俺は意気揚々と、目の前の謎の美女を頭のてっぺんから爪先まで嘗め回すように見つめた。モニターの中でしか拝めないような抜群のプロポーションに、思わず口角がだらしなく緩んでしまう。
こちらの視線に気づいたのか、彼女は鈴を転がすような、しかしどこか冷たい声で俺に語りかけてきた。
「不浄なる愚かな男よ。私は欲望の悪魔マモン。お前の欲望を叶えに来た。何でも要求を言ってみるがいい」
願ってもない展開に、俺の脳内は一瞬で沸騰した。今思えば完全に異常な精神状態だったが、俺は衝動のままに叫んでいた。
「お前のオッパイを揉ませてくれ!」
言うが早いか、俺はマモンの豊満な胸元へ両手を伸ばした。しかし彼女は電光石火の速さでその手を払い除け、虫ケラを見るような侮蔑の眼差しを向けてきた。
「お前は馬鹿か。対価も何も理解していない状態で、そんなくだらない欲望を口にするとはな。別に触らせてやってもいいが――その対価はお前の魂だぞ」
冷徹な一言に、背筋へ冷水を浴びせられたように頭が冷えた。突き放すようでいて、無駄死にさせないよう警告してくれたのだろうか。こいつ、案外優しい奴なのかもしれない。
冷静を取り戻した俺は、じっくりと言葉を選び直した。
「対価など気にしない。とにかく自由に生きたいんだ。思うがままに、この世の中を好き勝手できる能力をくれ」
アニメで散々見てきたチートスキルを手に入れるため、俺なりに絞り出した最高の要求だった。マモンはしばらく品定めするように俺を見つめ、やがて口元を歪めた。
「なるほど、わかった」
マモンが俺に向けてすっと指先を突き出すと、まばゆい光線が全身を包み込んだ。
「お前には欲望の魔弾(モータルバレット)を授けた。手を拳銃の形にしてみろ」
言われるがまま、親指と人差し指を立てて銃の形を作ってみる。すると、手のひらに吸い付くようにして、禍々しくも美しい装飾が施された本物の拳銃が具現化した。
「これは……?」 「お前以外には視認できない拳銃だ。そのトリガーを引けば、対象へ不可視の銃弾を放つことができる」
鈍い光沢を放つ銃身に見とれながら、俺は尋ねた。「これで撃つと、相手はどうなるんだ?」
マモンは残酷なほど妖艶に微笑んだ。「即死だよ」
息を呑む俺に、彼女はさも些細なことのように続ける。
「ただ、安心していい。弾を受けた相手は心臓発作で死ぬ。司法解剖されても和彦が殺した証拠は一切残らない。銃も他人には見えないからな」
ついに手に入れたのだ。絶対的なチートスキルを。これからは誰にも邪魔されず、すべてを思い通りにできる。
「気をつけろよ。証拠は残らなくとも、二人きりの密室で使えば状況証拠で警察に疑われるかもしれんからな」
マモンが最後に何か忠告していたが、これからの輝かしい人生への妄想で頭がいっぱいだった俺の耳には、ほとんど届いていなかった。
ふと我に返ると、俺は見慣れた自分の汚い六畳間に立っており、マモンの姿はどこにもなかった。だが、手の中に握られた冷たい銃の感触が、すべて現実であることを証明していた。
沸き上がる歓喜のままにハイボールを煽り、奇跡を祝って何杯も重ねるうちに、俺はそのまま意識を失った。
――翌朝、目を覚ますと時計の針はすでに八時を指していた。
「しまっ……遅刻だ!」
慌ててスーツを引っ張り出し、駅へ走る。オフィスに滑り込んだ時には、すでに九時半を過ぎていた。デスクに鞄を置く暇もなく、フロアの奥から聞き慣れた怒号が響き渡る。
「吉田ァ! てめえ何時だと思ってんだ!」
田中課長のデスクの前に立たされると、いつものように理不尽な説教が始まった。定時は九時。三十分の遅刻に対して、すでに十分以上も怒鳴り散らしている。
俺は俯いたまま、ポケットの中で密かに魔弾の銃を出したり消したりしていた。気のない返事で嵐が過ぎるのを待つ。二十分が経過したところで、ようやく田中が吐き捨てるように言った。
「とっとと営業行ってこい! 今月予算未達だったら殺すからな!」
自席に戻った俺は、デスクのパーテーション越しに田中の後頭部をじっと見つめた。手の中には、誰にも見えない漆黒の銃。
――さて、どうするか。一発目の実験体は、このクソ上司でいいだろう。
先ほどまでの鬱陶しい怒号を思い出しながら、田中の背中に銃口をピタリと合わせた。
(モータルバレット)
心の中で引き金を引いた瞬間、銃口から目に見えない赤い閃光が奔った。
直後、田中が「うっ」と短い呻き声を漏らし、机の上に突っ伏した。俺はしばらく様子を窺っていたが、周囲の社員たちは居眠りでもしていると思ったのか、誰も気にも留めない。
俺は何食わぬ顔でオフィスを出て、いつものルート営業へ向かった。
夕方、外回りから帰社すると、オフィスは蜂の巣をつついたような大混乱に陥っていた。同僚の一人が青ざめた顔で駆け寄ってくる。
「おい吉田、大変だ! 田中課長が執務室で急死したんだよ! 警察やら本社の監査やらが入って、今フロア中がひっくり返ってる!」
本当に心臓発作で死んだのだ。俺は心の奥底で歓喜のダンスを踊り狂いながら、表面上はショックを受けたような神妙な顔を作り、警察の形式的な事情聴取や社内対応を淡々とこなした。
数日後に行われた告別式には、一般社員の参列は禁じられ、役員のみが出席するという通達が出された。少しでも現場の社員を働かせたい癖に、「社員の負担への配慮」などと綺麗事を並べる経営陣。俺は心の底から悪態をついた。
「どこまでも腐ったブラック企業が」
さらに数日後、俺は自室のこたつで、濃いめのハイボールを片手に一人静かに祝杯を挙げた。
俺が手に入れたのは、正真正銘、世界を支配できる無敵の力だ。この絶対的な力を使って、これからどうやって最高の人生を築き上げてやろうか。
グラスの氷をカランと鳴らし、俺は暗闇に向かって下卑た笑みを浮かべた。
「さて――次はどいつから消してやろうか」

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