ついに、運命の決行日——『X-DAY』が訪れた。
大臣の視察を明後日に控えた、深夜十二時。施設内は、歓迎式典のリハーサルや準備、そして大臣の機嫌を損ねぬようにという過度な緊張感で包まれており、職員や警備兵たちの意識は完全に超能力者の子供たちから逸れていた。
暗がりに紛れ、副局長のシーザーが各部屋を回る。慣れた手つきで電子錠を解除し、子供たちに脱出ルートを簡潔に説明していく。 すべての部屋で同じ説明を繰り返し、そして最後には、あらかじめ用意していた「ある言葉」を、慈愛に満ちた声を装って付け加えた。
「私は、皆さんの自由のために手を貸します。……ですから、くれぐれもその強力な力で、人を傷つけるようなことはしないでくださいね。相手に銃を突きつけられるような、緊急事態でもない限りは」
そして、シーザーは最後の部屋へと入った。 いつものようにルートを話し、例の言葉を口にしようとした、その時。
「おい、無能力者」
言葉を遮ったのは、黒髪の青年——グラッドだった。その瞳には、隠しきれない激しい怒気が籠もっていた。 「お前ら無能力者の生ぬるい言葉は、もう聞き飽きたんだよ」
グラッドが手をかざした瞬間、室内に転がっていた太い針金が生き物のように蠢き、シーザーの全身を瞬時に縛り上げた。あまりの力にシーザーは床に倒れ込む。 グラッドはシーザーを見下ろし、吐き捨てるように言った。 「命だけは、あの時もらったチョコレートの礼で助けてやる。そこでおとなしくしていろ」
グラッドは仲間たちを促し、計画されたルートへと足早に部屋を出ていった。 ドタドタと遠ざかっていく足音が完全に消え、静寂が戻ったのを見計らい——シーザーは、何事もなかったかのように平然と立ち上がった。 空間の重力を歪めるだけで、彼を縛っていた針金は容易く弾け飛ぶ。
シーザーは衣服の埃を払い、いつもの底知れない薄ら笑いを浮かべて呟いた。
「さあ……ショーの始まりだ」
脱出部隊が選んだルートは、正面玄関から一気に正門へ抜ける最短経路だった。 通常であれば、正門前の中庭はもっとも警備が厳重な場所である。しかし、シーザーから得た情報によれば、今日は式典のステージ設置やセッティングが行われているため、本来いるはずの見張りは「ゼロ」になっているはずだった。
アイスマンを先頭に、ユキ、爆、シルフたちが緊迫した面持ちで中庭へ差し掛かった、その時。 「——待て! 侵入者だッ!!」 正門の方から、鋭い叫び声が響き渡った。
子供たちが目を見開いて前方を見据えると、そこには、本来誰もいないはずの中庭を埋め尽くすほどの、武装した兵士たちの姿があった。
「な、んで……! 話が違うじゃないか!」
計画外の事態に、子供たちの間に一瞬でパニックが広がった。 だが、これは偶然などではない。明後日の式典に向けて、兵士たちが少しでも完璧な隊列を披露できるよう、シーザーが裏で局長に「夜間の自主訓練を徹底させるべきだ」と指示を出していたのだ。さらに、不測の事態に備えて常に実弾入りの銃を携帯するよう、精神的に追い込んでいた。
「動くな! 武器を捨てろ……いや、能力を使うな!」 一人の怯えた兵士が、反射的にグラッドへと銃口を突きつけた。
「舐めるなァッ!」 グラッドは本能的に『磁力』を解放した。兵士の手の中で、ライフルの銃身が飴細工のようにグニャリと捻じ曲がる。さらにグラッドは、兵士のベルトにあしらわれていた金属の鋲を磁力で弾き飛ばし、兵士の首へと絡みつかせた。
グググ、と締め上げられ、兵士の顔がみるみるうちに真っ青になっていく。 だが、窒息死する寸前で、グラッドは荒い息を吐きながら磁力を解いた。口では大口を叩いていても、彼にはまだ、本気で人を殺す覚悟まではなかったのだ。
しかし、その慈悲が、最悪の信管に火をつけた。 恐怖に駆られた別の兵士たちが、一斉に銃を構えた。その銃口が、一人の少女へと向けられる。 それは、生まれつき『雷』を操る能力を持った少女だった。普段から職員たちの激しい暴力に怯え、自分を極限まで押し殺していた彼女の精神が、死の恐怖によってついに決壊した。
彼女のパニックを起こした脳裏に、昨夜、シーザーが優しく囁いてくれたあの言葉が、鮮明な命令となって木霊する。 (——相手に銃を突きつけられるような、緊急事態でもない限りは)
「嫌あああああああああッ!!」
少女の絶叫と共に、夜空を昼間のように照らす、凄まじい大光輪の落雷が中庭に炸裂した。 肉の焦げる臭いと、兵士たちの悲鳴。 この一撃をキッカケに、プロメテウスの中庭は、瞬く間に地獄絵図のような大乱戦、そして大虐殺の舞台へと変貌を遂げた。
施設の遥か上空、遮音されたビルの屋上から、シーザーは一人、眼下で繰り広げられる血の惨劇をのんびりと見下ろしていた。 夜空を紫に染める雷、噴き上がる炎、そして飛び散る鮮血。
「いやはや、実に見事だ……。カメラを持ってこなかったのが、本当に悔やまれますねぇ」
シーザーは狂気的な愉悦に浸りながら、クスクスと笑い声を漏らし続けた。
下層の中庭では、あまりの混乱と爆発の連続により、アイスマンとユキ、爆とシルフの4人は、互いを見失い、離れ離れになってしまっていた。 中でも、メンバーの中で頭一つ抜けた戦闘能力を持っていたアイスマンの周囲には、必然的に多くの兵士たちが殺到し、戦いの中心地(オリジン)となっていった。
「ユキ、僕の後ろに……!」 「うん……!」
これまでの過酷な訓練の中で、アイスマンとユキが誰にも知られずに、二人だけで密かに開発していた合体技。 アイスマンの絶対零度の冷気と、ユキの生み出す無数の雪の結晶が混ざり合い、夜空に巨大な氷の造形物を顕現させる。 現れたのは、美しくも冷徹な『氷像の女神』、そして背後に無数の氷の腕を持つ憤怒の異形『阿修羅』。 二つの巨大な氷の化身が腕を振るうたび、迫り来る兵士たちは一瞬にして凍りつき、ゴミのように薙ぎ払われていった。
一方、その大乱戦の喧騒から少し離れた別ルートから、爆とシルフは必死に施設の外へと逃れようとしていた。 煙の立ち込める通路をがむしゃらに突き進んでいく。しかし、その先の曲がり角で、二人は「意外な人物」と鉢合わせることになった。
「ひ、ひぃぃ……! くるな、くるな化け物ども!」
それは、超能力者たちを誰よりも虐げてきた、プロメテウスの局長だった。 中庭での大虐殺を知り、自分だけ助かろうと高価な荷物を抱えて逃げ出す途中だったのだろう。しかし、あまりの恐怖に腰を抜かし、床に無様にへたり込んでいた。
その醜悪な姿を見た瞬間、爆の脳裏に、これまで受けた屈辱と、傷つけられてきた仲間たちの顔が怒涛のように蘇った。 頭に血が上り、彼の怒りは完全に頂点へと達する。
「……よくも、よくもみんなをッ!!」
爆は叫び、両拳に猛烈な灼熱の炎を纏わせた。その炎で、目の前の男を跡形もなく焼き尽くそうと地を蹴る。 しかし次の瞬間、爆の身体は、横から受けた凄まじい衝撃によって真横へと吹き飛ばされた。
「がはっ……!?」 壁に叩きつけられた爆が、痛みに悶えながら視線を上げると、そこには息を切らせて立つシルフの姿があった。今の一撃は、シルフが放った『突風』によるものだった。
爆は事態が飲み込めず、啞然としたまま、間抜けな声を絞り出した。 「……な、何をするんだよ、シルフ! なんで俺を邪魔するんだ!」
シルフは、大粒の涙をボロボロと流しながら、爆に向かって烈火のごとく怒鳴り散らした。 「バカ野郎ッ!! 自分を見失うんじゃないわよ!!」 「シルフ……」 「こんな、こんなクズみたいな奴のために、あんたの綺麗な手を汚すんじゃないわよッ!!」
その言葉に、爆の怒りが再び燃え上がる。 「うるさい! 綺麗事言うな! なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ! 姉ちゃんを殺されて、仲間を傷つけられて、この怒りをどこにぶつければいいんだよッ!!」
爆の絶望の叫びに、シルフは泣きながら、かつて爆が自分に教えてくれた「あの言葉」を叫び返した。
「人間を恨んではだめ!! 超能力を恨んではだめ!!」
「あ……」 爆の動きが、ピタリと止まった。それは、亡き実の姉・風が遺した、爆の魂の楔とも言える言葉だった。
「じゃあ……じゃあ、この行き場のない気持ちを、俺は一体どうすればいいんだよ……ッ!」 爆はその場に崩れ落ち、子供のように大声で泣き出した。
シルフは、涙を流しながらも、爆に向けてひどく優しく、温かい笑顔を浮かべてみせた。
「じゃあ、そのあんたの苦しい気持ち、全部私が受け止めてあげる。……今日から、私が、あんたの本当のお姉ちゃんだ。……だから、私のことを『赤井風』って呼びなさい」
泣きじゃくる爆は、その言葉を聞いて、涙を流しながらも思わず小さく吹き出した。 「……くすっ、うう……なんだよそれ。妹じゃ、ないのかよ……」
「うるさいわね、お姉さんの方が偉そうでいいでしょ」 二人は涙を流しながら、互いの顔を見て小さく笑い合った。 爆は完全に正気を取り戻した。二人は、床でガタガタと震え続けている哀れな局長を一瞥することすらなく完全に無視し、ひっそりと手を繋いで、崩壊していく施設から抜け出していった。
それから、約一時間後。 あれほど激しかった銃声も、悲鳴も、落雷の音も、すべてが嘘のように止んだ。 プロメテウスの敷地内は、ただただ不気味な静寂に包まれていた。
死体とがれきが散乱する凄惨な廃墟の中心に、シーザーは一人、ぽつんと佇んでいた。 彼はゆっくりと天を仰ぐ。そこには、血の臭いに汚されることもなく、いつもと変わらない美しい月が冷たく輝いていた。
『よう、大将。全部お前の計画通りに進んだのかい?』
月が、いつものように陽気に語りかけてくる。 シーザーは、これまでにないほど満足げな、心からの満面の笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、ええ! 予想以上の大成功、大傑作でしたよ! 私はただ、適当に乱戦が起きて、みんなが散り散りになって終わるくらいに思っていたのですが……。まさか、訓練された兵士たちを一人残らず皆殺しにしてしまうとは。彼らは、私の予想を遥かに超える『怪物』たちでしたよ。素晴らしい、本当に素晴らしい脚本(おはなし)だ……!」
シーザーが一人で愉快そうに肩を揺らして笑っていると、近くのがれきの隙間から、ゴソゴソと不自然な物音が聞こえた。 「おや?」 シーザーが近づいてがれきを退けると、そこには、奇跡的に傷一つなく生き延びていた局長の姿があった。
局長はシーザーの顔を見るなり、恐怖で目を血走らせ、半狂乱になりながらも、いつもの不遜な態度でシーザーの胸ぐらに掴みかかろうとした。 「シ、シーザーッ! お前、今までどこに行っていたんだ! この慘状は何事だッ! 国連や政府に対して、一体だれが責任を取ると思っている! 全部、全部お前の管理が甘かったせいだ! お前のせいなんだよ!!」
狂ったように叫び散らす無能な大人。 それを見た瞬間、シーザーの顔から、先ほどまでの楽しげな笑みが一瞬にして消え失せた。彼はいつもの、仮面のような冷たい薄ら笑いに戻り、ゴミを見るような目で局長を見下ろした。
「……やれやれ。せっかくの楽しい気分が、台無しですよ。一気に興が覚めました」
「な、何だと貴様ッ! 誰のおかげでその副局長の座にいられると思って——」
局長の言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
ストサッ……
不自然な風の音がした次の瞬間、局長の首が、何もない空間で突如として切断され、地面へとボトリと落ちた。超高重力の不可視の刃が、一瞬でその命を断ち切ったのだ。
シーザーは、かつての上司であった「物」を、つまらなそうに一瞥すると、返り血を軽く拭い、ゆっくりと歩き出した。
プロメテウスは崩壊し、超能力者たちは世界へ放たれた。世界を巻き込む大戦争のプロットは、今まさに完璧なスタートを切ったのだ。
「さて……」 シーザーはにやけ面を浮かべ、次の目的地へと足を進めた。 「次なる舞台は……『ユートピア』、ですかねぇ」
金髪の天才脚本家は、新たな悲劇の種を撒くために、夜の闇へと消えていった。

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