仇討ちの雑学

12月14日は南極、忠臣蔵の日です。
本日は忠臣蔵から仇討ちに関する雑学を

江戸時代仇討ちは法律で許可されていた

忠臣蔵は日本で一番有名な仇討ちですが
事件の後には首謀者は全員死刑になっています。
理由としては当時の法律の仇討ちにのっとっていなかったためです
江戸時代法律で仇討ちが認められていたといっても片っ端からやっていたのではなく
許可制で許可を取る条件もいくつかありました
大きいものとしては以下になります。

1武士であること
階級は武士で泣ければ仇討ちの許可は下りません

2目上の人間の仇討ちであること
子供の敵、部下の敵は許されていません

3仇討ちの仇討ちは禁止
仇討ちされた仇討ちをしてしまうときりがないので
仇討ちは一回のみでした

4仇討ちの相手は犯罪者のみ
犯罪者に不当に殺された場合は仇討ちできましたが
互いにしっかりした身分同士や事故に巻き込まれた場合などは仇討ちができませんでした

忠臣蔵の場合ですと最後の項目が満たせないため仇討ちとしての許可がおりないので
違法な討ち入りとしてしか仇討ちができない状態にありました

尚仇討ちは明治時代に仇討ち禁止令が発布されていますので
現在仇討ちは違法行為となっております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です