特捜:法の死角 第一話

2020年――ひとつの法律が産声を上げた。『準詐欺罪消費者保護法』である。

密室での巧妙な誘導、意図的に隠蔽された不利な条件。法人の巨大な壁の前に、かつての消費者たちは「完全な詐欺」の立証ができず、ただ泣き寝入りするしかなかった。そんな“不可視の詐欺被害者”たちを救済し、悪徳業者に牙を剥くために消費者庁内に新設されたのが「特殊捜査室」だ。 これは、法の死角に潜む悪意と戦う、彼らの執念の記録である。

法律の制定から5年が経過した、2025年。 特殊捜査室の捜査員である真壁(まかべ)は、今日もデスクのモニターに映し出された相談窓口の報告書を、忌々しげに睨みつけていた。

今日もまた、ワンルームマンション投資の被害相談だ。 手口はまるでテンプレートをなぞったように同じだった。職場への突然の電話。「税金対策に興味はありませんか」という甘い囁きから始まり、言葉巧みに喫茶店での面会へと誘導する。 いざ会ってみれば、いきなりマンションの話は出さない。税金や経済の複雑な話をまくし立て、相手の思考を奪っていく。3時間近い軟禁状態の末、疲労で判断力が鈍った被害者に「大手有名不動産会社の資本が入った、ローリスク・ローリターンの安定投資」だと錯覚させ、契約書にサインをさせるのだ。

報告書の被害者も、その言葉を信じて2年間投資を続けた。しかし待っていたのは、想定外の追加資金の要求と、約束とは程遠い収益。耐えきれずに解約を申し出れば、莫大な違約金を盾に脅される。八方塞がりとなり、ようやく相談窓口へ駆け込んできたという経緯だった。

「また、ワンルーム投資か……」

真壁は唇を強く噛み締めた。脳裏に蘇るのは、もう30年近く前の光景だ。 幼い頃、父もこの被害者と全く同じ手口でワンルーム投資の罠に嵌まった。父は自分が詐欺に引っかかったという事実をプライドから認めることができず、投資を継続し、赤字は雪だるま式に膨れ上がっていった。 決定的だったのは、母がずっと夢見ていたマイホームの購入が、あと一歩のところで白紙になったことだ。父が騙されて組まされたローンは「投資用」ではなく、金利の低い「住宅用」として不正に申請されていた。そのせいで本命の住宅ローンが下りず、家を買う夢は完全に断たれた。 それを機に家庭からは笑顔が消え、争いが絶えなくなった。

あんな悲劇を二度と繰り返させない。その強い思いだけで、真壁は猛勉強の末に弁護士バッジを手にした。 しかし、詐欺事件に強い法律事務所の扉を叩いた彼を待っていたのは、あまりにも残酷な現実だった。 巧妙にシステム化されたワンルーム投資詐欺には、具体的な詐欺を立証できる「契約書」や「資料」の不備が一切残されていないのだ。あるのは被害者の「騙された」という証言のみ。さらに悪いことに、法律上「家主(事業主)」となった被害者は消費者としての保護が弱く、最悪の場合、住宅ローンを不正利用した「ローン詐欺の共犯者」として銀行から一括返済を迫られかねない。

法律を武器にするはずの弁護士という立場で、完全な無力感に打ちひしがれていた時、真壁は新設された「特殊捜査室」の存在を知った。 自分の人生を、すべてここに捧げる。そう決意してから3年。 真壁は狂ったようにワンルーム投資詐欺の業者だけを追いかけ、摘発し続けてきた。だが、奴らは潰しても潰しても、手を変え品を変え湧いてくる。まるで暗がりを這い回るゴキブリのように。

「どうしたんですか、先輩。また親の仇でも見るような目をして」

背後から声をかけてきたのは、後輩の女性捜査員、水瀬(みなせ)だった。彼女は「特殊捜査室」が設立された当初から配属されている、データ解析のスペシャリストだ。

「ああ……またいつもの手口だ。長時間の軟禁状態での勧誘、リスクの隠蔽、そして住宅ローンの不正利用。テンプレ通りすぎて反吐が出る」 真壁はデスクに報告書を放り投げ、乱暴にネクタイを緩めた。

「今回のターゲットは『アセットプロパティリアルエステートランド』という不動産会社ですね。最近、この手の相談窓口で名前を見る頻度が高まっています」 水瀬が手元のタブレットを操作しながら冷静に告げる。

「厄介なのは」と真壁は立ち上がり、パーテーションのホワイトボードに向かった。「奴らが『準詐欺罪消費者保護法』の網の目を縫うように、巧妙に手口をアップデートしていることだ」

かつての詐欺師は、書類を偽造したり、あからさまな嘘を録音に残したりと、どこかにボロを出していた。しかし、今の悪徳業者は違う。決定的な嘘やオーバートークはすべて「口頭」かつ「密室」で行われ、契約書には極小の文字でリスクが記載されている。法的には「説明した」「本人が合意した」という体裁が完璧に整えられているのだ。

「今回の被害者も、密室の喫茶店で3時間粘られています。証拠となる音声データはありません。ただの『言った・言わない』の水掛け論になれば、今まで通り被害者が泣き寝入りすることになります」 水瀬の懸念に、真壁はニヤリと笑った。その目には、獲物を狙う猟犬のような鋭い光が宿っていた。

「だからこそ、俺たち『特殊捜査室』の出番だろう? 紙の証拠がないなら、奴らの『システム』そのものを炙り出す」

真壁はホワイトボードに『アセットプロパティリアルエステートランド』と書き殴り、その下にいくつかのキーワードを繋げた。 「奴らはなぜ、いつも喫茶店を指定する? なぜ、いきなりマンションの話をせず、経済や税金の話から入る? それは、個人の裁量ではなく、会社全体で作られた『マニュアル』が存在するからだ。マニュアル化された悪意は、必ずどこかに綻びを生む」

正面から法律の解釈で殴り合って勝てないなら、思考の枠を外し、水平思考で奴らの急所を探り当てるしかない。

「水瀬、この被害者が会った営業マンの素性を洗ってくれ。それから、過去半年間で『アセットプロパティリアルエステートランド』に関して寄せられたすべての相談記録をテキストマイニングにかけろ。営業マンたちが使った『殺し文句』の共通項を洗い出すんだ」

「了解しました。……先輩、まさかまた『あれ』をやるつもりですか?」 水瀬が呆れたように、しかしどこか楽しげにため息をつく。

「ああ。証拠がないなら、作りにいくまでだ」

真壁は自身のスマートフォンを取り出し、ダミーの連絡先アプリを開いた。 「カモがネギを背負ってやってくるのを、奴らは喜んで迎えるだろうさ。今度は俺が、その『税金対策』とやらをたっぷり聞かせてもらおうじゃないか」

真壁の脳裏に、かつての崩壊した家族の光景が一瞬フラッシュバックする。それを振り払うかのように、彼は特殊捜査室のドアを開けた。 この新しい法律ができた意味を、あのゴキブリどもに骨の髄まで教えてやるために、真壁の反撃が始まろうとしていた。


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