ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

久しぶりのブログ更新です。今回のブログは表題のネタバレありのためご注意を。

前々からクソという評判で有名なドラゴンクエストの映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」がネットフリックスに上がっていたので、邦画デビルマンもやや楽しめたハードルゆるゆるの私としては、本格的なクソ映画に出会えるかと、楽しみに早速見てみることしました。

感想を結論から書くと非常に面白く、事前の評判からは裏切られる形となった。具体的な欠点で上げられそうなものでいうと、大作邦画特有の有名俳優を声優として起用しておりちょっと演技力に疑問を感じたものぐらいが、その演技力の低さも邦画デビルマンの演技力と比べ、聞くに堪えないレベルのものではなく、本職の声優に比べるとちょっと低いなというレベルで、及第点の内容。それ以外は、十分楽しめる内容になっていた。

映画の魅力を淡々と描いていってもいいのだが、この映画アンチが結構多いように思うので、この映画のレビューでよく否定されている内容について逆説的に私の感想を書いていってみよう。主にネットのレビューでみられた欠点としては「説明が足りなさすぎる」「大事なシーンがカットされすぎている」「落ちがひどい・・・」の3点だろうか。

説明が足りなすぎるという点についてだが、そもそも、映画で細かい設定がちゃんと説明されている映画なんてあったのだろうか?この突っ込みをしている人は、映画を見慣れていないのではないだろうか?例えば、大作で有名なスターウォーズだが細かい説明は、ほとんどされていない、むしろスターウォーズの魅力はそこにあるとみている人もいる、変にめんどくさい説明を省き、パッと見て内容を理解させることで感動を優先しているのだ、また説明が足りないという言葉には、ドラゴンクエストVをやったことがない人には、説明が足りないという文句に聞こえる、そもそもこの映画はドラゴンクエストVをやったことがある人に見せる前提になっている映画なので、もともと見ていない人はターゲットになっていないだろう。あと仮に見てなくても、そこは想像力で補うのが普通だ、想像力の欠落したアホは、自分がアホであることを恥じずに文句をつける、どの業界でもクレーマーはいるものだ。

さて、次のよく言われていたのが「大事なシーンがカットされすぎている」さてこれに関してもよく映画を見ていないのかなと思われる内容である、ドラゴンクエストVの内容をすべて網羅して2時間に収めることはまず不可能だ、であれば3部作などにして、ちゃんとやるべきだという意見もあるが、大型作品を3部作にすると当たった時にでかいのだが、途中でこけてしまうこともあるし、連作の場合、後半に行くほど売り上げが落ちるリスクもあるため、簡単には踏み込むことができない、そもそもカットしたシーンをピックアップしたところでそれほど面白いとも思えない、例えばルラムーン草を探すところをダラダラやって面白いものだろうか、他にも仲間モンスターを増やしたとしても、面白さが増えるかといえばそんなこともないだろう、例えばポケモンのアニメをみると、主力のポケモンは限られておりガヤガヤ出演量が増えてもただ見にくくなってしまうだけだ。

抽出したシーンに関しても文句を言っている方もいるようだが、ドラゴンクエストVのメインテーマは「世代交代」というものがある、となれば必然的に重要かつメインになるシーンは「パパスの死亡」「結婚」「石化」この3シーンになるだろう、これに関してちゃんとピックアップしており、そして今回ゲーム上のラスボスをゲマにしているが、パパスの仇という意味でゲマをラスボスを置いたのはシンプルにわかりやすい構造であったかと思う、実際にゲームのストーリーもゲマを倒した後は、その裏で暗躍していたやつを倒していくという話のながれのため、世界を救うという壮大な物語に進んではいくが、実際自分とは直接関係ないやつを倒しに行くという、感情的にどんどん冷めていくという流れなっている。また、本映画における結婚シーンは、よくドラゴンンクエストVを理解した流れになっていると思う、ドラゴンクエストVといえば、ビアンカかフローラのいずれかの好きな方と結婚できるという、当時非常に斬新なストーリーとなっていたのだが、選べるといえば、聞こえはいいがビアンカを選ぶのが当たり前で、フローラを選ぶのは、人にあらずというような流れにあった、ビアンカは専用のイベントがあるのに、フローラは専用イベントが実質存在しないのだから(PSはわずかにあるがSFCの時はゼロ)当然といえば当然かもしれない、俳優の山田孝之もフローラを選ぶ奴はありえないと発言している。ちなみに私は、見た目からフローラを選択した、またゲーム上ビアンカよりフローラを選んだ方がゲームとして有利になる。そういった背景がある中で、本当はビアンカが好きだったという演出を出すのは、本当はみんなビアンカが好きなんだろうという、プレイした人たちの心情を読んだ上のいい流れであったと思う。

さて最後にして最大の注目点「落ちがひどい・・・」とあるが、これに対して批判している人多くの意見として、「ドラゴンクエストを侮辱された」というものだ、これは映画上のラスボスのコンピュータウイルスがゲームなんかやってないで大人になれよとう趣旨の発言をしゲーム世界を壊そうとしてくるシーンをうけ、この映画のテーマがゲーム否定のように受け取っている人が多くいるということなのだが、この意見をしている人の脳みそは腐っているのだろうか?その発言は、適役の発言なのだから、映画のテーマは、その発言を受けた後の主人公側の発言のドラゴンクエストはゲームだけどこの感動は本物だという趣旨の発言が映画のテーマとして受け止めるのが当然ではないだろうが、これを見てドラゴンクエストを侮辱されたと感じる人は、警察物の映画で敵のボスが麻薬密売組織の親玉だったら、その作品は、麻薬販売を推奨している映画と受け取るのだろうか?一般的に映画のテーマは、主人公側の意見がテーマとして使われているもので、悪役の意見は主張を際立たせるための反論に過ぎないということが理解できないのだろうか?それとも大好きなゲームを否定されたことで頭に血が上って正常な判断がつかなくなってしまったのだろうか、なんとも哀れなことである。そして、その上で、この映画のテーマを「ドラゴンクエストはゲーム以上のなにかだ」と受け止めると実にドラクエ愛に満ちた映画であるとかっじることができる。ただ、私も思ったこととしては、ラストシーンは、ゲーム上のラスボスであるミルドラースを倒した後にいれてもいいかなとは思った、映画上のラスボスはゲマであるがこの映画を見ている人の9割近くはドラゴンクエストVをプレイしたことがあると思わるので、先入観として、ラスボスはミルドラースと刷り込まれているので、ラスボスを倒さぬまま終わってしまったと消化不良に感じてしまった人も多いのではないのだろうか。一応オープニングでもミルドラースの封じ方のような話が出てきているので、ゴールは倒すことでなく封印することという風には印象付けているので、あくまでゲームをモチーフとした映画と割り切ってみることができないとどうしてもボヤっとした印象になってしまう人は多いだろう。

ここまで、落ちを読んでから改めて見る人はいないだろうが、もしこれからこの映画を見る人はあくまでゲームと映画は別物と割り切ってみてほしい。視点を変えれば同じものも全く違う見え方えと変わるだろう。まさに見る人によって異なる「ユアストーリー」がこの映画だ。