陰キャが異世界転生してモテモテ勇者に きらりの章その2

一睡もできないまま迎えた朝、私の頭は鉛のように重く、ぼんやりと教会の木造の天井を見つめることしかできなかった。 まともな思考力すら奪われ、意識が微睡みへと沈みかけたその時——静寂を破る叫び声が部屋に響き渡った。

「う、うわあっ!? ガ、ガオン、なんで俺の横で寝てるんだよ!?」

飛び起きたユウ様の悲鳴に、布団の中からむにゃむにゃと寝ぼけた声が返される。

「んぅ……? なによぅ、私たちはもう家族みたいなものでしょ。一緒に寝るのが自然じゃない……」

その言葉を聞いた瞬間、眠気で朦朧としていた私の脳味噌が一気に沸騰した。

「な、何を寝言を言っているのですか、この野蛮な犬耳娘はッ! 勇者様が心底嫌がっていらっしゃるでしょう! 今すぐその不浄な手足を離しなさいッ!」

毛布を跳ね除けて怒鳴りつけると、ガオンは心底不満そうに「ちぇっ」と舌打ちし、嫌々ベッドから這い出てきた。 三人で冷たい水で顔を洗い、教会の食堂へ降りて朝食の席に着く。私は頭痛薬代わりに熱いハーブティーを喉に流し込み、気を取り直して本日の旅程を説明し始めた。

「この町から、三種の神器の一つ『世界樹の盾』が眠る霊峰『世界樹』へ向かうには、この付近の原生林を抜けてエルフの村を経由するのが最も近道ですわ」

すると、パンを齧っていたガオンがピクッと耳を動かした。 「エルフかー。小さい頃に何回か会ったことあるな。懐かしい」 何よそれ。マウンティングのつもりかしら。神官である私ですら、人里離れた森に隠れ住む本物のエルフなど一度もお目にかかったことがないというのに。

私の内心の苛立ちを他所に、ユウ様が目を丸くして尋ねる。 「エルフって……あの耳が長くて、ものすごく綺麗な種族のこと?」 「綺麗ですって!? 絶対私の方が魅力的でしょ!」 すかさず身を乗り出して抗議するガオンを、私は冷ややかに遮った。

「勇者様の仰る通りですわ。人間の美の基準に照らし合わせても、エルフは類稀なる美貌を誇る種族。魔法に長け、長寿を誇り、精霊の加護を受ける彼らは、亜人の中でも比較的、人間に対して友好的であると言い伝えられています」

どこかの獰猛で野蛮なウェアウルフの悪評とは大違いだ。 だが、その平穏な村へ至る道は決して生易しいものではない。

「とにかく、エルフの村までは整備された街道が通っておりません。険しい森の中を徒歩で丸一日以上歩き続けることになりますので、覚悟して臨んでくださいませ」

ユウ様の顔から先ほどまでの物見遊山な空気が消え、引き締まった表情へと変わった。 「……わかった。かなり過酷な山歩きになりそうだな」

宿の神父様に数日分の保存食や水筒を用立ててもらい、私たちは世界樹の森を目指して出発した。 最初は辛うじて踏み固められた山道を進んでいた。しかし、日光すら遮る鬱蒼とした深林に足を踏み入れて三時間が経過した頃、私の足取りは急速に重くなっていった。

だらだらと滝のように汗が吹き出し、息が上がって喉が張り裂けそうになる。 「はぁ……はぁ……す、少し、休憩を……」

膝に手をついて懇願する私を見て、ガオンは涼しい顔で腕を組んだ。 「もうバテたのか? だらしないな、人間は」 「な、なんですって……!」 言い返そうとしたが、肺が痛くて声が続かない。ユウ様もそれなりに汗をかいていたが、ステータスの上昇のおかげか、まだ十分に余裕がありそうだった。 「まあまあ。無理は禁物だよ、きらりさん。少し休もう」

ユウ様の優しいお言葉に甘え、そこからは一時間歩くごとに小休止を挟むことになってしまった。完全に私の体力のなさのせいだ。 そうこうしているうちに森の木々の隙間から夕闇が忍び寄り、茜色の空が藍色へと染まり始めた。

「これ以上暗い森を進むのは視界も悪くて危険だ。今日はここで野宿にしよう」

ユウ様の提案で、私たちは開けた草地に腰を落ち着けることにした。 少しでも名誉を挽回しようと、私は背負い袋から天幕の骨組みや火打ち石を取り出し、設営に取り掛かろうとしたのだが……慣れない野営の道具に手間取り、手元がおぼつかない。 見かねたガオンが横から道具をひったくっていった。 「あーもう、見てられない。貸せ!」 手際よく杭を打ち、手早く薪を集めて火を熾すガオン。森で生きてきた亜人の野生の知恵の前に、私はただ圧倒されるしかなかった。

やがてパチパチと爆ぜる焚火を三人で囲み、硬い干し肉とパンを口に運ぶ。 「地図を見た感じ、このペースでも明日の昼前にはエルフの村に着けそうだな」 ユウ様が前向きに微笑む横で、ガオンが薪を弄びながらぼやいた。 「もっと早く歩ければ今日中に着いてたけどな」

(誰のせいで私が一睡もできずに体力をすり減らしたと思っているのよ、この泥棒猫……!) 喉元まで出かかった罵声を必死に飲み込み、私は殊勝な顔を作って項垂れた。 「私の不甲斐なさのせいで、お二人の足を引っ張ってしまい……本当に申し訳ありません」

すると、ユウ様が慌てたように首を振ってくれた。 「そんなことないよ! きらりさんが道案内してくれたおかげで、魔物の巣を避けてここまで迷わず来られたんだから。本当に助かってるよ。とにかく、今日はゆっくり休んで」

(ああ……! なんてお優しいのかしら……!) その一言だけで、全身の疲労が歓喜の光となって吹き飛ぶようだった。 「はいっ! あ、その前に……『ホーリーバリアー』!」

私が祈りを捧げると、焚火を中心に淡い光の結界がドーム状に広がり、周囲を包み込んだ。 「これで神の加護が働き、並の魔物は結界に近づくことすらできません。それでは、お休みなさいませ」

それぞれ寝袋に潜り込む。今日こそは疲労困憊だし、目を閉じれば数秒で眠れるはず——そう安堵した瞬間だった。 暗闇の中から、ユウ様の囁くような声が降ってきた。

「ありがとう、きらりさん。きらりさんがいてくれるから、俺、右も左も分からないこの世界でも安心して過ごせるよ」

ドクンッ、と心臓が跳ね上がった。 安心……頼りにされている……私を、必要としてくださっている……!? 脳内が一瞬で沸騰し、私の眠気は完全に宇宙の彼方へと消え去った。 駄目よ、寝なきゃ、明日も歩くのよ! そう自分を戒めれば戒めるほど、脳裏にはユウ様と紡ぐ輝かしい薔薇色の未来図が次々と展開されていく。 隣からは、規則正しいユウ様の寝息と、ガオンの微かな鼻息が聞こえてくる。 (眠れない……でも、眠らなきゃ……!)

悶々ともがき続けた結果、奇跡的に私の意識は深い夢の中へと滑り落ちていった。 夢の中で、私はユウ様と並び立ち、天空を覆う邪悪なドラゴンを二人で討ち滅ぼしていた。勝利の歓喜に沸く中、ユウ様が私の手を取り、情熱的な瞳で見つめてくる。 『きらり、愛している……』 『ユウ様……!』 お互いの顔が引き寄せられ、唇と唇が重なり合う、まさにその瞬間——

「おい、人間! いつまで寝てんだ、早く起きろ!」

耳元で響いたガオンの無慈悲な怒声に、私の意識は強引に現実へと引き戻された。

「……っっっ!!」 飛び起きた私の顔は、怒りと怨嗟で青筋が浮き出ていたに違いない。 あと数ミリだったのに! あと数ミリで私の処女宮に奇跡のキスが降り注ぐはずだったのに! この忌々しい獣、どこまで私の邪魔をすれば気が済むのよ!

煮えくり返るような不機嫌さを押し殺しながら湯を沸かし、ハーブティーを飲み干して簡単な食事を済ませる。ガオンは相変わらず能天気な顔で尻尾を揺らしていた。 絶対に許さないと心の中で呪詛を唱えつつ、私たちは再びエルフの村を目指して歩みを進めた。

それから森の奥深くへと分け入ること二、三時間。 一見すると周囲と何の変わりもない鬱蒼とした原生林のただ中で、私は巨木の幹に刻まれた青白く光る文様を見つけ、足を止めた。

「ありましたわ。これがエルフの村を覆う大結界の呪印です。この印に正しい合言葉を唱えなければ、人間は永遠にこの森を彷徨い、村へ足を踏み入れることは叶いません」 「へえ、すごいな。合言葉って何なんだ?」

ユウ様が感心したように尋ねてくる。教団の極秘経典に記されていた、古代の異界の言葉——私は胸を張り、巨木に向かって神聖なる呪文を紡いだ。

「——『ARIGATOUGOZAIMASU』」

呪文を唱え終えた瞬間、目の前の空間が水面のように揺らぎ、木々の幻影が掻き消えた。 その先には、巨大な樹木の上に美しく組まれた木造の家々と、神秘的な光を放つ花々に彩られたエルフの隠れ里が、息を呑むような壮麗さで広がっていた。

「開いた! さあ勇者様、参りましょ——」

喜び勇んで一歩を踏み出した、その瞬間だった。

ヒュンッ! ドスッ!!

私の足元の地面に、風を切り裂いて一本の矢が深々と突き刺さった。 悲鳴を上げて足を止めた私の頭上から、冷徹極まりない鋭い声が降ってくる。

「何奴だ。ここがエルフの聖域と知りながら足を踏み入れたのか」

見上げると、巨木の太い枝の上に、弓を構えた金髪碧眼のエルフが立っていた。透き通るような肌に尖った長い耳。息を呑むほど整った顔立ちには、しかし氷のような侮蔑と警戒が張り付いている。

私は震える足を叱咤し、胸の前の聖印を掲げて前に進み出た。

「お、お待ちください! こちらにおわす御方は、異世界よりこの地を救うために降臨された『光の勇者様』です! 私たちは魔王を討ち果たす三種の神器の手がかりを求め、この村を訪れました!」

エルフは枝の上から、冷酷な眼差しで私たちを値踏みするように見下ろした。 「光の勇者だと? ふん、口先だけなら何とでも言える」

その疑いを晴らそうと、ユウ様が一歩前に出て叫んだ。 「ステータスフルオープン!」

青白い光の板が空中に顕現し、最上段に輝く【光の勇者】の文字が周囲を照らし出す。 それを見たエルフの眉がわずかに動き、張り詰めていた弓弦をゆっくりと緩めた。

「……なるほど。確かに偽りなき勇者の座にある者のようだ」 エルフは音もなく枝から飛び降り、軽やかに地面に着地した。 「分かった。勇者よ、貴様が通ることは許そう」

続いて、エルフの視線がユウ様の背後に立つガオンへと向かう。 「そして……ウェアウルフの同胞。森の仲間よ、我らの村に迎え入れよう」

安堵の吐息を漏らし、私も続いて歩みを進めようとした。 だが——エルフの冷たい碧眼が私を射抜いた瞬間、その切っ先が再び私の喉元へと向けられた。

「——だが、貴様だけは断じて通さん。人間の女……貴様、『光の使徒』だな」

「なっ……!? ど、どうしてですか!? 光の使徒が代々、勇者様をお支えする聖なる教団であることはご存知のはずでしょう!?」

理不尽な拒絶に私が声を荒らげると、エルフの口元が酷悪な嘲笑に歪んだ。

「ああ、知っているとも。吐き気を催すほどによく知っている。貴様ら『光の使徒』が……勇者の支援にかこつけて、我ら亜人を奴隷として狩り集めるため、意図的に人間たちの間に差別意識を植え付け、煽り立てている元凶だということをな!」

「な……っ!? そ、そんな、まさか……! 我が教団が、そんなおぞましいことをするはずがありません!」

叫ぶ私を、エルフの冷酷な言葉が容赦なく打ちのめす。

「とぼけても無駄だ。我が村からも、貴様ら教団の息のかかった者どもに攫われた同胞が何人もいる。……そしてそこにいるウェアウルフの村を焼き払い、虐殺の限りを尽くしたのも、教団の武装神官どもだろうが!」

カラン、と乾いた音がした。 振り返ると、ガオンが息を呑み、目を見開いたまま私を凝視していた。

「……え?」

ガオンの喉から漏れ出た、かすれた小さな声。 その瞳には、かつて私に向けられていたものとは比べ物にならないほどの、深い動揺と疑惑の色が揺らめいていた。

「ち、違う……そんな、私は……」

反論しようとした。そんな馬鹿げた濡れ衣、断固として否定しなければならないのに。 生まれてから信じ続けてきた私の世界のすべてが足元から崩れ去っていくような恐怖に喉が締め付けられ、声が、言葉が、何一つとして出てこない。

私はただ、蒼白な顔でカタカタと震えながら、絶望的に首を横に振ることしかできなかった。


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