最近の若者

よく最近の若いやつはという言葉があり
常に自分より若い世代が未熟に見えることを言う言葉がある
自分はこう思ったことがほとんどない

若い人を見たときに、ああ、自分もこういってたときもあったなーとたまに思うこともあるが
ほとんどは、自分が若いときはここまでちゃんと考えてなかったなーと思ってしまう

逆に上の世代に対して、お前の言ってることは
100%正しいことじゃなくて、人によって違うことを
なんでえらそうに絶対正しいといいきってるのかと感じてしまう。

よく世間一般で年齢が高い人を敬おうとする風潮があるが
私はこれに対してあまり賛同できない
基本的に人間は成長する生き物だから
肉体的なことを除けばある一定年齢までは
年をとるほど能力が上がっていく
それは当たり前のことで、そのことをいちいちえらそうにすることがよくわからない
年齢相応の能力があるのは当たり前で
そのプラスアルファがある二とのみがえらそうにする権利があると思うが
実際には年齢や経験値相応の能力がない人ほど
それに対してえらそうに物をいう
経験が少ない人間にしかえらそうにできないから
そのように接しているのだろう

それにたいして若い人間は無限の可能性があり
常に追い抜かそうとしてくることにビクビクする

変化

人は常に変化していいく

大学のことの話だが唐突にミニ四駆の話が出てきた
そのとき私はミニ四駆のことをおもちゃとよんだ
それに対し「ミニ四駆はおもちゃじゃねー」と言われた
確かに小さいことそういったせりふがあり
それに対して自分もそう思い、大人になってもそのように思い続けようと思ったが
実際には20歳のことにはさっぱりそのことを覚えていないことに衝撃を覚え悲しくなった

それと同じぐらいのときにHoney L Daysという名前で現在活動している人と
知り合う機会があり音楽の話をしたことがあったのだがその際に
「アニソンなんて音楽じゃない」
とかれは言ったので
実際アニメに使われているだけで大物歌手も歌っているし
名曲もたくさん存在するという話をしたところ
「そんなの関係ない、俺がプロになったらアニソンなんて歌わない」
といっていたものだが
実際にはMy Only Dreamというアニメの歌を歌っていた
殻がこの話を覚えていたときには
彼はなんと思うのだろうか・・・・・・

だが今こちらから思えば
その選択は当然のことだし
そこで彼がずっとアニソンなど歌じゃないと思い続けていたとしても
仕事である以上それを選択することが当然である
そういった人の心境の変化は成長と呼ばれていることなのだが

なぜか青春時代のときはそういった変化に対して否定的に言われえている
俺はそんな大人にはならない
大人になっても変わらない
そういうことを言う人がいても
だいたいの人は成長して、そんな言葉を言っていたことも忘れたり
自分の失敗を糧にしたりライフスタイルに合わせて成長していく
がまれに、まったく成長せずにいる人というものもいる
彼らは変わった人を馬鹿にし
いつまでも変わらないことを誇りに思って生きていっている
そういう人たちと何人かであったが
そういった人間なのでだいたい付き合いがなくなっていくので
彼らのその後はしらないが、その後成長していったのだろうか
それともいまだに同じところにいるのだろうか・・・・・・

オリオリスープ 綿貫芳子

食に貪欲な編集会社で働いている女性のグルメ漫画です。

一応四季折々のスープ物語とのことで
オリオリスープというタイトルなのですが
スープだけのマンガではなく
色々な食事がテーマとなっております
というより割合的にスープは少ないです。

手間のかかる料理が割合少ないので
料理好きの人にもお勧めです。

ちなみに話し自体はあまりおもしろくありません。
孤独のグルメの後追いマンガで失敗したパターンですね

恋愛偏差値

私は非常にもてない人間だ
普通に不細工ということもあるが
それ以前に恋愛偏差値が相当低かった
根本的に女の子のことがまったくわかっていなかった

もてない人だとぴんと来るかもしれないが
よく駄目男と付き合っている女性を見ると
何であんな駄目男に彼女がいて俺にはいないんだと思っていた
自分の恋愛力が低いにもかかわらず自分を棚に上げての非難である

具体的にどれくらい恋愛力が低かったかというと
まず見た目に一切気を使わない
次に女性がすきそうな話の情報集めない
つまり、ブサイクで話が面白くないのだ
これでは女性と付き合える可能性がゼロに決まっている

私がひとつ昔勘違いしていたことだが
女性とデートしたら付き合えると思っていた
だが実際には付き合う気がなくても
多少面白い人であれば異性とデートぐらいいくらでもするものだ
これを読んで、何を当たり前のことを思う人と
そんな尻軽いるのかと思う人の二種類がいると思うだろうが
恋愛偏差値の差というものはこのように大いに存在する

もうひとつ勘違いしていたこととして
合コンにいけば少なくともその中からひとりえらばなければいけいないと思っていたが
実際には気に入らない合コンであれば
誰とも電話番号と交換しなくてもいいし
そもそもその会の途中から同性とだけからんでいてもいい
そんなこともわからなかった

もちろんそんなのだから
合コンに行ってもまったくデートに誘えないし
仮にそのときデートに誘えたとしても
デートをまともに成立させることは出来なかっただろう
女性を喜ばせることが何かをわかっていないのだから
面白いところに連れて行けもしないし
面白い会話も出来ないし
そもそも何をしていいのかもわからない・・・・・

当時回りの友人達に助けられ
恋愛偏差値を上げることに成功したが
もしああいった友人達がいなかったら
どうやって恋愛偏差値をあげるか想像もつかない
まったくもっておそろしい

 

寿司

日本人だったら嫌いな人間などほとんどいないだろう
私も例外なくすしが大好きだ
そんな寿司の中で一番大好きなのが鉄火巻きだ
寿司の具財の三要素である
ネタ、ノリ、シャリの三位一体が楽しめる
至高の寿司ネタだと思っている

ただ近年のその寿司ネタに異常が起こっている
私も別に金持ちというわけではないので
すし屋といってもあまり高い店にはいけるわけではない
その安いすし屋で鉄火巻を頼むと
手巻き寿司がでてくるのだ

temaki

別に手巻き寿司を全否定するつもりはないが
手巻き寿司はもともとがまかないの家庭料理だ
別に手巻き寿司なのであればわざわざすし屋にいくまでもなく
自分で作って食べる

ただちゃんとした鉄火巻きは
寿司の基本と呼ばれるだけあり
素人が握ってもなかなかプロと同じものができない
巻くためにちょういい形にネタを仕込み
ノリがパリパリのうちにちょうどよい握り加減でまく
なかなか素人がやってもきれいには出来ない
hosomaki

だが店によってはこの形の鉄火巻き自体受け付けていないこともある
正直いって、この寿司を断られると
「うちは寿司の基本もできないんで」
といわれているように感じる
本当にそういったすし屋は回転寿司だろうが
チェーン店だろうがすぐに店をたたんでほしい

鉄火巻きが作れないでなにがすし屋だ

安い

値段が安いことはいいことだ
だが、それにこだわってしまうとそれ以上に失うものがある

たまに、どこまでやるのかというほど値切る人がいる
時として値切ることを店員が断っているにもかかわらず
それでもずっとごねている人がいる
正直見ていてそんなにお金がないのかと哀れに見えてくる
もしその姿を知っている人に見られてそのように思われるリスクは考えないのだろうか
それとも値切ることが目的で行為自体を楽しんでいるのだろうか

販社でメーカーに対して値切る人がいる
安くすればするほど利益が上がるのだから
値引き交渉をするのは当然のことだ
だがそれが行き過ぎてしまうと
メーカー側から見て、ああこの人とは
価格でしかお客さんを説得することが出来ない営業力のない人なんだなと思う
また、値切り交渉に極端に時間を使うのであれば
他に営業をかければいいのにと思ってしまう

また、極端に値段交渉にこだわっている人を見ると
この人は価格以外に興味がないのかなと思ってしまう

あなたが値踏みしているのは商品の値段ですか、それとも自分のプライドですか?

ヒロイン

昔のマンガでよくあるパターンで
学園物でクラスのマドンナが、唐突に思い付きを口にする
例えば、エコ活動をしよう、ボランティアをしよう、野球してる男がかっこいい、
頭のいい人が好きだなどなど・・・・
クラスの男子が皆が急にやる気になって
そのマドンナが出したお題に全力でぶつかる
個人技の話であればお互いがんばって終わる話だが
みんなで共同でやることとなったら、その思いは凶器になる
例えば合唱コンクールをがんばろう
対して合唱が好きでない人、家の事情で練習に参加できない人に対しての弾圧がはじまる
気の弱いマドンナであれば泣き出して、
周りの取り巻きが一斉に攻め立ててくる
気の強いマドンナであれば
自分が世界の中心といわんばかりに食って掛かってくる
おそらく、生まれてこの方誰からも肯定され続けてきて
自分の正しさを疑わずに生きてきたのであろう

非常に不思議な話なのだが
これが現実になると完全に逆転する
何が逆かというと、ヒロインのポジションにブスがいる
現実ではだいたいブスが自分が世界で一番正しいといわんばかりに
大きな声でほえ、周りの人たちに謎のお題をつきつけハッスルする
そして、なぜか取り巻きがそのブスを持ち上げて
集団狂気にはしるのだ

現実では美人ほど、自分の立場がわかっており
目立つことで自分の立場が悪くなることをしっている
そのため美人は後ろでおとなしくしていることが多いが
ブスは黙っていたら誰も相手にしてくれないため
大声でわめきちらす
そして元々醜いから、自分の行動が醜くてもその行為に気が付くことはない
そして取り巻き立ちも変に外れて浮くことをきらうので
適当にブスに合わせて行動する

たちが悪いのはそのまま大人になってしまったブスである
社会でも同じように自分のブス論が通じるとわめき散らすが
上位の社会では通じないため
底辺層の仕事場でそういったブスのグループをつくり
そしてブス同士で派閥争いをする
それが派遣やバイトの派閥争いである
まともな会社でこんなくだらないことはほとんど起きない

もしブスがここを読んだのであれば一言言う
目を覚まして下さい

といってもおそらくブスはこれを読んでも自分がそのブスだと自覚できないだろう

努力

まわりで自分の人生に嘆いている人がいる
そんなに辛いなら改善できるように努力すればというと
そんな簡単に言うなといわれる
こちらとしては簡単にいったつもりはないのだが
当たり前のこととして常に思っていることである

私は今の人生にまったく不満はない
正確に言うと不満がないわけではないが
今まで自分が精一杯いきてきた結果が今なのだから
それに対して特別なにも思わないし
現在やりたくても出来ないことはどうすれば出来るかを
常に努力をしている

努力をしない人の多くは努力をしても無駄だと思っている人もいるようだが
私は無駄な努力というものはこの世に存在しないと思う
例えばよくいう受験勉強、長い間勉強して目的の学校に入れなければ
全て無駄になったという人がいるが
その努力で自分のものにした知識は
間違いなくプラスになっている
スポーツであっても、勝てなくても、レギュラーに選ばれなくても
そこで得たものは自分の身になっており
決して無駄になることはない

また努力を怠る人間がよくいう話だが
努力をしても才能のあるやつ運のあるやつには勝てないという
確かに一理あるだろう
この世の人間全てが努力して全員が努力して実を結ぶわけではない
世の中勝利者のイスは限られている
だが運というのは挑み続けた人間にしか微笑まない
チャレンジすらしなかった人間には一切微笑まないのだ
宝くじは買わなければあたらないのと一緒だ
また、才能才能というが実際に才能があるといわれている
成功した人間に会う機会があるときに
どういった行動をしているか聞いてみると
自分とは比べ物にならないぐらい努力をしているのだ
たまに努力なんてしたことがないというスタンスの成功者にも
じっくり話を聞いてみると、多くの人が努力とおもっていることが
当たり前の行動としておこわれているだけのことだらけだ

努力は人を裏切らないという言葉があるが
私が非常に好きな言葉である

ちなみに今回話しているのは努力のすばらしさだけであって
成功するための方法ではないのであしからず

天麩羅の雑学2

毎月23日は天麩羅の日です
なので本日は天麩羅の雑学を

天麩羅はポルトガル語

天麩羅は現在日本料理の代表として有名ですが
元々は西洋から入ってきた料理で多くの語源が考えられており
多くはポルトガル語が語源とされています。

ポルトガル語の temperar (動詞:「調味料を加える」「油を使用して硬くする」の意。三人称単数で tempera) または tempero (調理あるいは調味料の意)
スペイン語・イタリア語の témporas (天上の日、斎日(en:Ember Days)の意)
ポルトガル語の temporras (金曜日の祭り)
ポルトガル語の templo (寺の精進料理)テンペラという絵具
ポルトガル語の temporal (一時的な・臨時の)油を「天麩羅」(あぶら)と書いていたものが後に音読されるようになった
テンピユラリ(天火揺らり)

駄目人間

世の中には色々な人がいる
その中に自分の想像を絶する駄目人間というものが存在する
例えば自分のであった人の場合
2日に1日会社を休む人間、
会社で相手にされず寂しかったと昼休みにかえってこず
そのまま二度と会社に出社しなかった人
会社で当然のように毎日居眠りするやつ
当たり前のことが当たり前に出来ない人達
まあ、ほとんど派遣の人でしたが・・・・

とえらそうにいいましたが
逆に私の仕事ぶりに対しても
当たり前のことが出来ていないと怒られることもあります
世の中上には上が下に下がいるものだなと思う

そしてその差を実際に声を出す人たちがいますが
その人たち全員がその発言をする資格があるとも思えません
大体そういう人たちが言う言葉は正論で正しい言葉が多いですが
その人間が完璧に出来ている場合はすくなく
よく言えるもんだなと感心する
そしてそういった言葉を出した人間に対して裏で悪口が言われたりしている
そもそも正論であってもこの世に絶対のことなどなく
なかなか自分が正しいとは言いにくい

こうなると実際に力の差が実際にあるか
それとも口で言っているだけかはなかなか判別が付かず
実際この世にある差は全て自分で決めることになる
そんなことはわかっているが上を見ても下を見てもため息をつくばかりである

SMAP

先日あったスマップの解散騒動は非常にすごかった
スマスマでやっていた生放送の会見も
瞬間最高視聴率37%とおそらく5年はフジテレビでは
この視聴率はでないのではないかと

今回の事件は芸能界の闇と狭さを改めて認識させられるものだった
私の中ではSMAPのメンバーは全員SMAPの看板なしでも一流の芸能人として
活躍できるメンバーばかりだと思う
仮にSMAPを卒業しても実力だけであれば
問題なく食べていけるメンバーばかりであろう
それでも今回の解散停止騒ぎとなったのは
間違いなく事務所からの圧力がかかっているからであろう
一見自由気ままにやっているように見える芸能人たちだが
実際には非常に人間関係が強くがんじがらめの世界だと聞く
ある程度売れた後にTVから消える人がおり
実力で仕事が無くなった人たちもいるが
本当に実力のある人は、あれこれやらずに
自分の土俵で好き放題やっている
ライブだけで食べていくミュージシャン
舞台や映画だけで食べていく役者
実際は違うのかもしれないが
芸能界の中でもTVだけにこだわり、変に気を使ってつぶれていく芸能人に対して
非常にいい人生を送っていっているように思う

私から見ればAKBで変にテレビ出るメンバーよりも
劇場でコンサートのみをやっている人のほうが
よっぽどアイドルとして生き生きしているように感じる

SMAPのメンバーたちもそういった自由な世界へ羽ばたけるチャンスだったように思えたが
残念ながら羽ばたくことはなかった
彼らの中でどのような思いがあったかはわからないが
おそらく今後のSMAPは今までのような勢いはなくなってしまうのではないだろうか
いつか先の未来で羽ばたくことを祈っている

シマウマ外伝シマウマ 小幡文生

ややこしいタイトルですがその名の通りシマウマの外伝でシマウマが主人公となっております。
若かりし日のシマウマが主人公となっております。

なぜシマウマが回収屋をはじめたかの話になっておいます。
全てのなぞが解き明かされるわけではありませんが
シマウマの背景が描かれていますので
シマウマファンの人には必読の話となります
ただ、当然シマウマを呼んだことがない人には
そこまでおもしろい話ではないので買う必要なしです。

平和な国日本

日本は本当に平和な国だと思う
政治のニュースでどんなに汚職やトラブルがあっても
政治家が襲われる事件というのものをほとんど見たことがない

ニュースでも政治家を叩くとき
真っ向から政治家の方針を否定したり
データを下に否定することは少なく
2000円のカレーを食べたとか、高い店に行ったとか
政策批判もほとんど揚げ足とりばかりだ
いちいち政治家の読み間違えや、言葉の揚げ足取りで
何日にもわたり複数社で扱うのは珍しい国だろう
以前にあった「産む機械」と女性を例えた政治家もかなりの期間で叩かれていた
その時にその言葉の前後の文脈をちゃんと報道した
報道機関はほんのわずかであった
前後の文脈からすれば女性軽視の発言でないことがすぐわかるのに
なんとも平和である

世界には選挙権を得ようと内乱まで起きている国もあるのに
全ての成人に選挙権が与えられている日本はの投票率はわずか50%前後
国民の半分は選挙に興味がないようだ
そのわりには政治の話をすればどの人も文句しか出ない
かといってテロや内戦がまったく起きていない
デモはよく起きているが、ちゃんとデモの申請を行った
非常に行儀のいい何のためにやっているのかわからないデモ行進

やはりこの日本の政治に対する姿勢を支えているものは豊かさであろう
多くのテロや内戦の起きている国というのは
今でも貧困にあえぎ、くうやくわずの人が多くいる国である
それ対して日本では貧困といっている人であっても
多くは屋根もあり、食事もでき、電機もあり、病院にも行ける人がほとんどであろう
若ければ、どんなに困っていても日雇いの仕事に行って
牛丼腹いっぱい食べ、エアコンの効いたマンガ喫茶で寝ることができるだろう

日本の長い歴史を見ても戦争の歴史であったが
その背景には常に貧困が付きまとっていた
室町時代の権力者が塩ジャケを食べて、この世にこんなうまいものがあったのか
と感想を述べていることもあったほどである
数十年前であっても貧困が常に隣にあり
内戦まで行かないがテロやデモは頻繁におきていた
それを考えると現在日本は過去最高に平和で贅沢なときを迎えているのであろう
時代が時代であれば、このような記事を誰にでも見えるかたちであげれば
政治犯で逮捕される時代もあっただろう

世間の多くの人は現代に不平不満を言う人
日本は腐ってしまったと嘆く人が多くいるが
私は現在ほど平和ですばらしい時代はないと思う
願うことならいつまでもこのような日が続きますように

流行の歌

もうオッサンなのでまったく知らないミュージシャン新しい曲に興味をもつことがすくない
新曲に興味を持っても、知っている歌手の新曲ぐらいだ
ただそれでもテレビを見ていたり、何かの音の出るメディアを見ていれば
新曲の情報が入ってくる

その時「同じような曲がはやっているなー」と思ってしまう
これは若い頃におじさんからよく聞かされた感想だ
ああ自分は完成もおじさんになったんだなーと実感してしまう
さらに最近の局は早口で意味不明な言葉をまくし立てるのがはやっているようだが
歌というよりはゲームのBGMのように聞こえてくる
初音ミクの千本桜という曲がはやったときも
意味不明の歌詞でただテンポが速いだけだなーと
なんか歌とは認識できなかった
幼い日にパフィーの「これが私の生きる道」という曲を
父が聞いたときにこんなものは歌じゃない、なぜはやっているのか
ということをいっていたが、おそらく今の自分の感想に近いのであろう
はやっている下衆の極み乙女やSEKAI NO OWARIなどを聞いて
別に悪い曲とまでは思わないが、はやるまで行くような曲とは思えない
完全に感性が古くなってしまっているのだな悲しくなる

一応はやっているということは
最近CDの売り上げが落ち込み若い世代で音楽が廃れているという話をきくが
実際には音楽の多様化が進んでいるだけで
若い子にも音楽を愛するものが多いと感じる
その証拠によく街中でアイフォンで音楽を鳴らしている人がいる
公共の場で馬鹿みたいに音楽をならして馬鹿丸出しだなと感じるが
よく今の若者は個人主義だといわれているが
そんなことはなくツイッター、フェイスブック、ニコニコ動画と
結局は共有するのが好きなようである

 

アクション仮面 西脇だっと

クレヨンしんちゃんにでてくるキャラクターのひとつ
アクション仮面を題材にしたヒーローマンガです。
基本的にはクレヨンしんちゃんのアクション仮面と設定はまったく違い
名前と主人公の見た目が一緒なだけでオリジナルの作品となります。

もとがクレヨンしんちゃんのは発展なのでベタな設定かと思い
単純な敵を倒すヒーローではなく悪の心を受けとめはきださせる
一風変わった設定のヒーローです。

ただ、キャラクター、話の展開は非常にベタな展開ですので
全5巻ということもありますので軽く楽しむにはちょうどいいと思います。