生活の進歩

先日ニュースで出ていたが
今、小学生に学校のスマフォ持ち込みの是非を国で検討しているらしい

当たり前の話だが、世間は賛否両論だ
私の周りでは、小学生どころか、中学生からスマフォを持たすか悩んでいたのに
珍しく、国から積極的に進歩的な展開だ

そんな、珍しく国が先進的な考え方をしている中ではあるが
私は、小学生の学校にスマフォを持ち込みさせるのは反対だ
理由は三つある

・スマフォに遊ぶ機能が多すぎる
・現場の管理が煩雑すぎる
・もっと他にやるべきことがある

まず最初に大前提だが、スマフォを持たすことによって
セキュリティ面でメリットがあるという人いるが
それ以上にスマフォには遊ぶ機能が多すぎる
仮に授業中スマフォを触れる状況だったとして
おそらく、子供にはゲームを我慢することができないだろう
実際にはもっとひどく、いたずらなどに使うケースも多く
子供にとってプラスよりマイナスが多いだろう

次に現場の管理が煩雑になるだろう
スマフォ自体はピンキリだが、ある程度高価なもので
当然盗難問題を管理するのは難しい
さらに、上でも書いたいたずらなども横行し
おそらく、現場の教師はとても手が回らなくなるだろう

最後に、スマフォの前にもっと前段階がいっぱいあるだろう
例えば、未だに公立小学校ではシャーペンの持ち込みが許されていないのに
何弾もすっ飛ばして、スマフォをやるべきでないだろう

誰が思いついたのか、急にろくでもないことをする

将来の夢

最近テレビで、子供向けの歌を聴いていた時に

大人になったらOOになりたい、将来の夢といったキーワードを耳にした。

何とも耳の痛い言葉のようだが、
正直言って、自分が子供のころ何を考えていたか、ほとんど思い出せないので
自分は子供の頃思い描いていた大人になれているのか

判断を下すことができない。

自分の今の人生には満足しているが、
子供の頃は、おそらく空想的な将来を考えていたかと思うので

はたして、子供の頃の自分が今の自分を見たら何を思うのであろう

すごいガッカリするかもしれないし、喜ぶかもしれない、

全く想像がつかない

そして、今の自分も将来の夢がある
はたして、20年後の自分はどうなっているのだろう
20年後の自分は今の自分を思い出せるのだろうか

素振り

私はこの世で努力というものが非常に重要であると考えている

だが、努力には質があるということを思っている
例えば、バッティンングの練習をするときにひたすら素振りをすることに意味があるだろうか
もちろん、素振りという練習方法自体は意味がある
ただ、ひたすらに素振りをしていくことに意味はないと思う
極端にいうと、素振りより、実際にボールを打ったほうが効果が高いだろう
どういったボールを打つかのイメージもないのに
ひたすらにバットを振っても効果はあまり現れないだろう
ただ、それを理解し上での素振りであれば
只バットを振るより効果があるだろう

というより、すべての練習自体がそういったものがあるのではないだろうか
バッティングの素振りであれば、球が当たるイメージをできなければ
いくらバットを振っても対した効果が出ないように
どんな練習でも、その練習からどのような結果が生まれるかを
イメージし続けなけなければ練習としてはいまいちなのではないだろうか
そもそも、そういったイメージを保てないと、
練習自体にモチベーションを保っていけないだろう

こういった練習に関してのイメージを言われなくても
できる頭の回転が早い人はきっと何をやってもうまくいくのだろう
ただ、いわれてもそれでもイメージできない鈍い人もいる
私は後者の人間だが、それでも、練習すれば多少成本効果はでる

練習できる時間は限られている
練習に燃やせる情熱も限りがある
効率的にできないことも多い
それでもやり続けなければ、置いてかえてしまう。

世の中は残酷だが、ちゃんとどこにでも道が用意されている
あきらめずにやるしかないね