デジタルゲームの歴史
デジタルゲームと一言にいっても様々な形体がある。現行のもので大きく分けて四つにわけることができるだろう。ひとつは現在最も主流になっている「TVゲーム」と呼ばれるゲーム機とテレビをつなげて遊ぶゲーム機。二つ目に最近下火となっている「アーケードゲーム」と呼ばれるゲームセンター等においてあり、形体としては様々なものがありコイン(現金やメダル)を投入して遊ぶゲーム機。三つ目にパソコンにインストールして遊ぶ「PCゲーム」。四つ目に簡単に持ち運びができ(必ずしも簡単に運べたわけではない)、外でもプレイできる「携帯ゲーム」。今挙げたのは、ハード(ゲームの本体、CDプレーヤーのようなもの)の分類であって、更にソフトの分類がある。このように様々に枝分かれた形体、又今日のようにゲーム業界が大きくなった歴史を本節では述べていきたい。
ゲーム紀元
デジタルゲームの紀元、さて何をもって紀元とするべきか。はじめに創られた時か、その原型ができたときか、一般的に認知されたときか、商売として成り立ったときか、それとも大きなブームが起きたときか、とりあえず最初から順を追ってみてみよう。
デジタルゲームのその当時の形を見るとその原型はダーツやパチンコなどの単純な遊びが原型になっていると考えるが妥当であろう。その紀元を探るのはちょっとできないことである。さて、デジタルゲームが世界で最初に世間の目を浴びたところは、1958年ニューヨークの国立研究所で見学者に楽しんでもらおうと創った名もないゲーム、これが世界初のデジタルゲームである。つまりただ単に創られたというのであれば、PCゲームがすべてのゲームの紀元である。
それから約10年後の1972年アタリ社から「ポン」というゲームが出た。これはアーケードゲーム、TVゲーム両方で発売され大ヒットとなる(現行のゲーム業界の規模を考えるとヒットとは呼べない程度だが{具体的数字にすると、現在ではミリオンセラーぐらいで大ヒットだが、このときは一万本程度})。また、この「ポン」というゲームを細かく説明すると、内容はテーブルテニスのようなもので、現在のパズルゲーム、シューティングゲーム、スポーツゲームの、紀元となっている、画面にはボールとボールを打つためのバーがあるだけで、他は真っ黒であった、更にコンピューターが勝手に打ち返してくれるといったことはなく、対人戦のみであった。実はこの「ポン」以前にもアーケードゲームがいくつか出ていたのだが、それらは全て無名のままで消えていった。
上記したものが紀元と呼ばれるにふさわしいものだろうが、やはり一般的認知などを考えると、アタリ社の「ポン」がゲームの紀元と考えるのが妥当だろう。
第一次アーケードブーム
先に書いたとおり、現在アーケード業界は落ち込んでいる。だが当然明るい時代があったからこそ、現在落ち込んでいるといえるのである。この第一次ブームはだいたい1973年から1986年までである。ブームの流れを説明していくと、1973年にシグマ社よりほとんど現在のものとかわらないゲームセンター「ゲームファンタジア ミラノ店」が新宿にオープン、そこでメダルゲームが大ブームとなった、メダルゲームとは、現在あるパチンコ店のスロットみたいなものと考えて欲しい、もちろんお金はかけてないが。
そして1974年前述した「ポン」が日本で発売し、次いで、1976年同社から「ブレイクアウト」というブロック崩しゲームとよばれる、ボールを跳ね返してブロックを壊していくゲームが発売され、ブロック崩しが大流行となった。その後日本でもコーピーソフトでだいぶ潤った、がまだまだ真似しているだけの時代であった。
そして、このブームの中心とも言えるゲーム「スペースインベーダー」がタイトー社より1979年に発売された。このゲームについての説明はいらないかもしれないが、一応しておこう、空から降ってくるインベーダーを、一番下にくるまでに、全て打ち落とすという、シューティングゲームである。これが大ヒットとなりアーケードゲームはどんどん成長していった。
その成長期において、現在のゲームの礎となったゲームが多数登場した。まず1980年にナムコ社より「パックマン」、ジャンルはアクションといえるかもしれないが、もはやコレのジャンルはパックマンといっても過言ではないかもしれない。ゲーム内容は敵から逃げながら画面内にある、アイテムを全て取るというものである。この逃げながらなにかをするという発想は、今のゲーム業界でも生かされている。またそのかわいいキャラクターもヒットとなり、特にアメリカでブームとなりそれまでのスペースなんとかブームを打ち消すことになった。
そして、1981年任天堂より「ドンキーコング」、1982年ナムコより「ディグダグ」1983年には今までのシューティングの概念を打ち消し、後世のシューティングゲームに多大な影響を与えた「ゼビウス」がナムコより発売、それまでのシューティングと違い背景が動く、敵キャラが多彩、様々な攻撃があるなど、それまでのゲームと一線置くゲームだった。
1984年にはマリオシリーズの処女作というべき(正確にはドンキーコング)「マリオブラザーズ」が任天堂より発売。また、それまでと違い、一回プレイしてその得点を競うというゲームではなく、ゴールがありそこまでの多くの謎を解いていくという「ドルアーガの塔」がナムコより発売、そしてこのゲームにより攻略本というものが定着しはじめた。
1985年から1987年は特に、人気ゲームが登場し、今でも根強い人気のコナミの「グラディウス」、「ツインビー」というシューティングゲーム、SNKより「アテナ」という美少女が主人公の美少女ゲーム、ストリート ファイター2の処女作カプコンの「ストリート ファイター」、コナミの「イーアルカンフー」などの格闘技のゲーム、格闘ゲームなど、多くの後世の名作につながるゲームが多数発表されている。
だが、その大ヒットが裏目にでてゲームやりたさに恐喝するなどの、事件も多発し1985年に諷詠適正化法施行により、様々な規制がかかり、業界全体のイメージもダークなものとなり、ブームは去ってしまった。
TVゲーム大地に立つ
ゲームの紀元で述べた「ポン」の大ヒットにより、日本のおもちゃ業界がこのブームに乗ろうと、1975年から1984年まで多数のTVゲームが登場することになる。先におもちゃ業界と書いたが、当然のことである、この時代にはまだゲーム業界が成立していないのだから。エポック、タカラ、バンダイ、トミーなどの大手おもちゃ業界が参入してきたのである。そして、それらの会社から様々なゲーム機が発売されたのだが、これらのゲーム機のほとんどのものが、ひとつのゲーム機でひとつのゲームしか楽しめないというソフトとハードが一体型のもので、販売台数も大きく差がつくことはなかった。
だが1983年7月「ファミリーコンピュータ(以降FC)」が任天堂より発売され、状況は大きく一変した、FCは今までのものと違いFCを買って、それと別にFCに対応したソフトを購入することにより、FCひとつで様々なゲームを遊ぶことができるようになり、価格面、サイズ面などにおいて他のゲーム機を越えるものとなった。更にソフト面でも、自社で造っていたアーケードゲーム「ドンキーコング」「マリオブラザーズ」などのヒットタイトルを移植(他のハードにそのゲームを移行すること)することにより、品薄状態になったのである。FCは今現在のTVゲームの形を作り、世間に大きくゲームを広めることとなった、紀元の話をするならばFCこそTVゲームの紀元であろう。
またこのFCはソフト面においても大きな役割を果たした、任天堂は初心会というシステムを作り、つまらないソフトを出回らないようにしたのだ、だがこのシステムは任天堂が上納金を取る形に近く、会社によっても払う金額が違ったなどという話もうわさとしてあり、必ずしもよかったというわけではなさそうだ。話をどういったソフトが出たのかという話にもどすと、FCできてすぐは移植ソフトが多かったようだ、先に書いた「ゼビウス」「イーアルカンフー」「グラディウス」「パックマン」「スペースインベーダー」など人気ソフトを傘下にいれFC人気もうなぎ上りといったところだが、そううまい話ばかりでもなく、移植ソフトの出来が悪かったという苦情もでた(完成度の高いものもあった)、その理由は単純明快でハードの性能で、FCのCPUは8ビットに対し、その当時のアーケード筐体は16から32ビットぐらいあったのである。だがFCは家庭でできるという利点を武器に、それまでのソフトと異なる、クリアに時間がかかるゲームで責めたのである。そのソフトは1985年に任天堂より発売された「スーパーマリオブラザーズ」である、このゲームにおいては、もはや説明は不要であろう、アクションゲームの元祖、任天堂の看板キャラ、ゲームキャラの象徴といっても過言ではないだろう、売上はこのソフトのみならず、攻略本も二年連続ベストセラーになるなど、その影響力は計り知れない、私と同年代でこのゲームに触ったことがないという人はほとんどいないだろう。
だがFCからでた、人気ソフトはそれだけではない1986年エニックスから発売の「ドラゴンクエスト」これは、RPG(ロールプレイングゲームの略称、役割を演じるという意味)の母というべきソフトであろう、実際にはそれ以前にもPCゲームで「ウルティマ」「ウィザードリィ」などがあったが、現在ほどパソコンが普及してなかった時代では、普及するのは難しく、この作品がRPGの原点と考えるのが妥当であろう、このゲームの人気の秘密はRPGの初回のほうの作品というだけでなく、その当時ではなかった、キャラクターデザインや音楽を専門家に任すという分業性も人気の理由の一つ、特にその当時「週刊少年ジャンプ」という漫画雑誌に連載していた人気漫画家、鳥山明氏のキャラクターデザインは好評だった。そしてその勢いに乗り翌年には、「ドラゴンクエスト2」を発売している。前作の一人での冒険にたいし、3人でパーティーを組むという画期的なシステムにより、さらに人気を挙げた。
更にゲームの名人を流行させたハドソンの「スターフォース」「スターソルジャー」というシューティングゲームがある。特にこの当時「コロコロコミック」に漫画化もしていた、高橋名人は一躍子供のカリスマ的存在となった、そのほかにも各企業に一人ぐらい名人がいて、毛利名人対高橋名人といった企画も行われた。
他にも、当時の人気アニメをモチーフにしたバンダイの「キン肉マン マッスルタッグマッチ」「ゲゲゲの鬼太郎」や「ドラゴンクエスト」の対抗馬スクエアの「ファイナルファンタジー」芸能人を絡ましたナムコの「さんまの名探偵」つまらなすぎて話題をよんだ、タイトーの「たけしの挑戦状」未だに続編が出つづけているカプコンの「ロックマン」など上げればきりがないほど、名作が生まれた。アーケードブームの衰退にはTVゲームの台頭も大きく関係しているだろう。
バブルははじけた
前の章とその前の章を読んでなにか気づかなかっただろうか、ゲームの紀元とも言うべき、アタリ社の名前がほとんど載ってないのである。さてなぜそのようなことになったかと一言で説明すると「アタリショック」が起きたからである。この言葉はゲームに詳しい人なら、ほとんど常識的な言葉である。さて「アタリショック」とはなんのことか、それは、FCより先に出ていた「アタリ2600」というFCと同じシステムを使ったハードの誕生により引き起こされた現象である。アタリ社では任天堂のように初心会システムを取っていなかったために、粗悪品が出回り1983年にユーザー(客)にゲーム自体が飽きられてしまい、それまで拡大してきたゲーム産業が一挙に衰退してしまったのである。具体的数字にしてみると、30億ドル規模だったものが、わずか一年で一億ドル規模まで落ちてしまったのである。又アタリ社自身も売上20億ドルから、赤字企業になってしまい、1985年にはナムコに買収されてしまう結果となり、アメリカのゲーム企業が日本にのっとられてしまう形となった。
ゲーム産業三国志
FCは大人気より大変品薄となってしまった、特にカセットは製造ラインが大変混雑してしまった、そこで任天堂はFCの進化をかねて、FCのオプション機器ディスクシステムを発売した。ディスクシステムは容量(データ)の大きさ、コストパフォーマンス、利便性、と一見すばらしい用に見えるが、じつはそれを、かき消す欠点も含んでいた、一つ目にロード時間(データを読みこむ時間)が発生してしまうこと、二つ目に頑丈さ、当時のFCというのはソフトであるカセットを子供の力で思いっきりたたきつけても壊れないくらいの頑丈さがあった、だが当時のフロッピーディスクは時期ディスクが無か出しになっていて、そこに触ってはいけなかったり耐久性ももろいものであったり、頑丈さにかけていた、当時FCなどはまだおもちゃの一部として考えられていたため、そういった点も、性能のひとつであった。三つ目は大容量といっても、そのすぐ後に、ROMカセットでもディスク以上の大容量が実現してしまったことこれらの要因により、それほど普及することなく終わってしまった。
先に書いた大容量ROMカセットにより、FCはまだまだ性能アップしていくのであるが、どの業界でもそうそう、一人舞台など周りがさせないものである。そうタイトルのとおり、二社がライバルとして立ちふさがったのである。
一つ目は1987年10月大手家電メーカーのNECより「PCエンジン」が発売された、CPUはFCと同じく8ビット機であったのだが、FC以上の性能が出るため、FCに参入していなかったPCゲームメーカーや、タイトー、ナムコ、ハドソンなどが参入をしていき、FC劣らない状態となった。又、HUカードと呼ばれるカード型の幅を取らないソフト形状であった。実際に出たソフトもタイトーの「Rタイプ」、ナムコの「ドラゴンスピリット」「妖怪道中記」といった人気アーケードゲームの移植、マリオのような看板ゲームとして「PC原人」当時人気だったTV番組カトちゃんケンちゃん、をゲームにしたハドソンの「カトちゃんケンちゃん」などラインナップも充実していた、更には追い討ちをかけるように、ハードのパワーアップを図った、NECは1988年「PCエンジンCD-ROM2(シーディーロムロム)」という、パワーアップ機器を発売した。それまでのハードと違いソフトの媒体にCDを使ったため、ロード時間ができてしまったが、ソフト製造費、サードパーティー(ソフト開発会社)のソフト開発が楽になった、ソフトのデータ内容量の増大が実現した。それに伴いハドソンより「天外魔境」というRPGをだした。エキゾチックな世界観、華麗なアニメーションまさにそれまでのRPGを覆すものであった。更に他のハードのセーブデータの消えやすさに対して「天の声」というセーブする機器もだした。
ついで、もうひとつの対抗馬1988年セガより「メガドライブ(以降MD)」である。基本能力においてはこちらもFCを上回っていた。こちらはソフト面においては、自社がアーケードの大手業界であったため自社から「スペースハリアー」などを移植しまた、自社の看板ソフト「ソニックザヘッジホッグ」というマリオシリーズの対抗馬や、ドラゴンクエストやファイナファンタジーに対抗するため「ファンタシースター」という、いままでのRPGより鮮やかなグラフィックのゲームで対抗した。この二つの対抗馬の存在により、任天堂は危機に追い込まれることとなった。
ポケットの中の戦争
FCが二機の対抗馬により、以前に比べ劣勢となった任天堂は、別の方向性からアタックをかけた、そして発売されたのが1989年にだした「ゲームボーイ(以下GB)」である。GBは携帯ゲーム機でどこでも遊べるというのが利点で、コストの面も考え画面はモノクロであった。任天堂は大一次アーケードブームの時にも「ゲームウォッチ」という携帯ゲームを出しており、それなりの売上を出していた(ソフト、ハード一体型であったが)、任天堂からしてみれば、得意分野といったところであろう。
当然セガ、NECにしてみればそっちでも対抗馬をだして、任天堂を打ち負かそうとした。セガからは1990年に「ゲームギア」を出した。画面はカラーで、4096色(同時発色は32色)出すことができた。また同時発売のTVチューナーを買うことによりTVも見ることができた。NECからは1990年セガから約2ヶ月遅れで「PCエンジンGT」を発売した。こちらも「ゲームギア」同様カラー画面で、遊べるソフトが「PCエンジン」と同様にHUカードで「PCエンジン」のゲームをそのまま遊ぶことができた。更に1991年にでた「PCエンジンLT」ではTVチューナーを内蔵しており、TVを見ることができ、「PCエンジンCD―ROM2」ともつなげて遊ぶことができた。
ここだけ聞けば、任天堂が圧倒的敗北してもおかしくないように聞こえるだろうが、実際は任天堂の圧勝で終わることとなった。理由を一言で説明するとGBはちょうどよかったのである。詳しく説明していくと、第一に具体的大きさGBに対して他のものは2,3倍の大きさがあった。当時の技術ではモノクロのGBですら、子供の手には大きいくらいのサイズでしか造れなかった、それをカラー、「PCエンジン」と同じ性能そんなものをつければ、大きくなるのが当然であった。第二に価格、GB12、800円に対しゲームギアは19、800円コレくらいの差ならば問題はないのだが、「PCエンジンGT」は44、800円「PCエンジンLT」になると99,800円もはや、ゲーム機の金額ではない。つまり、携帯ゲームは持ち運び外で遊ぶゲームなのだから、小さく、壊れにくく、壊れても問題のない値段、などの要素が含まれていて、初めて携帯ゲームとして売れるのである。第三に根本的に宣伝の大きさもあっただろう。GBは「コロコロコミック」「コミックボンボン」といった少年漫画でCMを出しまくっていた。それに対し他の二つはTVCMがメインだった。この当時ゲームは子供のユーザーのほうが多かったため、TVCMより、少年雑誌の広告のほうが効果的であっただろう。第四に、ソフト戦略であろうGBは自社の人気ソフトマリオシリーズから「スーパーマリオランド」落ちものゲームと呼ばれるパズルゲームの初期作「テトリス」携帯ゲームでもできるRPG、スクエアの「魔界塔士Sa・Ga」さらに、このサガシリーズ自体も大ヒットしている「聖剣伝説」というアクションとRPGを合体させたアクションRPGで当然この聖剣シリーズも売れている。今上げたようなのちのヒットシリーズの初期作や、ヒットシリーズのGB化により豊富なラインナップを取り揃えた。「ゲームギア」でも「メガドライブ」のヒット作ソニックシリーズの移植や、「コラムス」と言うテトリスの対抗馬などいろいろ出したが、ラインナップの充実度ではGBに及ばなかった。
第二次アーケードブーム
TVゲームの台頭、シューティングゲームの難易度アップによる、一部のユーザーを除いて離れてしまったこと、全てのゲームは対コンピューター戦であるため、いつも同じ内容で飽きがきてしまったこと、などの理由でアーケード業界は激しい落ち込みを見せていた。アーケード業界も対抗作として家庭ではできないような「R-360」という自分がプレイしている筐体が360度回転するというような、大型筐体を出してみたが筐体事態が高価で、めったにお目にかかれないことや、その台が入っているゲームセンターも台の元を取るために、一プレイ500円(一回プレイするために500円はらうこと)近い金額(普通のゲームは50から100円)になっていたりしたためうまくいかなかった。又テトリスのブームもあったが早い段階で、家庭用に移植してしまったためそこまでの効果は望めなかった。
その救い役になったものは三つある、一つ目はUFOキャッチャーである。UFOキャッチャーとは、景品をクレーンでキャッチすると言うもので、似たようなゲームは以前からあったのだが、景品がタバコやお菓子などでこれといった物がなかったのだが、風俗営業法の改正により、景品の値段を上げることができるようになったのだ。それによりぬいぐるみなどを景品として出せるようになり、更にその景品をUFOキャッチャーでしか手に入れることができなくしたため(場所や入手方法によっては他のところでも入手できた)、広い世代に人気を得ることができた。ただUFOキャッチャーがデジタルゲームかどうかという問題があるが、UFOキャッチャーは本書ではデジタルゲームの中にいれて考えていく。
二つ目に、当時話題となった落ちものゲームの「テトリス」の人気を皮切りに、コンパイルの「ぷよぷよ」やコナミの「パズルだま」など多くの落ちものゲームが人気を呼んだ。
更に、ひとつのソフトの発売がアーケードブームの火付け役となった。1991年、前にも書いた「ストリート ファイター」の続編「ストリート ファイターⅡ」がカプコンより発売されたのである。このゲームがどう言うものかというと、ゲーム内容は単純で一対一で戦い、先に相手のパワーをゼロにしたほうの勝ちというもの、これは格闘ゲームというジャンルの説明とほぼイコールである(三対三の場合などもある)。「ストリート ファイターⅡ」の魅力は一対一で戦うだけでなく、人と人が対戦できることでもある、先に書いたコンピューターとの対決に飽きた人には、対人戦、しかも家庭でプレイするTVゲームと違い、ゲームセンターで見知らぬ人と戦うことができる、このゲームの誕生からゲームセンターは、ただ単にゲームをするための場所でなく、ゲーマー(ゲームをする人)の交流の場にもなった。このゲームの魅力はそれだけでなく、キャラクターの魅力もあった、このゲームのチュンリーという、チャイナ服の女性キャラクターは今でも人気がありつづけている。
そして、このゲームで格闘ゲーム人気は一挙に高まり、他社からもいろいろなゲームができた、格闘ゲームでカプコンと二大メーカーとして言われていたSNKからも「餓狼伝説」「竜虎の拳」「サムライ スピリッツ」「キング オブ ファイターズ」、アルファ電子から「ワールド ヒーローズ」など多数各党ゲームが生まれ、カプコン自身からも「ストリート ファイターⅡ」の改良版「ストリート ファイターⅡダッシュ」「ストリート ファイターⅡターボ」「スーパーストリートファイターⅡ」又続編の「ストリート ファイターZERO」更に「ストリート ファイター」から離れて「ヴァンパイア」「サイバーボッツ」など様々な作品が出た。更に格闘ゲームのキャラクターなどの表示に、ポリゴンと呼ばれる3D表現を使って表示した3D格闘ゲームの「ダークエッジ」がセガから発売、この作品では大した影響はなかったが、その後同社からでた「バーチャ ファイター」更にその次回作の「バーチャ ファイター2」で爆発的人気がでた。それに対しナムコより「鉄拳」が発売し現在でもバーチャ、鉄拳といえば3D格闘ゲームの二大ゲームとして存在している。
先に触れたチュンリーという女性キャラクターのことだが、当然他社、他作品「ヴァンパイア」のモリガン「サムライ スピリッツ」のナコルル「餓狼伝説」の不知火舞などの女性キャラクターも人気があり。キャラクターグッヅなどが飛ぶように売れた。三鷹市水道週間、年金用ポスターにナコルルが採用されるほど人気がでていた。当然ほとんどのゲームのアニメ化も行われた。
だが格闘ゲームがあまりに乱発されたためまたもブームが去ってしまうことになってしまった。
続・ゲーム産業三国志
任天堂は、先に書いた対抗馬二機の出現により危機に瀕していた、というほど他の機体の売上差が追いついてきたわけではないのだが、売上の減少が起きていた。何よりの売上現象の原因は、やはり性能差にあった。そこで任天堂は新機種の開発に踏み出し1990年「スーパーファミコン(以下SFC)」を発売することになった。SFCは制作段階にて以前のFCのソフトを遊べるようにできるいわゆる互換性というものをつける予定だったが、コストダウンをもくろみ互換性をカットした形で発売となった。初期のソフトとして自社の「スーパーマリオワールド」「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」カプコンの「超魔界村」コナミの「悪魔城ドラキュラ」スクエアの「ファイナルファンタジーⅣ」ナムコの「スーパーファミスタ」アトラスの「真・女神転生」などの人気シリーズの続編や、「シムシティ」「ファイナルファイト」「ストリート ファイターⅡ」などのアーケード、PCゲームの人気作の移植、自社の「スーパーマリオカート」本を読む感覚でゲームを進めるサウンドノベルの第一弾チュンソフトの「弟切草」などの後の人気シリーズの第一段や、スクエアの「半熟英雄(はんじゅくひーろー)」エニクスの「ドラゴンクエストⅠ,Ⅱ」などのリメイク作品など豊富なラインナップで序盤から品薄でパニックになるなど大人気となった。
対するPCエンジンも1991年にCD-ROM2のパワーアップ機体「スーパーCD-ROM2」を発売する。更にPCエンジンとスーパーCD-ROM2の一体型の「PCエンジンDUO」を同年に発売、ソフト面においてもハドソンより天外魔境の続編「天外魔境Ⅱ」このソフトはPCエンジンが時代的になくなった時でも、ゲーム誌の人気ゲームランキングに入るほど人気の作品であった。他にもアーケードゲームの移植を多数出したり、PCゲームの移植「ドラゴンナイトⅡ」を出したのだが、このゲームは元々18才未満をリメイクした美少女ゲーム(以降美少女ゲームは、18歳未満禁止がエロゲー、全年齢指定がギャルゲーとする)で、コレの発売から、シューティングゲームなどの硬派な機体から美少女ゲーム専門ハードのような形になった。メガドライブのほうでもSFCに対抗するため「メガCD」「メガCD2」「SUPER-32X」などといったパワーアップ機体を出したのだがこれといったソフトも出ることなく消えていってしまった。だが、メガドライブはこの時代からネット対応ゲームを出すなど、海外では(海外でのハード名はジェネシス)マリオ以上にソニックが人気爆発するなど、ただでは終わっていない機体である。参考までに図表1-1-1を参考にして欲しい。ちなみにこの年にアーケードの大手SNKから「NEO-GEO」というアーケードゲームが家庭でゲームセンターと同等のクオリティでできるというハードが発売したが、(この当時は家庭用ハードではアーケードと同等のクオリティではゲームができなかった、SFCのファイナルファイトもキャラクター数が減っていたり、なくなっているステージがあったりと言う感じであった)本体価格はもちろん、ソフト価格も一本2万円近くと大変高価なハードであったため。大して売れなかった(百万台程度)。
上記の各ハードの特徴を見てわかる通りSFCは他のハードに比べてみてキラーソフト(ハードを買う原因となるような名作)が多数出ているため、当然の結果としてSFCがこのゲーム戦争を勝ちぬく結果となった。
ハード名(関連気体含む) |
国内販売台数(万台) |
海外販売台数(万台) |
SFC |
1715 |
3187 |
メガドライブ |
398 |
3258 |
PCエンジン |
584 |
海外進出なし |
TVゲーム戦国時代
1992年ぐらいから、ゲーム市場はSFCを中心に動いていた。又この時期はゲームバブルの時代であったために、ゲームを出せばなんでもある程度売れるといった状態だった。当然今までのように、他の企業も美味しい汁をすいたいとばかりに、参入してくるのであった、そして1994年に一斉にハードが出るのだが、その企業は松下電器、SCE(ソニーコンピュータエンタテイメント)、NECとハドソン、セガ、とNEC、ハドソン、セガは前回のリベンジと言う理由であるが、残りの二つ、松下電器、SCEの参入は業界が揺れ動くこととなった。さて、この二つの企業が参入したのには理由がある。実はこの少し前に任天堂は新型ハードを開発していたのだが、そのハードを共同開発にする予定だったのだが、開発の段階で仲間割れが起きてしまいうまくいかなかったのだ、なぜうまくいかなかったのかは、いろいろ言われているが、当然自社をよく言おうとするわけなので、食い違いが生じ正確な理由は判明していない。ともかく、SCE、松下電器共に自社開発の元としてTVゲームのハードを発売したのである。SCEからは「プレイステイション(以下PS)」松下電器からは「3DO」、前回のリベンジをもくろむセガからは「セガサターン(以下SS)」NECはPCエンジンの時最も協力していたハドソンとの共同開発で「PC―FX」以上のようなラインナップである。
この4つのハードのほとんどは最初から、SFCのように大量に売れたわけではなかった。この四つのハードが発売された後もSFCで名作が多量にでていたためである。スクエアより人気シリーズ「ファイナルファンジーⅥ」「ロマンシング サ・ガ3」「聖剣伝説3」チュンソフトよりサウンドノベル第二段「かまいたちの夜」人気ゲーム、ドラゴンクエストのキャラクター「トルネコ」を使い、ゲームシステム自体も大好評な「トルネコの大冒険 不思議なダンジョン」更にその続編「不思議なダンジョン2 風来のシレン」バンプレストより人気ロボットアニメを使ったゲーム「第4次スーパーロボット大戦」エニクスの人気作「ドランゴクエストⅥ」自社からもマリオシリーズ「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」など様々でていたのである。
そんななか、新ハードで幸先よかったのはSSである。SSはハード同時発売ソフトとして先に書いた「バーチャ ファイター」これがキラーソフトとなりSSはよいスタートを切った形になった。それに対してPSでもバーチャ ファイターと同ジャンルの「鉄拳」が発売された。この時からSS、PSがライバル的存在となった、PSのハード同時発売のアーケード移植のレースゲーム「リッジレーサー」が人気を取ればSSでも同ジャンルで同じくアーケードから人気のあった「デイトナUSA」「セガラリー」など人気ソフトを当ててきた。その後SSでは自社からギャルゲーの「サクラ大戦」アクションでアーケードより移植の「電脳戦機バーチャロン」新感覚ゲーム「NIGHTS(ないつ)」NECより人気ギャルゲー「同級生 IF」Dの食卓の続編「エネミーゼロ」又様々な格闘ゲームにおいてPSより高いレベルでの移植を行っていた。PS側も負けじと、自社よりRPG「アークザラッド」音楽を楽しむゲーム音ゲーの元祖「パラッパラッパー」カプコンの新感覚アドベンチャー「バイオハザード」他にもRPGを多数リリースし、ポリゴンでもSSより美しく表現できた。この闘争の激化が進みお互いに高めあっている間、SFCはハードのポテンシャル上できなくなっていることが増え、徐々に消える形になった。
ここまで読んでみて、いつものようにあれっと思っただろう、そう3DOとPC-FXの話が一言も出ていない、アタリの時である程度予想がつくだろうが、この二つのハードはまったく売れなかったのである。なぜ売れなかったのかといわれれば、ひとつはというより、ひとつしかないのだが、キラーソフトが出なかったのである。まったくでなかったことはなかったのだが、3DOでは映画のような展開、今までにないシステム、画像といった理由から人気を得た「Dの食卓」を出したのだが、すぐに他のハードに移植してしまい、特に3DOを買う必要がなくなってしまった。PC-FXでも天外魔境の続編を出す予定だったのだが、その作品を出す前にPC-FXがあまりに売れなかったため、そのまま発売未定のままハード、ソフト共に終わってしまった。1995年SFCで発売した「天外魔境ZERO」はハドソンの降伏宣言だったのであろう。
さてこうなると、市場はSS,PSの二本化してしまったのだが、TVゲームの老舗任天堂はその現状のまま終えようとはしなかった。1996年ついにこの闘争に立ち向かうべきハード「NINTENDO64(以下N64)」を発売、他のハードは32ビット機であったのたいして、N64はその名の通り64ビット機であった。だが実際のグラフィックを見るとSSよりもポリゴン表示が荒かったが、他のハードが全てソフトをCDに移行したなか、カセットタイプにしていたためロード時間が生じないという特徴があった。制作においても自社より人気シリーズの続編「スーパーマリオ64」「マリオカート64」「F-ZERO X」「スターフォックス64」「ゼルダの伝説 時のオカリナ」「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」などとどれも大好評を受けた、だが今上げたソフトは全て任天堂自ら制作したソフトである。先に書いたように任天堂には初心会というシステムがある(現在ではなくなっている)それにたいして、PSは流通システムを簡単にし、ソフト配給は問屋を下ろさずに直接配給できるようにしたり、先にも書いたようにカセットタイプより制作を楽にしたりと、サードパーティーの参入をしやすくした。N64はそういったシステムがかけており、サードパーティーつまり、他社のビッグタイトルを引き込めなかったためPSには及ばなかった。それでも、GBの「ポケットモンスター」というソフトの大人気のおかげで、その関連ソフト「ポケモンスタジアム」パーティーゲーム(多人数でやるすごろくのようなゲーム)の「マリオパーティー」「ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ」などが大人気をえたので、SSには世界総計の売上台数で勝つことができた(図表1-1-2参照)。
又先に書いたSS、PSの対立だが、一番のPS勝利の原因はサードパーティーだろう、PS側にスクエア、エニクスが参入することになったのである。スクエアのファイナルファンタジーシリーズ、エニクスのドラゴンクエストなどのキラーソフトを手に入れ、又、スポーツゲームの「みんなのゴルフ」かわいいキャラクターで人気を得た「どこでもいっしょ」レースゲームの「グランツーリスモ」ロボットアクションの「アーマードコア」など多数の人気作品が登場した。それに対しSS側では一応面白いソフト、いわゆる評価が高かったソフトも多いのだが、残念ながらユーザー層が固定されるものが多かった。一般的に王道とされるジャンルのRPGで名作と呼ばれるソフトが少ないのである、一番売れたRPGの「グランディア」ですら四十万本程度しか売れていない(ファイナルファンタジーⅦは三百万本程度)ただPSの売上の大きさの秘密はそれだけではない。図表1-1-2を見てもらえばわかるとおり、売上が他のハードに比べて圧倒的である。確かにその当時からPSは売れているという感じを受けていたがこの数字ほど圧倒的ではないと感じた、実はそこにはからくりがあるのである。通常TVゲームのハードは一人一台しか買わないのが常識である、一人で二台所有していても意味がないのだから(まったくといっていいほどではないが)、ところがPSは一人で二台買った人が大半なのである、その理由は壊れるからである。PSは鉄拳が出たあたりから売れてきたのだがそのときにSCE側で大量生産が行われたのであるが、そのとき出荷されたPSの耐久年数が大変低かったのである。ネット世界でこの現象はソニータイマーなどといわれ、SCEが売れるために、一年経ったら壊れるように設定したなどと冗談で言われるぐらいであった。なにはともあれ、このTVゲーム戦争は初めて任天堂以外のハード、PSの勝利に終わったのである。
ハード名(関連機体含む) |
国内販売台数(万台) |
海外販売台数 |
PS |
1913 |
7022 |
SS |
560 |
886 |
N64 |
554 |
2738 |
3DO |
72 |
63 |
PC―FX |
40 |
海外進出なし |
第三次アーケードブーム
先に終わったアーケードブーム、そしてアーケードゲームのきれいなグラフィックもTVゲームの進化によりそれほど必要とされてなくなってしまった。このブームの危機を救ったのは、昔からあるが、遊び感覚として使われるのは初めての初めてのものであった。その筐体の名前は「プリント倶楽部」通称プリクラと呼ばれるもので1995年程度にアトラスより発売。このプリクラとは、ただ写真をとってシールにするというだけのものであったが、女子高生を中心に大ブームとなった、この筐体はある番組で人気歌手グループのSMAPが使ったことから一躍日の目を浴びることになった、だがヒットの要因はそれだけでなく、ゲームセンターが廃れた原因の中に、マニア層のユーザーの台頭があった、そしてゲームセンターは先に書いたように対人戦の流行により、対戦台と呼ばれる対戦専用の機械が多くを閉めていた、そのため一般ユーザーは、そのマニア層の人にゲームで勝てなく、ゲームを楽しむことができなくなっていた。だがこのプリクラはゲームの腕など関係なくただ写真を撮るだけなので、だれでも気兼ねなく遊ぶことができた。あとは流行の連鎖で一挙に人気をえることとなったのである。当然ゲーム特有の人気ゲームの類似品もこの時期多く登場した。スタンプが作れる「スタンプ倶楽部」全身が撮れる「ストリートスナップ」名詞が作れる「ストリートスナップ」占いで香水を作る「アロマ倶楽部」など多数登場した。このゲームは、類似品が出ても特に影響されることはなかった。むしろブームが去ることだけが問題だったが。ブームが去った今でも、一定の売上は上げている。
更にブームの火付け役はそれだけではなかった、1997年タイトーの電車のシュミュレーションゲーム「電車でGO!」が大人気となったのである。このゲームは今までの体感ゲームと違い、戦闘機などの派手なものでなく、電車という地味な乗り物であるだが、以外に電車マニアというものは多く大人気となった、フライトシュミュレーターのゲームをやりハイジャックした人間はいたが、さすがに電車ジャックした人間はいなかったようである。このゲームもこの後多数の類似品が出た。
先に書いたプリクラブームにより、ゲームセンターには若い世代で、おしゃれな人が多くなった。それにより、別のゲームもヒットすることになった。それが1997年発売したDJのシュミュレーションのようなゲームコナミの「ビートマニア」をはじめとする音ゲーである。他の作品には、ダンスをする「ダンスダンスレボリューション」ドラムをたたく「ドラムマニア」ギターを弾く「ギターフリーク」キーボードを引く「キーボードマニア」セガからマラカスを振る「サンバDEアミーゴ」これらの音ゲーは若い世代に人気を呼べる以外にも、多くの利点がある。ひとつは音楽をゲーム中に使うために、他のゲームより音楽に力を入れているために、他のゲームのサントラより多く売れること、もう一つの利点は、曲を新しくするだけで続編を作れること、そしてそのことでユーザーから特に不満ができないこと。かわいいキャラクターを使っている「パカパカパッション」はキャラクターグッヅも売れている。
また、最近ではTVゲームとも連結するようになった。カプコンの「CAPCOM VS SNK」では家庭用、業務用が同時発売という前代未聞の発売方法で、家庭で作ったキャラクターで遊ぶことができる、さきほどでてきたダンスダンスレボリューションでも家で作ってきた面で遊ぶことができる。これは先にも書いたようにゲームセンターがただゲームをするところではなく、ゲームをする人の交流の場であったり、ゲームをする人もゲームをただするのではなく、人に見せるためにゲームをやっているという風に、ゲームセンターというものは常に進化しつづけているのだ。
ポケットの中の戦争その2
携帯ゲームは任天堂のGBがほぼ独占状態となっていた。だが携帯ゲーム市場そのものが、PSやSSの人気の影に隠れ脅かされていた、GBも1994年にSFCでGBがプレイできる「スーパーゲームボーイ」や外見が様々な色をした「ゲームボーイブロス」などを出したが、たいした結果にはつながらなかった。だがひとつのソフトが、携帯ゲーム市場を買えることになった、そのソフトが任天堂のRPG「ポケットモンスター」これはそれまでのRPGと違いモンスターを仲間にしてそれを育てて、人と対戦ができるのだ、しかも赤と緑の二種類を出し、それぞれで違うモンスターがいて赤でなければ、いないモンスターなどがいて、口コミでその話題が広がりやすいゲーム内容であった。その証拠に最初はたいした売上でなかったのだが、口コミで徐々に人気上昇し最後には超ロングセラーの人気作品となった。GBもそれに乗じGBのサイズを小さくした「ゲームボーイポケット」更に画面をカラーにした(現行のカラーの携帯ゲームから考えるとカラーとは呼べない程度の)「ゲームボーイカラー」を発売し、そのままGBシリーズは売上が上昇し出荷累計台数が一億(他のハードで一億を突破したものはない)を突破した。
当然そんなおいしい市場が発生すればいつものように他企業が参入してくるもので、1998年にはSNKより「ネオジオポケット」を発売更に翌年に画面をカラーにした「ネオジオポケットカラー」を発売。ドリームキャストとデータ連動ができるなどの機能がある。バンダイからも1999年「ワンダースワン(以下WS)」を発売。バンダイは以前に「たまごっち」というペットを育成するゲーム(本書ではたまごっちはおもちゃとして話を進めていく)で大人気を博した。そのことを武器に携帯ゲーム市場に進出してきた。更に2000年には画面をカラーにした「ワンダースワンカラー(以下WSC)」が発売。更に2002年に多少性能をアップした「スワンクリスタル(以下SC)更にGBと比較を図るために、全体的傾向として低年齢向けではなく、青年向けにつくられている、パソコンやIモードとアクセスできる機能や、ソフトもファイナルファンタジーシリーズのリメイクをとりこんでいるなどしてあるが、実際出るゲームは子供向けのものが多い。縦向きでも横向きでもできるのが特徴。
任天堂側でもコレに対抗し2001年ゲームボーイの新バージョン「ゲームボーイアドバンス(以下GBA)」を発売した。GBAは今までのGBのパワーアップと違いGBのソフトに互換性を持たせていないのが特徴である。ソフトもSFCのリメイクを多数用意し、2002年には「ポケットモンスター ルビー サファイヤ」を発売。残念ながらネオジオポケットはSNKの倒産により終わってしまったが。他の二つはまだ現在しのぎをけずっているためはっきりとしたことは言えない状態である。更に詳しい事は一章三節にて書いていく、参考として各機体に販売台数を図表1-1-3に乗せるが2002年三月時のものである。
ハード名(関連機体含む) |
国内販売台数(万台) |
海外販売台数(万台) |
GB |
3243 |
8599 |
GBA |
598 |
1218 |
WS |
300 |
海外進出なし |
ネオジオポケット |
50 |
35 |
真ゲーム産業三国志
前回のゲーム機戦争に破れたセガは、1998年11月SSの撤退と同時に新ハードを出してきた、そのハードが「ドリームキャスト(以下DC)」である。このDCは、当然の事ながらPSより性能が上で、SSの時のポリゴン表示がPSに負けているということもなく、ネット機能を搭載してゲームデータをダウンロードできたり、ネットゲームができたりとハード性能としては上場のできであった。広告ではセガの湯川専務をキャラクターとして、「セガなんかおもしろくねーよ」などと自社のTVCMで流すというインパクトの強いCMで話題をよんだ。ソフト面においても同時発売として「バーチャ ファイター3」、その後も、セガの看板キャラクターのソニックシリーズの最新作「ソニックアドベンチャー」、また、ネット機能を最大限に使った「ファンタシースターオンライン」というオンラインゲーム、更にセガ得意のアーケードゲームを多数移植し電脳戦機バーチャロンの続編「電脳戦機バーチャロン オラトリオタングラム」も前作の移植のように移植精度が低いということもなかった。アーケード移植で特に注目を集めたものは「ソウルキャリバー」である、通常移植というものは、移植精度がよくて同等の画像という認識があったのに対し、このDC版はアーケード版のものより画像が優れているというユーザーの度肝を抜くものであった。更に先にも書いたがCAPCOM VS SNKや「燃えろジャスティス学園」は家庭用でのデータがゲームセンターで遊べるだけでなく、DC用コントローラーをつなげることができるという、前代未聞のソフトとなった。他にも制作費70億円という「シェンムー 一章 横須賀」はほとんど売れなかったが、話題には上った。DCは発売早々品薄になり、CMで湯川専務が誤り、湯川専務が降格する事態にまでなった。湯川専務は専務に戻れたのだろうか。
だがSCEサイドもこの出来事をほっとくはずがなかった、DC発売から一年とたたずに1999年7月頃にPSの次期ハード「プレイステイション2(以下PS2)」を発表し2000年三月には発売をした。発売日は平成12年3月4日と1234という発売日だった。PSの時も12月3日、123と並べていた。このPS2はDCの10倍のポリゴンが表現でき、ソフトにおいても人気シリーズの続編、「ファイナルファンタジーⅩ」や「アーマードコア2」「スーパーロボット大戦IMPACT」やバイオハザードのような感覚の「鬼武者」「デビルメイクライ」などを多数だしたり、又PSではアーケード移植があまり出てなかったり、出ていても移植精度が低かったりという状態だったが、PS2ではそういったこともなく、「兎 野生の闘牌」「式神の城」「CAPCOM VS SNK2」などの精度の高い移植を出している、その中で波紋を呼んだソフトがありそれは「デッド オア アライブ2」である、なぜ波紋を呼んだかというと、デッド オア アライブ2はアーケードゲームだった時セガから出ているNAOMI基盤(アーケードのハードのようなもの)と呼ばれるセガ製の基盤を使ったゲームだったのだが、移植第一弾はセガのDCでなくソニーのPS2だったのである。更にその後DCに移植されるのだが、PS2はDCの十倍のポリゴン表示が可能なはずなのに、なぜかDC版のほうが画像がきれいだったのだ、雷や炎、爆発、水などのものはPS2のほうがきれいなのだが、人物はなぜかDCのほうがきれいだったのだ。他にも「三国無双」などのPS2はオリジナルゲームでも高い人気を集めた。
結果としてはDCも敗北に終わってしまった。理由はスタートダッシュに失敗したのである。先ほど品薄になるほど人気があったと書いたがそれが理由である。つまり売れる時に瓜逃してしまったのである。そしてしばらくして熱が冷めてユーザーが買おうかなー悩んでいる時にDCより性能が上なPS2発表、それがDCがPS2に負けた理由である。その後セガは2001年1月にDC撤退をしソフト開発に専念することを発表した。その後すぐにセガの株価が高騰した、これはセガのソフトつまりDCのソフトの性能が高かったこと意味していた。
その後2001年9月に任天堂から「ゲームキューブ(以下GC)」を発売。2002年2月に日本でマイクロソフトから「X-box(以下XB)」発売した。この詳しい話は、二節にて詳しく説明する。そして最後にこの節をふまえて、最後にソフトのジャンル分け図表を載せる、以降の説からは図表の略称を使う、又ジャンルの定義は本書独自のものである、それゆえ、本や人によっては同じ分類になるとは限らない。
略称 |
名称 |
詳細 |
RPG |
ロールプレイングゲーム |
ドラゴンクエストのようなゲームプレーヤーをコマンドなどの形式で動かすものが基本 |
ACT |
アクションゲーム |
プレーヤーをコントローラーでダイレクトに操作して遊ぶ |
ADV |
アドベンチャーゲーム |
様々な選択肢を選んでいき物語を進めていくゲーム(バイオハザードなどはここに分類されることが多いが、本書ではACTに分類する) |
SPT |
スポーツゲーム |
テニス、サッカー、野球などのスポーツをするゲーム、スポーツの種類の分だけある |
SMR |
シミュレーションゲーム |
その名の通りの会社経営や戦争をシミュレートするゲーム、SMRの頭に経営や戦略つけて更に分類することができる。乗り物のシュミュレーターもある |
STG |
シューティングゲーム |
飛行機などを操って敵弾をよけたり敵に球を打ったりするゲームポリゴン表記のものは3DSTG銃を使ってするゲームはガンSTG |
格ゲー |
格闘ゲーム |
基本的に敵と一対一で格闘技などを用いて戦うゲームポリゴン表記のものは3D格ゲー |
音ゲー |
音楽ゲーム |
音楽に合わせてボタンを押すゲーム |
テーブルゲーム |
テーブルゲーム |
すごろくのようなもの |
ギャルゲー |
ギャルゲーム |
女の子前面に出したゲーム |
エロゲー |
18禁ゲーム |
上記の条件の元、18歳未満禁止のゲーム |
略称 |
名称 |
詳細 |
サウンドノベル |
サウンドノベル |
小説を読む感覚でするゲーム |
パズルゲーム |
パズルゲーム |
将棋や囲碁、麻雀などのゲームや個々のゲームによってルールがあるパズルのようなゲーム |
デジタルメディア |
デジタルメディア |
雑誌や、ただ物語を見るだけのもの |
レースゲーム |
レースゲーム |
名前の通りレースをするゲーム基本的にカーレース |
アクションRPG |
アクションRPG |
アクションとRPGの融合 |
オンラインゲーム |
オンラインゲーム |
ネット回線を利用した、不特定多数とプレイするゲーム |
デジタルゲームの今日
一節を読んでデジタルゲームがどういった流れで、生まれ、育ってきたのかがわかったと思う。さてそこで今デジタルゲームはどういった現状を迎えているのかを説明していこう。
続・真ゲーム産業三国志
先の節でも書いたように現状TVゲームの状況はSCEのPS2、マイクロソフトのX-BOX、任天堂のGCその三つがTVゲーム市場を争っていることになる。だが争っているといっても現状は出荷台数1000万台以上とPS2の独壇場である。理由を挙げるまえに各ハードの特徴、現状を上げるとPS2はすでに書いたので省くが、GCは初期出荷の段階でスタートダッシュが鈍かったので、現在も大した売上を見せていない、初期出荷で鈍かったのはこれといったソフトがなかったためである。初期出荷で出たソフトは「ルイージマンション」任天堂お約束のマリオシリーズといえばマリオシリーズなのだが、ゲームの内容がマリオシリーズというより、バイオハザードシリーズのような内容のためマリオシリーズほどの売上も出すことができなかった。発売当事は他にも特になにもなく、初期においてはほとんど売上を上げることができなかった。そして2002年夏に「マリオサンシャイン」を出したが売上は芳しくなく、60万本程度となった今まではマリオシリーズといえばミリオンセラーだったのだが、GCのせいか、いい売上をあげることができなかった。他にも2002月11月に出した任天堂の人気ソフト「マリオパーティー4」も30万本程度と売上が伸びなかった。2003年1月には看板ソフト「ゼルダの伝説 風のタクト」は現在発売されてないためなにも書くことができないのだが、GC自体が現行200万本に到達していないため、ミリオンセラーを期待するのは難しいだろう。他にもカプコンの人気シリーズバイオハザードシリーズがGCのみでの発売に決定しているが、そのGC版第1作の「バイオハザード0」も20万本程度と大した売上を出しておらず、今後発売予定の「バイオハザード4」も大した売上が期待できないだろう。だがGCはGBAとデータ交換ができ、先にも書いたように、GBAは売り行きが大変よろしく台数だけでいえばPS2に負けているが、GBAのユーザーがそのままGCの売上につながる可能性がある、その可能性を後押しするソフトが2002年11月に発売している、それが「ポケットモンスター(ルビー、サファイアの二種類)」である。N64の時もGB用のポケットモンスターのおかげでN64のポケモンスタジアムが売上を押したのである。つまりGCでも同じことが起きる可能性があるのである。現にGBA版のポケットモンスターもすでに200万台近く販売されており、このペースで行けば300万、いや400万はいく可能性がありその分GCの売上に追加される(実際追加されるのは100程度と考えられる)可能性がある。GCはまだまだ可能性が残されているハードである。
さてもうひとつのハードX-BOXであるが、こちらのほうはもはや可能性すら残されていない。出ているソフトでも名作のシリーズでX-BOXのみのソフトがほとんどでていない、「デッド オア アライブ3」が出ているがこれは、もともとそこまでびっくりするような人気があったわけではない。「幻魔 鬼武者」というミリオンセラーの鬼武者シリーズも出ているがこれはもともとPS2ででていた鬼武者のリメイク(リメイクといってもほとんど変わっていない、むしろただの移植である)であるため大した売上にはつながっていない。売上が伸びないのはソフトにも原因があるが実はデジタルゲーム業界全般に「海外のゲームはつまらない」ということが言われているのである。なぜそう言われているかは、後に説明するが、現状としてはこういった理由からX-BOXは40万台程度とまったく売れていないのである。
さて話を戻してPS2が独壇場になった理由を述べるが、一言でいうと他のハードが失敗していただけである。先の他のハードの特徴を見れば失敗しているということがわかると思うただそれだけの理由である。
落ち込むデジタルゲーム業界
現在ゲーム業界は落ち込んでいる。図表1-2-1を見てもらいたい。
|
1997 |
1998 |
1999 |
2000 |
国内ソフト出荷金額 |
389,891 |
352,859 |
328,451 |
293,122 |
国外ソフト出荷金額 |
147,843 |
214,146 |
234,337 |
284,784 |
(単位万円)
国内のソフト出荷額が1997年から額が下がっている。なぜこのような現状になってしまったのだろうか。それにはいくつかの理由がある。
一つ目の理由は、中古市場の拡大である。図表1-2-2を見てもらいたい
|
推定中古販売本数(千本) |
推定新品販売本数(千本) |
中古割合 |
1999 |
38,496 |
94,286 |
31.3% |
2000 |
37,943 |
81,752 |
31.3% |
2001 |
32,778 |
71,944 |
31.3% |
確かに市場は拡大していないし、販売本数自体も落ち込んでいることは事実である、だが全販売台数の約30%が中古市場となってしまっているのである。デジタルゲームの中古販売は制作会社に一切金銭が入らないため、ゲーム業界自体が冷え込む結果となってしまう。そのため中古販売の訴訟も起きているが、現在(2003年一月)ではソフトの中古販売が認められている。
理由のその二番目は、パソコン市場の拡大である。パソコンの市場規模が拡大しているのは今更口に出すことではないが、そのために他のゲーム業界が危機に追いやられる結果となった、別にPCゲームが売れているから他のゲーム業界が圧迫されているという意味ではない、まず問題なのがフリーゲームなのだ。フリーゲームとは各個人がウェブサイトにフリーで自分の作ったソフトを配布しているのである。当然普通の市場に出ているゲームは有料なのだから、無料でできるゲームがあるのならそちらでもいいかなっと思ってしまうのが人情というものだろう、当然フリーソフトだからできがよくないと思われるかもしれないが、場所によってはレベルが高いものがあり、フリーだからと侮れないのも現状である。もうひとつの問題はエミュレータである。エミュレータとは普通の販売しているソフト(アーケード、TV、PC、携帯、全てのゲーム)をパソコンでできてしまうというものである(PCにおいては現在主流のWINDOUSでPC98などのソフトができる)。でもこれは犯罪ではないのかと思われる方もいると思われるかもしれないが、別にエミュレータは犯罪ではないのだ。犯罪となるのはそのエミュレータでプレイできるようにソフトをパソコンのデータにしたものをネット上などで配布することが犯罪なのである。ならば問題ないのではないかと思われるかもしれないが、現状においては「WinMx」や「ffftpサーバ」などの共有ソフト(不特定多数の人と自分のハードディスクにあるデータを交換できるソフト)というものがあり、警察などでも取り締まり仕切れないのが現状である。このエミュレータの存在により、ゲーム市場を圧迫しているのである。又情報交換がネット世界においては流動的であるので、以前のように買うまでどんなゲームかわからないといったことが少なく、情報が前もって出回ってしまっているのでいわゆる2流から三流のゲームが売れなくなってしまったのである。
以上の理由からゲームが売れなくなってきていると考えられるが、上の理由を読んでもらえばわかるように、人々がゲームをしなくなったのではなく、ゲームはしているが企業が儲からないような形態に変わりつつあるのである、この現状を打破するためには、サイバー方法の強化などが必要となっている、またファミ通などで有名なエンターブレインから2002年からは市場が拡大するのではないのかといわれている。
合体
合体別にロボットではない、エニックスとスクエアが合併しスクエア・エニックスになるという話である。先にも書いたように現在デジタルゲーム業界は厳しい時期である、ゆえに大企業といえども安心できないのである。だから、エニックスとスクエアの合併も不思議でないと考えられるが、ゲーム業界においての合併は過去に成功例がない(吸収合併や買収は別とする)例えば1996年にその当時たまごっちで大もうけしていたバンダイとゲームの老舗のセガが合併しセガバンダイとなった時に出した「ピピンアットマーク」というハードはわずか4万台程度しか売れなかった。他にも、もともとPS、N64、3DOなどは各会社の共同開発であったのに、内部分裂で結局各会社の開発になってしまった話など、合併といのはゲーム企業ではうまく行ったためしがない。又エニックスとスクエアではゲームの方向性が違う、各会社の代表作を元に考えてみるとドラゴンクエストはゲーム性を追及して、画面などをゲームらしくしている、それに対してファイナファンタジーはリアルな画像を追及している。つまりこの二つの企業が合併しても意味がないように感じられるが、さすがに二社もその点に関しては自覚しているようで各会社の開発チームは個別に開発を行い、他社の開発チームには口を出さないと発表されている。むしろこの合併は、資産、技術のみの合併と考えられる。とにかくまだ情報が少なく、なんともいえないという状態である。ユーザーの反応も歓迎する派としない派が半々といったところである(週刊ファミ通12月27日号調べ)。今後スクエア・エニックスがどうなるのか、共同開発作品が出るのか、なにか新しい発展があるのか、まだまだ想像がつかないところである。
デジタルゲームは有害?
2002年7月、日本大学文理学部の森昭雄教授がゲームをやりすぎると前頭前野に悪影響を与えると発表した。単純に説明するとゲームをやりすぎると、子供の脳に悪影響を与え、「キレやすくなる」「人づきあいが苦手になる」「我慢ができなくなる」などの障害があるといっている。その原因としてゲームをやっている時、人はほとんど考えなく反射神経などだけを使っているため、脳がまったく活性化しないためだといっている。この現象をいわゆる「ゲーム脳」と呼んでいる。この記事を読んで世間では多くの反響があった、当然私個人の中でも大きく反対意見があった。
世間などで言われている、反対意見について書いていこう。これまで書いてあったことを読んでもわかるようにゲームというのは全部が全部同じ物ではない、ゲームによっては大変頭を使うものが多いのである。その代表例がパズルゲームである。別にパズルゲームだけに限ったことではないのだが、テトリスがはやった時も、頭の体操になるなどいわれることがあったり、現在でもゲームは指の運動になり老人のボケ防止になるともいわれている。また我慢できなくなるといわれているが、そもそも、大半のゲームは忍耐力無しにはできない物が多い、RPGならレベル上げと呼ばれるものがあり、同じ作業を延々と繰り返さねばならない、SMRならじっくり考え、失敗したら又最初から同じことのやり直しということもある。この実験に使われたゲームが一体なにであったのかは知らないが、少なくとも現在のゲームで何も考えずにできるゲームはほとんどない。そもそもこのゲーム脳の話が正しいのであれば、間違いなく私はゲーム脳であろう。だとしたら私は「キレやすく」「我慢ができなく」子供のような考え方しかできないはずなのだが、なぜそのような人間が大学に入ることができたのだろう。なぜ今もこうして卒論を書いているのだろう。私はむしろゲームをすることによって、いろいろ学んだ気がする。ともかくゲーム脳の研究結果が正しいのか間違っているのかはハッキリいうことができないが、なんでもゲームが悪いと安直に結論をだすのは早いだろう。
海外デジタルゲームの事情
図表1-2-1を見てもらえばわかると思うが、現在デジタルゲーム産業は輸出額のほうが、自国の出荷量より多いのである一章1節でもゲームは海外のほうが多く売れている。その理由は単純で人口が海外のほうが多いからである。ゲームというものは一人、もしくは一家族で、ひとつあれば十分なのだから当然の結果である。更に海外でのゲーム機とはほとんどが日本製である。米国製のX-BOXが発売される時も、米国で次ぎに買う次世代機はとの質問に対し、大半がPS2を購入する予定とのものだった。そのためか、PS2は米国輸出の際に兵器の恐れありと、輸出拒否をされたのであった。それほど日本のゲーム産業はすごいものである。
先ほどゲーム市場は縮小しているといったが、それは、日本限定のもので世界規模で見ると拡張の傾向になっている。 その影には近年、中国、韓国、台湾などでゲーム産業が大きく成長を見せている。数年前までは日本のコピーゲームなどしかなく、コナミなどから、訴訟問題となることもあるほどだったが。現在はIT関連の成長に伴ってゲーム産業が大きく成長を見せている。特に韓国ではオンラインゲームが日本以上に大きくなっている。というより日本はネットゲームにおいて他国に大きく遅れをとっている。通常のゲームでは他国のどこにも負けない強さを持っているが、オンラインゲームだけを見ると米国の八分の一以下である。オンラインゲームは現在世界市場規模が7500億と大きくなっているのに対して日本はその中で37億程度しかシェアを占めていない、日本では通信インフラがまだまだ遅れを取っているのが現状で、他業界のため仕方のないことだがこれから、更に大きくなるであろうオンラインゲームを無視することはできない。少々話がそれてしまったが、話を戻すと、現在韓国などのゲーム会社の規模が大きくなっている。日本のゲーム会社のSNKも韓国企業に買収されてしまい、日本ゲーム企業は中華圏のメーカーに押されてきているのである。企業ばかりでなくユーザー面でも韓国に負けている。その理由は、韓国などの国にはプロゲーマー制度というものがあり、韓国や米国ではプロゲーマーが職業として存在しているのである。一節で書いたが日本にも過去に名人と呼ばれるものがあったが、あれよりも激しいものである。日本ゲーマーと韓国ゲーマーが対戦したときも、日本の惨敗であった。また韓国からでた「怒首蜂 大往生」日本でクリアしたゲーマーはわずか数名といわれているほどのゲームであった。
ユーザーの腕がゲーム業界の発展との関係はさておき、この中華圏の企業に勝つためにはまず日本の通信インフラの発展が必要不可欠であろう、そして、今後発展するであろう、オンラインゲーム市場で巻き返しをすることが大事である。
デジタルゲームはひとつ
この節では一章で取り上げた様々なゲームの形の関連性、結びつき、それに伴った現状、将来性について書いていく。
アーケードゲームそれはひとつの遊園地
アーケードゲーム、ゲームセンターが昔と形態を変えたことはすでに書いた、一章一節で書いたように、アーケードゲームは昔、家庭用で実現できなかった、画像でゲームができる最新ゲーム機のある場所であったが、TVゲームの進化により今では、ゲーマーの交流の場になっている。世界市場規模も2001年は13、864万ドルTVゲームの18、831万ドルより、下回っている。まだ現状そこまで酷い差ではないが、今後オンラインゲームの成長を考えると、更に低下するだろう。オンライン上でも交流の場が作れるため、むしろ現実で知らない人に声をかけるより、話やすい空気があるため、オンラインゲームの台頭はアーケードゲームの縮小につながることになる。
さて、アーケードゲームは現在他のゲームとどうつながっているかの話であるが、ほとんど孤立している。現状のアーケードゲームはTVゲームの市場調査の場として考えるのが一番であろう例えば格ゲーなどは大体において、アーケードのものが調整されてTVゲームに移植される。つまり、ゲームセンターならではという特色が現在薄くなっているのが現状である。だが、現状では大型筐体家庭用の移植が難しく、コントローラーだけでも価格が高かいなど様々な問題がある。ゲームセンターは今後小さな遊園地のような差別化が行われない限り、いずれなくなってしまうだろう。
PCゲーム、時にそれは他のゲーム機を越える
今までほとんど触れてこなかったものである。一章一節で書いたように、もともとデジタルゲームはパソコン、コンピュータからうまれた。もともとFCなどもファミリーコンピュータとコンピュータ、今のパソコンのおもちゃ版のようなものであったはずである。だが以前のパソコンは高価でとても誰もが買えるもの出なかった。またWINDOWSが登場したことにより誰にでもパソコンが使えるようになってから、爆発的に普及していった。つまり昔のPCゲームは一部の人にしか仕えなかったのである。だが現在は誰にでも仕える、そのため、PCゲームの普及率が上がっていったのである。PCゲームの特徴として挙げられるなかで、最大の利点は扱いやすいことにあるであろう。例えば他のゲームであれば様々な元の企画などがあったりとするが、パソコンは自分の思いどおりに使うことができるのである。画面サイズ、音質、操作方法、データの保存方法、と自分の思い通りにできるのである。
だがPCゲームは基本的に今まで制作されたものはエロゲーばかりであった。単純な理由として、パソコンは使う人が大人の可能性のほうが高いことと、特に子供用に限定されてないために、ソフト開発の自由度が高かったのである。だが別にエロゲーといってもエロが目的ばかりでもなかったのである。その証拠にゲーム性を注目されTVゲームに移植されたソフトも多く存在するからである。ゲームシステムだけでも他のゲームに反映されていったものもある。そして現在ではパソコン所有者の増大にともない、多くのゲームがPCに移植されることになった。特にオンラインゲームはTVゲームよりPCゲームのほうが都合がよく多くのオンラインゲームはPCで出ている「ファイナルファンタジー11」などもPCに移植されることになった。パソコンのパーツで、PSなどのデータをパソコン上のデータとして保存するものもある。又インターネットを使いゲームセンターなどのハイスコア(高得点)をウエブサイト上に登録などをして競うなどのこともある。もしかしたら将来的にはゲーム機という存在はなくなりパソコンでゲームをするのが一番いいという結論になるかもしれないが、最近は並みのパソコンよりTVゲーム機のほうが性能がよくなっているので逆にパソコンがなくなり、TVゲーム機をパソコンとして使うようになるかもしれない。
広がる携帯ゲーム
携帯ゲームは、現在どのゲームよりもいいゲームかもしれない、一番理由は汎用性が高いことだ、汎用性が高いため他のゲーム機との結びつきが強いのだ、TVゲームとつないでデータの転送、アーケードゲームともデータのやり取りができる、当然パソコンともデータのやり取りができる。確かにそのクオリティーを考えるとサブでありメインではないのかもしれない、だが多くのものと絡むことのできる携帯ゲームは、より大きく広がることができるのである。
デジタルゲームはひとつ
現在全てのゲームは何らか他のものと関連している。これからのゲームはひとつのゲームが、より他のゲームを宣伝し高めあっていくことが求められている。
ゲームはアミューズメント
今更いうことではないかもしれないが、タイトルのとおりゲームはアミューズメントである。そしてゲームは他のアミューズメント業界と大きく絡んでいるのである。当然アミューズメントだけではないのだが、ともかく他の産業との絡み合いについて述べていきたいと思う。
携帯電話とゲーム業界
携帯電話は今の現代人にとって、なくてはならないものである。更にゲーム業界にとっても、もはやなくてはならないものである。携帯電話は今、ほとんどのゲームとつながりがある。まず、TVゲーム機は携帯電話と、つなげデータのやり取りをすることができるゲームがある。PCゲームにおいても同様で、更に携帯電話のメモリーを管理するソフトもある(ゲームではないが)。特にアーケードゲームでは、「セガモバ セガモバイルフレンズ(以下セガモバ)」というものがある。このセガモバは様々な機能があり、現行メインとなっているのが「バーチャファイター4」との連結である。セガモバ自身にも、最新ゲーム情報や、ポイントシステムなどがあり、バーチャファイター4はゲームをする際に自分のデータを保存するカードがあり、そのカードのデータの確認もできる。又同じセガモバに入ったもの同士で情報のやり取りなどもできる。携帯ゲームとも勿論連結でき、コレからのゲーム業界にとってなくてはならないものになってきている。
また、携帯電話自身もモバイルゲームと呼ばれるゲームが楽しめるようになっている。基本的にはネット上に落ちているゲームを携帯電話にダウンロードして、楽しむというものである。このモバイルゲームというものが侮れず、現行も大きく成長をしていて、現在世界市場規模は4億ドルといわれており、今後も2倍から20倍まで成長されると予測されている。特にネット先進国の韓国では2001年にも11.5%の成長を見せており、昨年韓国より出た携帯ゲーム「GP32」はMP3再生機能、動画再生機能、電子ブック再生と現行出ている、ゲーム機をはるかにしのぐ代物である。しかし韓国特有のソフト面がアマチュア制作のコピーソフトばかりで、法的問題面が残っている。前回のように又訴えられる可能性も残っている。
携帯電話も現在は携帯電話といるより、高機能モバイル機と化している。形態ゲーム機も将来的にはゲーム機ではなく、モバイルのようなものに進化していくのであろう。
ビッグアミューズメント
ゲーム業界のいくつかの企業は実は都市型テーマパークを持っているのである。都市型テーマパークとは、遊園地の大きさと、デパートの屋上のような手軽さをかね合わせた、テーマパークのことである。
まずSNKの「ネオジオワールド」セガの「ジョイポリス」ナムコの「ナンジャタウン」「ナムコワンダーエッグ」などの都市型テーマパークを作っている。各企業とも自社の宣伝を含めてテーマパークを作っている。SNKのネオジオワールドはSNK自身の倒産により現在はつぶれてしまった、ジョイポリスはどちらかというとゲームセンターの延長線上のようなものでセガ直営のゲームセンター「セガワールド」の発展型のような感じであまりうまくはいってないようである。唯一ナムコのナンジャタウンだけが、現行成績のいいテーマパークのようである。格テーマパークにはゲーム企業ならではのアトラクションが多く、ナムコの「ドルアーガの塔」というアトラクションはまさにゲーム業界ならではのものであっただろう。
だが近年できた「東京ディズニーシー」「ユニバーサルスタジオジャパン」などの大型遊園地の登場によりゲーム業界のテーマパークだけでなく、多くのテーマパークがつぶれていった。
パチスロ
パチスロ業界、現在勢いのある少ない業界のひとつである。もともとパチスロはゲームセンターとほとんどおなじようなところから、派生してきた業界である。だが現在はアミューズメント業界最高の市場規模で約40兆円といわれている。やはりゲーム業界のとの大きな特徴は金銭が大きく絡んでいることであろう。そのため海外ではカジノがあるためパチスロというものがほとんどない。
その勢いのあるパチスロ業界の大手メーカー、アルゼがSNKを買収するなど、その勢力はゲーム業界にも広がってきた、もともと派生が同じだけあって、関連性の強い業界ゆえだろう。そして、技術提携なども行われてきて、パチスロでもゲームキャラが使われることもある。又パチンコ業界がゲーム業界に進出してきているアルゼのSNK買収もそのひとつなのだが、サミーというメーカーも「ギルティギア」シリーズで現在人気を得ている。逆にゲームでパチスロのゲームが近年多くなってきている。パチンコは世界的事業ではないため、ゲーム業界がとって食われることはないだろう。むしろ40兆の大業界がゲーム業界のバックについてくれたと考えられだろう。
デジタルなつながり
ついに日本でもX-BOXのX-BOX LIVEというネットサービスが始まる。だが日本のネットゲームの進歩は遅れている。先にも書いたようにネットゲームでは韓国などの国のほうが大きな業績を上げている。例えば日本でPS2の所有者の6割は今までネットゲームをしたことがないといわれている。つまり日本ではネットゲームとのつながりが希薄なのである。
現在のTVゲームでネットゲームをプレイしようとする場合は、いろいろと接続が大変なのである。かってきたゲームをプレイするまで一時間以上かかる場合が大半である。当然そんなわけで、日本のTVゲームのネットゲームで一番売れている「ファンタシースターオンライン」ですら全てのハードをあわせてミリオンセラーに届いていない(多数のハードで出ている)スクエアの「ファイナルファンタジー11」も元が取れない程度にしか売れていない。TVゲームよりプレイが容易なPCゲームでもたいした業績を上げていない。PC版ファイナルファンタジー11も並みのパソコンではプレイができないため売上が芳しくない、日本ではネットゲームを行おうとする際にメーカー側でどこかのプロバイダと提携するのが一般的であり。現在ネットゲームが海外などで業績が上昇しているのに対して日本でも、という動きがあり、多数のメーカーが提携しているが。日本の通信インフラも問題だが、まだ日本人にネットゲームが定着していないのも不調の理由なので、ネットゲームがブームとなれば、日本の通信インフラもそれに引っ張られ成長していくのではないだろうか。
ゲームはメデイアのひとつ
昔のゲームでは、人気のある漫画、映画などを元にゲームを作りその人気にあやかって、売りこもうとするものが多かった(現在でも多数あるが)。だが現在は逆の動きも起こっている。ゲームのキャラクターを映画やアニメ、漫画などにして売りこむというものである。
例えばセガの「サクラ大戦」シリーズである。この作品は、ゲーム発売後大人気となり、ゲームがアニメ化し大人気を得たのである。他にも「トゥームレイダース」も映画化し大人気となった。このように現在はゲームが昔より、知名度があがったため、ゲームから他のメディアとして流されることが多くなったのである。
またカプコンの「鬼武者」はキャラクターに人気俳優の金城武を使い人気を集めた作品として有名だが、逆に声優やアイドルをゲームに出し、逆にそのアイドルの人気を上昇させようとする動きもある。
ゲームはおもちゃのひとつ
もともと、ゲームはおもちゃのひとつであった。さきにパチスロ業界は、元の派生が一緒だったために関連が強いと書いたが、それはおもちゃでも一緒のことである。
ゲームの中には元々存在しているおもちゃをゲームの素材として使っているものがある。それによってそのゲーム売上が伸びたかどうかは、実証できないのでわからないが、少なくともマイナスにはなっていないはずである。当然近年ではその逆のこともおこっている。例えばバンプレストの「スーパーロボット大戦」シリーズでは昔のアニメのロボットが出てくるのだが、そのロボットのプラモデルなどの再販、又バンプレストオリジナルのロボットのプラモデルなども販売されている。こういったこともそうなのだが、今一番ゲームとの関連で大きく動いているものは、カードゲームであろう。カードゲームは昔からあったものだが、近年ブームが起こり、週刊少年ジャンプに掲載されている「遊戯王」のカードゲーム(デジタルゲームでも出ている)、人気ゲームポケットモンスターのカードゲームなどは大きい売上を出している。遊戯王の方だけでも300億円の売上を出している。
このように、デジタルゲームとおもちゃは相互関係で高め合う存在といえよう。
売れるゲーム、売れないゲーム
2001年度に世にでたゲームソフトの本数は500タイトルを超える。細かいものまでいれるといたい何本になるかはわからない。TVゲームだけで絞ってみても、過去発売されたソフトは一万本を軽く超える。それと共にゲームハードの闘争は数多く行われてきた。そして勝ったものと、負けたものがいるわけだが、その二つの間には一体なにがあったのか、そのことについて書いていきたいと思う。
ソフトあってのハード
一章でも書いたが、過去多くのハードが対立してきた。そして、いつもひとつのハードが最終的に他のハードを大きく売上を離してきた。今までの歴史で途中まで激しく競ったハードはあっても、次世代のハードが出る頃には必ず大きく差がついてきた。その理由はサードパーティー(ソフト専門の制作会社)としては、少しでも多くソフト売りたいわけだから、少しでも有利なハードに全ての会社がなだれ込むわけである。たとえるなら、天秤が少しでもバランスが崩れると一挙に傾くようなものである。ハードが出てしばらくはどちらのハードが有利なのかわからない時、いつでもきりかえられるように両方のハードでソフトを出すために、最初は膠着することもあるのである。
さて、ではハードはなにを基準に優劣がつくのであろう、当然先に起きた出来事は優劣がついてから起きるものである。その優劣はどうやってつくのであろう。一言でいえば販売台数なのだがその販売台数の差というものはどうやってつくのであろう。まず一つ目は、というよりこれが全てなのだが、なんのソフトが出たかである。ちょっと先に書いたことと矛盾しているように思われるかもしれないが、ハードが闘争している序盤であっても、自社といくつかの企業はそのハードのみでソフトを出す。そこで差がつくのである。基本的にハードを買って、なにもしないで眺めている人などはいないのでそこで差がつくのである。それに伴い、大きく関係してくるのがブランドイメージである。ゲーム業界にもある程度のブランドイメージがあるのである。ハード闘争も現在のPS2、GC、X-BOXの闘争で5回目である。各社のハードで過去のパターンからこのハードではこんなソフトがでるのであろうと想像がついてしまうのだ。PS2とDCの戦いでは、それが大きく左右している。又その闘争では、出す時期も大きく関連している。DCがSSの撤退後すばやく市場に投入してきたのだが、初回出荷数が追いつかなく、勢いのある売り時をのがしていまい、更に世間で買おうかどうしようか迷っている時期にPS2の発表が決まり。惨敗となってしまった。つまりハードの闘争を制するには、ブランドイメージ、出すソフト、売り出すタイミングという三つの要素が大事になってくる。
ちなみに、TVゲームの話だけで、PCゲームやアーケードゲームの話が今までまったくでなかったが、PCゲームにおいての、ハードとはパソコンなので、本書の議論から大きく外れてしまうために、はずすことにした。アーケードゲームのハード基盤と呼ばれるもののことだが、一章でちょっとだけふれたが、アーケード基盤とはもともと自社でのアーケードゲームの開発をやりやすくするために、作り出したもので、基盤を売ること自体が目的ではない。また購入するゲームセンター側でも全基盤が全ソフトに対応しているわけではないので、顧客のニーズに答えるため多種の基盤を購入しなくてならない、また基盤も当然TVゲームのハードと同様で一回購入すると、いちいち他のハードを購入することはほとんどないため闘争ということは、起きていない。
これ以降はハードのヒットのキーワードのひとつソフトの売れる、売れないものの検証に入っていく。売本数には、ヒットしたものでも大幅に違うのだが、かかった制作費や、ジャンルなどにより、元々いくら売ろうとしているかが違うため、売れている基準というのは、ある一定以上世間が騒いだなどアバウトなものになっている。又逆に売れてないことを証明することは難しい、売れていないソフトの出荷本数はどこにもデータがないのだから、データがあるものは売れるはずだったのに、売れなかったものぐらいしかデータはない。
流行最前線
日本人はブーム弱い、よくいわれていることである。事実ゲーム界でもブームというものは大事なキーワードのひとつである。1998年6月にワールドカップがあった、通常ゲームは人が暇な時、懐が温かいときを狙うため、冬や夏に多くのソフトが発売される。だがこの5,6月にサッカーゲームが10タイトル近く発売されたのである。そして売上もトータルで200万本近く売れるヒットとなった。当然2002年ワールドカップにも同様の事が起きた。またメジャーリーグにイチローなどの日本人選手がメジャーリーグに行った時も、野球ゲームが多数出た。
確かに日本人はブームに弱い一面もあるだろうが、サッカーの観戦をした後は自分でもサッカーをしたくなるのが人情であろう、実際にサッカーをするには場所も人数も簡単にそろわないことがあるのだから、お手軽にサッカーゲームで楽しむというのがいい方法だろう。それゆえ、現実でのブームに会わせゲームを作るのは売れるキーワードのひとつなのである。
現実世界のブームといったが、ゲーム自体のブームもあるわけである。一章で何度も出てきたが、ひとつのゲームが流行すると類似ソフトが多数出るのである。そこには成功するものと、失敗するものがあるのである。その二つの違いとは、第一にクオリティーである。昔のインベーダーぐらいの時代なら似たようなゲームというものは、本当に対した違いがなかったが、現在のゲームはいろいろなものを表現できる反面、より細かいところまで作りこまなくてはならないのだ。それゆえ現在のゲームは似たようなゲームでも、売上に大きく差がつくことがあるのだ。例えばナムコの「鉄拳」とタカラの「闘神伝」この二つは二つとも3D格ゲーで発売も近いとほとんど同じだったのだが、画像の木目細かさで勝っていた鉄拳は今でもヒット作のひとつに数えられるが、闘神伝は現在その存在を忘れられている。このように僅かな差で敗れることがあるのだ。又、ブームの先駆けとなったものは、面白さの評価に新鮮さが含まれていたのである。それに対し後続ソフトは新鮮さが薄れているのである。後続でも目先の付け所でヒットすることもある。セガの「電脳戦機バーチャロン」とフロムソフトウェアの「アーマードコア」アーマードコアのほうは電脳戦機バーチャロンの後続なのだが、アーマードコアは電脳戦機バーチャロンと違い、自分のロボットを好きにカスタマイズできるというシステムをつけたため、電脳戦機バーチャロンと僅かだが、大きな違いでヒットを収めることができた。
金をかけるほどいいものができるとは限らない
SFCの時代に多数ゲームが出たが、弱小企業が出したゲームの中には、FCのゲーム?と聞いてしまいたくなるようなものが多数あった。制作資金不足で、きっちり作りこめずゲーム事態の制度が低かったのである。確かに有力企業で作られたゲームは、きっちり作りこまれていて、面白いもがある。だが面白さと制作資金は必ずしも比例するわけではない。その代表例がDC版セガの「シェンムー」であった。制作費70億円というか類をみない巨額な制作費(図表3-1-1参照)であったのだが、まったく売れなかった。それ
ハード名 |
平均制作費 |
PS |
約二千万円 |
PS2 |
約一億二千三百万円 |
DC |
約四千八百万円 |
GBA |
約四千百万円 |
GB |
約四百万円 |
どころか本来なら16章まで出る予定だったのが、2章で打ち切る形となってしまった。原因としては、宣伝などで制作費をかけたことばかりを宣伝し、作品のよさについてはほとんど流さなかったことが、ユーザーに金をかけただけの作品だとインショうずけてしまったことだろう。逆にGBAなどは現在前の章でも書いたように、大きな売上を上げているが、むしろ現行のハード、PS2などに比べて、たいして制作費をかけていない、ソフトの値段もPS2が六千から七千円に対して、GBA5千から4千円程度とコストパフォーマンスもたいして差がないが、ポケットモンスターなどアイディアで大きな成功を収めている。
逆の話になるが、いかに制作費をかけずにコストを下げて作ることで、大きな成功を収めているものもある。ひとつは「プレイステーションザベスト(以下ザベスト)」「サターンコレクション(以下サタコレ)」などの再販ソフトである。ほぼ買う人は買ったというような時期に値段を下げて、前の時期にやり逃した人や、次回作が出る前に前作を楽しもうという人のためのソフトである。コレにおいては制作費はほぼゼロなので、売れた分だけ丸儲けということになる。又D3パブリッシャーという会社のようにシンプルシリーズといっていっさい無駄なものをつけずに、値段を廃貨にして出すという戦略も取られている。この作戦も成功しD3パブリッシャーは大きく業績を上げることとなった。
このように、ゲーム業界においては高級だから売れる、チープだから売れないといったことはなく、様々なユーザーに状況に合わせソフトを開発していくことが大事なのである。
ライトユーザーとコアユーザー
ライトユーザーとは一言でいうと、軽くゲームをする人である。コアユーザーとはゲームを深くする人である。実はこの二つのユーザーは買うゲームが異なることが多いのである。ライトユーザーは軽くゲームを楽しめればいいので、基本的に流行のゲームを買うことが多い、特に近年TVCMでもばんばんゲームのCMが流れるためこのライトユーザーと呼ばれる人々がゲームをかい出しているのである。その証拠にファイナルファンタジー(以下FF)シリーズの3作目から6作目まではほとんど150万本前後の売上だったのに対して、FFがPSに移植されTVCMでばんばんその存在が流されると、一挙に7作目から倍の300万本程度売れるようになったのである。宣伝の効果といってしまえばそれまでであるが、その宣伝の効果でそれまでゲームをしてなかった人が、一挙にゲームをかい出したのである。
ではコレからのゲームはライトユーザーのために作ればいいか、否そうではない。確かにライトユーザーのほうが、コアユーザーより人数が多いだろう。だがコアユーザーは人数こそ少ないが、一人でゲームを何本も買うのである。しかも同じゲームを、これは冗談ではない、実際にコアユーザーに人気の高い「ときめきメモリアル」の2作目が出た時に、発売日に一人で三本、四本買っていく人がいたというのは有名な話である。更にこういったコアユーザーは、限定版などがでるとすでに持っていても、更に会に行くこともあるのである。
ライトユーザーは、あまりややっこしいゲーム、難しいゲームは好まず、ブームと共に離れていってしまう。コアユーザーは幅広く人気を得ているゲームを避けるが、長い間そのシリーズなどを購入してくれる。どちらに対していうことでなく、どういったユーザーに向けてゲームを出すかを考えて戦略を立てないとヒットにつなげるのは難しいだろう。
原作・監修
二章でも触れたが、ゲームというものはなにかの漫画やアニメなどをゲーム化することがよくある。そして、多くのゲーム化したソフトは、その原作の人気に比例して売上が伸びることが多い。その中でも郡を抜いているのがガンダムであろう、ガンダムとは今から10年ほど前に放映されたアニメで現在もその続編がTVアニメとして放映され現在で十作目となっている。2001年度のゲームソフトベスト100にもガンダム関連のソフトが10タイトル以上入っている、その中でもトップの「起動戦士ガンダム 連邦VSジオンはトップ12で90万本近い売上を出している。2002年にもシンプルシリーズでガンダムシリーズでも人気の「起動武道列伝Gガンダム」「神起動戦記ガンダムW」のゲームが出てシンプルシリーズとは思えない売上を出した。だが人気アニメをゲーム化したところで、必ずしもゲーム人気になるとは限らない。アニメにもゲーム化しやすいものと、しにくいものがある。基本的にゲームにしにくいアニメは戦いなどがないものだ、例えば人気料理漫画の「美味しんぼ」もゲーム化されたが存在すらほとんど知られていないゲームである。
アニメ、漫画はゲーム化しやすいことを書いたが、映画はゲームと結びつきにくい。過去映画をゲーム化して人気ゲームとなったことはない。また逆にゲームの映画化も大半が失敗に終わっている。その理由として「実写ゲームは売れない」ということがあるからだ、その理由としてゲームは基本的に多くの行動ができるようになっている。実写映像はゲームにすると、動きが不自然になる。例外的に静止画像のみのサウンドノベルの「街」は大人気を得た。
プラスアルファ
ゲーム自体を売るためには、様々な宣伝をしなければならない。キャラクターグッズなどを出すことにより、ゲーム自体の宣伝になりプラス、そのキャルクターグッズでも利益を出すことができるのだ。例えばセガの「サクラ大戦」はキャラクターグッズ、アニメ、ドラマCDなどを出し、登場キャラクターに大きな人気を得た。それに関連してサクラ大戦そのものも大きな人気を得た。他にもドットハックはゲーム自体があらかじめ続編と想定して、ゲームを出しそれに伴いアニメを放映することによって、人気を得ている。
だが実はこの手段は、諸刃の剣なのである。この手段が失敗すると大きな損失を招くのである。キャラクターグッズに投資した金額を損失することになる。更にあらかじめ続編を想定して販売した場合には、売上が先細りしていくのにゲームを出しつづけなければならない。実際にグラムスから「クオバディス」というゲームではキャラクターグッズを多量に出したのに、ゲーム自体が対して売れずに会社自体まで倒産してしまった。まさにハイリスクハイリターンというやつであろう。
リメイク
ユーザーは貪欲である、常に新しい刺激を求めている。だがそれに対し企業側が新しいソフト、よりグラフィックがきれいなソフトを出しつづけると、ユーザー側としてはだんだん昔を懐かしむようになる。そんな時に昔のあのゲームは面白かったなーとなる。そこで企業側としてもリメイクソフトを出すのである。元々人気ソフトなのだから売上がいいのは当然である。この作戦はほとんど失敗しないのである。GBAの人気の裏側には、リメイクを多く出しているということも理由の一つである。
リメイクには二種類あるそのまま出すものと、画像などをパワーアップして出すものである。どちらがいいということは、ないのだがACTなどはそのままだしたほうが売れるが、RPGなどは画像をきれいにしたほうがいいようである。その理由はACTは操作感覚もゲーム性に含まれるが、RPGはその部分が含まれないからであろう。
リメイクに伴って、昔のゲームを何年振りに続編をだすのも、現在の流行としてあるだろう、2003年に過去の名作「アルゴスの戦士」のリメイクが出ることも決定した。こういった何年振りに続編を出すと、昔の作品も注目されるので有効な戦術といえる。だがその際に宣伝が不足していると、その存在そのものが知られぬまま終わっていくので、危険な作戦ともいえる。
短期型、長期型
ヒットする理由とはあまり関係がないのだが、ヒットには二種類ある。短期型ヒットと長期型ヒットである。短期型ヒットとは大量に売れたソフトでも発売日から僅かの期間で売り上げたソフトである。図表3―1-2を見て欲しい、この二つのタイトル序盤に高い売上を出しているが、その後僅か3ヵ月で急激に売上が落ちている(トータルの売上自体はすごい売上である)。それに対してポケットモンスターなどのゲームは口コミでその面白
ソフト名 |
ファイナルファンタジーⅦ |
ドラゴンクエストⅥ |
発売1ヶ月間の売上 |
1、838、593 |
1、428、801 |
発売二ヶ月目の売上 |
965、273 |
176、575 |
発売三ヶ月目の売上 |
296、420 |
25、161 |
さが広まったため、月間平均5万歩程度の売上を、約3年間続け300万本近い売上を出したのである。
短期型ヒットで売れたソフトというものは、CMや人のうわさだけで買った人が多いため。そのソフトの本来のポテンシャル以上の売上が出ていると考えられるだろう。それに対して、長期型ヒットは、口コミや実際に触った結果買った人が多いため、そのソフトの実力で売れたものが多い。ライトユーザーなどの人を飽きさせず、この先もよりゲーム発展させるためには、短期型より長期型ソフトのほうが望ましいと考えられるだろう。
日本のゲームは世界一ぃぃぃぃ
日本のゲームは世界一と評価されている。市場規模だけでは負けている国もあるが、何度も書いているように、ゲームは人間の数だけしか売れないため、人口で勝てなければ、市場規模で勝つことはできない。事実現在世界充にゲームが出回っているが、ほとんどのゲームがメイドインジャパンである。なぜ日本のゲームは面白いのであろう、コンピューターの技術だけならいくらでも日本より上の国はある。世界初のゲームを作った国でもない。ではなぜここまで日本のゲームは売れているのであろう。
理由は三つある。一つ目は日本デジタルゲームの長い歴史である。一章一節を見てもらえればわかるように、日本のゲームの歴史は長い。そして最もゲームの歴史は闘争の歴史でもある。まあ、ひとつの業界があれば闘争が起きるのは当然なのだが、それでも日本のデジタルゲームの闘争ははげしい戦いであった。長いデジタルゲームの歴史で今卒論に書いてきたような、いやそれ以上の教訓をつかんできた、これは具体的技術ではないので、他国は簡単に真似することはできない。その歴史の積み重ねが、現在のゲーム王国の源のひとつである。
理由の二つ目はユーザーレベルである。日本のユーザーのレベルは高いのである。その理由は、日本は手先が器用であること、そして長年ゲームに親しんできたことである。だが実は、ユーザーのレベルで言えば、先にも書いたが韓国や中国のほうがレベルが高いのである。だが、そこが問題で韓国などの国はユーザーのレベルが高すぎるのである。先にも書いたが、今ゲーム界を大きく成長させるにはライトユーザーの存在を忘れることができない、韓国や米国はプロ制度がある、そして企業によってはゲームの制作にプロの意見を参考にしている。当然そのプロのレベルに合わせてゲームを作れば、ライトユーザーには受け付けないゲームができるだろう、そういった点を含めて、日本のゲームユーザーのレベルは平均的に高く、ゲーム開発に向いているのである。また先に韓国はゲーム業界が急成長していると書いたが、それは政府支出が絡んでいるためである、日本ではゲーム業界は政府から一切支援を受けていない、もし日本も同様に政府支出を受ければ、急成長している、韓国なども敵ではないだろう。
最後の理由なのだが、一言でいうならば、文化である。文化といっても能や華道ではない。アニメや漫画などの、オタク文化である。現在アジア諸国や米国にて漫画、アニメがブームになっている。そして世界の漫画、アニメの70%はメイドインジャパンである。先にも書いたが漫画、アニメはゲームと深い結びつきがある。だが、米国にもディズニー、サンリオ、スヌーピーなどがあるではないかと、思われる人も多いかもしれないが、すでに書いたように、ディズニーなどは、ゲームはゲーム化に結びつきにくいのである。韓国でもアニメなどの会社があり、業績はそこそこであるが、ほとんどが日本のコピーや模倣ととても日本のレベルに到達していない。更にアニメ、漫画の面白さというものも、技術ではないので、その面白さを簡単に学ぶことができない。
日本がゲーム大国といえる理由は、歴史、文化、国民性、など他国にコピーできないものなので、日本を他国が追いぬくことは容易ではないだろう。
ゲームの限界
実は今現在のゲームは限界なのだ。なぜ限界というと、ゲーム自身が限界でなく、TV画面が限界なのだ、今のTVは確かに画面が大きくなったり、平面になったり、プロジェクターが普及価格になったり、音質がよくなったりと新化しているが、未だに2次元で表示している。どんなに画面がきれいになろうと、限界は実際の映像と同等が限界なのだ。
昔ゲームのオプション機器で画面が立体的に見えるゴーグルがあった、又任天堂から「バーチャルボーイ」という、立体的に見える画面がついたハードが出た、残念ながら色が1色で現在店には、ソフト一本10円で売られている始末だが。だがあのゲームはゲームの未来像だったのではないだろうか、これ以上ゲームが進化するためには、まず画面が進化する必要がある。
ゲーム&ピース
先の章に書いた、ゲームは日本が最高のものであるという風に書いた、だが一章で書いた日本のゲーム業界が落ち込んでいるのもまた事実である。更に今後発展するであろう。ネットゲームに弱いのも事実である。そもそもなぜ人はゲームをするのであろうか。一言でいえばゲームに刺激を求めているのであろう。戦争のシュミュレーションゲームこのゲームは平和だから刺激があるのだろう、ゲームには暴力的ゲームが多い。これは日本が平和だからだろう、それゆえこういった暴力的ゲームの刺激がもとめられるのであろう。そう、今現在日本は最も治安のいい国であると言われている。これこそが日本がゲーム大国に君臨している理由だろう。日本国憲法第9条こう言えば、みなまで言わないでもわかるだろう。日本にこの法律がある限り日本のゲームは世界一にありつづけるだろう。日本のゲーム業界は日本の平和の続く限り安泰だろう。ゲーム大国の平和は日本国の平和でもあるのだ。
文化
前の章で「オタク文化」という言葉をだした。当然その言葉の中にはデジタルゲームも含まれている。文化その言葉だけを聞くと、重苦しく、古臭いものを感じる。だが歴史においては、現在でこそ文化的ものとして評価されているが、その当時は文化として認めていられなかったものもある。細かい流派にしてもそうだ、俳句の松雄芭蕉もその昔の俳句は洒落を楽しむものが多く、風流というものを目指していなかったが、現在では、松雄芭蕉が書いたような俳句が文化のメインとして現在存在している。オタク文化も同様ではないだろうか。現在は遊びの道具で「ゲーム脳」の話や、ゲームに影響を受けてハイジャックを起こした男がでるなど、全体的にいい印象はないだろう、だが今現在、日本が世界に誇れるものがいくつあるだろう。今までも存在している文化もあるだろう。だが今現在、言われている「オタク文化」コレも立派な文化なのではないのだろうか。立命館大学でも今度ゲーム研究科というものができる。これもオタク文化の証明の第1歩となっているだろう。最後にはっきりと書こう、ゲームは日本の文化のひとつである。