海外

たまに聴く言葉で非常に嫌いな言葉がある
「海外ではOO」
いろんなシュチュエーションで聴く言葉だが
聞いてて非常にユニイライラする
何がイライラするって
海外ってどこの国だよ!!
という点である

例えばそんな狭い考え方だから日本は海外に勝てないんだよ
という言葉があったとして
実際は日本はほとんどのジャンルにおいて世界的にトップクラスにある
低いといっても例えば30位ぐらいでも低いといわれる
国連加盟国だけでも現在193カ国ある
その中で30偉大といえば文句なくAクラスである
さらにいうなら国連に加盟できない国だって無数にある
そんななかAクラスににほとんど維持している国をどこと比較して悪く言っているのであろうか

他にもタトゥーの話をするときに
海外ではタトゥーなんて普通だよ
という言葉
確かにハリウッドスターを見るとタトゥーと入れている人は珍しくない
だが政治家でタトゥーを入れている人を見たことがあるだろう
まったくないはずだ
結局日本と同じくタトゥーを入れる人種というのは
国内国外問わずそんなレベルだ
そもそもタトゥーを入れることのメリットはファッション的なことだけで
一部医療を受けられなかったり、公共の場であれば
入れてる人とレッテルを張られる
ほとんど利益のない高位なので
まともな知能であればいれるメリットがない

こうやってはやし立てている人がいる反面
外国人差別もいまだおき続けている
いまだに世界はひとつではない

そもそも国内ですら差別意識がまかりとっているのに世界とひとつになるなんて夢のまた夢だ

ただこの年でもおもうことだが英語をしゃべれるようにはなりたいものだ

パクリ

昔に比べてパクリに対する対応がゆるくなった気がする

昔は似たようなものがあっただけで
すぐにパクリ盗作だと騒いでいた気がする
それに対して現在は随分ゆるくなった気がする

以前に書いたようにTV番組であれば似たような企画ばかりをやっている
昔であれば局の独自性にこだわっていたようにおもうし
似たような番組でよそを追っかけると
週刊誌などでもぱくりだなんだと叩いていたように思う

そうなってしまった原因のひとつとして
メディアが増えすぎたことが原因であるかとおもう
実際現在ネットの進化により
個人でも少ない予算でTV番組と同じようなことが出来てしまう
TV局と個人で違うものといったらセットの豪華さだけということも見受けられる
また、発信元が増えすぎたことによって
同じことがかぶることが非常に多く
捜そうと思えば必ずなにかは見つかるような状況である

かといって其れに甘んじてなんでもかんでもぱくりすぎなのではないだろうか
youtube,ニコニコ動画などを見てみると
個人がやっているものだけあって
パクリの状況はもっとひどいことになっていて
似たような企画ばかりでビックリする
何かひとつのキーワードを検索すると
同じような動画が無数に出てくる
最初の数名であれば偶然かぶってしまったのかもしれないが
多くの人は企画をぱくったのであろう
ほとんどの動画の乗りは学生の悪乗りの延長のできばかり
おそらく多くの人々はヒカキンやはじめしゃちょーなどの大成功者を見て
自分もできるだろうと思いチャレンジしてみたのだろう
そういった憧れから始めることで
次世代の芸術が育つことがあるため
そのこと自体は悪いことではないが
その人々の中でどれくらいの人が
人の企画をまねすることは練習レベルであることを理解しているだろうか
ワンピースで大ヒットしている作家も
元々はドラゴンボールの模写から始まっている
それから独自の世界観を築き大成功を収めている
尾田先生の中ではDORAGONBOLLのような作品を書きたかったわけでなく
あれぐらいのスケールの作品を書きたかったのであろう
目指すところが違えばゴールが違うのも当然だろう

ただこのことは不幸なことではなくいいことなのかもしれない
なぜなら昔の人であれば芸能人になりたくて挑戦するも
芸能事務所に所属できるまでは結果がなかなか見えにくいものであったが
今であればそれを学生の段階でチャレンジその結果を一部でも見ることが出来る
無駄にかなわぬ夢をおって人生を棒に振ることもなくなった

そんな私ももし今高校生であればyoutubeにくそ寒い動画をあげていただろう。

 

負け癖

世の中勝ち負けに関して色々な考え方がある
流石に負けたがる人というのいないだろうが
世の中なにが何でも勝ちたがる人ばかりではないとおもう

私は勝ち負けや順位に関しては
利益につながらないのであれば負けてもかまわないし
順位に関してはビリでなければかまわない

だから順位を争うゲームがあったときに一番最初に考えるのは
ビリにならない方法を考える
1対1の勝負であれば負けてもかまわないとおもってやる

昔からそんな正確だったわけではないが
幼い頃から不器用で負けることが多かったため
負け癖がついてしまったのであろう
情けないことだがそうなってしまったので仕方ない
だがそのおかげで努力の大切さをしることができたので
決して無駄だったともおもっていない

勝ち続けるトップの人間は負けず嫌いの人間が多いときくが
やはり勝ち続けるためには全てのことに価値にこだわって生きているの妥当
とても私にはまねできない

ただ、中途半端にそうなってしまった人間は見ていて哀れにおもう
人生のある一定まではおそらく価値を続けてきたのだろう
だからこそ今でも勝ちにこだわっているのだろうが
実力が伴っていない人
なのに価値にこだわるから見ていてイタイタしい
そういった人間の特徴がやたら負けたときの予防線をはったり
負けるときに聞いてもいないのやたら言い訳をいう
言い訳を言うこと自体はかまわないが
聞かれてもないのにぺらぺら言い出すのは見ていてかなりかっこ悪い

人間できれば勝ちたいが、見苦しく勝ちに執着もしたくはないものだ

愚痴

昨日とは真逆のテーマを書く

世の中には本当に愚痴が好きな人がいる
口を開けば愚痴ばかり
本当に何が楽しくて生きているのが不思議なレベルだ

私はこの世で愚痴ほど嫌いなものは
なぜ嫌いかというと愚痴を言うことで何も世のことがいい方向に進むことなどないからだ
しかも聞いた回りに不愉快な気持ちを残し
本人だけスッキリして終わる、一種のテロである

しかも愚痴好きな人間の愚痴ほど
自分を正当化しようとする内容が多い
愚痴でも最終的に前向きな話なるならいいが
愚痴好きの人間の話は最後にオチもなく
自分を正当化して終わりだ
こんな話を聞かされる側は本当に時間の無駄どころか
悪い影響だけが残される

面白いことに愚痴好きの人間に愚痴をこぼしてみると大体がえらそうに説教しだしてくる
本当に迷惑な人種だ

とかいいつつもこの記事自体が愚痴そのもので
これを読んでも誰も得をしないし
面白くもないし、何の解決策も示されていない

愚痴って本当によくないですね

人間夢をもって生きるべきだとよくいう
夢を持ってることはすばらしいことで
夢に敗れたものは敗北者であるが
自分の好きでやったことを追いかけられるのであれば
非常にすばらしいことなのだという

では夢を持たない人は全て無意味な人生なのだろうか
その点自分は今現在大きい夢を持っていないので
非常に虚無な人生を送っている

たまに会社の人と飲むときに
酒の勢いで皆仕事の希望を色々と語る
もっと出世したい、もっと給料をあげたい、もっとやりがいのあるポジションにつきたい
先にもかいたように自分はやりたいこともほとんどないので
そういった人たちがうらやましくある

私もまったく夢も希望もないわけではないのだが
段々自分がなにができてなにができないのかなんとなくわかってしまってきている
なのでまったくかなわないことは望まないし
かといって日々の生活を維持するには努力が必要なこともわかっているので
日々黙々と努力を続ける
特に趣味があるわけでもないので休日にやることといっても本を読むぐらいだ
しかしながら人生に不満はほとんどないし
非常に自分の人生は充実しているとおもう
人は夢を見なくても楽しめるし無理に夢を持たされることは逆に苦痛でしかないとおもう

今日も黙々と人生を謳歌する、そんな人生

TVニュース

以前に見たニュースの特集でバイクの違法駐車に関しての特集を行っていた

現在はバイクの主流となりつつあるビッグスクーターが流行りだした時期で
車と違ってどこでもとめることが出来るバイクは
そこらかしこに違法駐車をしてしまい非常に困っているという内容だった

ニュースでは街の至ることでとめられている違法駐車のバイクを色々と写し
それに対して困っている人々のインタビューを流していくという構成だった

その中であるギャルのインタビューが写される
ギャルいわく友達と立ち話をしていたらそのそばにビッグスクーターがとめられ
そのビッグスクーターのマフラーにしばらく足がくっついていたため
足を火傷してしまったという
そのインタビューを聞いたリポーターも
周りの迷惑を考えない迷惑駐車の被害者ですねといっていた

その放送を見てちょっと待てとおもった
普通近くにビッグスクーターを止める側も
近くにいた人間も接触しそうになったら避けるものだ
にもかかわらずブーツ越しに火傷するほど
マフラーに足を接触するということがありえない
よしんばくっついていたとしたら
おそらくそのギャルは人のバイクに勝手によっかかっていたのだろう

やらせなのか、馬鹿すぎる女なのかはわからんが意味のわからんニュースだった
たまにニュースのインタビューはそんな感じの強引にやりすぎて
趣旨自体がおかしくなってしまうものが多い
もうちょっとまともなニュースを流してもらいたいものだ

 

 

シャツの雑学

10月の第一日曜日は衣替えの時期からシャツの日です
本日はシャツに関する雑学を

Tシャツは英語由来だがYシャツは日本語由来

YシャツとTシャツ同じような言葉ですが
この二つの名前の由来はまったく異なります
Yシャツは英語のホワイトシャツという言葉がなまってできた言葉ですが
TシャツはTの形のシャツであることもしくは
Traning shirtを省略した言葉であるとう二つの説があります
由来はどちらもまったく異なるものです