超能力は無能力 第十話

『ユートピア』におけるありとあらゆる事務管理は、すべて実質的にアイスマン一人の肩にのしかかっていた。

しかし、急膨張を続ける組織をアイスマンだけで回せるはずもなく、実際にはユキとシーザーが膨大な量の業務を裏で支えていた。特にシーザーの働きは目を見張るものがあり、施設の維持管理から、百人を超えるメンバーの食費、光熱費、多種多様な雑費の管理と支払いに至るまで、ユートピアの全業務の半分以上を彼一人が黙々とこなしていたのだ。

対する現場のトラブルに関しては、多くをアイスマンが直接対応していた。彼の圧倒的なカリスマがあれば、大抵の小競り合いや諍いはその場で解決したため、初期対応の多くをアイスマンが、そしてその後の面倒な事後処理をユキがこなすという歪な三頭政治が成立していた。

こうして誰かが泥を被らなければ、確実に翌日には崩壊するほどユートピアの内部はトラブルに満ちていたが、集まった超能力者たちはそんな事務方の苦労などみじんも分かっていなかった。 彼らの目には、シーザーとユキはただの「腰巾着」と映っていた。大した戦闘能力もないくせに、アイスマンの威を借って幹部の座に居座り、こびへつらっている無能どもだと、多くの住人が侮蔑を込めて噂していたのだ。

だが、彼らにそう思わせた原因こそ、他ならぬシーザー自身だった。彼は自ら進んで「頼りない無能な人間」のフリをし、ユートピアの活動資金のすべてを彼自身の私財から出しているという事実を、完璧に隠蔽していたのである。

そんなある日、ついに目に見える形で事件が起きた。 増長した複数のメンバーが、廊下でユキを取り囲み、激しく食って掛かったのだ。 彼らはユキのことを、ただの「雪を出すだけの弱い超能力者」だと完全に舐めきっていた。己の強力な力に酔いしれる彼らは、ユキを排斥しようと、自慢の超能力を見せつけて挑発を始めた。

「おい、アイスマンの女だからって調子に乗るなよ」

一人の男が、周囲の空気を歪めながら右手を突き出す。光を操る能力を持つその男は、ユキを脅しつけようと、指先から目も眩むような超高圧縮レーザーを放った。空気を焦がす熱線がユキの顔面へと迫る。

しかし、ユキはたじろぎもせず、一歩も引かなかった。 彼女がすっと瞳を細めた瞬間、目の前の空間に、透き通るような巨大な氷の『阿修羅像』が突如として顕現した。 阿修羅が備える無数の手のうちの一手が、迫り来るレーザーの軌道上へと滑り込む。ユキは氷の密度と表面の角度を極限までコントロールし、レーザーの光を完全に「屈折」させることで、その威力を虚空へと散らして無効化してみせたのだ。

驚愕して目を見開く男たちを前に、ユキは表情一つ崩さずに冷徹に言い放った。

「……私を、あんまり舐めないことね」

彼女の底知れない実力と、周囲に漂う絶対零度の殺気に完全に気圧された男たちは、腰を抜かさんばかりに怯え、蜘蛛の子を散らすようにその場からすぐに退散していった。

男たちの足音が廊下の向こうへ消えてすぐ、静まり返った空間に、

パチ、パチ、パチ、パチ……

乾いた拍手の音が響き渡った。 影から姿を現したのは、いつものにやけ顔を浮かべたシーザーだった。彼は手を叩きながら歩み寄ってくる。 「流石はユキ様。見事な技です。まさかレーザーの光を氷で屈折させて無力化するとは、恐れ入りましたよ」

ユキは、普通の人間には決して気づけないくらい、ほんのわずかに表情を緩めてシーザーに返した。 「シーザー、お褒めいただき光栄ですわ。……それで、何か用ですか?」

彼女の問いに、シーザーはそれまでの張り付いたようなにやけ顔を一瞬で消し去り、見たこともないような真剣な表情を浮かべて静かに話し始めた。

「ユキさん、この組織は今、完全に限界が近づいています。皆、飢えや迫害という生活の不安が消えたことで、今度は己の能力への過信ばかりが肥大化し、増長している。……おそらく、アイスマンの精神はもう限界でしょう。近いうちに、彼はここをいなくなるはずです」

ユキは一見すると無表情のままだったが、彼女の美しい眉がピクピクと細かく動いた。それは、彼女が心の底から非常に驚いたときにだけ見せる特有の癖だった。 「……そう。大変ね」

言葉を濁そうとするユキに対し、シーザーは逃がさないと言わんばかりに真面目な顔で続けた。 「ユキさん、あなたはアイスマンがここを出る時、当然彼についていこうと考えているはずです。……しかし、非常に厳しい意見ですが、あなたにはこのユートピアに踏みとどまってほしいんです」

ユキの眉が、今度はより激しく動いた。 「……なぜ、私は彼についていってはいけないのかしら。私は彼の妹よ」

シーザーは、少し興奮したかのように熱を帯びた顔で捲し立てた。 「アイスマンはここを出た後、おそらく外部の強力な組織の力を借りて、超能力者を本当の意味で守ろうとするでしょう。しかし、もしあなたまで付いていってしまったら、この組織の全戦力がアイスマン側に偏り、無能力者との決定的な『戦争』が始まってしまいます! それに、二人の強力な守護者を失えば、残されたユートピアの弱者たちを守る力が完全に失われてしまうんです!」

シーザーの語る言葉は、残酷なまでに合理的で、正論だった。 ユキはぐっと込み上げてくる辛い気持ちを胸の奥底へと押し込み、小さく息を吐いた。 「……あなたのお話は、分かったわ」

それ以上は何も言わず、ユキはただ、アパートの窓の外に広がる薄暗い貧民街の景色を、黙って見つめ続けていた。

翌日。 シーザーは、顔や腕に痛々しい生傷を作った状態で、アイスマンの部屋のドアを叩いた。 衣服は破れ、痛みを堪えるように歩くシーザーの姿を見て、アイスマンは驚愕してベッドから立ち上がり、大きな声をあげた。 「シーザー! 一体誰にそんな目に遭わされたんだ!?」

シーザーは弱々しく首を横に振り、悲しげに視線を落とした。 「誰ということはありませんが……。チーム内の些細ないさかいを止めようとした時に、少し事故がありまして。……私のような無能力者が怪我をするだけであればいいのですが、最近は、ユキ様にまで不遜な態度で食って掛かるような連中が増えているようです。私の力不足です、すみません」

その言葉を聞いたアイスマンは、顔を覆い、悲しい顔をして重く首を横に振った。 「……もう、限界か。俺たちが作った楽園は、こんなものだったのか……」

シーザーはさらに絶望を煽るように、悲しい顔を崩さずに言葉を続けた。 「アイスマンさん。……あなたは、このまま超能力者たちを見捨てる気ですか?」

アイスマンがハッとした顔をした瞬間、シーザーは我が意を得たりとばかりに、強い光を宿した目で彼に詰め寄った。 「いや、もし彼らを踏み止まらせ、外部の強大な組織の力を以て、この歪んだ組織そのものを正すことができたなら……。世界中でそれができるのは、圧倒的な力を持つあなただけです」

「……そんな都合のいい組織が、本当にあるのか?」 アイスマンの問いに、シーザーは待ってましたとばかりに、冷徹な声を響かせた。

「国連軍の『世界超能力者対策本部』です」

アイスマンは驚愕の表情を浮かべ、激しく首を振った。 「馬鹿な……! あそこは超能力者を迫害する敵の本陣だぞ! 流石にそんなことができるわけが——」

「我々ならできます」シーザーはアイスマンの胸元に顔を近づけ、逃げ道を塞ぐように激しく詰め寄った。「いや、あなたにしかできないんだ。今が決断の時です、アイスマン! このままここに引き籠もっていれば、いずれあの暴徒たちによって、ユキ様までもが……!」

シーザーに詰め寄られたアイスマンの頭裏に、あのプロメテウスの夜、自分を信じて雪の盾を出してくれたユキの、純粋な笑顔がありありと浮かんだ。 彼女を守るためなら、俺は悪魔にだって魂を売る。 アイスマンは固く拳を握りしめ、黙って重く首を縦に振った。

数日後の深夜。 アイスマンは、シーザー、ユキ、そして爆の三人だけを静かに自室へと呼び集めた。

部屋の明かりを落とし、アイスマンは絞り出すような深刻なトーンで切り出した。 「……突然で申し訳ないが、俺は、このユートピアを出ようと思う。ここにいては、同胞を本当の意味で救うことはできない。ユキ、爆、シーザー。俺についてきてくれないか」

その言葉をあらかじめ知っていたシーザーは、すぐに怯えたような表情を作り、即座に答えた。 「わかりました。私のような無能力者がこのユートピアにこれ以上留まるのは、身の危険を感じておりましたので……。喜んでアイスマンについていきます」

しかし、隣にいた爆が、烈火のごとく怒った顔をして椅子を蹴り飛ばさんばかりに立ち上がった。 「おい、アイスマン! ここを出るって、一体どこに行くつもりだ!? ここに集まったみんなのことはどうするんだよ! 見捨てるのか!」

アイスマンは暗い顔のまま、冷酷に答える。 「ここは既に限界だ、爆。自由という名の免罪符を得た超能力者は、もっと慎重に、厳格に管理されなければならないんだ。そうでなければ、いずれ世界に滅ぼされる」

「管理だと!?」爆は興奮して声を荒らげ、アイスマンに掴みかからんばかりに叫んだ。「超能力者と、超能力のない人間……確かに今は憎み合っているかもしれない。だけど、きっと時間はかかっても、いつかお互いに分かり合えるはずだ! 支配なんてしちゃいけないんだ!」

爆の頭の中には、かつて自分を逃がして死んでいった実の姉の言葉、そしてプロメテウスの崩壊の夜に「お姉ちゃんになってあげる」と言って自分を救ってくれた風の言葉が、強く渦巻いていた。

アイスマンは、爆のその純粋すぎる瞳を見て、酷く悲しい顔をして呟いた。 「……そうか。爆、お前は来てくれないか。……ならば、俺と共に来てくれるのは、シーザーとユキだけか」

静寂が部屋を満たす中、今度はユキが、ゆっくりと、しかし断固とした拒絶を込めて首を横に振った。

「……私は、ついていかないわ、アイスマン」

「ユキ……!?」 アイスマンの顔に、初めて本当の動揺が走った。ユキだけは、何があっても絶対の信頼で自分に付いてきてくれると確信していたからだ。予想外の回答に激しく動揺するアイスマンだったが、男としての、そして救世主としての決断をいまさら覆す気はなかった。

「……そうか。わかった」アイスマンは声を冷たく押し殺し、決別の言葉を告げた。「私とシーザーだけで、ここを出ることにする。爆、ユキ。……もしかすると、次に会う時は、俺たちは敵同士かもしれない。だがその時は、俺は一切の容赦をしないぞ」

ユキは悲しみに胸を締め付けられながらも、心の中で強く誓っていた。 (きっと、最後に私たちは分かり合える。私はここで、あなたのために、アイスマンがいつでも帰ってこられる『本当の楽園』を守り続けてみせるわ……)

それが、かつて家族として笑い合った二人の、永遠の最後の別れになるとは知らずに。

ユートピアを後にしたアイスマンとシーザーの二人が向かった先は、国連軍の『世界超能力者対策本部』であった。 シーザーがかつて一般企業のサラリーマン時代、そしてプロメテウスの副局長時代に築き上げた強大なコネクションと人脈を利用し、彼らは自ら進んで敵対組織の門を叩いたのだ。目的は、本当の意味での「超能力者の絶対的な管理」。

シーザーの天才的な交渉術と二枚舌の前に、国連軍の上層部たちはあっさりと掌の上で転がされた。とんとん拍子に話は進み、アイスマンはその圧倒的な戦闘能力を評価され、シーザーはその驚異的な頭脳を買われ、瞬く間に世界超能力者対策本部の「最高幹部」の座へと上り詰めた。

それからの数ヶ月、かつて仲間だった『ユートピア』の超能力者たちと、アイスマン率いる『超能力者対策本部』との間で、世界各地を舞台にした血生臭い小競り合いが多数行われることとなった。

ある夜。 国連本部の高層階にある自室の窓から、シーザーは一人、夜空を見上げていた。 ガラス窓の向こうでは、あの日と変わらず、雲一つない空に綺麗な月が浮かび、彼を見下ろして微笑んでいた。

『よう、大将。恐ろしいくらい順調にいっているねぇ』

頭の中に響く月の声に、シーザーは張り付いたようなにやけ顔を満面に浮かべて答えた。 「ええ、ええ。恐ろしいくらい順調ですよ、まったく。どいつもこいつも、自分の身の可愛さと目先の思想ばかりで、勝手に私の脚本通りに踊って自滅していく。正義だの、管理だの、本当に滑稽極まりない」

シーザーはワイングラスの赤い液体を揺らしながら、ふと、ユートピアに残してきたあの水色の髪の少女の顔を思い浮かべた。

「そういえば……あの濁った組織の中で、彼女だけは、最後まで自分のことではなく『他人のこと』ばかりを考えていましたっけねぇ」

シーザーは目を細め、グラスに口をつけた。

「まあ、それもすべて、私の手によって無駄に終わるかもしれませんがね。……さあ、世界を滅ぼす、最後の一手(チェックメイト)へと続きましょうか」

シーザーの静かな狂気の笑い声が、国連本部の冷徹なオフィスに、いつまでも低く響き渡っていた。


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