贔屓

小学生の頃、誰か一人がたまたま大人からおこぼれを預かると
贔屓だ贔屓だと攻め立てられていた
大人は我々が平等であるかのように教えているから
それに対して不平不満をもつ

しかし大人になれば誰でもわかることだが
この世は決して平等ではない
生まれつきの家庭環境、裕福度
本人の能力、才能、
様々なものが平等ではない
戦争地域で産まれる子もいれば
石油王の子供に生まれる子もいる
そういった環境を徐々に受け入れながら
どんどんと大人になっていく

しかしながら現代の教育の害悪で
平等でなければいけないかのように思って大人になる人がいる
そういう人ほど自分の努力を怠っているような気がする

特に最近の若い人に多いと思っているのが
人に好かれる努力を怠っていると思う
例えば仕事の飲み会に行く意味がわからない人が多すぎる
答えに近いもので
「コミュニケーションをとるため」という言い方をしている人がいるが
もっと直球な言い方をすると「贔屓をしてもらうため」に参加するのだ
まず前提としてこの世には贔屓がある
仕事場であれば気に入った人の仕事は特別対応するものである
逆に嫌いな人の仕事は後回しにするし最悪妨害されてしまう
だから贔屓してもらうように色々な人と仲良くなるのだ
そして仲良くなるので一番手っ取り早いのは酒を一緒に飲むことだ
よく飲み会はめんどくさいという人がいるのが
当たり前だ、人付き合いはめんどくさいのだ
その面倒臭い先に贔屓という甘美なご褒美がある

この世の不思議

小さい頃不思議に思っていたことで
大人になる中でどんどんわからなかったものがわかってきた

大人たちは何をやっているか
簡単な物理の仕組み
社会の回り方
銀行は何をやっているか
夜店の当たりくじの仕組み
世の中思ったより悪人が堂々と歩いている

ただ大人になっても相変わらずわからないままになっているものある

女心
何故宇宙ができた
人間死んだらどうなるか
ホームレスの人たちは最後度どうなるか

そして本日今まで気になっていなかったのだが
改めて昔疑問に思っていたことを思い出した

駅の売店に撃っている文庫本は誰が買っているのか
文庫本を読むほど本好きな人が
何故わざわざ駅の売店で本を買うのか
特に昔より現在のほうがより一層書籍の売り上げが減っている中で
ひまつぶしも昔よりたくさんあるが
未だに駅の売店には文庫本がうっている
いったいどの程度売れているのだろうか

 

ブロック

現在あるネットゲームをやっているのだが
そのゲームにはある特徴がある
その特徴というのは気に入らないプレーヤーと一緒にプレイしなくてすむように
ブロック機能がついている

不特定多数の人間で簡単に接触ができるネットゲーム
楽しい人間もいれば、つまらない人間もいる
特定の気に入らないプレーヤーと接触しなくて住むのなら
それはとても便利な機能だ
現実でもないし、ただの遊びなので
いちいちむかつくやつと付き合っていく必要はない

私はこの機能を使うときは基本的に無言で使用する
いちいちむかつくだ気に入らないということを相手に伝えても
お互いにいい気持ちはしないし
すれ違いとして二度と会わないほうが楽だからだ

そんな思いとは真逆に
いちいちブロックすることを宣言する人もいる
「そんなんやるならブロックするわ」
「お前むかつくからブロックする」
「ブロックされたくなかったらそんなプレーするのやめな」
といった具合に
なんでそんなことを口に出すのか
お前にブロックされたところで痛くもかゆくもないわと
ネットゲームなので相手の素性はわからない
ただ私は勝手に相手を子供だと思っている

ある程度の年齢になると相手といちいちケンカしても何もメリットがないことを知っている
私も若い頃は自分の正しさを信じて疑わなかったが
長く生きていく中で正しさは人の数だけあることを学ぶし
ケンカしてその正しさを証明してもいいことなど何もない
変に主張すれば周りのとの溝を深めるだけだと

みんな無言でブロックしているのだ
あなたも気が付けばブロックされていますよ

邦画の嫌いなところ

私は別に映画好きというほど映画が好きなわけではなく
邦画って面白くないよねというつもりもないのだが
邦画を見ていてどうしても解せない3点がある

1.役者がほとんど一緒
映画史上自体の大きさが世界と比べて閉まっている所為もあるかもしれないが
日本の映画に出てくる役者はほとんどいつも一緒で
有名どころの役者ばかりで固まってしまっている
ぼーっとみていると各映画の区別がつかないれべるで似ている映画もある
確かに何本も出ている役者は演技がうまいので
安定したレベルの作品を作ろうと思ったらどうしても
実績のある役者を使っていくものだから
新人が育たないし、場合によっては有名な役者も役どころが偏ってしまう
イメージ戦略といえばそこまでだが
高校生のドラマにオッサン、オバサンばかり出演というのは流石にさめるものがある

2.台詞が聞き取りにくい
一般的なドラマではそんなことはないのだが
同じ監督でも映画になるととたんに声が聞き取りにくくなる
映画ではボソボソしゃべらなければ行けないルールでもあるのだとうか
そこでいうと有名な役者はやはり台詞が聞き取りやすい気がする
それでも映画全体でいうと
ボソボソしゃべって聞き取りにくい演技が多くもてはやされているように思う
リアルな演技を演出しているのかもしれないが
いいから見る人のことを考えてほしい

3.CGがしょぼい
海外ドラマと比べても日本の映画のCGレベルは低すぎる
具体的にいうと海外のものはCGかわからないレベルのものが多いのだが
日本の映画は露骨にCGとわかるレベルのものが多く
見ていて興ざめしてしまう
技術的な話しで言えばかならずしも日本が低いわけではないはずなのに
こと映画となると日本CG技術力は極端にさがる
ゲームのCGとかを見ていても世界的に劣っていないのに不思議な話しである
何か映画業界できれいなCGに制約でもかけているのだろうか?

 

同性愛

先日自民党議員の杉田水脈氏が
LGBTを認めすぎるといずれ国が崩壊してしまうという旨の発言をした
昨今LGBTを気にしすぎて不自然なまでに優遇し過ぎている
世相を批判した発言なのだが
一部言葉をきりとると
同性愛は生産性がないという発言をした

全体的な主張はまちがってはいないのだが
そこは議員発言、一部を切り取られて
本人が本来意図した発言と違う内容が世間に報道され
そして徹底的に叩かれる

以前に修正率が下がっている問題を
何を改善すれば出生率が上がるか考えていこうという旨の発言をした議員が
言葉の一部をきりとられ女性を産む機械と
子供を産むだけしか役に立たない存在であるかのような
発言をしたように取り扱い徹底的に叩いた

議員のような責任のある立場であるから
言葉をえらばなければいけないのはわかるが
最近尾風潮いささか行き過ぎである

こんなことばかりをマスコミがやっているから
まともな議員は政治家にならず
タレント議員ばかりが世にはびこる
勿論投票した国民の責任ではあるものの
なんかこの風潮を変えていかなければ行けない

話しがそれてしまったが同性愛について
生産性がないということであるが
もともと恋愛は生産性を考えてするものではない
そもそもこの世の人間が全て人の役に立っているかというと
そんなこともなく、ただ現在の資源を食いつぶしているだけということもある

どうしても同性愛者にそういった責任を負わせたいのであれば
同姓婚のかわりに孤児を引き取るようにルールをつくれば丸く収まるのではと
孤児よりはましなのだろうか・・・・・

 

馬鹿

最近知的障害にも色々種類があり
知能が一般より足りない人はいろいろ病名をもらえるようになった
別に病名をもらう=障害者手帳をもらえるわけではないが
自分の無能さを病気の所為にできるので
一定数の人は病気になりたがっているようだ

自分もその一人のわけなのだが
小さい頃は本当に自分は馬鹿だったと思う
知的障害があったのでは今でも疑っている

だが今となって改めて知的障害を捜そうとは思わない
なぜなら探してもなんの意味もないからだ
仮に自分に今から知的障害が見つかったとして
何ができるわけではない
無能な自分に理由ができても
何も安心できない
もちろん障害者手帳がもらえるレベルであればうれしいが
そうでなければここ一番のときに自分に自信が持てず苦労するだけだ

自分になんの才能もないことはわかっているが
何があろうと今後もひたすらがんばるしかない
人性はそういうものだと思う

しかし子供の頃に知的障害があることを伝えられたらどうだろうか
本当にがんばって努力ができるだろうか
自分は無能だとあきらめてしまうのではないだろうか
現在の何でも病名をつける傾向は未来を消してしまうことになったしまう気がしてならない

アイリウム 小出もと貴

本日はマンガのレビューです

簡単にストーリーを説明すると
アイリウムという1粒のむと1日の記憶をなくす薬に関するオムニバス形式の物語です。
おもしろいのはこの薬を飲むと過去の記憶ではなく
未来の記憶、これから起きる1日を消すという効果で
本人からすると1粒のむと急に明日になってしまうという状態になります。

最初にこのマンガを読んだときにはピントきませんでしたが
何度か読むごとに心理が理解できてくるようになり
なんとも奥深い作品です
おそらく辛いことがあった人が読むとより楽しめる作品になっているかと思います。

最終話だけ蛇足のような作品です

 

選挙制度

昨日に続き政治の話です

今の選挙だが投票率が約50%と世間の政治の注目度が非常に低いように思われるが
おそらく選挙に行かない理由としては
だいたい受かる人は決まっているし
誰が受かってもそんなに変わることはないと思っているからだろう
それは政治の仕組みもそうだし
選挙のルールもわかり難くなっているからだろう

現在の政治のルールだが
何かのルールを変えるには政治家の3分の2の賛成が必要なため
よほどのことがない限りは現在のルールを変えたり
大きい変更をすることが難しい
大きな変更をすれば、その変更をした責任が発生するが
現状維持なら責任は必要がない
だから誰が政治家になっても
特に日本が大きく変わることはすくない

そして選挙も大体みんな似たような人が出ており
誰にいれもてもかわらないかなーと思い
そしてみんな選挙にいかないのだろう

だが多くの人は選挙のときに
こいつには受かってほしくないと思うことは多いはずだ
だから選挙のルールで投票時に普通の一票もしくは
マイナス1票を入れれるようにできたらおそらく投票率は上がるだろう
おそらく実現しないだろうが
是非どこかの政治家に勧めてほしいものだ

空想3

久しぶりの空想話です
もし自分にフリーザぐらいの力があったとしたら
おそらくクーデターを起こすと思う

クーデターといっても自分でそのまま政治をコントロールしたいとは思わない
今の政治の法律を何点か変えてもらうようにする
変えてほしい点は以下の3点だ

1.政治家の年齢上限を設ける
政治家は他の職業と違い65歳を超えても問題なく働き続けることができる
だがジジイばかりがのさばっている国でこれ以上老人の力を設ける必要はない
なので一般的な年金支給と同じ65歳を超えた場合の被選挙権を剥奪する

2.選挙時に公約の記録
今の日本の選挙がおかしい点は、みんながみんな選挙のときに言いたい放題いいすぎている
そしてそのいい加減な政治家が何回も当選していたりする
よくあるのが選挙の時だけいいことをいい
その後の結果には一切責任をもたないのが一般的だ
なので、選挙の際は公約情報の記録をとり
次の選挙の時にはその公約と結果を公開する
これは特別なことではないはずだ
自分の発言にしっかり責任を持ってもらうだけの話だ

例えば、現在東京都知事の小池百合子氏だが
選挙のマニュフェストは
電柱0、多摩格差0、残業0、舞員電車0、ペット殺処分0
果たしてこれはどの程度守れるのだろうか
電柱などとても0にできるきがしないのだが

3.選挙法の厳罰化
現在公職選挙法の罰則が罰金30万円と非常に安い
最悪の場合国民全員をだまそうとしているわけだから
罰金額は相当上げるべきだと思う

こんなこと考えても意味ないんだが
ついついこんな妄想が広がってしまう。
どっかの政治家にこのルールを施工してほしいものだ

 

オンリーワン

今まで生きてきたなかで色々な人と出会ってきた
出会ってきた中では本当にくだらない人間もたくさんいたが
おもしろいものでどんな人間でもひとつぐらいは学ぶべきものがあるものだった
本人が直接的に教えてくれる場合もあれば
反面教師として教えてくれることもある
なので私はどんな人間と会ったときでも
色々と考えるようにしている
果たして自分は周りの人に何を学ばせているのだろうか

 

カラオケ

私は歌が嫌いなわけではないが
みんなでいくカラオケが嫌いだ
単純に歌が下手だということもあるが
自分が歌う歌が参加者の知っている歌か
気にしなければいないということだ
またその時のテンションに合わせた曲をチョイスしなければいけない
これがなかなかハードルが高い
自分勝手では楽しめない
人性も一緒なのかもしれないが
とにかくカラオケは大変だ
そしてこれだけ大変なものなのに
娯楽として扱われているのが釈然としない
私からすれば拷問レベルの話しなのに・・・・
酒が苦手な人からすれば酒の席も同じらしいのだが
2次会でカラオケの文化がなくなればいいのに

 

捕鯨反対運動

捕鯨反対運動というものがある
この運動が始まった当時日本で鯨の漁獲量が多く
鯨の数は激減していた
そしてしばらく漁を避けていたところ
鯨の頭数は増えてきて絶滅の危機はまぬがれた
危機がまぬがれた現在でも捕鯨禁止は解禁されておらず
もはや日本で改めて捕鯨を再開したいと望む人間も少なくなってきている

そもそも当時より鯨肉というのはおいしい肉というより
安くて量の多い肉というイメージのほうが強い食べ物であった
独特の味であるから確かに代用することは難しいとは思うが
どうしても鯨の肉でなければいけないというほどのものでもなかったと思う
だがもし当時捕鯨反対運動がなければ鯨は絶滅していただろう

にもかかわらず、捕鯨反対はジャパンバッシングで
そんなことをする必要はないという人達がいる
だが、現在似たような話で鰻が絶滅しかかっている
そのことはみんなわかっているはずなのに
誰も食べることをやめようとしない
スーパー、コンビニ、外食産業では大量に廃棄されている
現在ウナギは絶滅寸前でだれもとめることはしていない
この現状をみれば当時の捕鯨反対運動は正しかったといわざるをえない

捕鯨反対運動の始まりは一人のプラカードを持った若者から始まったそうだ
次は鰻を殺すなと札をもって始めなければいけないだろう
とりあえず私はこのブログで発信をしよう

鰻を殺すな

競技の崇高さ

最近Eスポーツという言葉がだんだん浸透してきている
まだ言葉を知らない人のため念のため説明すると
プレステやパソコンなどの電子ゲームを他のスポーツのように
プロとしてちゃんと賞金などをかけて
本格的な競技として扱っていこうという動きだ

これに対して、テレビゲームのような遊びをちゃんとしたスポーツのように扱うのはおかしいと
そう思う人々が結構な数いるようだ
ただ、そういう話をすると
野球やサッカーは遊びではないのか突っ込みをいれたくなる
囲碁や将棋のような知的ゲームであっても
それを遊びとして興じている人間はいくらでもいる
とすると、電子ゲームをちゃんとした競技として扱うのはそんなにおかしくないことだと思う
サッカーのプロ球団もわずか25年程度前の話で
Eゲームも10年もすれば一般化してしまうのでは思う

ただ、ひとつ思うことは
いちいちこれはちゃんとした競技だ見たいに発言しないと見てもらえないと思っているということは
うすうすプレイヤー達もちょっと微妙だと思っているのではと思ってしまう

後、他の競技と徹底的に違うことは大きく電子ゲームは
無数のソフトがあるため
レギュレーションが非常に無数あるため
間口が広い反面、ひとつのゲームの熱量が低いのではと思ってしまう

 

おざなりスミレ。 永吉 たける

本日はマンガのレビューです
スミレ16歳、スミレ17歳の永吉先生による
スミレ16歳の続編というより
twitterであげたスミレの1Pマンガをまとめ電子書籍として販売しているものになります。
P数にして約30Pで100円と価格的には適正かと思われます。

内容的には以前のスミレのままとなっていますので
これも可もなく不可もなくといった感じです

当時のファンであれば是非読んでおきたい一冊です。

以前に永吉先生のドキュメンタリーを見ましたが
変にデビュー作で人気が出てしまったため
色々と苦労されているようです
これをわざわざ販売するのはいかがものとも思いますが
ひとつのファンサービスと思い
逆に購入して作者サービスするのも悪くないかと思います。

派遣

昔に派遣で働く人達と絡んだときが合ったのだが
派遣やっている人は、やっぱりなるべくして派遣になっているんだなと思った
もちろん画一に能力が低いわけではないのだが
本当にひどいのがちょいちょいまざっている

結構多いのが基本的なことができない人が非常に多い
例えば朝起きれない人これが一番信用なくすことをわかっていない
当たり前のように遅刻してくる人が結構いる
結構という言い方をしたが
10人いれば2,3人はそんな人たちがいる

ある日突然来なくなる人もいる
これは10人に1,2人ぐらいそうなっている
理由はさっぱりわからないが
本当に何をしたいのか

仕事中寝ている人もいる

はっきりいって仕事を完璧には任せることができない

こういう人達が生活が不安定になっているという話を聞くと
自業自得だなとしか思えない

パソコンが普及したときに
正社員が大量にいらなくなり、派遣が増えた
もうすぐAIが普及し派遣の仕事を奪っていったら次はどのようになるのだろうか