陰キャが異世界転生してモテモテ勇者に ガオンの章その3

全身に漲る力は、まさに圧倒的だった。 拳を振るうだけで突風が巻き起こり、襲いかかってきたゴブリンやオークの巨体が紙屑のように軽々と宙を舞い、吹き飛んでいく。 かつては恐怖の対象でしかなかった魔物たちが、今やただの藁人形にしか見えない。 「ヒィッ……!?」 「ガ、ガアアッ……!」 私の猛威を前に、魔物たちは完全に戦意を喪失した。互いに顔を見合わせると、状況不利と悟って蜘蛛の子を散らすように山林の奥へと逃げ出していった。

息を整え、村の反対側で戦っていたユウの援護に向かおうとしたが、その必要すらなかった。白銀の剣と光の矢で的確に敵を追い詰めるユウの力を見て、そちらの魔物たちも敵わないと悟り、すでに退散していったところだった。

ひとまず魔物の群れを撃退することには成功した。 だが、駆け寄ってきた村人たちの表情は依然として絶望と恐怖に強張っていた。 「あいつら、逃げただけだ……」 「村の場所を覚えられちまった……また大群で襲ってくるに決まってる」 「もう、この村を捨てて逃げるしかないのか……」

怯える村人たちの声を聞きながら、私は息を大きく吸い込んだ。 そして、胸の奥底から引き絞るように、先ほどよりもさらに深く、重厚な咆哮を天空へと轟かせた。

「——ウォオオオオオオオオオンッッ!」

地を揺るがすような遠吠えが、四方の山々に木霊する。 静まり返った村の中で、私は肩で息をしながら、村人たちに向かって言い放った。

「今、ウェアウルフの縄張りを宣言する咆哮をあげました。これでこの村一帯は、私の縄張りだと周囲の魔物どもに知れ渡ったはずです。よほどの命知らずな上位魔物でもない限り、ここへ寄り付くことはもうありません」

私の言葉に、村人たちは信じられないといった様子で顔を見合わせ、やがて安堵の吐息とともにその場に崩れ落ちた。 そこへ、モーニングスターを手にしたあのシスターが再び歩み寄ってきた。 「今回は……あなたたちのおかげで助かりましたわ。村の者たちも皆、酷く動揺しています。細かい話は明日にして、今夜は休んでください」

そうして私たちは、村で唯一の宿屋へと案内された。 通された部屋には、木製の粗末なベッドがひとつ置かれているだけだった。

扉が閉まり、二人きりになる。 私は内心で冷たく嗤った。 色々と狂わされたが、私はようやく自由の身を手に入れたのだ。もう忌々しい首輪はない。誰の言いなりになる必要もない。 家族を奪った人間どもめ……これから一人残らず皆殺しにしてやる。

だが、問題はこのユウという男だ。 先ほどの戦いを見る限り、こいつの実力は私とほぼ互角。正面から襲いかかれば、返り討ちにあうリスクが高い。寝込みを襲うか、油断している隙を突くのが確実だ。

荷物を下ろし、一息ついたところで、私は獲物を罠にかけるように甘い声を絞り出した。 「あの……ご主人様。昨日みたいに、私の体を洗ってくれませんか?」

素っ裸になればどんな勇者とて無防備になる。背中を流させながら首をへし折ってやろう——そう目論んでの提案だった。 ところが、ユウの反応は昨日とはまるで違っていた。

「へっ……!? い、いやいやいや! 一緒にお風呂とか絶対にダメだよ! べ、別々に入ろう、な!?」

ユウは顔を林檎のように真っ赤にして、両手をぶんぶんと振って後退った。 ……なんだ、この反応は? 昨日は妹を洗うみたいに平然と体を流してくれたくせに、何が起きたというのか。 「ご主人様ぁ……お願いですぅ」 私はわざと耳をぺたんと倒し、猫なで声を出してすがるように上目遣いで見つめてみた。 するとユウはますます狼狽し、顔を背けながらも、視線だけはこちらの胸元や太ももをチラチラと何度も往復させている。

その様子を見て、私はようやく察した。 ……なるほど。そういうことか。 さっきまでの貧相な子供の体から、成熟した成人の体へと急成長した私を見て、この男は『女』として欲情しているのだ。 くくく、単純な男め。そうと分かれば、完全に私の手の平の上だ。 風呂場での暗殺は諦め、寝込みを襲うことに標的を切り替えることにした。

それぞれ別々に風呂を浴び、村長たちから振る舞われたささやかな歓迎の夕食を終えた後、いよいよ就寝の刻限となった。 ユウは部屋を分けたり別の寝床を探そうと必死になっていたようだが、山奥の小さな宿に予備の部屋も寝具もあるはずがない。 結局、今夜も二人でひとつのベッドに同衾することになった。

(昨日と同じだ。お前が深い眠りに落ちたら、その無防備な喉笛を噛み千切ってやる……)

ユウは逃げるようにさっさと布団に潜り込み、「お前も早く寝ろよ!」と壁側へ背を向けてしまった。 私は音もなく布団へ滑り込み、いつでも首筋に牙を立てられるよう、背後からユウの背中にぴったりと抱きついた。

早く寝ろ。油断しろ。その柔らかな首を食い破ってやる。 そう念じながら、至近距離から漂ってくるユウの体臭を吸い込んだ。

……その瞬間だった。 鼻腔をくすぐる温かな匂いが脳髄を直撃し、視界がぐらりと揺れた。 なんだ、これは? 殺意で尖っていたはずの胸の奥が、信じられないほど甘やかに弛緩していく。同時に、下腹の奥が熱く疼くような、奇妙な昂ぶりが全身を駆け巡った。

バタバタバタッ、とシーツを激しく叩く乾いた音が部屋に響いた。 自分の尻尾だった。無意識のうちに、千切れんばかりの勢いで左右に振れていた。 ……嘘でしょ? ウェアウルフにとって、感情を抑えきれずに尻尾を激しく振るのは、心を許した相手に対する『絶対的な友好と求愛』の証だ。 なぜ私が、人間に尻尾を振っている? この男に好意を抱いているとでもいうのか? ありえない、そんなはずはない!

混乱を振り払おうと、私は震える声で呼びかけた。 「ユウ……起きてる?」 「お、起きてるよ……」 背中越しに、ユウの心臓が早鐘のように高鳴っているのが伝わってくる。 「ねえ……私のこと、どう思ってる?」 暗殺者の冷徹な問いのつもりだったのに、口から出た声はひどく甘ったるく震えていた。 ユウは少し息を呑んだ後、絞り出すように答えた。 「……大事な、仲間だと思ってるよ」

——大事な。 その一言が、私の胸の奥深くに雷のように突き刺さった。 あたたかい。嬉しい。もっと触れたい。 理性による復讐心など、一瞬にして吹き飛んだ。何代にもわたって受け継がれてきたウェアウルフの雌としての本能が、私の体を完全に支配していた。

気づいた時には、私はユウの首筋に顔を埋め、夢中でその肌をペロペロと舐め回していた。 「ひゃああっ!? や、やめろガオン、くすぐったいって! ちょ、何して——」 嫌がるユウを押さえつけ、私はマーキングするように、愛おしさを噛み締めるように舌を這わせ続けた。止まらない。本能が、この男を自分の番として認めてしまっていた。

「だ、ダメだ! 今日は同じ部屋で寝るのはやめておく!」

限界を迎えたらしいユウは、必死の力で私を押し退けると、転がるようにベッドから飛び出し、そのまま部屋の外へと逃げ出してしまった。 追いかけたかった。 けれど、拒絶されたという事実が冷水のように私の頭を打ち据え、私はベッドの上でぽつんと取り残されてしまった。 窓の外を見ると、ユウは夜風に吹かれながら、そそくさと礼拝堂の中へと入っていくのが見えた。

一人残された部屋で、私は毛布を抱きしめながら悶々と身悶えしていた。 頭の中は、ユウの匂いと、さっきの「大事な仲間」という言葉で埋め尽くされている。 復讐? 人間皆殺し? そんなもの、欠片すら頭に残っていなかった。

翌朝、教会の前で寝不足の目を擦るユウと合流した。 顔を合わせた瞬間、私の体は吸い寄せられるように動き、彼の腕へと飛びついていた。 「ねぇー、ご主人様ぁ! これからもずーっと一生一緒ですからねーっ!」 もう、敵うはずがなかった。 首から外れた鉄の首輪の代わりに、私の魂には『ユウへの執着』という、一生解くことのできない新たな呪いが深く刻み込まれてしまっていたのだ。

ユウは顔を赤らめながらも、困ったように頭を掻いた。 「あ、ああ、ありがとう……。とりあえず、シスターに出発の挨拶に行こうか」 「はいっ!」 昨日までの警戒心などどこへやら、私はユウの腕にぴったりと胸を押し当て、抱きついたまま歩調を合わせた。

礼拝堂に入ると、祭壇の前にシスターが立っていた。 こちらを振り返った彼女の瞳に、昨日よりも明らかに鋭く、冷え切った敵意が宿っているのが分かった。気のせいではない。あからさまな敵愾心だ。

シスターは氷のように冷たい声音で口を開いた。 「おはようございます、勇者様。……それと、そこの『元・奴隷ちゃん』」 「……っ」 明らかな挑発だったが、今の私にはどうでもよかった。私はユウの腕をさらに強く抱きしめ、ふん、と鼻を鳴らしてシスターを無視してやった。 シスターの額に青筋が浮かぶのが見えたが、彼女は咳払いをひとつしてユウに向き直った。

「改めまして、村を救っていただき感謝申し上げます。ところで勇者様、次の旅の目的地はお決まりですか?」 「いや、まったく。俺、いろいろあってこの世界の地理とか全然知らないんだよ」 ユウが素直に困り顔を見せると、シスターは待ってましたとばかりに得意げな笑みを浮かべた。 「そうですか。でしたら進言させていただきますが、まずはここから西にある『世界樹の森』へ向かわれるのがよろしいかと存じます」 「世界樹の森? そこに何があるんだ?」

ユウが身を乗り出すと、シスターはすらすらと講釈を垂れ始めた。 「魔王を打ち倒すためには、三つの神器——『火山の剣』『世界樹の盾』『大地の涙』が必要と伝えられています。そのうち『世界樹の盾』が眠る霊峰こそが世界樹の森。そして幸いなことに、この村から最も近い場所にある神器でもあります」

「なるほど! よし、じゃあ早速そこへ向かおう。行こうか、ガオン!」 ユウが私を振り返る。私は満面の笑みを咲かせ、彼の腕に頬をすり寄せた。 「はいっ! ユウ様となら、地の果てまでご一緒します!」

完璧な二人の世界。 そう確信した瞬間、ピリリとした鋭い殺気が空気を引き裂いた。

シスターが背後からモーニングスターの鎖をジャラリと鳴らし、引きつった笑顔を張り付けながら言い放ったのだ。

「ええ、素晴らしい旅立ちですわね。——ですので、私も力及ばずながら、お供として『同行』させていただきますわ」

は? 私がユウの腕を抱いたまま振り返ると、シスターは聖職者とは思えないほどドスの利いた目で、私を真っ向から睨みつけていた。

……ふざけるな、この泥棒猫が。 昨日の今日で、私のユウに擦り寄ってこようというのか。

村を焼かれた時ですら味わったことのないような、凄まじい怒りと闘争本能が、私の全身の毛を逆立たせていた。


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