安っぽいモーテルの一室に、テレビの硬質な電子音が響いていた。
画面の向こうでは、国民的な人気を誇る女性ニュースアナウンサーが、いつになく強張った表情で原稿を読み上げている。
『——速報です。国家の超能力管理機関「プロメテウス」が、収容されていた超能力者たちの激しい反乱により、完全に崩壊しました』
アナウンサーの声に合わせて画面が切り替わり、かつて最先端を誇ったプロメテウスの建物が、無残な瓦礫の山と化している空撮映像が映し出された。 アナウンサーは努めて冷静なトーンを維持しながら、原稿をめくる。
『この未曾有の事態を重く見た大統領は、先ほど、超能力者を厳格に管理・統制するための新たな法案の制定を本格的に検討する、との緊急声明を発表しました。専門家の見立てによれば、今後二、三ヶ月のうちには、人権の制限をも視野に入れた極めて厳格な法律が制定される見込みとのことです。 スタジオでは、この事態について専門家の方々にお話を伺います。まずは、元教育庁大臣のレベッカさん、ご意見をいただけますでしょうか』
画面に映ったのは、いかにもヒステリックそうな表情を浮かべた中年の女性だった。彼女は司会者の言葉が終わるや否や、甲高い声でまくし立てた。
『当然の結果ですわ! やはり、超能力などという不確定で恐ろしい力があると、子供たちがまっすぐ健全に育つはずがありませんのよ! そもそも、あのような危険な化け物どもの管理を、軍や民間の素人に任せること自体が間違いなのです! 我々のような教育の、そして管理のプロフェッショナルが徹底的に思想から叩き直すべきなのです!』
ヒステリックな彼女の排他的なコメントは、遮られることなく画面の中で独り歩きしていく。 ベッドに寝そべりながらそのニュースを眺めていたシーザーは、満足げに口元を吊り上げ、喉の奥でくつくつと笑った。
「おやおや、実に素晴らしい。大衆の恐怖が綺麗に敵意へと変換されている……。さて、次の一手は、どう動かしましょうかねぇ」
金髪の天才脚本家は、手元にあるリモコンで静かにテレビの電源を切った。
プロメテウスの崩壊に伴い、施設から這い出した超能力者たちは、蜘蛛の子を散らすように方々へと逃げ延びていた。 その多くは、孤独な逃亡に耐えかねて数人の小さなグループを組んで移動していたが、彼らに行く当てなどどこにもなかった。
生まれ育った故郷の家に命からがら帰ろうとした者は、家の付近で見つかり、怯えた近所の住人によって即座に軍へと通報された。 ある者は、パニックを起こした暴徒と化した住人たちに囲まれ、なす術もなく殺害された。 いくら常人を超える超能力を持っているとはいえ、人間である以上、四六時中警戒し続けることなど不可能だ。「多勢に無勢」という残酷な現実が、逃亡した超能力者たちを容赦なく擦り潰していった。
その地獄のような逃避行の中で、アイスマンが率いるグループは、十数人という異例の大規模な一団となっていた。 プロメテウスを壊滅へと導いたアイスマンの圧倒的な力に救いを見出し、多くの者が彼を尊敬して付いてきていたのだ。 だが、守るべき人数が増えれば増えるほど、アイスマンの負担は至難の業となっていく。
食料の確保、夜を明かすための安全な場所——人数が多いという事実そのものが、皮肉にも彼ら自身の首を絞めることになった。 アイスマンは決断を迫られた。彼は自らの限界を振り絞って巨大な「氷の船」を生成し、一団を乗せて国外への脱出を試みたのだ。 灼熱の太陽が照りつける赤道付近の海を、冷気を維持しながら進む過酷な航海。なんとか世界的な軍の包囲網が届かない発展途上国へと辿り着き、追手の圧力こそ薄れたものの、これからどう生きていけばいいのか、アイスマンは頭を抱えていた。
周囲の者たちは、アイスマンとユキを除けば、ただアイスマンの奇跡のような力に縋り付くことしか頭にない。 どん詰まりの平穏の中で、困り果てていた一団の前に、突如として「皆がよく知る男」が姿を現した。
「いやー、よかった! アイスマンさん、皆さん、お揃いでご無事で!」
トレードマークの金髪を揺らし、頼りなさげな弱り切った顔で現れたのは、シーザーだった。彼はアイスマンを見るなり、大げさに破顔してその手をがっしりと握りしめてきた。 突然の再会に、アイスマンは驚きを隠せない。 「シーザー……! 君こそ、なぜこんな世界の果てにいるんだ?」
シーザーは笑み混じりの困り顔を作り、大げさに肩をすくめてみせた。 「いや、聞いてくださいよぉ。皆さんがプロメテウスであれだけ派手にやんちゃをして崩壊させちゃったでしょう? 副局長だった私、当然のように全責任を大人たちに押し付けられましてね。クビになっちゃったので、せっかくの機会だから長期の休暇を取りに、この国へ遊びに来たんですよ」
冗談めかして語るシーザーは、かつての仲間たち一人一人に親しげに挨拶を交わしていく。一通り終えたところで、彼はわざとらしく首を傾げた。 「ところで皆さん……。ここまで大移動をしてこられたということは、当然、この先どうするかという『名案』がおありなんですよね?」
その問いに、疲れ切った顔のアイスマンとユキは、無言のまま力なく首を横に振るしかなかった。 すると、シーザーは待っていましたと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべた。 「おや、それはよかった! でしたら皆さん、私の『別荘』へお越しになりませんか?」
別荘、という響きに、過酷な逃亡を続けてきた子供たちの瞳にパニッと期待の光が灯った。世界的な観光エリアの別荘だ、きっと綺麗で温かい家に違いない——。
だが、期待に胸を膨らませた彼らがシーザーに連れられて辿り着いたその場所は、悪臭の漂う貧民街のド真ん中だった。 かつての九龍城を思わせるような、違法建築が幾重にも無秩序に増築され、太陽の光すら遮られた薄暗い巨大なアパートの集合体。 「場所だけは広い」というシーザーの言葉通り、部屋の床面積こそあったものの、内情はこないだまでの隔離施設と変わらない不衛生な雑魚寝部屋だった。 それでも、野宿よりは遥かにマシだった。超能力者たちはそこで、ようやくひと時の休息を得ることができた。
それから、何とか全員が息を吹き返し、一ヶ月が経過した頃。 シーザーはアパートの薄暗い一室で、アイスマンにある提案を持ちかけた。
「アイスマンさん。今こうして私たちが休んでいる間にも、世界中の同胞たちが無能力者たちから激しい迫害を受けています。我が国でもついに『超能力管理法案』が可決され、超能力者の人権はほぼ剥奪された状態です。……どうでしょう、いっそのこと、この場所を世界中の超能力者たちの『楽園』にしてみては?」
アイスマンはしばらくの間、世界の残酷さと自分たちの無力さに深く悩んだ。だが、他に道がないのも事実だった。 「……わかった。彼らを救えるなら、やってみよう」 アイスマンはシーザーの言葉に賛同した。
シーザーはにやけ顔を崩さず、さらに具体的な方法を提示する。 「超能力者をここに呼び寄せるにしても、国連軍に気づかれたら終わりです。ですから直接募集するのではなく、『噂』を流しましょう。この世界の片隅に、超能力者の楽園が存在する……と。ちょうどここは、昔の高名な画家が『ユートピア』と呼んだ歴史ある場所ですからね。手配はすべて、この私にお任せください」
そう言い残すと、シーザーはしばらくの間、アパートから姿を消した。
残されたアイスマンたちは、束の間の平和な暮らしを楽しんでいた。やがてシーザーの流した噂に導かれるように、世界中から一人、また一人と、傷ついた超能力者たちが亡命してきた。 シーザーが裏でどんな糸を引いているのかは分からなかったが、アイスマンたちは仲間を助けるため、新しく来た者たちを快く迎え入れ、互いに協力し合ってアパートの規模を拡大していった。
亡命してきた超能力者の数が五十人ほどに達した頃、シーザーが何食わぬ顔で帰ってきた。 「いやー、お久しぶりです! 随分と賑やかになりましたねぇ」 シーザーは楽しげに周囲を見回した後、アイスマンに語りかけた。 「せっかくこれだけの規模になったのですから、私たちの組織に『名前』をつけませんか?」
少し考える素振りを見せた後、シーザーはわざとらしく指を鳴らした。 「『ユートピア』……こんな名前はいかがでしょう? 昔の画家がこの地をそう呼んだように、名実ともに私たちの楽園にするのです」
アイスマンは眉をひそめ、生真面目なトーンで返した。 「なぜ、それをまず俺に言うんだ? 名前の件も含めて、これからはリーダーを決めず、皆で話し合って決めるべきではないのか」
その言葉を聞いた瞬間、シーザーは堪えきれずにブッと吹き出して笑った。 「ハハハ、御冗談を! この組織のボスが誰かなんて、どう考えたってあなた以外にいないでしょう。あなたが決めれば、全員が喜んで賛同しますよ」
「しかし、俺は——」 拒絶しようと言葉を続けようとするアイスマンの目の前に、シーザーは冷徹な細い指を突きつけた。
「アイスマン……覚悟してください。あなたはあのプロメテウスの夜、兵士たちを薙ぎ払うために『氷の女神』を顕現させた瞬間から、世界中の超能力者たちの『メシア(救世主)』になってしまったのですよ。もう、後戻りはできないんです」
その言葉の重圧に、アイスマンはガックリとうなだれた。己が背負った運命の重さを自覚し、彼は静かに答えた。 「……わかった。ユキと共に、この『ユートピア』を超能力者たちの本当の楽園にしよう」
それからも、ユートピアに身を寄せる超能力者の数は膨れ上がっていった。 そんなある日、アパートの入り口に、一人の少年がボロボロの姿で現れた。
赤い髪の青年——爆だった。 爆はアイスマンの姿を認めた瞬間、それまで張り詰めていた糸が完全に切れ、大粒の涙を流しながら思わずアイスマンの身体に強く抱きついた。
「あれから……本当に、辛かったんだな」 アイスマンは何も言わずに爆の背中を優しく叩き、そして、彼の周囲をそっと見回して尋ねた。 「……風(シルフ)さんは、どうした?」
その問いに対して、爆はその場に泣き崩れ、ただ絶望を込めて首を横に振ることしかできなかった。 実の姉に続き、お姉ちゃんになってくれた風までもが、逃亡の果てに人間に殺されたのだ。 アイスマンは、それだけで全てを理解した。彼は爆の肩を強く抱きしめ、静かに告げた。 「何も言わなくていい。……ここは安全だ。爆、もう、逃げなくていいんだ」
しかし、ユートピアの人数が数百人規模へと徐々に増えていく中で、少しずつ、組織の歯車が狂い始めていった。
皮肉なことに、安全な日々が続き、衣食住の退屈が日常になると、人間はよからぬことを考え始める。 新しく入ってきた強力な戦闘能力を持つ超能力者たちを中心に、不穏な思想が囁かれるようになったのだ。 「俺たちは、神に選ばれた特別な民だ。それなのに、あんな無能力者のクズどもに迫害され、隠れて暮らさなきゃいけないなんておかしいと思わないか?」
やがて彼らは、自らの超能力を悪用し、近隣の街で強盗や犯罪に手を染めていくようになった。 犯罪が発覚するたびに、アイスマンはボスとして彼らに冷酷な制裁を加えて抑え込もうとした。だが、膨れ上がった組織の闇は、もはやアイスマン個人の力だけでコントロールできる限界を超えつつあった。
思うようにいかない苛立ち、そして犯罪者たちの逆恨み。彼らの怒りの矛先は、秩序を守ろうとする組織のトップ・アイスマンと、そして「超能力を持たないくせに幹部面をしている無能力者」のシーザーへと向いていった。
「あいつはただの無能力者のゴマスリ野郎だ。なぜ超能力者の楽園に、あんな奴が大きな顔をして居座っているんだ?」
日に日に高まっていく内圧。アイスマンのストレスと疲労は限界まで溜まっていく。 そして——その混沌とした状況を、陰から見つめて微笑んでいる男がいた。シーザーだ。
当然の結末だった。組織の不満をアイスマンたちへ向くように裏で誘導していたのは、他ならぬシーザー自身だったのだから。 彼はわざと超能力者たちの前で「怯える無能な人間」を完璧に演じ、彼らの中にある「無能力者へのヘイト」を意図的に煽り立てていた。 さらに、かつて港の愚連隊『ダーククロウ』として活動していた時代に培った、警察に絶対に捕まらない洗練された犯罪の手口を、不満分子たちに裏からこっそりと斡旋していた。
すべては、この楽園を内側から腐らせ、狂わせるためのシーザーの仕込みだった。
ある雲一つない月夜。 シーザーは、アパートの不衛生な屋上へと上がり、煌々と輝く月を見上げていた。 「さて……次の一手は、どう動かしましょうかねぇ」
頭の中に、いつもの陽気な月の声が響く。 『よう、大将。すべて上手くいっているみたいだな。次は一体、どうする気だい?』
シーザーは張り付いたようなにやけ面を浮かべ、ワイングラスを傾けながら愉しげに答えた。
「まあ、見ていてくれよ」
最高の悲劇。最高の戦争。その脚本は、いよいよ中盤の佳境を迎えようとしていた。

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