専業主婦

よく世間では専業主婦が勝ち組であるかのように言われている

だが、果たして専業主婦はそんなに勝ち組なのかと思ってしまう

まず第一に、彼女らの仕事にはノルマや目標がほとんど存在しないのだ

つまり、業務に対す達成度が明確になっていない

ということは、どれだけ頑張っても、認められにくいし

自分がどれだけ頑張っているのかも把握できない

人間何かをやるときに、基準値が見えず、漠然とこなすのはかなり苦痛な行為だ

楽をできるといえばそれまでだが、周りから一方的に非難されることもある

明確な基準がないから、周りの人間次第ではかなりつらくなるだろう

例えば食事一つにしても、料理人であれば
客の入りや、周りの店と比較しやすいだろう

しかし、普段の食事であれば、一概に出来を評価するのは難しい
食べる相手も特定の人だから、彼らの味覚しか判断するすべがない

相手が料理好きであればいいだろうが

食事に興味のない人であれば、非常にやりがいがないだろう

また、一番厳しいのは、彼女らの生活にはリスクが高いのだ

現在離婚が珍しくないこの世の中で、いつ専業主婦が終了になるかわからない

そんな中、世間一般的に専業主婦は、経歴として評価が蓄積されることがないのである

例えば、離婚後収入がなく、仕事に出ようとしたとき
履歴書に専業主婦をしていたと書いても、無職の期間としてとられてしまう

専業主婦の経歴をプラスとして見てくれる企業はごく僅かであろう

離婚後、次も専業主婦を使用と目指しても、
それまでの専業主婦の業務をプラスとしてとらえてくれる人は少ないのではなかろうか

人によってはマイナスととらえることもあるかもしれない

学生結婚して、40台で離婚、想像したくないものである

専業主婦はつぶしが利かず、一回なってしまうと抜け出すのが難しい
彼女らは本当に勝ち組なのかと改めて問いて見たい。

日本三景

先日、友人と朝早くから外出する用があり
ターミナル駅周辺の公園で朝早くから待ち合わせをしたとき
非常に面白い光景に出くわした

ひとつは、ゴミを拾う老人

人もかなり少ない公園で、朝早くから
一人そこらへんに落ちているゴミを拾っていた

国で管理している公園だったので

おそらく個人的にゴミ拾いをしていたのであろう

ゴミ拾いにしてはこぎれいな格好で、おそらく裕福な人なのであろうか

その傍らでは、2,3組の親子が子供と一緒に遊んでいる
親子仲良く、携帯をいじらず

ひたすらに遊んでいた
何ともほほえましい光景であった

公園のあちらこちらにある、ベンチに一人腰掛けている老人もいた

片手にはたばこ、片手にはビール
荷物もないので、浮浪者というわけではないようだが
身なりも汚ならしく、なぜ朝一番の公園にいるのか不思議な人だ

周りの子供も気にせずたばこをポイ捨てしている

公園のすみでは中年男性が一人筋トレをしていた

みたところ30後半ぐらい見られる風貌だった

イヤホンもせず、大音量で音楽を流しながら励んでいた

世の中様々な人がいて、様々なくらしをいている

世代が移れば行動も変わるのかもしれない

日本の未来が明るいか、暗いのかはわからない

だが、自分の行動は日々選択ができ
そして、多くの結果が日々生まれている

日本の縮図を見たような不思議な感覚だった