壮年の警察官は警察手帳を提示しながら、貼り付いたような笑みを浮かべていた。
「私、伊藤って申しましてね。今、ここらへんで色々事件がありましてね。吉田さんにも何かあったかと心配になり、大家さんに鍵を借りて開けさせていただきました」
俺は激しい動悸に襲われ、何を答えていいか分からず口ごもった。伊藤は畳み掛けるように言葉を重ねる。
「吉田さんの身の回りでも不審死が立て続けに起きていますし、ご自身も不安でしょう。我々も一刻も早く解決したくてね。吉田さんのご意見も伺いたく、ちょっと署までお越しいただけますか」
「それって……任意同行ですよね。断ることもできるんですよね」
震える声でそう返すと、伊藤の細められた目がすっと冷たくなった。
「もちろん任意です。ただ、我々も治安を守るために必死なんですよ。任意以外の方法でもあらゆる情報を集めています。協力していただけませんか?」
暗に『断れば令状を取って強制捜査に切り替える』と告げるかのような威圧感だった。喉元まで出かかった拒絶の言葉を飲み込んでしまった。今にして思えば、ここが最後の逃げ道だったのだ。
連行された警察署の取調室で、俺は伊藤、そして無言で手帳を開く記録係の巡査とテーブルを挟んで向かい合った。伊藤は相変わらず穏やかな口調を崩さない。
「吉田さん、最近あなたの周囲で不審死が立て続けに起きていますけれど、気味が悪くありませんか?」
「不審死って……何かありましたっけ」
俺は必死にとぼけたが、伊藤は淡々と手帳のメモを読み上げた。
「直属の上司二名が相次いで急性心不全。営業事務の女性も心不全。大口の取引先担当者、自宅近所の工事現場の作業員たち、行きつけのコンビニ、通勤経路……これだけピンポイントで人が死んでいて、何も覚えていない?」
「覚えてないものは、覚えてないです」
「各地の防犯カメラ映像を洗ったんですよ。その場にことごとくあなたが映り込んでいる。本当にすぐそばにいて、何も見ていないと?」
「これは任意の聴取だろ! 俺を犯人扱いする気か!」
思わず立ち上がり怒鳴りつけたが、伊藤は眉ひとつ動かさなかった。数々の被疑者を落としてきた百戦錬磨の刑事にとって、俺のような小物の喚き声など日常茶飯事なのだろう。
「ええ、現時点では容疑者ですらありませんよ。ただね、この状況で無関係は通らない。こっちはその気になれば、別件でも何でも使ってあなたを拘束できるんだ」
伊藤の顔から完全に笑みが消え、鋭い怒号が狭い部屋に響き渡った。
そこからの追及は地獄だった。事細かな行動記録を突きつけられ、わずかな記憶の食い違いや矛盾を執拗に抉り取られる。密室の重圧の中、数時間が経過した頃には、俺の精神は限界寸前まで摩耗していた。
机の下で、俺の指は無意識にモータルバレットの銃を出したり消したりを繰り返していた。
こいつは決定的な物的証拠こそ持っていないが、完全に俺を犯人だと確信している。このままでは出られない。もう、殺すしかない。
だが、ここで伊藤が倒れたら誰がどう見ても俺が疑われるのではないか――。迷いと恐怖で数時間が引き延ばされ、やがて追い詰められた脳が限界を告げた。
俺は机の下から、伊藤の胸元へ人差し指を向けた。
(モータルバレット)
不可視の弾丸が放たれた瞬間、伊藤は息を詰まらせ、机の上に突っ伏して絶命した。
「おい、伊藤さん!?」
驚愕した記録係が叫び、伊藤の脈を取ると、血相を変えて俺を睨みつけた。
「貴様……やっぱり何かやったな!」
腰の手錠を外そうとした記録係に向け、俺は反射的に二発目を放った。男は床に崩れ落ち、取調室に完全な静寂が訪れた。
二つの死体を前に、俺の理性は完全に吹き飛んだ。被害者のふりをして逃げ出そうと取調室のドアを押し開けた瞬間、外に控えていた二名の警官が反射的に俺を床へねじ伏せた。
「伊藤さんが言った通りだ! 部屋の中の死体を見ろ!」
冷たいリノリウムの床に顔を押し付けられ、完全に現行犯として扱われる。このまま捕まれば死刑だ。俺は拘束からわずかに自由だった指先を二人の警官へ向け、狂ったようにモータルバレットを乱射した。
二つの重たい身体が、俺の上に折り重なるように倒れ込む。
警官を四人も殺してしまった。もう後戻りはできない。全てが終わりだという絶望と恐怖でふらつきながら廊下へ這い出ると、曲がり角から異変を察知した若い女性警察官が駆け寄ってきた。
やけっぱちになった俺は、女性警官へ飛びかかり、その首元を背後から腕で強く絞め上げた。
「動くな! 俺にはお前をいつでも殺せる力がある! 死にたくなければ大人しく盾になれ!」
女性警官は不意を突かれた衝撃と恐怖で息を呑み、金縛りに遭ったように身を固くしている。俺は彼女の身体を盾にしながら、出口へ向かってじりじりと後退しようとした。
その時――。
乾いた破裂音が廊下に響き渡った。クラッカーを鳴らしたような、甲高い音。
通路の奥を見ると、別の若い警官が両手で拳銃を構え、銃口をこちらに向けていた。
瞬時に反応した俺は、(外したのか? 散々人を撃ち慣れた俺と撃ち合いをする気か)と嘲笑い、女性警官の首を片腕で固定したまま、空いた手で不可視の銃を構えようとした。
だが、腕に力が入らない。
視界が急激に暗転し、床が迫ってくる。警官の構える銃口の先から、細い煙が立ち上っているのが見えた。
薄れゆく意識の底で、かつてテレビのニュースで耳にした知識が脈絡もなく脳裏をよぎった。
――警察官が発砲する際、初弾は威嚇のための空砲であることが多い、と。
痛覚すら感じないまま冷たい床へ倒れ込む中、俺の最後の思考は、そんなくだらない雑学の確認だった。

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