞬間、獰猛な笑みを浮かべて跳ね起きた。 「おっしゃあ! 交代だ! ガハハハ!」
武闘派人格、ミカの登場だ。 「よくやった緑の姉ちゃん! 後はあたしに任せな! 八卦陣・震(しん)ッ!」 ミカが印を結ぶと、植物に拘束されて身動きが取れない敵の群れに、容赦のない広範囲の雷撃が降り注ぎ、黒焦げに変えていった。
「ナイスアシストです」 高橋はその隙を逃さず、アンナから受け取った予備のエネルギーマガジンをサイボーグアームに装填した。「システム再起動。排除を再開します」
地上を制圧したリチャードとヴィクトリアは、顔を見合わせて頷き、一気に上空へと跳躍した。 「ジョー! 待たせたな!」 「遅えよ! 焦げちまうところだったぜ!」
ジョーの隣に、リチャードとヴィクトリアが並び立つ。 「へっ、これで3対3だ。負ける気がしねえな」 ジョーがニヤリと笑う。
空中戦の構図が変わった。
「俺はあの百足野郎をやる!」 ジョーは両手両足から炎を噴射し、うねりながら迫る百足へ突撃した。 「無駄だ! 俺の多足による波状攻撃は躱しきれ――」 「躱す必要はねえ。全部燃やし尽くすッ! 爆熱・火炎十字!」 ジョーの放った十字の業火が、百足の体を節ごとに爆砕していく。百足は断末魔の悲鳴を上げながら、炭となって地上へ墜落した。
「水風船の女! 俺のスピードに追いつけるか!」 蜻蛉が、ヴィクトリアを嘲笑いながら超高速で周囲を飛び回る。 「ハッ、蠅が飛び回ってるだけだね。アタシの海は、全部飲み込むよ!」 ヴィクトリアは戦斧を大上段に構える。右手の『水』の紋章が輝く。 「大海嘯・波斬りッ!」 放たれた巨大な水の刃が空中で拡散し、無数の水の散弾となって全方位を襲う。逃げ場を失った蜻蛉は羽をへし折られ、水の圧力で叩き潰された。
「クソッ……ならば貴様からだ、銀色の!」 残る鳴蝉が、リチャードに向けて腹部を激しく振動させ、致死レベルの超音波攻撃を放つ。 リチャードは聖剣を盾にして防ぐが、音波は鎧を通り抜けて内臓を揺さぶる。 「……悪・即・斬ッ!」 リチャードは痛みを気力でねじ伏せ、一瞬の隙を突いて踏み込んだ。 「聖剣技・光芒一閃(こうぼういっせん)!」 銀色の軌跡が空を裂き、鳴蝉の体を音を立てる間もなく真っ二つに両断した。
三将軍、全滅。
上空の戦況と、地上の自軍の壊滅を見た鎌切は、舌打ちをした。 「……チィッ。ここまでか」 鎌切はカマを地面に突き立て、地中へと潜り始める。
「待てッ! 逃げるのか!」 満身創痍のタケルが、立ち上がって後を追おうとする。
地面に半分埋まった鎌切が、冷ややかな視線をタケルに向けた。 「勘違いするな小僧。もう少し時間があれば、死んでいたのはお前の方だったぞ。……次会った時が、貴様の最後だ」 そう言い残し、鎌切は完全に地中へと姿を消した。
「まて……待てよぉぉぉッ!!」
タケルは鎌切が消えた穴の縁に倒れ込み、血まみれの拳で何度も何度も地面を叩いた。 自分の無力さ、届かなかった復讐の刃。悔しさと不甲斐なさが入り混じり、タケルは獣のような咆哮を上げた。
「うわああぁぁぁぁぁッ!!」
その声が木霊する中、戦いを終えた仲間たちが、うなだれるタケルの元へ集まってきた。 ジョーも、ヴィクトリアも、何も言わずにタケルを見下ろしている。
ドゴォッ!
突然、リチャードが一歩前に出ると、タケルの顔面を容赦なく殴り飛ばした。
「がはっ……!」 タケルは吹き飛び、地面を転がった。口の中を切った血の味が広がる。
「……少しは、冷静になったか」 リチャードは、殴った自分の拳を握り締めながら、静かに、しかし厳しくタケルを見下ろした。 「貴様の身勝手な行動で、仲間全員が死にかけていたんだぞ。怒りに飲まれた剣など、誰にも届かん」
「……わかってる」 タケルは地面に手をついたまま、ぽつりと呟いた。 「わかってるよ……! 俺が弱かったから……俺が、バカだったから……!」
タケルの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、乾いた土を濡らした。 故郷を失ってから、彼が初めて流した涙だった。それは単なる悔し涙ではなく、自分の弱さと向き合い、仲間という存在の重みを知った、成長のための涙だった。

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