世界を手にした男 後編パターンE

5.雨の中の原石

その日、歌舞伎町は激しい雨に打たれていた。 20億円という資産を持ち、時間を持て余していた健司は、傘も差さずに路地裏でうずくまる人影を見つけた。 ホストクラブの裏口。若い男が泥水にまみれて吐いている。 「もう来んな! 役立たずが!」 店の中から罵声と共に、男の私物がゴミ袋に入って投げつけられた。

健司は足を止めた。 男――流星は、泥だらけの顔を上げ、投げられた荷物を拾おうとしていた。その目には、絶望ではなく、悔し涙と「まだ終わってたまるか」という強い光が宿っていた。 かつて、平凡なサラリーマンだった自分が、心のどこかで憧れていた「必死さ」がそこにあった。

「……大丈夫か?」 健司が傘を差し出すと、流星は睨み返してきた。 「同情なら金くれよ、おっさん」 「金はある。だが、今の君に必要なのは金より、まず飯と風呂じゃないか?」 健司は無理やり流星の手を引き、近くのサウナへ連れて行き、その後、定食屋で温かい飯を食わせた。 ガツガツと生姜焼きを頬張る流星を見ながら、健司は決めた。 (この時間を、この若者のために使ってみようか)

6.予知能力による「教育」

翌日から、健司は流星の新しい店(移籍先)に通い詰めた。 もちろん、ただ金をばら撒くわけではない。健司は「時を戻す力」を、流星の**「教育係」**として使ったのだ。

ある日、流星が女性客を怒らせて席を立たれた。 (時よ、戻れ) 健司は時間を1時間ほど巻き戻す。 そして、接客前の流星を呼び出し、アドバイスをする。 「流星、あの子は今、仕事で大きなミスをして落ち込んでいるはずだ。無理に盛り上げようとせず、まずは『大変だったね』と話を聞いてやれ」 「え? なんでわかるんすか?」 「年の功だ。顔を見ればわかる」

健司のアドバイス通りに流星が接すると、女性客は涙を流して心を開き、指名をくれた。 またある時は、流星が焦って高い酒を入れようとした瞬間にストップをかける。 「今は引け。彼女は無理をしている。今日は安く済ませて『また来月おいで』と言ってやれ。それが信用になる」 健司は、失敗する未来を見てから戻り、流星が「自分で気づいた」かのように誘導した。

答えを教えるのではない。 「相手を見る目」と「誠実さ」の重要性を、成功体験を通じて体に叩き込ませたのだ。 健司自身も、何度も時間を繰り返す中で、人の心の機微を深く学ぶことになった。

7.分岐点の選択

半年が過ぎ、流星は店のナンバーワンになっていた。 顔つきも精悍になり、以前のような棘(とげ)は消え、自信と余裕が生まれていた。 そんな折、流星に怪しい儲け話が舞い込んだ。 「新しい店のオーナーにならないか」という誘いだ。出資者は半グレ集団に近い人物だった。

健司はその未来を見た。 その話に乗った流星が、数ヶ月後に借金漬けにされ、犯罪の片棒を担がされて破滅する未来を。 (時よ、戻れ)

現在に戻った健司は、契約書に判を押そうとする流星の手を掴んだ。 「やめておけ」 「健司さん? でも、これがあれば俺は一国一城の主に……」 「焦るな。その城は砂上の楼閣だ」 健司は真剣な眼差しで諭した。 「俺は、お前がそんなつまらない罠にかかるのを見たくない。金を稼ぐことと、魂を売ることは違う。お前なら、もっと真っ当な道で勝てる」

流星は健司の手を振り払おうとしたが、その目に宿る「親のような心配」を見て、動きを止めた。 これまでの健司の助言は、一度も外れたことがない。そして、常に自分のことを第一に考えてくれていた。 「……わかりました。アンタがそこまで言うなら」 流星は破滅の契約書を破り捨てた。

8.本当の自立

それから一年。 流星はホストを引退することを決意した。 「健司さん、俺、ホスト辞めてバーを出そうと思います。もちろん、怪しい金じゃなく、自分で貯めた金で」 焼き鳥屋のカウンターで、流星が真剣な顔で告げた。 健司はビールを飲み干し、微笑んだ。 「いいじゃないか」

「で、お願いがあるんです」 流星は頭を下げた。 「健司さんには出資してほしくないんです。俺、アンタに頼りすぎてきた。ここでアンタの金を使ったら、一生一人前になれない気がする」

健司の胸に、寂しさと誇らしさが同時に込み上げた。 金を出してオーナーになり、彼を囲うことは簡単だ。 彼が失敗しないように、また時を戻してレールを敷いてやることもできる。 だが、それでは彼の人生にならない。

「わかった。金は出さない」 健司は言った。 「その代わり、最初の客にしてくれよ」 流星は顔を上げ、破顔した。 「当たり前じゃないっすか! 一番高い酒、用意して待ってますよ!」

9.星を磨く喜び

数年後。 都内の一等地に、落ち着いた雰囲気の会員制バーがあった。 オーナーの流星は、客の話に真摯に耳を傾け、時には厳しく、時には優しく背中を押す名物マスターとして慕われていた。

カウンターの隅には、いつも一人の常連客――健司の姿があった。 「マスター、この人、昔からの知り合いなんですか?」 若い客に聞かれ、流星はグラスを拭きながら健司を見て笑う。 「ああ。俺が泥だらけの野良犬だった頃に拾って、磨いてくれた恩人だよ。頭が上がらない唯一の人だ」

健司は照れくさそうに肩をすくめた。 今の健司は、もう時を戻すことをほとんどしなくなっていた。 競馬で増やすこともやめ、余った資産で孤児院や奨学金の財団を設立し、運営に忙殺されていたからだ。

「健司さん、今日もお疲れですね」 流星がスッと差し出したのは、メニューにはない、健司の好みに合わせたカクテルだった。 「ああ、ありがとう」

グラスの中の液体が、琥珀色に輝いている。 健司は思う。 自分の人生をやり直すことはできなかったかもしれない。 だが、誰かの人生が輝く手伝いをすることはできた。 そして、その輝きは、かつて自分が望んだ「特別な力」で得たどんな結果よりも、今の自分を温かく照らしてくれている。

「悪くない人生だ」 健司は小さく呟き、愛弟子が作った最高の一杯を喉に流し込んだ。 このカクテルの味だけは、何度時を戻しても再現できない、積み重ねた時間だけの味だった。